二の巻 秋に咲く桜に精霊の宿ること その二

 その桜の木は樹齢何百年かわからないほどの古樹で、それでも老いたようすもなく黒々とした樹皮をして、青い空にこずえを高く大きく広げていた。

 大人ふたりが抱きついてもあまるほど太い幹の根元には祭壇のような台が置かれていて、台上には供え物だろうか、米や盛り塩がおかれ、その脇にさかき燈明とうみょうが並べられていた。

 そして祭壇の前ではひとりのまじない師らしき男が、なにかぶつぶつと呪文のようなものを唱えている。

 男の後ろには何人かのあまり風体のよくない者達がいて、遠巻きに近隣の住人らしき人々が集まって不安げな視線をおくっていた。

 新選組の羽織を着たふたりは目立つので、近隣住人たちの後ろに置き去りに、ゆさは人垣を縫うようにして儀式の間近までちかづいて様子をうかがう。

 儀式自体はすぐに終わり、呪い師がふりかえって、なにか困惑げな顔をして言った。

「あの、除霊はおこないましたが……」

「なんですかな、唱門師しょもじはん」なかの、年配の男が答えた。どこかの商家の大旦那といった風体で、脂ぎって肥えた体をして、薄くなった白い髪をどうにかこうにか結っている。

「どうも、この木に悪霊がとりついているようではありません」唱門師と呼ばれた男は、まだ若く十代後半といったところだろうか。痩せて白い顔をしていて、喋る口調もどこか自信なさげで頼りない印象である。

「どういうことかな」

「この木が祟るということは、まずありえません。あるとすれば……」

 唱門師の言葉をまるで聞かず、商人の男は振り返って、

「おい聞いたか、この桜は呪われておらんそうや。とっとと伐ってしまい」

 うしろの男衆に命じた。だが、男衆はいささか尻込みをしている。まとめ役らしい中年の男がおずおずと進み出て、

「しかし、桔梗屋の旦那、これまでにもう、わてらずいぶん痛い目にあってますんで。トメの野郎は腕の骨を折ったし、タツにいたっては気が変になって突然叫びだしたあげく、いまもなにかにおびえて……」

「やかましい。つべこべ言わんと、とっとと伐ってしまいなはれ」

「へ、へい」

 不承不承といった態で、男たちは進み出た。何人かは斧を手に持っていて、桜の大木の周りを囲んで、その斧を振るいはじめた。

 だが、打てども打てども、幹にはまったく傷ひとつつく気配はなく、なにか鉄の柱でも打ちつけているように、斧ははねかえってしまうのだった。それを何度も繰り返すうちに、ひとりの男は叫び声をあげて斧を放り出してうずくまってしまった。手首が妙な方向に曲がっている。

「ほら、言わんこっちゃない。旦さん、もう無理でっせ」

 まとめ役の嘆くのに、桔梗屋は気色ばんで、

「ほしたらなにか、この唱門師はんが嘘いうてるちゅうことかいな」

「こんな若いまじない師にたのむのが、間違っとるん違いまっか。もう勘弁してくんなはれ、旦さん」

「ええ、なにしてまんのや、はよう伐り倒してしまいなはれや」

 桔梗屋の命令に、男衆はそれでも果敢に木に斧を入れる。

 そこへ、

「もうやめてくれ」

 ひとりの百姓ふうの老人が寄ってきた。

「またあんたかいな、清六はん。この土地はもうあんたのもんとちがいまっせ」

 清六と呼ばれた老人は、桔梗屋に近づいて、すがりつくようにして続けた。

「この木は伐らない、大切にする、そういう約束でこの土地をあんたさんに売ったんや。それを、自分のもんになったとたん、約束をやぶって……、あんた鬼や」

「やかましい、けったくそ悪い。そこの、あたらしゅう入った若いの。そうあんさんや。この爺さん、はようつまみ出してしまい」

 呼ばれた男は二十歳くらいの男で、二本差しであるが浪人であろう、どこか納得いかない様子であったが、雇われ者のかなしさか、清六老人の襟首をつかんで桔梗屋からひきはがした。

 その段になってゆさはふりかえった。そうして人垣の後ろで様子をうかがっていた結之介と一心に手招きをした。

 だが、合図を送られるまでもない。ふたりはすでに動き始めていて、老人を引きずる男の前に立ちふさがるように立った。

「どうした、もめごとか?」

 そう威圧するように言ったのは一心であった。さすがに江戸北町奉行所与力だけあって、凄味の利かせかたは心得ているようだ。

「へっ!?」と桔梗屋はすっとんきょうな声をあげて、「これは新選組のかたがた。いえ、新選組のお手をわずらわせるようなことやおまへんで。ただ、うちの土地の木を伐ろうとしたら、この清六が邪魔をしましてな」

「くどくど説明せんでいい、ことのあらましは、いまの騒動を見ていてわかっている。ともかく、その老人はうちであずかろう」

「そうしていただけますか。おおきに」

 そう言って桔梗屋は、一心の袂に、いくらかの小粒銀を滑り込ませようとした。だが、その手を一心ははらいのけて、

「余計な真似はするな」

 刃物で刺すように言った。

 その間に、結之介は老人を助け起こし、ささえるようにして道の端へといざなっている。

 ゆさと一心は目顔でうなずいて、その場をはなれようとした。

「あれ、ゆさちゃんやないの」

 そう呼びかけたのは、先ほど清六をひきずった男であった。

「おや、誰かと思えば、村瀬さん。ずいぶんご活躍ですのね」

「ごあいさつやなあ。一緒に旅した仲やないの」

「人聞きの悪い。かってに私のお尻についてきただけでしょう」

「誰だ、この軽薄な男は?」

 と一心が問うのにゆさが答えた。

「なに、知り合いというほどのこともないんですよ。尾張からこっちへくる道中で、道連れになっただけの人です」

「そんな、つれないこと言わんといてえな。どうや、再開を祝してどこかへお食事でもいかへんか」

 なれなれしく村瀬という男はすり寄って来たが、ゆさはまるでとりあわず、

「ともあれ、無事京まで来られたのは、ある程度はこの人のおかげでもあります。ありがとう。ではさようなら」

 さっときびすをかえして立ち去ってしまった。

 その背後では、まだ桜に斧を入れる音が響いていた。

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