(9)呪われたら道連れですよ
気を取り直して、ポーチを進む。ほんの数メートルがやけに長い。
「家主は絵描きだったのかな」
「どうしてです?」
「庭にイーゼルが。窓の前にも筆洗が転がっている」
私は薄汚れた黄色いバケツよりも、黒を湛えて中を一切覗かせない窓に異様さを感じていた。
「本当ですね」
ようやく玄関前に到着する。木目調の玄関ドアは、普通の家ならお洒落に映っただろう。ダメ元でインターホンを鳴らしてみるが、やはり何も聞こえず、家の中はしんとしている。
「使えないですね」
「よかった。さあ帰ろう。サテパン、私も読んでみたいし」
「開けてみてください」
先生を押しとどめる。
「どうして私が!」
「先生の取材です」
苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけられた。
「これで呪われでもしたらお前も道連れだからな」
「その時はお互い様です」
「くそぅ……あれ?」ドアノブはがちゃがちゃと音を立てる。「開かないみたいだ」
先生が首をすくめる。
「これじゃ入れないね。非常に残念だが、帰るしかない」
「貸してみてください」
ドアノブを握り込む。ひんやりとした冷たさに一瞬、心臓が跳ねた。先ほどから何がなんでも驚きすぎだろう、と自省する。
深呼吸しながら、ゆっくりと手に力を込める。心のどこかで、開いてくれるな、と期待していたのは白状する。何か言い訳が欲しかった。せめて覚悟を決める時間を。
しかし、私の意に反して、ノブは滑らかに回転した。
「……開いちゃいましたね」
「私としては見なかったことにしてもいいんだが」
「仕事はやり切ります」
こうなっては仕方がない。
意を決して、勢いよくドアを引いた。
その刹那、突風が背後から前方へ吹き抜けた。家に吸い込まれる。ありえない妄想が脳裏をよぎる。思いとは裏腹に、風に背中を押され、勝手に足が出る。右足が敷居を跨いでいる。
「こちら側に引いてこの風向きは、物理的にどうなんだい?」
玄関からは長い廊下が続いている。洋風の造りだからか、三和土はない。固く毛羽立ち、色彩を失った赤い絨毯が敷き詰められていた。廊下の先は階段と、突き当たりにドアが見える。右手の壁にもドアがひとつ。外は太陽が出ているというのに、家の中は光が差し込まず薄暗い。沼だ。長い年月をかけ、草木や生き物の腐った遺骸を堆積させた沼のような粘性。それが家中に充満している。
いつのまにか、私はもう一方の足も踏み出していた。体全体が家に入ってる。もう一歩、次は右足。それと同時に、後ろ手でドアを引くーー
「私を置いていく気か!」
鼓膜を破らんばかりの怒声に思わず体が強ばり、遅れてふっと、体の力が抜ける。手のひらが鈍く痛んだ。見れば、握りすぎて爪が手のひらに食い込んでしまっている。
「いや、置いてってくれてもいいのか。何を言ってるんだ私は。失言だ」
「先生」
振り向くと、ドアの向こうはまだ明るい。逆光の中、先生が口元を押さえている。
「呼ばれているのは、やっぱり私みたいですね」
たった今まで、家の中へ入ることが当然と感じていた。不穏な空気はあるものの、奥へ奥へと誘う力に逆らえない。前からは引っ張られ、後ろからは押されているようで、そのまま進もうとする私をどうしようもなく、第三者視点で見ているような感覚だった。
「さっきの言葉、覚えてますか?」
「なんだい?」
「呪われたら道連れですよ」
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