五の巻 五常の侍、魔道におちいりしこと その三
かれこれ十日あまり、その飯屋の前を通るたびに、窓から中をのぞいているのだが、もう三浦新左衛門の顔を見ることはなかった。
三浦のことも、その娘おみのの容態も気にはなっていたが、そうこうしているうちに、それどころではなくなってきた。
例の新選組狩りの辻斬りが活発になってきたのである。
新選組だけでなく、京都
ちなみに新選組が浪人中心の組織なのにくらべ、見廻組は幕府の旗本、御家人によって構成された治安維持組織である。
一心たちよろず課にも、日中であっても複数人での行動をするように指示が下された。
その日の夕方、たまには外で食事でも、とよろず課全員の意見の一致がかなったため、一同うちそろって、四条大宮にある飯屋ひのき屋の座敷でわいわい言いながら食っている。
他の座敷には新選組の隊士の姿もみられ、ひのき屋の女将いわく、「
「みぶろ、とはなんだ?」
とは
「壬生浪士組のことだ。新選組の前身だが、新選組に改編されてからも京の人たちは揶揄したようにそう呼ぶな」一心が答えた。
「あっそ」夜十郎、すでに興味がない。
「にしても問題なんは、ちかごろ血気がご盛んな辻斬りはんや」と
「俺、そのことをずっと考えていたんですが」
「ああ、ありそうやな。けど体面を気にして、おおやけにはしとらんのやろ」
「でしょ、幕臣が中心の組織だからやりそうですよね」
「そういえば」と
「俺は、書類の上ではもう隠居したことになっていて、まあ、半分浪人だから、見廻組に入れてくれとは言いにくくってね」
「それも、幕臣の体面だな」夜十郎が魚を口に運んで言う。「お、ゆさちゃん、このアジのひらき、なかなかうまいぞ。僕が食べさせてあげようか」
「いりません」
――幕臣の体面か。
と一心は心の芯を針でつつかれたような気分だった。
三浦殿も体面にしばられるように、侍を辞められぬと言っていた。俺ももと幕臣という体面から抜け出せぬか――。
「見廻組やなんや知らんけど、幕臣だからって偉そうにふんぞり返りやがって。なにさまやちゅうねん」
「ですよね、道ですれ違う時なんか、お前ら浪人風情は道を譲れ、って態度ですものね」
「そやろ、結ちゃん。俺もそんなんあって、しばいたろう思ったわ」
「あの、どこでその見廻組のかたがたが聞いているかわかりませんよ」
「なんや詠ちゃん、見廻組が怖いんかい。あんなたいして手柄もあげんとのさばっとる連中、なんやちゅうねん。俺様が指先ひとつで、ちょちょいのちょいや」喬吾はもう酒がずいぶん回って気が大きくなっているようだ。
と、ぱたんとけたたましく隣の部屋の襖が開けられた。
「さっきから黙って聞いておれば、言いたい放題言いおって」
その部屋には屈強な侍が六人ばかり、ねめつけるようにこちらを凝視している。
「我ら見廻組は剣術達者の集団」
「貴様ら雑草集団とはわけが違うぞ」
「簡単にひねれるもんなら、やってもらおうじゃないか、新選組」
男たちが口々に言う。
喬吾、一瞬で酔いもさめたようだ。さめた頭でおそらく逃げ口上を考案している。
「どうした、さっきの威勢はどこにいった」
「お、いい女がいるじゃねえか。ちょっとこっちきて酌をしろ」太りじしの男がいやらしい目つきで、ゆさを嘗めまわすように見ながら言う。
「ふざけるな」夜十郎がさっと立ちあがり、「いいだろう、僕が相手になってやる。表にでろ」
「おお、これは、男装の女とは珍しい。せっかくのいい女が台無しじゃあねえか。俺が脱がしてやろうか、んん?」
「なんたる
「んん、なんだお前か、不浄役人あがりの隊士ってえのは」
「不浄とののしりたくばののしれ。貴様らと違って心までは汚れておらんからな」
「ぬかしおるわ」
そこへ、他の座敷にいた新選組隊士たち四、五人が、騒ぎを聞きつけて顔をだして、
「面白そうなことやっとるな。俺たちも混ぜろ」
「どうした急におじけづいたか、見廻組」
「馬鹿を申せ。数にたのむなど、弱者の兵法」
「その通り、お前たち木っ端隊士どもが何人束になってかかってこようが、見廻組はくじけぬぞ」
「上等だっ」
「かかってこいっ」
もうここからさきは、しっちゃかめっちゃかのてんやわんやだ。
一心は真っ向から殴り合うわ、喬吾は逃げてるのか戦っているのかむやみに飛び跳ねまわるわ、執拗にゆさを狙う太った男にたちむかった結之介は投げ飛ばされるし、詠次郎は部屋の隅から隅へと逃げまどい、夜十郎は果敢にも男の背中に飛び乗って首を絞め、他の隊士たちも殴り殴られ、飯屋の襖をやぶり衝立を蹴倒し膳が転がり、女中とおかみの悲鳴がとどろき、混乱が渦を巻くような状況であった。
そこへ、
「なにをやっとるか、貴様らっ!」
凄まじい大音声で怒声が店じゅうにとどろきわたった。
一同、瞬間に動きをとめ、そちらにそろりと目を動かす。
店の土間に仁王立ちしているのは、新選組十番隊隊長原田左之助であった。
新選組随一と言っていい武闘派であるだけに、その威圧感たるや、泣く子も黙るどころか、泣く子をさらに泣かせるほどである。
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