二の巻 秋に咲く桜に精霊の宿ること その三

 ゆさたちは、清六という老人を、近くの茶店に連れ込んで話を聞くことにした。

 座敷に座って、出された茶と団子を前に、清六はどこか落ち着かないふうであった。こういう場所の暖簾をくぐったことがないのかもしれないが、百姓ひとりが、新選組の羽織を着た侍ふたりを前にすれば畏縮してしまうのも無理はないだろう。

「さあ清六さん」と少しでも老人の気持ちをほぐそうとゆさが明るい調子で声をかけた。「まずお茶でもお飲みになって」

「はあ」

「ああ、このふたりならお気になさらず。新選組のなかでもたいして役に立たない、半端者ですから」

 辛辣なものである。こういうことをよく平然と口にだせるものだと、結之介は腹立たしいやら感心するやら。

「私たちは、新選組のよろず課、と言いまして、清六さんのような困っていらっしゃるかたをお助けするのが役目なんですよ」

 そういって、ゆさはにっこりと微笑んだ。こういう時のゆさの笑みは、なかなか可愛いものだ、と結之介は思うのだ。

「ですので、お気兼ねなさらず、悩みごとをお教えください。ぜったい力になります」

「はあ、そう言われても、何から話してええのか」

「そうですね、では、こちらから質問しますね。まず、あの桜の木をずいぶん大切にしていらっしゃるようですね。なにか思い出でもありますの?」

「思い出、というほどのものはなんも」

 清六老人は言葉をくぎった。なにか言おうか言うまいか迷っているふうに、しばらく口ごもっていたが、意を決したというふうに口を開いた。

「実は、わしの命はもう長うはありまへんのじゃ」

 三人は、言葉を失ったように口をつぐんで、清六の話を待った。

「胃になにか悪いできものができてしまったそうで、今年じゅう生きられればいいほうらしいですわ。わしは、子も親戚もありませんで、死ぬ前に財産を整理しておこうと思いましてな。持っていた田畑を売りにだしました。しかし、あの桜の木だけは伐らんと大切にしてほしい、というのが条件でして。桔梗屋は言いました。あの木は絶対きることはない、あんたが死んだあとも大切に守っていく。ですが、土地を売ったとたん、あの仕打ちですわ」

 ゆさは一心に顔をむけた。

「これはいかがでしょう、もと江戸北町奉行所吟味方与力としてのご見解は」

「うん、そうだなあ。清六さん、土地を売るときに証文のようなものは取りましたか。桜の木を伐らないという誓約のような。ない。そうか、ならはっきりいってどうしようもないな。口約束だけじゃあ、持ち主が土地のなかにあるものをどうしようと、誰も文句はつけられん」

「あら、ずいぶん冷淡ですのね」

「これはなんともしようがない。法度は法度だ。名奉行の大岡越前様でも、遠山左衛門尉様でもどうしようもない」

「そのおふたりなら、とんちを利かせて、せめて清六さんが亡くなるまで伐採を差し止めるくらいのことはしてくれそうですね」結之介はなにかにすがるように言った。

「さすがの新選組でもこの案件は、役目違いで手のだしようもないわね」ゆさはくやしそうな顔だ。

「しかし」と結之介は気持ちを切り替えるように、話を切り替えた。「あの木はどうして伐ることができなかったんだろう。清六さん、あの木になにか呪いがかかっているとか、化け物が住みついているとか、そんな言い伝えなどはないでしょうか」

「さあ、聞いたことおまへんなあ。あの木は先祖代々大切に世話してきましたが、わしも、あんなふうになって、初めてなにかいわくがありそうだと気づいたしだいで。まあ、ざまあみろとは思いましたけど」

「よし、そこから当たってみましょう。桔梗屋は、ほかっときましょ。頼みこもうと脅そうと暖簾に腕まくりだで」

「暖簾に、なに?」眉をひそめる一心に、

「腕押し、と言いたいんじゃないでしょうか」結之介があきれた顔で答えた。

「い、いいのよ、腕まくりで。暖簾に腕まくりしていどんでも疲れるだけでなんの益もないでしょう。そ、そういう例えよ」

 そうして清六の家の所在を聞き、店を出て別れた。

「あの木について調べると言っても、どこから手をつけようか」

 立ち去る清六の寂しげな後ろ姿を見送りながら結之介がゆさにたずねた。

「それについては、ひとつ思案があるわ」

「というと」

「木のお祓いをしていた、気の弱そうな霊媒師よ」

「あのインチキそうな霊媒師がなにか知ってるだろうか」

「いえ、インチキってわけでもなさそうよ。たぶん陰陽師のようだったけど、それなりに強い霊力を持っていたし、桜についてなにかを薄々感づいていた様子だったわ」

「では、その陰陽師とやらを探すことからはじめよう」一心が言った。

「いえ、それも心当たりがあるの。ついてきて」

 言われるままに結之介と一心がついていったのは、桔梗屋の裏手であった。桔梗屋の場所はゆさがいつのまにか情報を得ていた。店は烏丸三条にあって、なかなか羽振りのよさそうな呉服商であった。建物の造作もずいぶん大きく立派なものだった。その裏口でゆさは村瀬というあの浪人者を呼び出した。ゆさは、さきほどの騒動では目立っていなかったので、店の者にも不審に思われないようだ。

「あら、ゆさちゃんやないの。やっぱり俺が恋しくなった?」

「たわけたこと言わんといて。か弱い老人をいじめるクソだあけたわけ

 さすがに村瀬はむっとしたようだ。

「ほいで、なんや、そのクソだあけを呼び出して何の用や」

「さっきの陰陽師がどこにいるか教えてもらいに来ただけよ」

「陰陽師?そんならこっから西へ三町ほど行った長屋に住んどるはずや。詳しい場所は知らんへん。その辺で勝手に聞いてまわり」

「それはどうも御親切に」

 それだけでゆさは立ち去ってしまった。

 その背中に、

「小娘が、あんま調子に乗るんちゃうで」

 吐き捨てるように言う声が聞こえてきたが、ゆさはまるで気にもとめず、結之介と一心の待つ道のかどまで足早に戻っていった。

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