第8話 絶望の中の希望


「……それで、何かが水に落ちる音が聞こえて、君を見つけた」


 全てを語り終えた男は虚ろな目をそのままに、グリューンを見据えて自嘲的な笑みを浮かべた。


「……どうだろう? やはり人外には大した事のない話だろうか?」

『お主……何故、笑うておる?』


 自暴自棄になって笑いがこみ上げる感覚はグリューンも何百年も糸に囚われている間に何度か訪れた。

 だがそれはすぐに自分を陥れた者達への怒りによってかき消された。


 だから、目の前の男が己だけを責め、悔いている姿がグリューンにはまるで理解できなかった。


「笑っているように見えるかい……? まあ、愛する者を助けているつもりが、殺していたんだ……挙げ句、愛する妻も愛する弟に取られていた。愛する者達を守ろうとして、生きたはずなんだけどね。ボクにはもう、何も残されていない……まあ、笑うしか、ないんじゃないかな」


 グリューンの純粋な問いかけにシーヴァは小さく肩をすくめた後、再び視線を夜空へと上げた。


 本当に――まるで他人に起きた出来事のように自分の不幸を嘲笑う男の姿に、グリューンは何とも言えない歯がゆさを感じる。


「……やはり、ボクもヒュドラプラントに食われた時に抗わずに死んでいればよかった。義兄さんがボクと同じ状態になっていたかも知れないけれど、生き延びたのが義兄さんならまた違う未来が待っていたかもしれない。少なくともボクは……妻と弟との約束を破っただけで済んだ……」


 涙も浮かばない、視点も定めていない眼差しで宙に消えるようにぼんやりと呟かれた言葉は誰に向けていったものなのか分からないまま、グリューンは再び問いかけた。


『お主……先程から悔いてばかりおるが、その者達やお前を騙した山の村の者に怒りはないのか?』


 話を聞く限り、山の村の者達がシーヴァを騙したのは明らかだった。


 自分ならば、自分を騙した相手には、不幸にした相手ならば怒り狂って襲いかかる。悲しみに心壊される前に怒りで相手を消そうとする。

 そんなグリューンが純粋に疑問に感じた念話が頭に響いても、シーヴァの表情は変わらない。


「怒りか……怒ったところで何も変わりはしない。救われもしない。ボクがあの時魔物に食われて死んでいれば、生きようとしなければ息子も弟も助かったかもしれないのに、怒りだなんて」

『……お前は理不尽に踏まれてそのまま食われるだけのにえか? 話を聞く限り、山の村の者達は意図的にお前達をその魔物の生贄にしたのじゃぞ? お前を不幸にした元凶を放ったまま死ぬのか?』

「……どういう意味だい?」


 大切な物を奪われておきながら流れるままに逆らわない男の態度にグリューンは苛立ちを覚える。

 そして怒りを孕んだ念話にようやくシーヴァが眉を顰めて関心を示した。


『……妾も人の事は言えんが、お前ももう少し頭を働かせよ。山の村の魔物が種をつけたのは何故じゃ? その魔物の種を毒が散るからと焼かなかった理由は?』

「言っただろう? その魔物はあの村にとっては守護神……新たにその場に種を植えるから、焼かずにとっておくんだろう」

『そうじゃな。そしてその魔物は守護神と呼ばれる位じゃ。村を守る神にを捧げるとも思えん。きっとこれまでずっと、よその人間をおびき寄せて食わせ、種をつけさせておるのじゃろうな』

「それはないだろう。精霊には分からないだろうが、人間は臆病で賢い生き物だ。危険な魔物がいる山に、そう都合よく多くの人間が現れたりは、しな……」


 確かに、シーヴァが山の村にいた10年間、山の村に部外者が来た事は一度もない。ただの、一度も。

 そんな場所で、何故、『守護神』が存在し続けるのか――シーヴァが考えたくない可能性に気づくと同時に、グリューンが楽しそうに答えを告げた。


『燃やしたら毒になる種、か……ならば追い風の日に火を付けた種を崖下に落とせば、風上に毒が上がってくる事もなさそうじゃの』


 10年、あの山で暮らしたシーヴァはグリューンの言葉を否定できなかった。崖下に根を落としたのも、その崖が精霊の森の方向にあったからだ。


 何処か自慢げな翠緑の蝶を前にシーヴァは血の気が引くような感覚を覚え、額に冷や汗が滲む。


『万が一、村人がヒュドラプラントの毒にやられた時の為の解毒剤も持っておろう。現に、お主の村の村長が村に根を持って帰った時は皆、治ったのじゃからなぁ』


 村長が50年前に山の村を訪れたのも、誰かが山の村の特効薬の事を知っていたからだとしたら、何故、知っていたのか――


「……やめてくれ」


『おお、おお、そう考えるとお主のような無垢で清純な者を陥れる方法を山ほど思いつくわ。容易く騙され、大切な者を死に追いやった事も知らないお前を見て、そやつらはさぞ楽しかった事じゃろうのう……!! はっ、力無き種族のくせにやはりその心は陰湿。残忍な魔族どもと何ら変わらんではないか!!』


「やめろ!!」


 シーヴァの腹の底から力を込めて放たれた怒号にグリューンは怯む。


『お……お主の事を言った訳じゃないのじゃ!! お主が魔族のような男でない事は分かっておる!』

「そうじゃない……! それを知った所で、ボク一人で何ができる!? 老いて力もない、誰一人仲間もいない……そんな人間が一人あの山の村に戻った所で、何も出来はしない……!! 森の村の民の前で死ぬか、山の村の民に嘲笑われながら死ぬ位なら、ここでただ愚かな男として、何も知らないまま死なせてくれ……!!」

『お主は、毒を巻き散らかして牙を向ける悪魔達に一泡吹かせようとは思わんのか?  お主は自分を可哀想だと思わんのか?』

「自分を可哀想だと思うには、ボクは、あまりに多くの犠牲者を出し過ぎている……!! もう、もういいんだ、ボクは、もう……!!」


 抗わずに自らの可能性を閉ざそうとするシーヴァに苛立ちながらも、これ以上何か言えば崩れそうな程危うい、不安定な姿にグリューンは黙り込む。


 シーヴァはしばらく無言でうずくまった後、フラりと立ち上がると再び穴を掘り始めた。

 何だかんだ言いながら言った事をやり遂げようとするあたり、本当に真面目で責任感の強い人間なのだろう。

 目は虚ろでも、感情が壊れていてもなお、優しさに基づいて動こうとするシーヴァがグリューンには酷く哀れに思えた。


(……何故、妾が、こやつがここまで不幸な目に合わねばならん?)


 グリューンは悪戯好きで好奇心も旺盛で、周囲から疎まれていた。

 それでもグリューンなりに線引があり、けして取り返しがつかなくなるような悪戯はしなかった。


(妾の体……)


 穴の傍に横たわるのは、数百年前に自分が宿っていた体の成れの果て。

 焼け焦げた醜い体にかろうじて残された、火傷の酷い顔半分は疲れ切ったように瞼を落としている。


 自分の醜く果てた姿から目をそらし続けたが、半ば壊れかかった人間の優しさがグリューンの心に一つの希望をもたらす。


(……もしかしたら、いけるかも知れん)


 グリューンはその可能性に気づくと、トコトコと足を動かしてその体に近づいた。

 見れば見るほど酷い火傷と炭と見間違うほどに焦げた部分が痛々しく、所々小さな何かが突き刺さっている。


 それは硝子の破片のような物が大半だが、よく見れば中には針らしき物や歯車らしきものまで――深々と突き刺さってその片鱗を覗かせている。


(そういえば、時の宝珠を砕いてしまったのじゃったな)


 近づく事で時の宝珠の欠片が何かしらの力を帯びているのは感じ取れた。恐らくこの体が朽ちないのも欠片の影響だろう。

 グリューンは触覚を伸ばして元の体に触れた後、恐る恐る元の体をよじ登り、2本の前足をちょこちょこと動かしだした。


(この蝶の魔力は妾の魔力の色とよく似ておる……だから妾の魔力に引き寄せられてきたのじゃろう……上手くすれば、妾の魔力を効率よく吸い出せるはずじゃ)


 土を掘る音に虫と鳥の鳴き声が微かに添えられた森の中、丁度少女一人収まりそうな穴を掘ったシーヴァが一つ息をついて汗を拭った。


「……こんなものかな」


 改めて横たわる黒焦げの少女の方を見た時、淡く翠緑に光る小さい六角形が3つほど連なる魔法陣がシーヴァの顔を照らした。


『も、もうちょっと待つのじゃ! もうちょっとで亜空間から精霊石を取り出せる位の魔力が貯まるのじゃ……!』


 六角形の陣の下でグリューンが羽をヒラヒラさせながらシーヴァに呼びかける。今埋められては中途半端に吸い出した、使い道のない魔力だけが残ってしまう。


『精霊石を使えば、その辺の人ごとき一掃できる! 山の村の民を皆殺しにしてしまえば、もう魔物の種を燃やす輩はおらん! そうすればお主達を苦しませたその病とやらもこれから先、二度と流行らなくなるはずじゃ……!』

「……何を」


 無言で会話を遮った話題を再び繰り返され、再びシーヴァの表情が歪むが今度はグリューンは怯まずに念話を続けた。


『お主はさっき、最後に良い事して死にたいと言っておったな。それなら妾が今から取り出す石を持って山の村へ行って、復讐してこい! 自分の罪に潰されて巨悪を見逃してる場合ではないのじゃ!!』


 叱責の言葉にシーヴァは沈黙する。

 もし、グリューンの推測があたっていればまた精霊の村に自分と同じような目にあう人間が出てくるかもしれない。

 それを今、この精霊を名乗る謎の存在の力を借りて止められるなら――


 シーヴァの中に微かな希望が芽生える。間接的に自分が殺めてしまった者達が願うのはきっと、自分への恨みと家族への幸せ。

 せめて家族達の幸せを守る手伝いができるならば――自分自身が今抱える罪も、少しは軽くなるのかもしれない。


 シーヴァが何も言わずにその場に立ち尽くしていると、


『よし……この位魔力が貯まれば……精霊石の一つくらい、取り出せるはずじゃ!!』


 グリューンが前足をチョコッと動かすと、ゴトン、と緑色の半透明な石がシーヴァの足元に落ちた。拾い上げると星の光を反射してキラリと輝く。


「これが、精霊石……」

『そうじゃろ! 妾のお気に入りの石なのじゃ! これだけ大きい精霊石なら村の一つ位容易に潰せるはずじゃ!』


 シーヴァが手に取った緑の精霊石を眺めながら、微かに目に希望を宿した姿にグリューンは見惚れた。

 が、数秒もせずにシーヴァは顔を上げて辺りを見回す。


 虫の鳴き声、鳥の鳴き声の他に聞こえるのは――ブゥン、と重く、震えるような音。グリューンも耳を澄まして周囲の音の異変を感じ取る。


『な、なんじゃ?』

「あっちの方で……人か、動物が殺人蜂のテリトリーに入ったみたいだね……今は繁殖期じゃないから刺激さえしなければそこまで危険じゃないが……」


 一点の方向を見据えてシーヴァが呟く。しばらくその羽音を聞いていた中で、微かに聞こえる大声にシーヴァの顔が一気にこわばった。


 精霊石を片手に、周囲を見渡して先ほどとはまた別の植物を無造作に千切って先程見据えていた方に向かって走り出す。


『ど、どこへ行くのじゃ!?』


 活力がまるで無かった男の突然の動きにグリューンはフラ、フラと羽を動して追いかける。

 先程の精霊石を取り出すのに元々の魔力も尽きかけて精神面は疲れ切っていたが元々羽のある存在であったグリューンはすぐに羽の扱いに慣れ、シーヴァの後をそう距離を開けずに追いかける事が出来た。


 木々に覆われて星明かりも届かぬ闇の中、松明の灯りが灯っている。そこに近づけば近づくほど羽音が強くなり、灯りの周囲を照らし出す。


「兄さん……!!」


 シーヴァの弟――ヴィリュイが手に持つ松明たいまつは、彼の今にも泣き出しそうな表情を煌々とした灯りで照らしていた。


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