第36話 勇者の孫 ダンジョンを駆け抜ける



 奥多摩一つ星ダンジョン。別名『魔狼ダンジョン』には、一つ目狼ワンアイドウルフという茶色い毛並みをした狼と、こけのような濃い緑色をした緑狼グリーンウルフの2種の魔物がいる。


 1層から8階層は一つ目狼ワンアイドウルフのみが出現し、9層以降は緑狼グリーンウルフが出現する。


 一つ目狼ワンアイドウルフ緑狼グリーンウルフも地球にいる狼とそう変わらない体躯である。魔物であるからして身体能力は地球の狼よりは当然高いが、それほど大きな群れを作ることはなく2匹から3匹で徘徊している。素早い動きだけに気をつければ、初心者探索者でも6人パーティならば問題なく無く倒せるだろう。


 しかし何事にもイレギュラーというものはある。


 4階層から5階層へ降りる階段まであと3キロほどの場所で、探索者6人とポーター1人のパーティが一つ目狼相手に苦戦をしていた。


「保奈美悪い! そっちに1匹一つ目が行った!」


 茶色く染めたセミロングの髪を振り乱しながらこのパーティのリーダーである麻子は、もう一人の槍を持つ仲間と2人で6匹の一つ目狼と戦いながら後ろにいる4人の仲間へとそう叫んだ。


「ちょっ! こっちは既に8匹相手にしてんのよ!?」


「麻子! もう限界! 15匹なんて無理だよ!」


「なんで急にこんなに集まってくるのよ!」


「無理でもなんでもやるしかないでしょ! 背を向けたら一気に持ってかれるわよ!」


 ここは一本道で逃げるとしたら後ろしかない。しかし身体強化をした自分たちよりも、速い上に疲れを知らない一つ目狼から逃げ切れるとは思えない。さらに間の悪いことに魔力も残り少ない。逃げたら確実に死ぬ。なら倒すしか生き残る方法はないと麻子は判断した。


 麻子たちは公立の高校を卒業してすぐ、友人たちと探索者になったばかりだ。探索者学園に入れるほどの魔力も学力も無かった彼女たちだが、努力の末に5ヶ月で7階層で戦えるようにまでなった。これは一般の探索者ではかなり早い方である。決していつも素通りしているこの4層で苦戦するような者たちではない。


 しかし今日は違った。いや、30分前までと言ったほうが正確だろうか? 襲い掛かってくる一つ目狼ワンアイドウルフの数はいつも通り2匹か3匹程度だ。しかしどういうわけかそれが立て続けに現れ、そして麻子たちに向かって真っ直ぐ向かってきたのだ。


 3匹ずつ時間を置いてなら倒すことは出来ただろう。しかしほぼ同時にとなると、未だ初心者探索者の域を出ない彼女たちには無理だ。逃げることもできなくなった彼女たちのパーティは崩壊の危機を迎えていた。


「おい信夫! 撮影なんかいいから……ちょ、おまっ!」


 元クラスメイトでありポーターの信夫が心配になった麻子が背後へと視線を向けると、そこには配信用のカメラを構えたまま失禁し白目をむいている信夫の姿があった。どうやら死を覚悟してカメラを構えたまま失神してしまったようだ。


 無理もない。信夫はまだまだ駆け出しのポーターで、装備も市販のプロテクターの上から探索者補助組合組合から借りた簡易パワードスーツを身に着けているだけだ。この簡易パワードスーツはもともと老人介護用に開発された物なので、当然防御力など皆無だ。そんな紙装備なうえに魔力のない男が、15匹もの一つ目狼に襲われて平気なはずがない。


 しかしそんな信夫を麻子は起こそうとは思わなかった。気絶しているなら丁度いいと。もしも自分たちが死んでも魔力のない信夫だけは生き残れる可能性があるからと。こんな自分を好きだと言ってくれて、断っても断っても何度も告白してきて。そして自分が探索者になると言ったら、気が弱いくせにポーターをやると言ってついてきた物好きな男だ。一緒に死ぬ必要など全くないと。


 だが……


「簡単に死ぬつもりはねえけどなぁ!!」


 そう言って麻子は自らを奮い立たせ、眼の前の一つ目狼へ向かって剣を振り下ろした。


 しかし……7匹を相手に腕を噛まれ防具を噛みちぎられ、満身創痍になりながらも前衛の仲間と2人で2匹を倒したところで後方から悲鳴が聞こえてきた。


「あぐっ、このっ! 」


「きゃっ! は、離して!」


「あ、麻子! 広美と恵理子が!」


「くっ、広美! 恵理子! 首を守れ!」


 次から次へと襲い掛かってくる一つ目狼を前に、麻子は背後で一つ目狼に足や腕を噛まれ引き倒された仲間へ首だけは守るようにと叫ぶのが精一杯だった。


 しかし戦う人数が減ったことで、後ろで戦っていた残りの2人も同じように引き倒された。


 一つ目狼ワンアイドウルフはまだ10匹はいる。そして戦えるのは自分ともう一人だけだ。魔力ももうほとんど無い。


 ここまでか。


 そう、麻子が覚悟を決めた時だった。


 背後から鎧の擦れる音と複数の足音が聞こえてくる。


 近くにいた探索者が助けに来てくれたのかと思い麻子は振り向いた。すると暗闇の中から無数の黒いツバメのようなものがこちらへと飛んできて、それは仲間に噛みついていた一つ目狼たちの胴体を一瞬のうちに切断した。


 そして一つ目狼を切断したそれは、まるで生きているかのように軌道を変えて麻子が対峙していた一つ目狼たちにも襲い掛かった。


「え? な、なにが!?」


 麻子はいったいなにが起こっているのか理解できないまま、目の前で魔素となって消えていく一つ目狼を呆然と見ていた。すると背後から男の声が洞窟内に響いた。


「玲、楓。3匹残したよ。立ち止まらずそのまま駆け抜けるよ」


「ハァハァ……わかった」


「ファ、ファイアーボール」


 そして背後の暗闇の中から胸もとが大きく開いている白い全身鎧姿の女性と、派手な装飾が施された青い水着姿にマント。そしてまるで魔女のような三角ハットを被っている女性が現れた。その2人は駆け足のまま残っていた一つ目狼を銀色の剣と、ファイアーボールの魔法で葬りながら自分たちの前を通り過ぎていった。


 そんな彼女たちを茶髪の男が追う。彼は麻子たちの前を通り過ぎる際になぜか申し訳なさそうな表情を浮かべたあと、手に持っていた小袋を倒れている仲間の側に置き去っていった。


「た、助かった……のか?」


「……そうみたい」


 麻子と最後まで一緒に戦っていた仲間の女性は、剣と槍を持ったまま先ほどの三人組が去っていった洞窟の奥を呆然と見つめていた。


 彼女たちの足もとには、一つ目狼が残した小さな魔石だけが残っていた。


 そしてこのあと男が置いていった小袋の中身を見た麻子たちは驚愕した。小袋の中には5等級のポーションと、一つ星ダンジョンでは手に入らない4等級のポーションが5本ずつ入っていたからだ。


 麻子たちは玲と楓と呼ばれていた二人の女性と、茶髪の男へ感謝しつつポーションを仲間の治療のために使うのだった。



 ◇



 危機に陥っていたパーティを助けたユウトは、玲と楓と共にダンジョンを走っていた。


 先頭を走る玲と楓はいつ魔物が突然現れるかわからないことと、ずっと走りながら戦ってきたことでその表情は緊張と疲れに染まっている。


 一方そんな2人の後ろを走るユウトの顔はだらしなく緩んでいた。その視線を追うと、前を走る2人の下半身に固定されている。


 ローブを脱いだ玲のドレスアーマーのスカートや、楓のマントからチラチラ見える2人の大きなお尻をユウトは走りながら後ろから眺めているのだ。


 そんな鼻の下を伸ばしていたユウトだったが、楓が急に走る速度を落としユウトの隣に並走したことで慌てて表情を引き締めた。


「ハァハァ……兄さん、さっきの人たち大丈夫そうだった?」


 先ほど助けたあと、そのままにしていったパーティのことが心配なのだろう。息を乱しながらユウトヘ聞く楓。


「大きな怪我はしてなかったよ。その前に助けたパーティと同じかな。5等級と4等級のポーションをいくつか置いてきたから、一つ目狼ワンアイドウルフ程度から受けた傷なら治るはずだよ」


「そっか、よかった」


 ホッとした表情を浮かべる楓。ダンジョンでは助け合いが大切だと母や学園の授業で教わっていたのだろう。助けたはいいが、ユウトに言われるままにそのまま放置していった事を気にかけていた。


 そんな二人の会話が聞こえたのだろう。玲もユウトの隣まで来て口を開く。


「私も気にかかっていたから良かった。しかし今日はよくピンチになっている探索者と出会うな。やはりこの異常とも思えるほどの魔物の数が原因かもしれない」


 ユウトたちは2階層の途中から現在走っている4階層の終わり辺りまで、魔力回復ポーションと命の精霊による体力回復の精霊魔法を受けながら5時間かけて走り抜けていた。そしてその間に複数のパーティが多数の一つ目狼に襲われている光景に何度か出食わしていた。玲はそれをこの異常発生している魔物のせいだと思ったようだ。


「別に異常なんかじゃ……おっと、玲、この先のT字路の右の通路から10匹来るぞ。6匹は俺が間引く。楓は魔法で援護、足は止めるなよ〜」


 何かを言おうとしたユウトだったが、魔物の魔力を感知し玲と楓へと指示をした。


「またか!」


「お姉ちゃん、2体は私がやるよ!」


 魔物の接近を知らされた2人は剣と杖を構え、一つ目狼ワンアイドウルフが現れるT字路へと向かった。


 そしてユウトも再び彼女たちのお尻に視線を固定させながら後を追うのだった。

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