四の巻 犬も歩けば怪異にあたること その四

 昼夜逆転の生活は意外とつらい。

 そんな愚痴をこぼしながら、よろず課の面々は毎夜、阿野家の飼い犬八房の尾行をつづけた。

 八房は一心の推測どおり、つねに同じ道筋を通ってどこかへかよっている。よろず課たちが一夜の間に追えるのは、先回りをして待ち伏せたりしながらも、せいぜい二、三十町(二、三キロ)と言ったところで、それをもう三日続けていた。

 そうして、四日目に、やっと八房の通い先の目星がつけられた。

「北野天満宮の南の辺りどすか?」

 ゆさから報告を聞いた阿野の姫、流子が眉根をよせて聞き返した。

「はい、まだ正確な場所までは特定できていないのですが、あの辺りになにかお心あたりはありませんか」

 早朝の、探索明けということで、ゆさはもうはやく帰って眠りたい、という顔をしている。

「お姫さん、あれはいつのことでございましたやろ」阿野家に仕える侍、笹野輝が思いついたように言った。「以前、天神さん(北野天満宮)にお参りに行ったのは、そういえば、八房が奇妙な行動をとりはじめる、ほんの半月前ほどのことではございませんでしたか」

「うん、せっかくの遠出ということで、八房も同伴しましたね」

「その時、なにか変わった点はございませんでしたか?」

 一心の問いかけに、

「ううむ」とうなって、流子も輝も頭をかしげている。

 溜め息まじりによろず課の面々は顔をみあわせた。

 しかたがない、明日の夜からは北野天満宮の周辺で網を張るよりほかに道はないようだ。

「その辺りが八房の目的地だというのは確実なのでございますか?」

 流子の瞳は憂いの色で満ちていた。

「その先で見張っていたものは、八房を見つけられませんでした」と一心が説明する。「ここにいます陰陽師が八房につけた札の霊気を探っても、その辺りでとまっているようです。あとは、このまま網をしぼっていけば目的地にたどりつけるだろう、というのが目下の想定です」

「もう少しでわかるのですね」

「早ければ今夜にでも」

「そうですか、なにとぞよしなに」

 流子姫はなにか思惑ありげに、遠い目をして言うのだった。


 結之介は、詠次郎とともに、民家の塀にはりつくようにして通りを見張っていた。

 昨日、八房を見失ったのはこの辺りで、以前桜の木の事件があった場所から、ちょうど北へ十町(一キロ)ばかり北であった。

 結之介は晩秋の夜気の冷たさに身震いした。

 詠次郎は、無口な性分で、こちらから話しかけなければ、いつまで会話をせずにいてもまったく平気なようだ。結之介は別段気にもとめていないが、喬吾のような口から先に生まれたような人間は詠次郎のそういう性質が気に入らないのだろう、何を考えているかわからないとか、愛想が悪くて付き合いづらいとか、陰であれこれ悪口を言ったりもするようだ。

 いま、結之介がふっともらした溜め息も、詠次郎は気づいているのかどうか、なにも声をかけることはない。


 八房探索の依頼を受けてから、結之介には苦い思い出が心の奥からふっとあらわれてはかすめすぎることが、しばしばあった。

 もう三年も前のことである。

 前日まで降った大雨で増水した川に、子供が流された。その男の子は飼い犬の散歩の途中だったらしく、その柴犬とともに濁流に押し流されていく。

 結之介はそれを見つけて、流れにそってしばらく川の土手を駆けて追いかけた。

 子供は犬にすがりつくように流されていて、犬も主人を助けるように、溺れぬように水を掻いている。掻きながらも、急流に呑まれるように、ときどき顔を水面に沈め、すぐに浮きあがり、また沈んでは浮きあがる、というのを繰り返していた。

 やがて、川はSの字に蛇行して、水の流れが少し弱まる地点に子供と犬がさしかかった。

 結之介は、土手のカーブを曲がって子供が土手に近づいた一瞬を見逃さず、手を伸ばして子供の腕をつかんだ。犬を助けることは、とうてい無理であった。結之介が子供を助け上げると、犬はこちらを眺めながら、どんどんと流されていった。

 助けた子供は、助けられたことを喜ぶよりも先に、結之介を責めた。なぜ犬を助けてくれなかった、と涙と鼻水を流し、むせびあげながら責めたてるのだった。

 無理だった、どう考えても子供と犬をいっしょに助けるなどは不可能であった。不可能であるとすれば、当然助けなくてはいけないのは人間のほうだ。しかたがなかったのだ。と結之介は、その事件を思い出すたびに自分を慰めるよりほかはなかった。


 輝は、手燭をもって流子の寝室の前までそっと近づくと、

「ごめん」

 言いながら、障子を引き開けた。

 諸事倹約の生活のなか、行燈に明かりなどはつけていない。まっ暗な部屋に、こんもりと夜具が盛りあがっているが、そこからは、まったく寝息もしなければ、身動きする気配もない。

 手燭の明かりをたよりに輝は近づくと、思いっきり夜具を引きはがした。そこには、丸められた座布団が数枚ならべてある。

「おのれ、たばかったな、おひいさん!」

 怨嗟のつぶやきを輝はもらした。

 どうも様子がおかしいと気づいて来てみれば、このとおりだ。

 さては、

「ひそかに抜け出して、八房を追ったな」

 今夜が最後になるかもしれない、と聞いた時の流子の目を輝は思い出していた。

 あのとき、ちょっと嫌な予感がしたのだ。

 輝は跳ねるように立ちあがると、そのまま屋敷から飛び出していった。

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