第23話 勇者の孫 義妹を鍛える



「玲、剣をかわされたあとに身体が流れてるぞ。一撃に力を入れ過ぎだよ。それと楓、背後からの攻撃に動揺し過ぎだ。それじゃあ畳み込まれるよ」


「わ、わかった!」


「うう……わかったよ兄さん」


 玲と楓の家の庭では、木剣と短剣をそれぞれ持つ玲と楓がユウトによる訓練を受けていた。


 家の主である翠は既に東京にはおらず、昨日ユウトに賄賂……ではなく贈り物をもらってすぐにスキップをしながら九州にある職場へと戻っていった。


 家を出る時の翠の姿は、ユウトからもらった若返りの秘薬を速攻で飲んだのだろう。どこからどう見ても20代にしか見えなかった。


 そしてその日の夜。夕食を一緒に食べていた玲と楓に、明日剣と短剣の稽古をつけて欲しいと頼まれたのでこうして稽古をつけているところだ。


 ユウトは木剣と闇の精霊で二人を攻撃しつつ、その都度アドバイスを送っている。


 そんなユウトからの攻撃を玲は木剣で必死に受け止め、なんとか苦し紛れの反撃をするがあっさり躱されついでに木剣を足に掛けられ転ばされる。


 短剣を持つ楓も闇の精霊の死角からの攻撃にまったく対応できず、黒い帯状となった精霊に身体のあっちこっちをタッチされ遊ばれていた。


 そんな訓練が1時間ほど続き、とうとう玲と楓は倒れ込んだ。


「くっ……ハァハァ……全く歯が……たたなかった」


「わ、私も……攻撃を全然さばけなかった……よ」


 早朝とはいえ今は8月。ジャージのズボンにTシャツ姿の二人は汗だくとなっていた。


 そんな二人をユウトは涼しい顔で眺めている。


「玲も楓も、子供の頃からさすが義姉ねえさんに手ほどきを受けただけあるね。基本はできていると思うよ。ただ、当たり前だけど実戦経験が不足してるかな。死角からの攻撃が全く見えてないし」


「それは……確かに先日ダンジョンに入った時に私も感じた。何度か一つ目狼の不意打ちを食らってしまったからな。学園の実習の時は実技の教師がその辺をカバーしてくれていたのだろう」


「私も実習では後方で魔法を放っていただけだったから、短剣を使う機会はなかったんだよね」


「異世界でもルーキーは誰でもベテランに守られてダンジョンに入るからね。独り立ちしたての時は皆そんなもんさ」


「そういうものか……だがユウトが戸籍を手に入れて、ポーターの登録ができるようになるまでには死角に対応できるようにしておきたいな」


「ダンジョンでも兄さんにおんぶに抱っこじゃ、いつまでも強くなれないしね。そういう訳で兄さん、もう一度お願いするよ」


「わかった、それじゃあ行くぞ」


 やる気に溢れる二人にユウトは笑みを浮かべると、木剣を構えると同時に精霊魔法を発動するのだった。



 三人がダンジョンに潜り、玲と楓の運命が変わる日が少しずつ近づいてきていた。



 ◇◇◇



「ふんふふ〜ん♪」


 大分ダンジョンの支部長室では、翠が上機嫌でパソコンに映し出されている報告書を眺めていた。


 彼女が上機嫌なのは言うまでもない。長いこと悩んでいた原因の一つである母の病気が完治し、自分も失った右眼と右足が再生したうえに11年分の若返りの秘薬を手に入れたからだ。これで上機嫌にならないはずがない。


 しかしそんな彼女の右目には、もう必要がなくなったはずの茜色の眼帯がしてあった。右眼は昨日ユウトにより再生され見えるようになっているが、失った器官を再生させる技術はこの世界には存在しない。そのため眼帯をして隠しているのだ。


 義足をしていた右足に関しては問題ないと思っている。もともと見た目が本物と見分けがつかないほど精巧に作られた義足なので、触れられない限りはバレることはないだろう。


 そんな上機嫌の翠へ、コーヒーを載せたトレーを持って部屋に入ってきた眼鏡を掛けた真面目そうな女性。翠の専属秘書である七橋ななはし 理子りこが声を掛けた。


「支部長、ずいぶんと機嫌が良さそうですね。お母様の容態が落ち着かれたのですか?」


「え? ええ……思っていたより危なくなくてね。それどころか回復に向かっているのよ」


 翠は理子の言葉に若干焦りつつ、そういえば家族が危ないとか言って昨日飛び出してきたんだったと思い出し美鈴の容態が良くなったと答えた。実際は完治しているのだが。


「それは良かったです。昨日の支部長の焦り様は凄かったので心配していました」


「急に飛行機や車の手配をお願いしてごめんなさいね。でももう大丈夫だから。昨日のようなことはもう無いと思うわ」


「いえ、支部長を公私ともに支えるのが秘書の仕事ですから」


「相変わらず真面目ね。もっと肩の力を抜きなさい」


「特に無理はしているつもりは……支部長? ずいぶんと肌の張りが良くなったように見えるのですが?」


 トレーに載っていたコーヒーを翠の前に置いた理子が、翠の肌の変化に気づいた。


 理子は5年以上翠の秘書をしており、毎日のように翠を間近で見ている。そんな彼女が翠の肌の変化に気が付かないはずがない。


「そ、そう? よく寝たからかしら? お化粧のノリも良いのよね」


 翠は理子の眼鏡の奥から見える鋭い視線に動揺しつつも、それらしい理由を口にした。


 今の翠の見た目は20代半ばほどになっている。そう、翠は5等級の若返りの秘薬を一人が飲むことのできる上限である3本全て服用していた。もともと魔力の影響で実年齢より7〜8歳ほど若く見えていたが、今ではそこから6年ほどさらに若返っている。


 本当なら5年若返る4等級の秘薬も飲みたかったのだが、さすがに10年以上見た目が若返ったら職場で誤魔化せないだろうと思い渋々諦めた。


「睡眠ですか……何か良い化粧品を手に入れたのなら教えていただこうと思ったのですが……しかし睡眠でこれほどの変化が」


 理子りこは今年で27歳になる。しかも探索者ではなく、協会に雇われた一般人なので老化速度は普通の女性と変わらない。最近になってお肌の曲がり角を気にし始めていた理子は残念そうな表情を浮かべつつも、眼鏡の奥にある目はどこか疑うような視線を翠に向けていた。


「す、睡眠は大事よ? 私も実家でたっぷり寝て実感したわ。理子りこも残業ばかりしてないで早く帰って寝なさいね」


「支部長が本部への売上計画書の作成や、報告書の作成を手伝って頂ければ早く帰れるのですが」


「あ、あははは。藪蛇だったみたいね。あ、そうそう。しばらくは売上は心配しなくても大丈夫よ」


「大丈夫と言いますと? 薔薇騎士ナイトローズから何か貴重なアイテムでも流してもらえましたか?」


 薔薇騎士ナイトローズとは、翠が現役時代にパーティ仲間と共に経営していた会社のことである。


 翠の率いていた薔薇騎士団という名のパーティは解散したが、株式会社 薔薇騎士ナイトローズという名称で法人化をしていた会社は残していた。いわゆる探索者企業シカーカンパニーというやつだ。


 会社を残した理由は生き残った若い団員と、入社間もない見習いたちのためである。その会社の代表取締役には現在、翠の元パーティメンバーが就任している。この会社は翠たちが引退してからは一気に戦力が低下したが、今では三ツ星ダンジョンの下層を探索できるパーティを複数抱えており、数ある探索者企業の中でも中堅クラスを維持している。


 そして翠が諸々の事情があって探索者協会に勤めてからは、三ツ星ダンジョンで入手したアイテムを翠の支部に回してくれたりと陰から手助けをしてくれている会社でもある。そのおかげで翠は中途採用にも関わらず十年にも満たない期間で日本に15ヵ所しかないダンジョンの、しかも二つ星ダンジョンの支部長にまで上り詰めた。


 今月の売上の心配はないと言った翠の言葉に、理子はその薔薇騎士ナイトローズが貴重なマジックアイテムか装備をダンジョンで手に入れたのだろうと考えりのも自然な流れであろう。


「今回は違うの。ちょっとフリーだった高ランク探索者の遺族たちと知り合えてね。それで貴重なアイテムを協会に売ってくれることになったの」


「探索者企業に入っていない高ランク探索者の遺族ですか……それなら納得です」


 翠のパーティは十年前に壊滅した。全滅こそ免れたが、それでも多くの仲間を失った。そういった亡くなった仲間の遺族繋がりで知り合ったのだろうと理子は考えた。元有名探索者であり、現在は支部長という立場の翠なら遺族たちも信用するだろうと。


「それで数が結構あってね。とりあえずこの三つを支部で買い取って欲しいのよ」


 そう言って翠が机の引き出しの鍵を開け、取り出した物を見て理子は驚愕した。


「マ、マジックポーチ! それも三つも!?」


 理子が驚くのも無理もない。


 三ツ星ダンジョンのボスを倒したあとに現れる宝箱から、低確率で手に入るマジックポーチは貴重だ。直径20センチほどの間口にしか物を入れられないし取り出せないが、中には畳1帖分の荷物を入れることができる。テントや寝袋、そして武器や戦利品の魔石など、これ一つあればポーターなど野営時の見張り要員だけで事足りる。


 そんな便利なマジックポーチを手放す者は少ないことから、市場にはなかなか出てこない一品である。それが三つも目の前にあれば、普段冷静な理子でも驚くのは当然だろう。


「ええ、複数の遺族からね。ほかにも売ってくれるものはあるけど、協会が一番欲しがっている物を最初にもらったわ」


 もちろん嘘である。このマジックポーチは実家を出る前にユウトから買い取ってくれるように頼まれた物である。しかしそんなことを口にできるはずもなく、高ランク探索者の遺族からということにした。これなら疑われることもないだろうと。


「支部長、これは大変なことですよ? 売上どころの話ではありません」


 なんでもないように口にする翠に対し、理子は執務机に両手をついて身を乗り出し興奮気味に口にした。


 過去にも遺族から貴重なマジックアイテムや装備が、国営で信用のできる探索者協会に売られたことはある。その時は本部が大騒ぎだったことを理子は知っている。それもそのはずで、高ランク探索者のほとんどは探索者企業シーカーカンパニー所属だ。当然ダンジョンでドロップしたアイテムも所属する探索者企業に買い取ってもらい、探索者企業は法で定めらていることを逸脱しない範囲で独自のルートで販売する。


 国営なのに中堅クラスの探索者しか所属していない探索者協会に、三つ星ダンジョンのボスを討伐しないと手に入らないマジックポーチが流れてくることなどまず無い。いや、あり得ないと言ってもいいだろう。しかもそれが複数個なら尚更だ。理子が興奮するのも無理もない。


 マジックポーチという貴重なアイテムを協会が買い取ることができれば、それを売って欲しいと多くの探索者や中堅クラスの探索者企業が群がってくる。協会の名声も高めることができるし、高ランクの探索者を保有する探索者企業との政治にも使える。


 過去の行いから探索者たちからの信用がない探索者協会としては、再び探索者たちからの信頼を得るためにも是非手に入れたいアイテムの一つだった。


 それを三つも翠が手に入れた。間違いなく協会での翠の評価は上がるだろう。


 そのことを理解しているのか、していないのかわからない翠が理子はもどかしかった。


「フフッ、そんなに興奮しないで。他にも売ってくれる物があると言ったでしょう? これだけじゃないのよ。今からそんなに驚いてたら身体が保たないわよ?」


 そんな興奮気味の理子に対し、翠はコーヒーを口元に運び余裕の笑みを浮かべている。


 彼女の頭の中ではユウトに次は何を売ってもらおうかなどと考えている。


「そ、それほどの高ランク探索者の遺族とお知り合いになられたのですか」


「まあね。これも若い時の知名度と特別国家公務員という立場のお陰ね。全面的に私を信用してくれて、ほかの遺族の方も紹介してくれたの。それよりも早く現金化してあげたいの。どうも相続絡みみたいなのよね」


「承知しました。過去の買取り実績では一つ三千万円ですが、最近では民間のオークションなどでは四千万から五千万という値もついています。いくらで買い取られますか?」


 マジックポーチはダンジョン攻略に欠かせないアイテムとはいえ、上位の探索者企業ともなればそれなりの数を所有している。そして密輸などを防ぐために外国に販売が不可なアイテムであることから、価格の上昇はある程度押さえられている。


「そうね……一応三千万円くらいとは伝えているけど、今後のこともあるから一つ四千万で買い取ってあげて。どうせいくつかは本部が政治に使うんでしょうし、うちの支部に入る手数料を増やさないと」


「確かに。では振込先をメールで送っておいてください」


「それなんだけど、振込先は株式会社 薔薇騎士ナイトローズにお願い」


「薔薇騎士にですか?」

 

「ええ、私の信用で売ってもらった物だしね。売ってくれた人に振り込むと、他支部の馬鹿たちが住所を特定して遺族の家に押しかける可能性もないとはいえないわ。そんなことになったらもう売ってもらえなくなる。だから探索者企業を間に挟むの」


 物が物なうえに三つも協会に売ったとなれば、まだあるのではと思うのは当然だろう。振込先を調べられれば、出世を目論む他支部の者が押しかけないとも限らない。同じ協会の人間なので、個人情報云々に抵触しないのが厄介だ。


 だから翠は元部下が代表をしている薔薇騎士を間に挟むことにした。多少手数料を払うことになるが、その分ユウトの希望価格より高く買い取るから問題ないだろうと。


「それは……ないとも言い切れませんね。これだけ貴重なマジックアイテムですから」


「でしょ? そういうことで振り込みをお願い」


「承知しました。すぐに手配します」


「お願いね」


 翠はそう言って理子にマジックポーチを渡すと、理子は頭を下げてから支部長室を出ていった。



「これでよしと……フフフ、本部の学歴だけのババアどもも、これで売上だのなんだの私に言えなくなるわね」


 誰もいなくなった支部長室で、翠はほくそ笑んでいた。


「それにしても異世界人が義弟になるなんてね。叔父さんには苦労をかけられたし恨んだこともあったけど、最後の最後に幸運をもたらしてくれたわね」


 叔父の代わりにその孫が日本に戻ってきて余命宣告されていた母の病気を治し、自らの目と足まで再生してくれただけなく若返らせてもくれた。人生どうなるかは本当にわからないものだと翠はしみじみと思った。


「私がアイテム売買の間に入ることでユウト君に恩返しもできるし、私の実績にもなるしでwinwinね。奥多摩の三ツ星ダンジョンの支部長になる日も近いわ。ああ、なんて素晴らしい義弟なのかしら。どんどんマジックアイテムを提供してもらわないと」


 そして本部のババアどもに目にものを見せてやると、翠は机に両肘をつき顎の下で手を組みほくそ笑むのだった。


 その表情は若返ってはいても、眼帯と鋭い視線からやはりマフィアの女ボスにしか見えなかった。

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