五の巻 五常の侍、魔道におちいりしこと その四
原田隊長はいかつい体と彫りの深い顔で諸氏を睥睨する。
皆たちまち酔いも興奮もさめてしまったようである。
そうして原田は全員を壁際にならばせると、新選組といわず見廻組といわず、ぽかりぽかりと鉄拳を喰らわして(ゆさと夜十郎以外)、とりあえず見廻組だけは開放し、新選組隊士を土間に正座させ(ゆさは座敷で)、こんこんと説教がはじまった。
「まったく、俺だったから良かったものの、土方さんだったらお前ら切腹だぞ、わかってんのか。む、そっちのお前らはどこの隊だ。え、四番隊?松原の隊か。松原には俺から報告しておくからな、明日は覚悟しておけ、行ってよし。誰がお前らまで帰っていいと言った。よろず課にはまだ言いたいことがやまほどある。おおい、おかみ、とりあえず酒持ってきてくれ、うん冷やでいいよ、湯呑みでな」
よろず課の面々をにらみすえて、すぐに出された酒をがぶりと飲んで原田隊長は続ける。
「柘植。お前のような堅物がついていながらなんたる醜態だ。」
「はあ、どうにも腹に据えかねる事態でしたので」
「誰が口答えしていいと言ったっ。だいたい俺はお前を十番隊から手放したくなかったんだ。けど土方さんの命令だからしかたなくゆずった。それにお前をよろず課にやったのは、こういう騒動を起こさないよう、見張らせるためだったんだぞ。言ってみればお前が隊長みたいなもんだ。」
「面目しだいもございません」
「まったくよ、土方さんも、ゆさ坊がかわいいからって、あんま勝手にさせちゃいけねえよな。お前らが好き勝手すると、新選組全体が恥をかく。京の人達の評判を上げるのはいいことだ。だが下手を打ちゃ、かえって評判がさがっちまう。当たり前の理屈だな」
原田も江戸の近藤道場で、ゆさと会ったことがあるらしい。その旧知のゆさや一心がいるものだから、原田隊長はよろず課に対して、へんに親身になってしまっている。
「あいや、よろず課のことはこのさいは置いといてだ、喧嘩の話だ。俺だってな、喧嘩したくってしかたがねえよ。けど隊長としての体面があるじゃあねえか。ぐっとこらえなくちゃならねえ。喧嘩たのしいよな。殴っても殴られてもすかっとするよ。いやそうじゃなくって、柘植、お前のような堅物がついていながらなんたる醜態だ」
酒がまわりはじめて、話がずいぶん行ったり来たりながらも、原田の説教は、深夜にまでおよんだ。そして開放する条件は、
「辻斬り騒動がかたづくまでの当面、よろず課も夜の見回りをすること」であった。
長い長い原田左之助の説教が終わり、よろず課一同うちそろってひのき屋を出て帰途についた。
霧が辺りに色濃く漂い、提灯の明かりすら乳白色の
「この時期にこんなに濃い霧なんて珍しいな」喬吾がぽつりとつぶやいた。
四条通の北に、道に沿って四条川という川があって、この霧はそこから流れてきたもののようだ。
誰も喬吾の話に乗ろうとしない。原田の説教で心身ともにぐったりと疲れ果てている。
ひと気のまるでない、霧と静寂に包まれた道に、彼らの疲れた足音だけがはたはたと響く。
そうしてしばらく無言で、まるで夢の世界にでも迷い込んでしまったような幻想的な闇路を行く。
すると、真っ暗な道の行く手はるかからぽつりぽつりと小さな光が霧ににじんで近づいてくるのが目にはいった。
一同どきりとして足をとめた。
なにかが異様なのである。
なにかはわからぬが、異様なものが近づいてくることだけはわかるのである。
やがて、霧の向こうから、鬼火のような提灯の明かりを手にした幾人かの影が、ひたひたと、黄泉から迷い出てきた幽鬼のように浮かび上がってきた。
影は行列を成している。
先頭に提灯をかかげた数人、続いて乗物駕籠が担がれて、その脇には二つの影が寄り添い、その後ろにも数人の供の者が続いている。
供の者達は立烏帽子に
駕籠は漆塗りで金細工で彩られ、その脇にはすらりと背の高い男が髪を後ろでしばり、長くたらしたふさをキザになびかせている。駕籠の反対側には、小柄だが美形の鋭い目をした少年が歩いていた。この二人だけは、侍風の白い着物を身に着けていた。
よろず課の一同は、息を飲んでその異様な集団を凝視した。
すれちがうとき、背の高い男が、ちらとこちらに流し目をおくったようであった。
静かに、どこまでも静かに、行列はよろず課の横をすぎていく。
皆は魅入られたように、その行列が霧のなかに溶けきってしまうまで、じっと見送った。
人影がまったく見えなくなり、今見た光景が現実の出来事であったのか、はたまた幻であったのかわからくなったころ、ふと気持ちを切り替えるように一心が口をひらいた。
「なんだ、今のは」
「なんや、背筋がぞっとしたわ」そう言って喬吾は身震いをした。
「どこかのお公家さんでしょうか。駕籠に菊の御紋がついていましたけど」不審げに結之介がつぶやいた。
「菊花紋とすれば、皇族のかたでしょうか」詠次郎はめずらしく興奮気味であった。
「あの駕籠の脇についていた公家侍はなんだ。あいつの視線にこそ、ぞっとしたぞ」夜十郎の言うのは剣士の勘であろうか。
そうして、ゆさは、その行列のゆくえを、もう提灯の明かりすら闇に紛れて見えぬのに、目を細めてじっとみつめている。
――
彼女のそのつぶやきを聞いたのは誰もいない。
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