第24話 勇者の孫 成金となる



「うう……もう魔力も体力もカラッカラだよ」


「私もだ……」


 翠が九州の職場に戻ってから三日後の夕方。


 玲と楓はフラフラになりながらユウトとの訓練から家へと戻ってきていた。


 二人とも裏山を駆けずり回っていたせいか、着ているジャージが泥だらけだ。それだけでどれだけキツイ訓練をしていたかが伺い知れる。


 そんな二人は汚れたジャージを玄関で脱ぎ、洗濯機に入れてから浴室へと向かった。


「兄さんって戦闘訓練となると容赦ないよね」


 浴室で天井から降り注ぐミストシャワーを姉と浴びながら楓がボソリと口にする。


「ああ、いつもはヘラヘラしているのに訓練の時だけは厳しいな」


 二人ともいつもはゆるい感じのユウトが、訓練の時は厳しかったことが意外なようだ。


 実際ユウトによる訓練は非常に厳しく、実戦を想定した訓練と言って裏山で玲たちを追いかけ回し木剣と精霊魔法で何時間も攻撃していた。


 ユウトはリルではトップクラスの冒険者だ。それゆえにダンジョンの恐ろしさを誰よりも知っている。なにせ10歳の頃からダンジョンに入り、片手で数えられないほど何度も死んでいるのだ。その都度祖父の秋斗に蘇生してもらっているが、ユウトほどダンジョンの恐ろしさを知る者はいないだろう。


 ユウトは玲と楓には死んで欲しくない。だから真剣に彼女たちを強くしようとしている。二人が木剣と短剣で応戦する際に揺れる胸も少ししか見ていない。


「精霊魔法ってほんと凄いよね」


 魔力が切れても何時間も自分を追いかけてきた黒い帯状の精霊魔法を思い出したのだろう。楓はボディソープで豊満な乳房を下乳部分から持ち上げるように洗いながら、若干うんざりしつつも感心したように口にした。


 そんな楓の言葉に、髪を洗い流し終わった玲が答える。


「ああ、確かにあれほど思いのままに操れる精霊魔法は凄い。しかしそれよりも驚いたのは、ユウトは何時間も精霊魔法を使い続けても魔力切れになる気配がまったくなかったことの方が驚きだ」


「確かにそうだよね。いったいどれくらいの魔力量なんだろ? こっちは身体強化を1時間使い続けただけで魔力切れになったのに」


「さてな。ただ、ドラゴンを使役しているような人間と比べるだけ無駄だということだけはわかる。魔力が少ないなら魔力切れになった時に生き残れるよう戦闘技術を磨くだけだ。ユウトの身体の筋肉を見ろ、魔力が多くともあれだけ鍛えているのだ。魔力の少ない私たちが鍛えないでどうする」


「それはそうなんだけど……お姉ちゃんは兄さんの筋肉の話ばかりだね」


「そ、そんなことはない! ユウトが魔力に頼らず己の身も鍛えていると言いたかっただけだ!」


「まあそういうことにしておくよ」


 いつもならここで玲をからかう楓だが、今日は疲れてそんな気力が無いのだろう。流すことにしたようだ。


 それからシャワーを浴び終えた二人は下着姿のままリビングのソファーに倒れ込むと、少しして楓の携帯にユウトから着信があった。


「はい、どうしたの兄さん?」


《楓! やったぞ! 今さっき役所から義母さんに連絡があってさ、俺の戸籍が得られるみたいなんだ!》


「え? 本当!? お姉ちゃん、兄さんが戸籍を得られるんだって!」


「そうか! 大丈夫だとは思っていたが、思っていたより早くて安心した」


「兄さんおめでとう! これで正式な家族だね! お母さんの義弟だから叔父さんて呼んだほうがいいかな?」


《やめてくれよ。俺はまだ二十歳なんだ。兄さんで頼むよ》


 楓のからかうような言葉を受け、ユウトは勘弁してくれと言わんばかりに情けない声を出す。


「あはは! わかったよ兄さん。じゃあ今日はこっちでみんなでお祝いをしようよ。頑張って料理を作るからさ」


《ありがとう。じゃああとでそっちに義母さんと行くよ》


「うん、待ってる。じゃあ後でね……というわけだよお姉ちゃん。夕ご飯の支度をしなきゃ」


「わかった。私も手伝おう」


「お酒の用意と枝豆をよろしく。あとお皿の用意もね」


「ぐっ……わかった」


 言外に調理には手を出すなと言っている楓に、玲は悔しそうな表情を浮かべつつも素直に従うのだった。



 ◇



「うおおお! すげえ! 空からは見たけどやっぱ地上から見ると圧倒されるな! 城みたいな高い建物がこんなに密集してるとか!」

 

 八王子の繁華街のど真ん中で、茶髪で黒目の軽薄そうな顔をした男が両腕を天に突き上げ叫んでいた。


 この田舎者丸出しの人間こそ、異世界から地球に転移してきた勇者の孫であるユウト・クドウだ。


 ユウトの目が黒いのはカラコンだ。これはネットショップで買った物で、昨日やっと届いたのでさっそく付けているというわけだ。目に異物を入れることに慣れていないため、つけるのに数時間ほど掛かったが……


 それでも異世界では魔族と呼ばれ、魔族のいない日本は日本で厨二病と誤解される原因となりえる赤い目を隠せることがユウトは嬉しかった。


 別に母のリリーと同じ色の目をコンプレックスに感じたり、ましてや嫌悪しているわけではない。たとえ差別の対象となったとしても、自分を生んでくれた母に恨みなど持つはずがない。


 ただ、母のリリーと違い、サキュバスの能力を絶倫以外一切受け継いでいないのに赤い目だけ受け継いだのがユウトは不満だった。差別の対象になるんだったら、せめて母のように魅了と催淫の魔法を使えるようになりたかった。そうすれば素人童貞だなどと言われることもなかったのにと……そんな最低なことをユウトは考えていた。


「兄さん、恥ずかしいからもっと小さな声でお願い」


「ユウト、みんなこっちを見て笑ってるぞ」


 そんなユウトを義理の妹である玲と楓が恥ずかしそうにたしなめる。


 周囲を見ると夏休みなのだろう。多くの子連れの男性とその子どもたちがユウトたちを見て笑っていた。


れいかえで! 義兄にいちゃんがなんでも好きなものを買ってやる! ぶらんどって言うんだっけ? 服でもバッグでも指輪でも好きなのを選んでいいぞ!」


 しかし周囲の目など気にすることなくユウトは胸を叩き、義妹となった二人にそう告げた。


 他人の目など気にして、異世界でサキュバスのクォーターとして生きていけるわけがない。領地を一歩でも出れば、その赤い目が原因で避けられるくらい日常茶飯事だ。それどころか衛兵に魔族扱いされて追われることすらあったのだから。


「ホント!? やったぁ! お姉ちゃん、何でも好きなのを買ってくれるって! 早く行こう!」


 玲と楓の家は母親の翠が元一流の探索者であったことと、現在も探索者協会の支部長をしていることから比較的裕福である。装備も翠が現役だった時に使っていた物などを譲ってもらっている。


 しかし先日の初めてのダンジョン探索のために予備のポーションを買い、野営道具も新調したうえに修理に出した防具の修理費が思ったより高くついた。もともと翠のお下がりということもあり、あちこちが傷んでいたのも原因であろう。買い替えるよりは安いとはいえ、学生の二人にとっては痛い出費となっていた。


 母と祖母からの援助の他に冬に姉とした短期のアルバイトで稼いだ資金が残っているとはいえ、5日も潜ったダンジョンでの収益が赤字だったことを考えると欲しい物を買う余裕は無かった。


「楓までそんな大声で……ハァ、かなりの大金が入ったとは聞いてはいるが、本当にいいのかユウト? 祖母の病気や母の怪我の治療もしてくれたうえに、この5日間私たちを鍛えてもくれた。本当は私たちがユウトに感謝しなければならない立場なのに」


「何言ってるんだよ玲。俺たちは法的にも本当の家族になったんだぞ? 義兄に遠慮するやつがあるか」


 義理だから結婚できるけどな。と、ユウトは心の中で付け加えた。


 そう、ユウトは二人の正式な家族となった。美鈴の養子となることが法的に認められたのだ。


 本当はもう少し時間が掛かかったはずなのだが、実は翠が大分に戻る前に役所で市長と面会をしたことですぐに許可が出た。元有名探索者であり、現探索者協会の支部長の翠が自らユウトを義弟にすると言ったのだ。市長も安心して承認したことだろう。


 それから市役所に美鈴と共に行き様々な手続きを得て、正式に工藤家の長男として承認され身分証も発行された。


 ちなみに戸籍上の姓名は工藤 ユウトだ。ユウトが生まれた時に名付けた祖父の秋斗と母のリリーは、まさか数年後にユウトが日本に行きたいと言うとは思っていなかったので漢字の名前を用意していなかった。


 そしてユウトが成長し日本に本気で行きたいと言い出した際に、祖父の秋斗がカタカナの名前と共に遊人ユウトという漢字の名前を考えて与えた。が、漢字を覚えたユウトが遊び人じゃねえか! と怒りその名前は封印された。本当にロクでもない祖父である。勇者なのに。


 こうして晴れて日本人となったユウトは、八王子の繁華街に義妹。(戸籍上は姪なのだが、対外的には妹ということにしている)を連れて買い物に来ていた。美鈴はユウトの件で力を貸してくれた役所の友人の所へお礼に行くと言って同行はしていない。恐らく義兄妹となった若い三人の邪魔をしないよう気をつかったのだろう。


義兄あにか……ふふっ、私に義兄ができるとはな。なんだか新鮮な気分だ。では義兄のユウトに今日は甘えさせてもらおう。ちょうど欲しい物があったんだ」


「おうっ! なんでも好きなものを買ってやる! 指輪でもネックレスでもなんでもいいぞ! 俺は億万長者だからな!」


 少し恥ずかし気に言う玲に対し、ユウトは胸を叩いてそう告げた。


 周囲を歩いている人たちからは微笑まし気な視線が送られていた。二十歳ほどの青年が億万長者などと口にしてはいるが、せいぜい数十万円程度の臨時収入があって気が大きくなって言っているんだろうと。そう思っているようだ。


 しかし昨日探索者協会から作ったばかりの銀行口座に、マジックポーチの買取価格として探索者企業である『株式会社 薔薇騎士ナイトローズ』を経由して1億ほどのお金が振り込まれている。ユウトは本当に億万長者になったのだ。


「フッ、そんな事を言っていいのか? 私たちが欲しい物は少々値が張るぞ?」


「わははは! ドンとこいだ! なんなら店ごと買ってやってもいいぞ!」


 完全に成金の言動である。まあユウトの気が大きくなるのも仕方ないことではある。たとえ1億を使い切ったとしても、義姉の翠に頼めばいくらでもダンジョンアイテムを換金し大金を手に入れることができるのだから。


「話は終わったかな? それじゃあ早く行こうよ。欲しい物がたくさんあるんだ」


 そんな二人の会話をニコニコ顔で聞いていた楓は、もう我慢出来ないとばかりに二人の手を引っ張り商業ビルへ向けて歩き出すのだった。

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