第2冊「邯鄲のあゆみ」

第2冊「邯鄲のあゆみ」①

【邯鄲の歩(かんたんのあゆみ)】

 自分の本文を忘れて他人を真似る者は、両方とも失うことのたとえ。


【屋上架屋(おくじょうかおく)】

 屋根の上にまた屋根を架ける意から、無意味な重複、新味のないこと、独創性のないことのたとえ。




「不快ね」


 私立磊落らいらく大学から私鉄「磊落大学前」駅までの間には、多種多様な店が陳列されている。飲み屋、飲み屋、飲み屋、ラーメン屋、定食屋、飲み屋、楽器店、飲み屋、飲み屋――と、飲食店の方が多く目につく。大学生が、帰り道に立ち寄ることを前提とした、所謂いわゆる学生街である。そんな中で一つ、少し路地に入った所に、ぼくの行きつけの書店がある。行きつけの書店というと何だか語弊がありそうだが、実際に行きつけなので問題はない。その書店は決して最新刊を置いているという訳ではないけれど、コアな人気のある小説を陳列することに命をけている――奇書の多い書店と言えばいいだろうか。偏屈者の亭主と共に、常に店先は開いているけれど、そこに磊落大学の学生が入っている所は見たことがない。そんな店で、ぼくはいつものように、小説を探していた。


「不快よ」


 その小説は、鶴野つるの閑雲かんうんという小説家の、既に絶版になったムックの付属小説だった。雑誌の付録なので流石に置いていないだろうと高を括っていたが、幸か不幸か(この場合は間違いなく幸の方だ)、そのムック本は置かれていた。どうしてあるのだろう――とは、しかし思わない。ここの書店は、そういう場所なのだ。幾人かの作家の「全て」を集めたい人向けに、小説群が集まっている。鶴野閑雲は、その一人に選ばれている。亭主の趣味なのか、それとも何か意味があるのかは定かではないし、考える必要はない。それに手を伸ばそうとしたところ、もう一人の手が、本棚に入っていたムック本に伸びた。


「不快だわ」


 もう一人の客がいたことにぼくが気付いたのは、その時であった。ぼくは思わず飛びのいた。書店にぼく以外の人間が、まるで突然出現したように思えたからである。その人は女性で、制服を着ていて、端正な顔立ちをしていた。化粧っ気がなくとも肌と髪の毛が綺麗で――いや、あまり描写すると条例に引っかかるのでこの辺りにしておこう。彼女はじい、とぼくの方を見ていた。人に見られるのはあまり得意ではない。思わず目を逸らしたけれど、彼女の視線はずっとぼくの瞳孔の奥を捉えていた。


 そして――こう続けたのだった。


「不快」



(続)

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