二の巻 秋に咲く桜に精霊の宿ること その四

 教えられた長屋は、年中日陰のようで風の通りも悪く、全体がじめっとした陰気な空気につつまれていた。路地で遊んでいた子供ふたりが、いきなり新選組があらわれたものだから、竹とんぼ片手に口をぽかんと開けて、動いていけないような逃げだしたいような、とまどい顔でこちらを見つめてくる。

 結之介と一心の前にたつゆさが少年たちにほほえむと、緊張がとけたのかふたりもにっと笑った。

「ねえ、君たち。この長屋に、痩せて生白い顔をした陰陽師が住んでいるでしょう。どこの家かな」

「おんみょうじ?」と少年ふたりは、まるで初めて聞いた言葉のような顔をして、顔を見合わせた。「易者の兄ちゃんのことかな」

「易者?」

「カモのあんちゃん」

「カモ……、加茂さんかな。うん、たぶんそうね、その人ね」

「じゃあ、あそこ」

「わかったわ、ありがとう」

 ゆさはそう礼だけ言ってその家に向かう。

 結之介が気を利かせて、何文かの銭をにぎって少年に渡すと、満面の笑みを浮かべて、きゃっきゃ言いながら走り去っていった。

 いくつも破れたのをつくろってある障子戸の前に立つと、来客中なのか、なかから話し声が聞こえてきた。声は小さく、しかも男ひとりの声しか聞こえてこないが、さっきの出来事の愚痴めいた繰り言のようだった。

 小声で三人は、「来客中のようだわ」「出直すかね、それとも待つかね」「う~ん、出直すのも面倒だわ。こっちは人に聞かれて困るわけでもなし、入りましょう」「いや、それは失礼だよ」「なに、かまいやしないわ」

 制止する間とてない、ゆさは建てつけの悪い戸を力いっぱい引き開けた。

「ごめんください。加茂様、いらっしゃいますか?」

 ゆさのおとなう声に、しばらくして上がり口の障子が無言であけられた。たしかに、あの時祈祷を行っていた陰陽師に相違ない。背は結之介よりちょっと高いくらいで、歳は十八、九、痩せた体をして、面長の顔は陰気な性格がにじみ出たように、無表情で陰鬱な雰囲気だった。その切れ長の目が、結之介と一心をみとめ、ちょっと迷惑そうに曇った。

 それにしても、部屋に人は彼ひとりのようすだった。六畳ひと間の小さな部屋の、反対側の縁側が開け放たれているので、客はそこから帰ったのかもしれない。

 ゆさは図々しく上がり口に腰かけて、

「まず、お座りください」

 加茂にもすわるように手を振った。

 彼がいぶかしんで眉をひそめるのも無理ないところであろう。

 加茂は手に持った扇子を紺の着流しの帯びに差しながら座った。檜扇ひおうぎのように見える。結之介の知識では、檜扇というと公家の持つものだという印象だが、彼は公家の家系かなにかだろうか。

 それにしても、彼はまるで口をきこうとしない。こちらの出かたをうかがっている、というふうにも見えるが、ただ無口な性分なだけであろうか。

「私はゆさと言います。こちらのふたりはただのお供です。御用のすじではありませんので、お気楽になさってください」

 とゆさは前置きをして、話はじめた。

「うかがいたいのは、さきほど祈祷をおこなっていた桜の木のことです。ヤクザ者たちが斧で伐ろうとしても伐れませんでしたが、あれは、なにか悪霊でも宿っていて邪魔をしているのでしょうか?」

 なぜそのようなことを、とは加茂は聞かなかった。

「あの老人になにかたのまれたのでしょう」

 あの時、結之介たちが清六老人を助けたのを見ていたのだろう。事情はおおよそ推察しているようだ。

「私はあの老人に原因があると考えていますが」

 加茂の声は低く小さく抑揚がなく、まこと陰気な喋り方をする。

「と言いますと?」

「桜自体には、なにも不審な点はありません。ただの桜です。長寿ゆえに霊力が宿ったとか、木が意思を持ったとか、そういうたぐいのものでもありません。あの桜に原因がない以上、お祓いをしても何も祓えなかった、というわけです」

「とすると、清六さんがのろいかなにかをかけている、とそうおっしゃる」

「うーん、そうともかぎりません。呪いだとすると、あの時の祈祷で祓えたはずです。私はあの――清六さんとおっしゃる老人がなにかあやしいと思うのですが」

「ううむ」

「あなたも、けっこうな霊力をお持ちのようだ。清六さんから、なにか感じませんでしたか?」

「ううむ」


 結局、得る物はなにもなく、ゆさ達は加茂家を後にした。徒労に終わったような気分で、夕暮れの町を、壬生の詰め所に向けて歩いた。

「私は明日から、もうちょっと清六さんを調べようと思うの。清六さんと話をするだけでもなにかわかるかもしれないし」

「じゃあ、俺は桔梗屋を調べよう」一心が言った。「町廻りではなかったとはいえ、それなりに探索のやり方くらいはわかっているつもりだ」

「俺は何をしたらいいかな」結之介は困惑した。こんな時自分は何ができるのだろうか。

「そんなこと、自分で考えやあ」つっけんどんに尾張なまりで言うゆさであった。

「まあ、そういうな。杉原には、探索の手伝いをしてもらおう」一心が助け船を出してくれた。「杉原はまだ若い。仕事のやり方はおいおい学んでいけばいいさ」

「ご指導、よろしくお願いします、柘植さん」

「あそうだ」とゆさが唐突になにか思いついたように声をあげた。「これからは私たち、名前で呼び合いましょう」

「どうして」結之介はあきれてしまう。また妙なことを言いだしたものだ。

「だって、そのほうが親密な感じだし、連帯感が生まれるでしょう」

「うん、一理あるな。俺は異存ない」一心は楽しそうに笑った。

「じゃあ、俺もいいけど」

「じゃあ、ってなに。あなたはもっと自主性を持たなかんて」

「持たなかん言われても」

「だいたいあなたは、なにごとにおいても他人の言うがまま、流されて生きているだけでしょう」

「いや、そうでもないぞ」

「じゃあ、今まで何を自分で決めた言うの」

「新選組に入るのは、自分で決めた」

「他には」

「…………」

「ほれ見やあ。自らの意思で考えて行動しなくっちゃ、幸せになんてなれっこないて」

「なにを、歳下のくせに知ったふうなことを言うな」

「歳下でもものごとの道理はあなたよりよくわかっているわ」

「ははは」たまりかねた様子で一心が笑いだした。ふたりの会話が心のどこかをくすぐったような笑いかただった。

 その笑いに、ゆさははっとした顔で口をつぐんだ。その顔が赤く染まっているのは、なにも夕日に照らされているばかりではなさそうだ。

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