第16話 静止した試合

 Bチームの六番打者柿谷は、現在MLBに在籍するバッターである。

 直史との対戦経験があり、ヒットを打ったこともある。

 ただ試合を決定付けるような、そんな場面で打ったことはない。

 直史からそんな場面で打った奴は、片手で数えられるぐらいしかいないのであるが。なお二進法ではない。


 ただ死んだ魚のような目をしたこの男は、間違いなく一流のバッターではある。

 センターで広い守備範囲を誇り、織田やアレクの移籍した後は、最高のセンターとも言われたものだ。

 ただ普段の行動がエキセントリックで、首脳陣は困った顔をしていた。

 ポスティングで移籍した時は、それなりに胸を撫で下ろしたかもしれない。


 そんな柿谷相手にも、直史は表情を変えない。

 樋口もまた気配を消して、何を投げさせるかを想像させない。

 初球から入ったのはスライダーであった。

 腰を引いてそれを避けるが、コールはストライク。

「ストライク?」

「うん、ストライク」

「ああ、NPB基準か」

 内角が広いのが、NPBのストライクゾーンである。


 続いて直史はカーブを投げた。

 柿谷はそれを引っ張って、完全なファール。

 これがポール近くに飛んでいたりすると、ちょっと注意が必要なのだが。

(一人一人を片付けるのが苦しいぞ)

 ここまでの五人もそうだが、全く気を緩ませる隙がない。

 普段からそのつもりで投げているはずだったのだが、明らかにスタミナの消耗が激しいのだ。


 ツーストライクと追い込んだ。

 普段の直史なら、遊び球を入れずにしとめにかかる。

 いや、この時の直史も、別に遊び球を入れるつもりはなかったのだが。

 アウトローに投げたボールは、わずかに外れている。

 だが樋口のフレーミングで、半分ほどゾーンをかすらせた軌道とする。

 しかし国立の判定はボールであった。


 審判が有能すぎて、普段よりも投げるのが厳しい。

 だが内角にボール球を一つ投げた後、今度はまたアウトローにわずかに変化するカットボール。

 柿谷の見逃したそれは、今度こそストライクであった。

(よし、ちゃんと取ってくれたか)

 スリーアウトチェンジで、やっと二回の裏が終わった。




 やっと三回の表に入る。

 正直なところ直史は、この回までは味方の援護を期待していない。

 むしろ下手に上杉のボールを打ちにいって、故障でもしてくれるなと願っている。

 七番バッターの鬼塚からの打線。

 身の程を弁えた鬼塚は、自分の役割をしっかりと分かっていた。


「バッターアウト!」

「や~、打てんわ」

 一度もスイングすらせずに戻ってきたのは、もういっそすがすがしい。

「ナイス最低限」

 直史がそう声をかけたのは、怪我をせずに無事に戻ってきたことへの、偽ることのない率直な感想であった。

「あの人、MLBでも無双してたんですよね」

「ああ、あのセーブ記録はひどかったな」

 直史は他人事のように言うが、絶対に直史の方が、やっていることはさらにひどい。


 八番に入っている緒方も、当てるのが精一杯である。

 ファールを打って球数を一球だけでも増やしただけ、立派だと言えるだろう。

 もしも上杉がずっと投げるなら、果たしてこの試合はどうなっていただろうか。

 とりあえず直史は、相手の打線の方が、圧倒的に強いとは思う。


 そして緒方も三振し、ラストバッターは蓮池。

 いや、お前ピッチャーだよね、と誰もがツッコミを入れたオーダーであった。

 確かに蓮池は高校時代など、大阪光陰でも四番でピッチャーということは少なくなかった。

 だがプロ入り後はほぼピッチャーとしてしかプレイしておらず、MLBに移籍後は完全に、ピッチャーに専念しているのだ。

 才能だけなら上杉や本多と同じように、二刀流に挑戦しても良かったかもしれない。

 しかしピッチャーだけで食べていけるのに、バッティングまでやる必要はないだろうと考えるのが蓮池だ。

 その蓮池がわざわざ、直史のチームに入ってきたのは、それなりに不思議なことではあった。


 


 ファーストを守るのは比較的簡単だが、それでもグラウンドボールピッチャーの直史である。

ファーストゴロを捌くのが下手であれば、そこで内野安打が出る可能性はあった。

 しかし元々蓮池は、全身がバネと言われた運動神経の塊で、陸上競技などを数種類掛け持ちもするような、優れたアスリートではあったのだ。

 まさかとは思うが、上杉を打つ算段でもあるのか。

「ストライクバッターアウト!」

 なかった。


 いったいなんで、こちらのチームに入ってしまっているのか。

 普段の蓮池の言動から考えると、単純にこちらのチームの方が、勝てると思ったからかもしれないが。

 もしも直史が途中で交代するなら、正也も控えてくれている。

 だが蓮池の出番があるかは、非常に微妙なところである。

 さらに出番があったとしても、Bチームの極悪打線を封じることが出来るものか。


 今はもう、その長身でもって、ファーストをしっかりと守ってくれていることをありがたく思うべきであろう。

 そう考えて直史は、Bチームの七番バッターと対決する。

 七番はDHとして後藤が入っている。

 なんでこいつが七番なのだと、バッテリーは頭痛がしてくる。

 膝の故障から守備力が落ちたため、DHに回った後藤。

 だがそれでも毎年、40本前後のホームランを打っているのだ。

(もう少し弱い打線にしてほしかった)

 直史は投げている間、全く休めないのであった。




 七番バッターが三割近くの打率と、40本前後のホームランを打っている。

 そんな狂った打線相手に、先発として投げ続ける。

 直史にはあまりない経験である。

 国際大会のアメリカなどは、かなりえげつない打線ではあったものの、それでもこれよりはマシであったし、直史はクローザーであった。

 全てのバッターが、直史対策をしてバッターボックスに入る。

 完全にこれは、ラスボスに対するレイド戦闘であろう。


 ただしタンクもヒーラーもなく、全員がアタッカー。

 あまりにもひどい話である。


 後藤をしのげば、あくまでも程度問題でしかないが、打線の中ではマシな福沢と西岡と対戦することになる。

 もっともその二人も、去年のOPSは0.890を超えていたりはする。

 0.9に到達していないのは、マシだと思うべきであろうか。

 大介などは去年も、余裕で1.6を超えていた。


 NPBもMLBも、シーズン上位の記録はほとんどが、大介の記録に埋め尽くされている。

 打率に打点にホームラン、OPSに盗塁までもだ。

 意外と、と言ってはなんだがさほど多くないのは、安打数ぐらい。

 去年のシーズンで日米通算1000ホームランを打ったのに、まだ安打数が3000に届いていないのがおかしい。

(大介と対戦することに比べれば、マシだと考えるしかないか)

 ただし後藤のOPSは1.0に近い。


 思えば後藤も、高校時代からの付き合いにはなるのだ。

 直史と大介、また武史とアレクがいなければ、真田と一緒にSGコンビとでも呼ばれていたかもしれない。

 だが結局は甲子園で頂点に立つことは一度もなく、プロでもパ・リーグに行ったため、さほど注目されることはなかった。

 遠い昭和の時代のように、上杉の入団以降のNPBは、セが圧倒的に人気になったからである。

 それは大介がライガースに入団したことでも加速し、西郷や武史の入団によって、さらに大きく人気が偏った。

 ただリーグをパにしたおかげで、タイトルはホームランと打点を取ることが出来たが。


 上杉、武史、直史と同じ時代にセにいたピッチャーは、本当に被害者であった。

 真田などは本当なら、三回か四回は沢村賞を取ったであろうに。

 ただしセのバッターほどひどいものではなかったろう。

 大介はNPBの在籍九年の間に、三冠王を取れなかったのは一度だけ。

 打点、本塁打、出塁率では九年連続一位であり、首位打者も八回獲得していたのだから。

 ついでのようになるが、盗塁王も七回獲得している。


 後藤との対戦経験は、確かに少ない直史である。

 そして対戦経験は少ないほど、基本的にはピッチャーが有利なのだ。

 アウトローの出し入れによって、ツーストライクに追い込んだ。

 そこから投げた高めのストレートを、フルスイングしてキャッチャーフライ。

 これもまた随分と高く飛んで、天井にぶつかるかもと思ったものだ。

 結局は樋口がキャッチして、この回の先頭打者をアウト。

 ようやく平均的な強打者二人と、対戦出来るのである。




 平均的な強打者、というのはなんだか日本語としておかしな気もする。

 だがまさにここからの二人は、そうとしか言えない成績をのこしているのだ。

 八番の福沢は、去年の成績が打率0.308 ホームラン12本 打点69でゴールデングローブ賞を受賞している。

 本来は五番か六番あたりを打っているのだが、この打線の中ではやはり劣る。


 直史の辞書にない言葉は、おそらく「油断」である。

 それはあの年、坂本にホームランを打たれてから、徹底的に消した言葉に間違いはない。

 おそらく大介を除けば、直史にとって一番嫌なバッターは、坂本になるだろう。

 そしてそれに続くのは樋口だ。

 自分の手の内を知っているバッターほど、やりにくい相手はいない。

 実際に直史は敗戦投手にはなっていないが、大学時代にジンのいた帝都大学に負けたことがある。

 あれは完全に監督の采配ミスであったが、ジンがそこに付けこんだというのはあるのだ。


 ただこの福沢に関しては、ゾーン内だけで勝負出来る。

 ファールを打たせて、外のボールを見送らせて、遊び球もなく一気にツーストライク。

 そして最後のスルーは、インローへと突き刺さった。

 空振り三振にてツーアウト。

 これであとは一人をどうにかすればいい。


 ラストバッターの西岡は、この中では比較的影が薄い。

 セカンドを守る選手の中で、それほどの強打者がいなかったのだ。 

 だが打率と出塁率は高く、また走力もある。

 WBCでも同じチームになったため、もちろん直史も良く知っている。

 一番に大介がいるので、今日は九番という扱いなのだろう。

 ランナーがいる状態で、大介とは勝負したくない。


 よってここでも、あまり休めない直史であるのだ。

(ただ出来れば、球数は少なくしたいぞ)

(迂闊には振ってこないんだよなあ)

 だからといって誘うような甘い球も、投げるのは憚られるのがBチームの打線だ。

 直史はここで、本日最速の152km/hを出した。

 ストレートから始まり、そしてツーシームと二球で追い込む。

 なのに西岡は振らず、球筋を見極めているように思える。


 二打席連続で凡退すれば、バッターは交代というルールである。

(それをツーストライクまで見逃す度胸か)

 直史もこういったバッターには、考えて組み立てる。

 そして投げられたのはスルーチェンジで、西岡のスイングとはタイミングが狂う。

 ぎりぎりどうにか、と当てたボールは、ファールグラウンドに転がる前に、サードの緒方が処理した。


 かくして両チーム共に、三回までは無走者。

 打者一巡をパーフェクトに抑えたのである。

(ただ、少し球数が多いか?)

 樋口が気にしていたのは、直史の球数だ。

 初回にやはり、17球も投げさせられたのが効いてくるのではないか。

 いよいよ試合は中盤に入っていく。




 Aチームのピッチャーは基本、直史一人である。

 正也に加えて蓮池もいるが、それは直史がパンクした時、試合を成立させるためのものである。

 三回を終えた時点で、上杉の球数はわずか32球。

 彼のピッチングをもう少し見たいな、と思うのは自然であろう。

「あと1イニングだけいいか」

 50球以上は投げないとして、このイニングだけは任せてもいい。 

 それがBチームのピッチャーの総意であった。

 特に上杉の後など、パワーピッチャーは誰もが躊躇するだろう。

 のんきにブルペンで準備している武史だけを除いて。


 四回の表にも上杉がマウンドに出てきて、Aチームの方はげんなりとした。

 織田から始まるこの打順は、おそらく他のパワーピッチャーであれば、どうにか封じられることはないと思っていたので。

 実況席でもこれについて話がされる。

『いや~、四回も出てきましたね、上杉選手』

『三回までの予定だったはずですが、それはこれが草野球ということなんでしょうね』

『普通の試合を見ているのと、同じように考えてはいけないと?』

『監督がいませんからねえ』


 本当に好き放題に、ピッチャーも代わればバッターも打っていく。

 後続に託すという意識はなく、自分の好きなように打つのだ。

 楽しくなければ意味がない。

 まさに草野球の精神である。




 これを見ながら、楽しそうだなと思っている人間もいる。

 沖縄で既に、知り合いと一緒に合同自主トレをしている岩崎や、哲平である。

 昼間は体を苛め抜いたが、夕方以降はリラックスタイムだ。

 一緒に来た岩崎の妻の文歌などは、その様子を見て口を出す。

「そんなに気になるなら見に行けば良かったのに」

 岩崎の関係性から言うと、チケットは普通に手に入っただろう。

 それは哲平にも同じことが言える。


 直史や大介と、ほぼ同じ年代を過ごした選手は、他にもたくさんいる。

 その中でも一番関係性が深いのは、三年間を共に過ごした岩崎であろう。

 ジンなどはあっけらかんと塁審などをしている。

 岩崎ももちろん、行きたいか行きたくないかで言えば、行きたかったのだ。

 ただ哲平と同じく、もうこの数年は勝負の年。

 今年で34歳のシーズンとなる岩崎は、もうあとどれだけ投げられるのか、分からないところがある。


 勝ち星は累計で100勝には届かないだろう。

 最近は中継ぎの便利屋扱いが多いが、それでも年に数回は、谷間の先発がある。

 キャリアで100勝したら、それは立派な経歴となる。

 そもそも高卒で15年もプロの世界にいること自体が、プロ野球選手の中でも勝ち組なのだ。


 FA権を取った時も、それを行使はしなかった。

 自分のキャリアでは、それほど大きな契約で移籍は出来ない。

 それにピッチャーというのはチームに一人ではなく、先発から外れても役割はあるのだ。

 30を過ぎたあたりから、下からの突き上げが強くなったと思う。

 自分の全盛期の時に、直史などはやっとプロ入りをしていた。

 そしていまだに、成長はしないものの、衰えを見せていない大介。

 確かにこの二人の勝負の決着は、自分もスタンドで見るべきではあったのでは、とは思う。


 試合に出る気にはなれなかった。

 このベンチに入っているのは、今が全盛期である選手と、全盛期がずっと続いている選手ばかりだ。

 例外的に上杉などは、全盛期からは明らかに衰えた。

 だが元が突出しすぎているだけに、まだまだ通用している。


 三回を終えたところで、奪った三振の数が六個。

 引退の気配も見えない、まさに投げる神である。

 そしてそれに対抗する直史は、悪魔か大魔王と呼ばれている。

 おそらく42歳ぐらいまで、いまの数字を保てば、上杉は400勝を突破する。

 途中で二年のブランクがあり、まさかその記録だけは無理だろうと思っていたのに、更新の可能性があるのだ。

 そんな上杉がいるのに、同じチームとなってプレイするのはおこがましかった。


 ならば直史のチームに行けばよかったのでは。

 控えとしてベンチにいて、絶好の場所から試合を見る。

 だがそんなことをして、キャンプ入りまでに調整が完了していなければ、それはそれで後悔することになるだろう。

 この試合は様々なチャンネルで放送されているので、いくらでも見ることは出来るのだ。


 ホテルなり、あるいは別荘なりで、休んでいる選手たちも、おそらくは全員がこの試合を見ているだろう。

 野球人ならこれを見ないという選択は取れないだろう。

 それにしても岩崎には、直史が壊れかけというのが信じられないのだが。

(あいつのことだから故障を理由に、引退をするつもりなのかもな)

 33歳で引退というのは、野球選手としては早くはない。

 また次のキャリアが決まっていれば、それぐらいが丁度いい年齢なのかもしれない。

 プロでは通用しないと思われると、二年でクビになるのがこの世界なのだ。


 どうして才能というのは、求める者に与えられないのか。

 確かに直史のやっていた練習やトレーニングは、常軌を逸したものであった。

 だがそれが可能な肉体であるということも、一つの才能ではないのか。

(羨ましいよ)

 東京ドームの満員のスタンドの中で、花道を飾る。

 そんなことが出来る選手は、今後二度と現れないような気がした。

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