第2冊「邯鄲のあゆみ」③
「一体あなたはどうしてそんな表情で、小説を手に取っているの、最近ずっとその表情をしながら、この書店に来ているわよ、なぜ? ここは小説で溢れる、好きな小説が沢山ある、幸せな場所じゃない」
最近。ずっと――だって? この女は一体いつから、ぼくのことを知っているのだろう。
「ああ、ええと。そうね、最近というのは昨日一昨日のことよ。別に私は日頃からこの書店を利用していないし、そこで入る客がどんな本をどんな顔で購入しているのかを観察して分析するなどという奇妙な行為は、決してしていないわ。そこから、いつの間にか店員さんに顔を覚えられたりして、私自身も結局、この不可思議なラインナップの書店に魅力を感じて、来るたびに一冊本を買ったり――なんかしていないわ。断じて。ゆえに全て偶然の産物よ。良かったわね。たまたまこんな可愛い女学生とお喋りできて。誇りなさい」
早口で彼女はそう言った。つまり、しているのだろう、観察と分析を。その最中に、見るからにいびつな表情をするぼくに話しかけた――ということか。いや、疑問は氷解していない、そもそもどうして観察をしているのかが分からない。意味がないからだ。
「意味がない? それはどうかしらね」
架屋は怪訝な表情をして言う。
「小説にお金を払って買うという行為は、それだけで崇高なものだからよ。ええ、勿論それは誰にも邪魔だてされるものではないわ。新品であろうと中古であろうと、その品を家へと持ち帰り、楽しみに読破するまでの貴重な時間を阻害されようものなら、眼を鑿で刳り貫く程度の覚悟はできているわ」
どんな覚悟だ。
「実際崇高で興味深いと思わない? 小説を読むということは、別に生活に必ず必要という訳ではない――極論『なくても死ぬわけじゃないもの』よね。にも拘わらず、人々は小説を買い、読み、楽しむ。言ってしまえば嗜好品よ。私は死んでもそうは思わないけれどね。ただ私は気になるというだけなのよ。その『なくても死ぬわけじゃないもの』に対して、人々がどういう感情で、どういう表情で手を伸ばすのか、購入するのか。それに興味があってね。だからこそ数か月――ではなく、ごほん、数日、ここで本を手に取る人を観察していたのよ。」
酔狂なものだ、と思った。
それを察されたのか、睨まれたので竦んだ。
「そうよ、そんなことのために、努力してこの書店まで来るだけの価値はあるわ。わたしにとって、小説は青春そのものだもの。健気でしょう? うふふ、わたしったら、可愛い」
狂っている。
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