第1話 だから春はとりわけ嫌い

 海のない街に生まれ住んでいる。


 昨夜降った雨が、通学路の桜を散らしていた。泥まじりのまるい花びらが、ローファーにはりついてうっとうしい。

「上を見ると、人間、暗いことは考えられないんだ」って先生が語ってた。自己啓発本で読んだことをそのまま横流ししているだけだって、あたしは知ってる。


 その理論を信じるひとに聞きたいのは、見上げた空が曇っていて、色あせた桜の花が石灰せっかい色の空ににじんでいたとして、同じことを自信満々に言えるだろうかってこと。


「寒……」


 しめった風がうなじを撫でていくので、あたしは肩をすくめた。制服のブレザーのえりが立ち上がって、首の後ろの隙間が閉じられる。

 体をかたくちぢめて歩いていく。ローファーのつま先は、花びらでまだらになっている。ブリーチ剤をこぼしたTシャツみたいに。


 風は突風と言ってよかった。

 そんな春先の、激しい風にさらされながらも、来る夏の暑さを想像してうんざり出来るのがあたしのすごいところだ。

 この場合のすごいは「飛び抜けてネガティブ」ってことだけど。


 あとは夏の手前、この通学路が毛虫爆弾にさらされることなんかも考える。春夏秋冬、いつでも不機嫌になれるというわけ。

 さて、春の学生の憂鬱ゆううつといえば、それは朝。教室に入ってからだ。


鏡餅かがみもちおはよー」


 昨年同じクラスだったTが、今年もまたクラスメイトの面子に居ると知った、新学期初日のあたしの絶望っぷりは半端なかった。

 これであたしの高2生活も終了確定、と思ったものだ。


「はは、おはよ」

「顔暗いなー月曜から」

「月曜だからだよ」

「餅にカビでも生えたかと思った」


 ああ、なんであたしは加々見かがみもえなんだろう。

 加々見って名字で、子どもの名前に「もえ」なんてつけたお父さんとお母さんのセンスを疑う。

 いや、お父さんとお母さんは、想像してなかったんだろう。可愛い可愛いふくふくの赤ちゃんが、ふくふくの鏡餅みたいなまま女子高生になるなんて。


 つまり名前が悪いんじゃなくて、名前とあたしの相乗効果が産む、平和っぽさが悪い。

 どんくさそう(実際どんくさい)、処女っぽい(もちろん処女だ)、真面目そう(叱られたくないだけ)。イコール、いじってもいいし、軽んじてもいい、ってわけ。

 つまらない黒髪も、多分そのイメージに拍車をかけてる。

 世の地味子みんながみんなそうじゃないのは分かってるけど、少なくともあたしに関してはそう。


 それに甘んじていれば、それなりに無難に学校生活を送れる。でもへらへら笑って飲み込んだいやーな気持ちは、ずっと胃に残り続ける。

 なめんじゃねーよ。そう言えたらどれだけいいだろう。

 クラスが変わっても何も変らないってことを思い知らされるから、春はとりわけ嫌い。


「うまいこと言うよねー」

「って言いながら顔ひきつってるけど、いつもそんな感じだよな。言いたいことあるのに笑ってごまかすけど、ごまかしきれない。生き辛くない?」


 分かってんなら、絡んでくんなよ。という言葉は飲み込んで、Tを置いて窓際の自分の席に逃げる。最悪だ。

 なんでTをTと呼ぶかと言うと、これはあたしのちょっとした反抗心からだ。

 親しくないから、「よそよそしい頭文字」で呼ぶ。これは、授業で『こころ』を読んだときに「私」が言っていたこと。ほんとそれ! と思ったから、あたしの中で採用になった。


 Tに個別具体的な名前なんて与えない、イニシャルで十分なのだ。


 男子はみんな苦手だけど、特にTは避けたい対象。それなのに絡んでくるから、意味が分からない。

 とはいえカースト上位女子も怖いし、オタクグループに入れるほどなにかに夢中なわけでもない。

 中庸、中庸、中庸。そんな顔ぶれの地味子三人グループを作った。教室移動やお昼休みにボッチにならないための、期間限定友だち。来年にはお互いのことなんて忘れていそう。


 昼休み、そんな三人で冴えないお昼ごはんを食べていたときだ。

 地味子A(でもBでもCでもいいんだけど。あたしたちは無個性で代替だいたい可能だ)、が「またマキ論が炎上してる」と言ってSin-sのメンバーのひとり、マキ論のツイッターアカウントを見せてくれた。

 それがあたしとSin-s、そしてアッキちゃんとの出会いのきっかけだった。


 ツイッターなんて周りにやってる子がいなかったから、地味子A、オタクか? というのが最初の感想だった。

 それでマキ論とかいう子のアカウントを見せられたんだけど、「普通に考えて姥捨うばすて山制度は復活させるべきでしょ。安楽死に補助金出すほうが高齢者の福祉に予算使うより賢い」とか言っていて燃えないわけがなかった。

 

「なにこれ、おかしいでしょ」


 あたしが言うと、地味子Aは面白そうに彼女のツイートにつく引用リツイートとか、リプライとかを見せてくれた。マキ論はヘリクツを言い倒して、議論になってない怒りと嘲笑ちょうしょうのぶつけあいみたいなツリーが長々と続いている。


「わざとやってるんだよ。マキ論は七つの大罪の【憤怒ふんぬ】担当だから、こうやってしょっちゅう怒りを引き出してるし自分も怒りまくってる。炎上芸だよ」

「そんな人を傷つけるだけの活動していいの? アイドルなんでしょ」

「ま、これも戦略なんじゃない。コンセプトアイドルだし。別に推しってわけじゃないよ。面白いから見てるだけ」


 そう言ってスマホをしまってお弁当の続きに入る地味子Aが、地味子Aから抜け出して個性を出してきたことの方にあたしは焦った。戦略とか言ってるし、賢そうっていうか、大人っぽい。

 Sin-sについて教えて、って言えればそこから話が広がるのかもしれなかったけど、そんな素直さとコミュ力があったら困って無くない? というわけで、あたしは「ふうん」とだけ言って興味を失ったふりをした。


 帰宅してからこっそりSin-sについて調べて、無難から抜け出したいあたしは、ここにヒントがある気がした。

 強欲、色欲、憤怒、嫉妬、怠惰、暴食、それに傲慢ごうまん。……ぜんぶぜんぶ肯定されたい。だって彼女たちはその「キャラ」でちゃんとファンがいる。もちろん世の中あまくなくて、叩きもあるから、それを受け入れるだけの覚悟がないとだめなんだ。

 

「あたしには無理だし、この子たちみんなかわいいけど、結局は色モノで売らないといけないんだもんね」

 

 そう呟きながら、メンバーのアカウントを順に見ていったときだ。【傲慢】担当のアッキのツイートが目に入った。


  AKKI @prideprejudice_kk

  センスいいやつ=アッキ推し

  センスないやつ=それ以外のやつ全員


「無茶すぎでしょ!」

 

 思わず笑っちゃったけど、添えられてる画像は説得力ありまくりの、美少女だった。


 黒髪のロングで前髪は重めのぱっつん。美人の自覚がないと出来ないやつ。

 あたしのつまらない黒髪とは違う、意味がある髪型。

 目の下のクマを強調するみたいなアイメイク、口元にはピアス。唇は赤紫のリップで染められていて、色白の頬に血色は無い。

 ベランダにヤンキー座りをして、足元には灰皿と吸い殻が写っている。吸い殻のフィルターにうつったリップの色が生々しい。


 そして――


 開いた胸元、肉のうすいデコルテには紫っぽいインクでタトゥーが掘られている。素朴な線で描かれた格子柄こうしがらと、AKKIという彼女の名前。

 なんだかとても、ドキドキした。見てはいけないものを見たような気持ち。

 そんな【傲慢】な美少女に、あたしはすっかりやられたのだ。

 外見も内面も、こんな風になりたい。なれたらどれだけいいだろう。


 アッキちゃんなら、たとえ本名が加々見もえでも、鏡餅なんてあだ名でいじられることはないんだろうな。

 


  AKKI @prideprejudice_kk

  特別になりたいやつ、くすぶってるやつ、インスタントに違う自分になりたいやつ、あたしを推さない理由なくない?



「そんなわけないじゃん! でもまあ、かわいいし、アリかも……?」


 実際、ちょっととがったセンスというものに憧れていたるあたしは、洗脳されるみたいにしてアッキちゃんに惹かれていった。

 あたしにしては珍しく、すぐに行動に移った。アッキちゃんにリプライしている他のアカウントの真似をして、推し活用アカウントを作ったのだ。


 アカウント名を考えるところで、可愛くて、覚えやすいもの、ということで「いちご大福」なんて名前にしたけど、同じ名前のアカウントが腐るほどツイッターにあることを知ったのはずいぶんと後の話。

 コンプレックスのはずの色白地味ふくふく感も出てしまったし、まったくあたしは凡庸ぼんようで発想力もゼロなのだった。


 アッキちゃんを推していることも、いちご大福アカウントも、もちろん友だちには秘密だ。

 だって、変なアイドルを推しているって思われたら、嫌だから。

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