初めて出会ったマイルドサイコパス09 平穏な日々 ~標準語版~
「ただいまー」
「おかえり」
チュッ。
「シン、うまくいったの?」
「うん。きちんと言えたと思う。ありがとうコハル」
「ううん。何もしてないよ」
「コハルさんは謙虚ですな」
「そんなことないですよ。シンさん」
「うぉっ。ドキドキするわ」
「そお。うふっ。さあ上がって」
「うん」
手を洗いリビングに入る。
「シンさんおかえり」
「お父さんただいま」
「シン、すぐに準備するからね」
「うん、ありがとう」
「子供達はもう寝たの?」
「うん。寝たかどうかわからないけど部屋に戻ってるわ」
「そうか」
「シンさんどうだった?」
「まあまあ上手に言えたと思います」
「どんな感じだった?」
「とりあえずは発言や行動の確認ですね。それに対してどう思っていたかの聞き取りをしました」
「ほう。態度はどんな感じだった?」
「落ち着いていたように思いますけど」
「そうか。いきなり怒り出すことは無い感じかな」
「そうですね。二人きりの時は逆切れもありましたけど社長の前では演技していると思いますね」
「うん。すごく考えて行動するときと、ものすごく間が抜けているときのギャップが激しいと思う」
「はい。おかげで証拠もたくさん残してくれましたし。きちんと突っ込めました」
「でも今日は退職勧告だけなんだろうね」
「そうですね。社長がうちは解雇はしないから自分で考えろって言い渡しました」
「それが一番いいだろうね。今回幹部の前で糾弾されたことで本人もだめだろうなという認識は出来ただろうし何よりも後から訴えられるリスクも減らせるからね」
「そうなんですか。でも解雇された後で退職が取り消しになることってあるんですかね」
「うん。以前うちの会社で発生した時は少し調べたんだけど裁判では意外と迷惑をこうむった側の精神的な被害は客観的に判断が難しいし重要ではないみたい」
「そうなんですか」
「うん。ある大学教授の部下が九人いたんだけど五人が教授の圧力を訴えた。大学側は聞き取りをした上で悪質と判断してクビにしたんだけどその教授が裁判に訴えたらなんと不当解雇と言いう判決が下ったんだよ」
「具体的にはどんなことをしたんでしょうね」
「うん。そういう事例は内容が細かく精査できるような資料がないから想像でしかないんだけど裁判所の判断は退職勧告を断られてすぐに懲戒解雇にした点が問題にされたのと被害者の言う圧力が客観的にいじめとか嫌がらせのレベルではなかったこと、それはきちんと仕事をしなさいとかそういうレベルの話だったこと。教授が深く反省していることなんかを加味して不当解雇であると判断されたみたいだね」
「それは大学側というか雇用側も結構なダメージを食らいますね」
「その後どうなったのかはわからないけど関係はぎくしゃくしてしまうだろうね」
「その人はパーソナルではなかったのでしょうかね」
「シンさんそこの判断は難しいと思う。ただ実際にそうである人とそうでない人はいると思うけど何をもって判断するかはもうお医者さんでしか判断できないと思う」
「そうでしょうね。でも実際にそれを疑うべき要素を持った人がいて、日々小さなことで心に圧力を感じていて、なおかつそこから逃れようがない場合は死ぬ以外に裁判では相手が悪いとは言ってもらえないことになりますね」
「そうだね。被害を受けたもののその苦しみの程度は計れないからね。まあ今回の場合はターゲットが部長だったシンさんだけど、これ他の従業員の誰かがそんな被害を受けていたらシンさんは動けるだろうか?」
「実際はまず技術課長がターゲットになってたんです」
「教えてもらう立場の人が教える立場の人を見下したという事?」
「そうなんですよ。最初はわからなかったのですが周りの人の話を聞きなおかつ当人同士のやり取りを観察してわかったんです」
「なかなかおぞましい話だね」
「そうなんです。多分技術課長は落ちてしまったのだと思います。その後の会議で杉内に同調するかのような発言も出てきていたので」
「そうなんだ。なかなかやばいね」
「はい。でも幸いと言うか技術課長は残念ながらそんなに人望がなかったんですよ。仕事中にお気に入りのアイドルの動画を見たりそのアイドルのSNSにコメントしたりしてたんで何度か注意はしていたんですけど」
「そうなんだ。だからシンさんは距離を取った状態で観察できたわけだ」
「そうですね。それから僕の仕入れのやり方についてぽつりぽつりとやり方がどうのこうの言いだしたので、ああ、ターゲットが僕になったのだなと認識した次第です」
「そうか。彼に悪意があったのか病気なのかはわからないけれど一番相手にしてはいけない人に矛先を向けたわけだ」笑
「そうですね。部長と言う名の平社員の僕に矛先を向け始めて、結局僕も強くは言わないほうなのでだんだん調子に乗って行ったんでしょうね。半分は僕のせいかもしれませんね」笑
「シンさん、部長と言う名の平社員ってうまい言い方だね」
「そうでしょう。もっぱら社内では社長以外にはそう話していますよ」
「シンさん。それは本当のことかもしれないけれどほどほどにしておいた方がいいと思うよ」
「まあかなり自虐的な言葉だなとは思います」
「そうだろうね。だからいつも言ってるじゃないかシンさん。転職しないかって。ウチの会社ならもっとたくさん給料もらえるし活躍できると思うんだ」
「お父さん。いつも僕を評価していただいてありがとうございます」
「シンさん、本当に一度ちゃんと考えた方がいいと思うよ」
「はい。ありがとうございます」
「シンさんもなかなか頑固だからね」
「すみません」
「さて話を戻そう」
「はい。先ほど言われた動けるかどうか。技術課長の時は動けませんでした。一応は課長で私よりも年長で話の内容がよくわからなかったこともありましたし。しかし立場の弱い者が圧を受けていたのであればそれは動くと思います。でもそういう立場の弱い人はターゲットにはならないんですよね」
「うん」
「それにさっきお父さんが言われた大学の事例は自分の部下という立場の弱い者に対する圧力ですよね。お父さんの会社で起こった出来事とうちの会社で起こった事の共通点は自分より偉い人を見下して圧力をかけてるんですよね」
「ああ、そうだね」
「だからやはりパーソナルなのかなと思ったりするんですよね」
「そうかもしれないね。パーソナルの人は自分より偉い人を見下すみたいだからね」
「実際自分よりも立場の弱い人に対する圧力は単なる弱い者いじめ的なものなのかなと思うんですけど、でも会社に認められて役職が付いているのであればそれ相応のふるまいはするべきだと思うし、見本でもあるのになと思いますね」
「そうだね。シンさんの言ってることは正しいと思う。立場を利用していじめるわけだからね。成長を目的とした圧力であるなら許されるとは思うけど、ただ本人がどう受け止めるかだからね。難しい面はあるのかな」
「そうですね」
「シン、そろそろご飯出すけどいいかな」
「ああごめん。ありがとう」
「シンさんごめん、お腹空いてるのに」
「いえいえ大丈夫です。勉強になります」
「そんな風に言ってくれたらうれしいね」
「おじいちゃんそろそろ眠らないと。お母さんはもう寝てるし、ただでさえ早起きなんだから」
「そうだね。退職してから早く目が覚めてしまうんだよ。遅く寝ても目が覚めるから辛いんだ」笑
「歳を重ねるごとに体力が落ちて睡眠時間が減っていくらしいですよお父さん」
「体力が関係してるのか」
「そうみたいですね」
「そうか。体力を付けなければいけないのか。何か考えないとだな。散歩だけではだめなんだな」
「みたいですね。僕も散歩は相当しましたけどせいぜい体力の維持が出来たらいい方だと思います。でも何もしないよりはずっとましなんですけどね」
「うん、そうは思ってるけどなかなか難しいな。走ったら死ぬんじゃなかろうかと思ったりするもんね」
「お父さん。以前会社にいたムキムキマッチョさんが言ってたのは自転車が一番いいらしいですよ。本物の自転車は事故のリスクがあるけど家の中でこぐのがあるじゃないですか。あれがいいらしいですよ」
「そうか。自転車をこぐか。足の負担も少なそうだな。シンさんありがとう。ちょっと考えてみます。 最後にもう一度話を蒸し返して申し訳ないんだけどシンさんはその杉内とやらの目的ってわかってるの?」
「はい。おそらくですが」
「なんだろう?」
「ヒントいりますか?」
「いや、もう教えてほしい」
「はい。自己満足です」
「自己満足!? 本当に?」
「はい。残念ながら本当にそれが目的のようです」
「でも、いや、本当に!? でもそれはつじつまが合うな。いや、本当に何のためにと言うのがわからなかったんだけどそうか。自己満足なのか。でもこういったら失礼だけどなんだかバカみたいな答えだね」
「でもそうなんです」
「なるほど。ゆっくりと考えてみよう。シンさんありがとう。そういう事でお休み」
「おやすみなさい。お父さんありがとうございました」
「こちらこそありがとう。お休み」
お父さんは寝室に消えた。
「おじいちゃんシンと話したくてリビングで待ってたみたいだよ」
「そうなんだ。俺もお父さんと話すと色んな勉強になるしありがたいんだ」
「うん。そばで聞いてると邪魔しないようにって思ってしまうくらいだよ」
「そうか。コハルが遠慮するくらい俺も上手に話が出来てるんだな」
「シン、どうしてそんなことを言うの?」
「うん。俺は本当に話がへたで、人前で話すことなんてとてもできる人間じゃなかったんだよ。小学校の時にクラスの前に出て初めて話した時に緊張して言葉が出なかった事もあるし。多分それが生まれて初めての緊張でまあ上がってしまったんだね。何とか話はしたけども恥ずかしさだけが残っていた。そのあと別の機会に講堂でみんなの前で話しをする時があって何故そんな場所に俺が立ってたのかわからないけど何も話すことが出来なくて泣いてしまったのを覚えてる」
「そうなんだ。でも私達の時もいたよ。みんなの前に立って何にも言えなくて泣き出す子。どうして泣くのだろうって思っていた」
「言葉が出ないから泣いてしまうんだろうね。コハルは人前でも堂々としているからね」
「そうだね。言いたいことは言えるかな」
「コハルは度胸があると思うよ」
「私もそう思うよ」笑
「うん。頼りにしてるからね」
「でもシンはどうして人前で話せるようになったのだろう?」
「うん。高校卒業して就職して初めて会った人と、それが職場やからまあ辞めない限りは一緒に働くわけだよね」
「うん」
「多分その時にはじけたんだと思う。変わらなきゃって。今までの自分と違う自分を見つけたい。作りたいって思ったのかな」
「そうなんだ」
「うん。でもそれは多分他の人からしたら小さな勇気だけれど俺にとっては清水の舞台から飛ぶくらいの気持ちだったんだ」
「シン、飛んだのね」
「うん。職場で発表会があるしそんなところで泣くわけにはいかないし。自分なりに気持ちを奮い立たせて平常心を心掛けて頑張って話してたと思うよ。
それに暴走族上がりの怖い先輩とかに出来るだけ挨拶して話しかけるようになってから少しづつ良くなっていったと思う。でも彼らとお付き合いして思うのは仲間を大切にするという事。俺の事も仲間だと思ってくれたんだろうね、何かと気にしてもらってうれしかったことを覚えている。でも暴走したわけじゃないよ」
「シンも頑張ったんだね」
「今、コハルがただ相槌を打つだけで聞いてくれるからいいけど人によっては一言話すごとにそれはどうのこうのって口をはさむ人が居てるよね。挙句の果てにその人が話を始めてしまうことがあるんだよね。そういう人とは本当に話が出来ない」
「そうなのかな」
「うん。コハルはちゃんと耳を傾けて話し終わるまで聞いてくれるから俺はちゃんと話ができるんだと思う。そういう人が何人か居てたからよかったんだろうね」
「そうなんだ。私がお母さんと話すときみたいにお互いに同時にしゃべり合ってみたいなことはシンは出来なさそうだね」
「そうだな。あれは近くで見てても会話になってるのだろうかって思うけどちゃんと成立してるんだよね。それが不思議だな」
「小さい時からそんな感じだからそういうものだと思っているからね。何の疑問も持って無かったと思う」
「うん。そうだろうな。それに俺は耳が悪いから言葉の渦に巻き込まれたら何を言ってるのかわからなくなって頭が受け付けなくなるんだろうね」
「ああ、耳が悪いのもあるのでしょうね。確かにガーって話してるときにえっ? もう一回言ってって何回も聞けないものね」
「そうなんだよね。だから俺二人で話すときはいいけど三人で話すときはすごく緊張するし疲れてしまうからね」
「そうなんだ。それからシンが変わろうとして変わったと思うけどその続きはあるの?」
「うん。やはり彼女が出来たことが大きかったな。それまで無口なのがかっこいいと思ってたけど黙ってたら間が持たん。笑
彼女ばかりにしゃべらすわけにはいかないからね。でもそんなのすぐにべらべら話せるわけじゃないしな。ちょっとつらかったかもしれない」
「そうか」
「でも一番大きかったのは今の会社で営業マンになった事かな。右も左もわからない。営業の何たるかも全くわかってない。仕事せずにぶらぶらしてお金にも行き詰ってたから否応なしだったんだけど。でも自分で考えて話題を探したり知らない人に話しかけることも増えてきたしな」
「そうなんだ。でもシン、そろそろご飯食べてね」
「ああそうだね。続きはまた今度話しようか」
「うん、覚えてたらね」
「うん。覚えておいて。笑 じゃあいただきます」
「はいどうぞ」
「おう!これはおいしい。やはりコハルの作るだし巻きは最高ですな」
「愛情込めたからね」
「ありがとう。このウインナーもおいしそうだね」
「それはメーカーさんの愛情がこもっているよ」
「そうか。これにはコハルの愛情はこもってないのか」
「そうだね」笑
「じゃあ俺のに愛情をこめとくわな」
「はいっ? 何々? 何言った今?」
「いや、何でもない。聞こえてなかったらいいよ」
「シンなになに?もう一回言って」
「コハルこれはもう一回言うのが恥ずかしい事だよ。 滑ってしまったんだ」
「そうなんだ。まあいいよ」
「うん」
晩御飯を食べ終わると二人で片付けをした。
「お手伝いができるなんて俺っていい旦那さんだろう」
「そうね。私が何もしなくても大丈夫みたいだね」
「ちょっと違うかな。コハルが何かしようとするから、それを手伝いたいと思うんだよ」
「そうなのね」
「じゃあ私が熱が出て寝込んだら何もしてくれないのかしら?」
「そんなことはないだろう。あの東京旅行の熱海の夜を忘れたのかい? コハルの傍でコハルのお世話をずっとしてたんだよ。汗を拭いてあげて、熱を測って、おかゆを食べさせて」
「そうね。そうだったね。シンは私を心配して離れなかったものね」
「そうだよ。だから何もしないことは無いよ」
「うん。ごめんね変なこと聞いて」
「大丈夫ですよ。コハルさん」
「うん」
部屋に帰ると二人でシャワーを浴びた。
「コハル、さっき何言ったって聞き返したよね」
「うん」
「これに愛情を込めるからなって言ったんだよ」
「あはは、そうなんだ。それはもう一回は恥ずかしいな」
「そうだろ」
「でもシン、今愛情こもってるの?」
「こもってるよ」
「じゃあちょっと確かめてみるからね」
「コハルさんいきなりですか」
その後しばらくコハルはウグウグ言いながら楽しんでいた。
「シンの愛情感じたよ」
「俺もコハルの愛情感じたよ」
チュッ。舌を絡める。
「さあ愛情がコハルの中に入りまするよ」
「はいシンさん、どうぞお越しくださいませ」
「失礼いたしまするよ」
「アン、早く」
「ではでは」
「アアッ」
「コハル殿、動いてもよろしいのでござりまするか」
「早く早く。動きなされ」
「わかり申した」
「シン殿、愛情を注いでくだされ」
「わかりましたでござります」
「シン!」
幸せなひと時だ。
「コハル殿、愛しているでござるよ」
「ああーっ、シーン!」
週明けの朝に杉内が仕入れの数量の相談にやって来た。
お父さんも言っていたな。退職勧告を受けた後に仕事の相談に来たって。笑
この手の人の行動は同じなのだろうか。
強気の雰囲気が消えている。
「鴨居さん、ちょっといいですか?」
「なにか」
「この部品なんですけど一個五十円を五百個買うべきか
千個買うと一個が四十円になるのでどちらを買えばいいのか迷ってるんです」
「えーっと、何故そんな話をするのかな?」
「仕事の相談ですよ」
「意味が分からんな」
「鴨居さんならどうするか聞きたかったのです」
「杉内君。金曜日に話したこと忘れていないよな。俺と話がしたいのなら社長とまず話をしろ。何個買うかはそれからの話だ。でないと何のために金曜日話したのかわからないだろう」
「はい。すみません」
「それから俺これから出かけないといけないから帰るまでに社長と話して結論出して」
「わかりました」
「この話はそれからだから」
「はい」
「ちなみに何の話か分かってるよね?」
「はい、僕の進退ですよね」
「そうだ。まずそこからだ!」
そのあと僕は配達に出かけた。
帰社したのは定時を過ぎてからだった。
社長が話しかけてきた。
「鴨居さんお疲れ様です」
「社長、お疲れ様です。杉内来ましたか?」
「はい。社長話があるんですって来ましたよ。自主退職で決まりました」
「そうですか。朝、杉内が来て仕入れの相談を始めるものだからそれは社長と先に話してからにしてくれって言ったんですよ。
アイツ何事もなくシラーと仕事するつもりだったんでしょうかね。何を考えてるんだと思いながら話聞きましたけど」
「そうでしたか。杉内君が来てね、金曜日の件ですけど僕は辞めたくないんですって言いだしたんです。どうしてって聞いたら、せっかくみんなともなじみが出来てきて仕事にも慣れてきてもったいなく思うんですって言うからね。杉内君金曜日に鴨居さんが話したこと覚えてるよね。鴨居さんいきなりあんな事言う人ではないんだよ。正直僕も驚いたんだけど君に対しては相容れないと言ってたわけだからね。君がそのことを全く深刻に受け止めてないことに驚きましたって言ったんですよ」
「杉内はどんな顔してました?」
「ばつの悪そうな顔をしてましたね。自信満々だったのが急にしおれたような感じでしたね。それでねもう一度チャンスをくださいって言われたんですけど、鴨居さんがあそこまで言ったらもう無理でしょって答えたんです。それであきらめたみたいですけどね」
「そうですか。社長、フォローしていただいてありがとうございました」
「いやいや。温厚な鴨居さんがあれだけ言うのも珍しいなと思って聞いてましたよ。それに次のターゲットが僕だったというのも大きいですね。
しかしそもそも信頼関係を壊すような言動を繰り返してきた君の考え方にはかなりの疑問があるしそんなことしてなんになるのかと思ったけれど
鴨居さんが最後に行った自己満足の為というのを聞いたらそんなことのために周りの人間が嫌な思いをするのはかなり理不尽だと言っておきました」
「ありがとうございます。今回は彼にとって次につながるように話したつもりですけど、どれだけ受け止めてくれているかわからないですね」
「鴨居さんが自己満足を他の人が喜ぶことで満たされるように変換しないといけないと言った事ですよね。あれはちゃんと受け止めてほしいですよね」
「本当に心からそう思います」
「まあとにかく退職が決まりましたのでまずは一安心です。でも技術課長の後継者をまた探さないといけません」
「その辺は申し訳ないですがよろしくお願いします」
「はい。わかりました」
翌日杉内は相談に来なかった。
姿を見かけたものの僕の所には近づいて来なかった。
そしてまた杉内から従業員に対して一斉メールが送られた。
皆様
お疲れ様です
突然の事ですがこのたび、
一身上の都合により退社することになり、
本日が最終出社日となりました
本来であれば直接ご挨拶をすべきところ、メールでの挨拶にて失礼いたします
在籍中はいたらぬ点もあったかと思いますが、
お世話になりありがとうございました
今後もこの会社で培った経験を、
活かしていきたいと思っております
最後になりましたが、
皆様のさらなるご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます
本当にありがとうございました
点はあるけど最後の丸がない。
本当にこの男はよくわからない。
いらないのかな? いると思うけど。
文章の最後の丸。
お祝い事の文章には句読点は付けないらしい。
でも読点は付けている。この文章はお祝い事ではない。
過去のメールを見てみた。
全部丸が付いていない。
何かこだわりがあるのだろうか。
どうでもいいけど。
結果、間抜けという事になるのだろう。
最後まで混乱させる奴だった。
何が正しくて何がおかしいのかよくわからなくなってくる。
人の荒探しは一生懸命にして自分が思う落ち度を責め立てる。
くどくてしつこい。
しかし自分の間違いはあまり気にしていない。
指摘すると一が十になって返ってくるから誰も言わなかったのだろう。
責める側に立ってばかりで責められる側には立たなかったのだろうか。
そういう経験が無かったのかもしれないというか相手にされていなかったのかもしれない。
だから人にしつこく絡むのだろうか。
でも俺は一を千にして返してやった。受け止めざるを得なかっただろう。
でも何社くらいか知らないけれど会社辞めてるしな。誰かに切り返されたのだろうと思う。
その経験が生かされていない。これからも同じことを繰り返すのだろうか。
哀しい性やな。
「ただいま」
「シンおかえり」
チュッ。
「シン今日はなにか顔が大きく感じるね」笑
「そうか、どうしてだろう?」
「わからないわ。わからないけど面積が増えたような気がする」
「変顔しすぎて伸びたのか?」笑
「うーんどうしてだろう」
「あっ。もしかしたら!」
「なになに?」
「髪の毛の生え際が後退したかもしれんな」
「ええっ。ハゲるってことか? そんな突然はげたりしないだろう。ハゲるのとは違うけど髪の毛の生えている面積が減ったのかもしれないね」
「シン、そんなのと違うよ。きっとシンの中で何かが変わったんだと思うよ。顔つきが違うもの」
「違うか」
「うん。違う」
「どうしてだろうな。でももし俺がてっぺんハゲになってカッパみたいになっても愛してくれるんだろうか?」
「シンそれはイヤ」
「コハル、お前はなんてことを言うんだ」
「シン、嘘よ。どんな姿になろうとも私はシンを愛し続けるから、今のところ大丈夫だよ」
「お前はいつでも上から目線だからな。俺の頭のてっぺんをいつも見ている」笑
「そうだね。ごめんね。でも今はまだ大丈夫だよ」笑
「そうか。よかった!」
「父さんおかえり」
「おう、花ただいま」
「学校行ってきたか?」
「うん。父さん今日はね、花が褒められたんだよ」
「おう、そうか。何をして褒められた?」
「学校の帰りにね、おばあちゃんが立ち尽くしてたの」
「ほう」
「花がどうかしましたかって声を掛けたらね、家がどこにあるかわからないって言われたの」
「ああ、そうなんだ。それからどうしたの」
「ちょうど三宅君の家の前だったから三宅君のお母さんに出てきてもらっておばあちゃん困ってるって話したら警察に電話してくれたの」
「そうなんだ。でも警察ってびっくりしただろう」
「うん。すぐにお巡りさんが来て連れていかれてたけど後から三宅君のお母さんからうちに電話があってママと話してた」
「そうか。いいことしたな」
「シン、花はいい子だよ。見たことのないおばあちゃんだったし様子が変だったから声をかけたらしいけど優しい子だねって三宅君のお母さんも褒めてたよ」
「そうなんだ。花はいい子だなぁ。父さんもうれしいよ。花おいで。抱っこしよう」
「うん」
ギューッ。
「花は優しい子に育ってくれて父さんうれしいよ。その気持ちを忘れないようにな。もしかして今日は焼き肉か?」
「シン、そうだよ。よくわかったね」
「そりゃそうだろう。娘がおばあちゃんを助けたんだからご褒美がいるよね。なぁ花!」
「うん」「花はもう食べたのかい?」
「食べたよ。おいしかったよ」
「そうか。じゃあ父さんもいただこう」
「でもシンの分はもう無いのよ」
「えっ!」
「予算の関係で」
「予算か。よさん。もうそんな話はよさんかっ!」
「シン、何言ってるの」笑
「俺の焼き肉が無いだなんて!」
「シン嘘よ」
「なにっ!」
「嘘だよ」
「本当なのかい、コハル」
「うん。ちゃんとあるよ」
「そうなのかい」
「さあ焼いてくるね」
「うん」
「落ち込んでた父さんの顔がパッと明るくなったね。良かったわ」
「そんなに変わるのかな?」
「うん。でも父さんはママの冗談を本当にいつもいつも律義に必ず真に受けてしまうんだね」笑
「そうだな。いつも真に受けてガーンってなってすぐ種明かしされてニコニコしてって俺ってバカなのかな?」
「父さん。バカかもしれないね」笑
「そうか。じゃあバカでいいや。花がいいことをすると焼き肉が出てくる。ありがたい事だよ」
「花のおかげなの?」
「そうだな。花のおかげだな。ありがとう花」 ギューッ。
「父さんくすぐったいよ」
「すまないね。でも父さん本当ににうれしいよ」
「うん」
「さあ花、もう寝る時間だよ」
「うん、父さんお休み。ママもお休み」
「花お休み」「おやすみ」
花が階段を上がって行った。
「コハル、花は優しい子に育ってるね」
「うん。うれしいな」
「うん」
チュッ。
「さて俺もごはんもらおう」
「うん。準備するね」
「お願いします」
食事の後コハルと二人で後片付けをした。
二人で部屋に帰り抱き合った。
「コハル。やっと決着したよ」
「針の人の話?」
「そうだ。金曜日に色々話して一緒には働けないと言う話しをしたんだけど今朝話があると言うから聞いてみたら一個五十円の部品を五百個買うか千個買うのだったら四十円になるからどっちにしようか悩んでますって言われたんだよ」
「なにそれ?」
「本当になにそれなんだよ。金曜日の話はどうなったんだって思ったよ。ちなみに先に社長と話してどうするか決まってからにしてくれって。今の話はそれからだって。念のために聞いたよ。なんの話をするかわかってるかって。そしたら僕の進退の話ですよねって。とぼけてるのかって話だった」
「神経が結構図太いのかね。金曜日の話だからもう忘れてるかな位に思ってたのかもしれないね」笑
「あれだけ詰めて話して何事もなかったというか忘れてたらびっくりするでしかし」
「シン。出たー。びっくりするでしかしが」
「そうだな。最後に聞いてから結構時間が経ったけど今時分出て来たよ。どうしてなのだろう」
「多分だけど、言いたくて言いたくて仕方が無かったと思うわ」
「そんなことは無いよ」
「それからそれから?」
「うん。金曜日に詰めたんだからこっちは返事待ちなわけだよ。居させて欲しいとと言われても聞けない話だけれどね」
「うん。そうだね」
「だから俺今から出かけるから社長に話してって言ったんだ。わかりましたって言ってた」
「そうなのね。それから」
「それから帰ってきたのが遅かったんだけど社長が席に座ってて、杉内が来て辞めるって言いましたって報告してくれたよ」
「そうなんだ。良かったね」
「もう一回チャンスをくださいって言ったらしいけど鴨居さんがあれだけ言ってたらもう無理でしょって断ったって」
「そうなんだ。まあシンがいなかったら辞めさせることもできずに見下されて辛い目に合ってたかもしれないからね」
「そうだな。社長の俺が何で見下されるんだって思うだろうな」
「どうしてなんだろうね? その見下すっていう考えがよくわからないけれど」
「無意識に相手よりも上に立ちたいっていう願望があるからだろうね。おサルさんと一緒で序列をものすごく気にするらしい」
「そうなんだ。サルなんだ」
「サルだな。でもサルはね、そういう社会なわけだよ。そうしないと群れが維持できないからね」
「うん」
「俺達は人間だからね。しかも一番最後に入ってきて自分より偉い人を見下すんだから。そういう性らしいね。病気なんだけどね」
「なにか治りそうにないね」
「治らないらしい。まれに治るらしいけど自分が気が付けばらしいけどね」
「そうなんだ。でももう出ていくから関係ないね」
「そうだ。これで楽になる。少なくとも訳の分からないことで頭を悩ます必要は無くなる。まあどう言えばいいのか悩んだ程度だけどね」
「うん。シンよかったね」
「うん。うまく行ってよかったよ」
チュッ。
「まあでもちょっと複雑だな。辞めてもらうことで会社も俺も平穏に仕事ができる。でも彼を必要としている家族はすぐに路頭に迷うことは無いだろうけど収入が途絶えるわけだからな」
「だからと言ってシンが我慢してシンが壊れたら私たちが辛いよね」
「そうだ。杉内か自分かと言ったら自分を守らないといけないね」
「うん」
「でも、前に会社に居た昇三さんは恩ある人の頼みで手形を割り引いて結局は昇三さんの会社も連鎖倒産させてしまったって言ってたな。家族の顔が浮かんだけどどうしようもなかったと言っていた。俺は幸いそこまで恩ある人はいないけどもしそんな人がいて頼み事されたら家族を犠牲にすることも選択肢に入るのかな。考えたくもないけど」
「シン、なかなか厳しい話だね」
「そうだな。昇三さんは今でも奥さんには頭が上がらないんだって言ってた。でもそんな経済状態の中でも息子さん二人を大学にやったんやからすごい人だなと思うな」
「苦労されたんだろうね」
「そうだな。そこまで自分や家族を追い詰めてしまうのはどうかと思うけど因果応報と言って自分の行いでそうならないように気を付けないといけないだろうな。まあでも昇三さんは生きてるし、奥さんも元気だし、息子さんももう働いているし昔の苦労話になっていると思うよ」
「うん。今が楽しいのなら苦労した甲斐があったんだと思う」
「コハル。お前に苦労を掛けたいとは全く思わないけれど、もしもの時はちゃんと話するから聞いてほしいなと思う」
「シン、何でも言って。辛い事は半分こだよ。楽しい事は倍になるんだよ。そんな気持ちだからね」
「うん。ありがとう。お前は本当にいい女だな」
「そりゃそうよ。シンの奥さんなんだから」
「本当に」
チューゥ。
翌朝出社し、技術課を訪ねると杉内が自分の机を片付けていた。
おはようの挨拶だけした。
他の従業員も杉内には何も話しかけてはいかない。
そもそも杉内から話しかける一方で他の従業員からは話しかけることはなかった。
後から聞いたら悪口と批判ばかりで煩わしかったと言っていた。
そもそも受け入れられていない。そのことに気が付いていなかったのだろう。
かなりしょんぼりとした感じではある。
引導を渡されて退職を決めてからあと二日ほど出社しなければならない。
幸い有給がそれなりに残っているので丸丸一ヶ月は休むことが出来る。
取引先への退職の挨拶もメールで送り始めた。
ごく普通の文面である。
あれだけ余計なことが思い浮かぶのに取引先に出す文面は中身のないありきたりの
文章になっている。もしかして校正しているのだろうか。
社長に送ったメールも校正しすぎて中身がスカスカになってしまったのだろうか。
そんなことは無い。口から出る言葉は瞬時に判断されたもので臨機応変に繰り出された言葉である。
その時は頭が多少働くみたいだけど文章にするとスカスカになる。
中身がスカスカだからメールの本数がものすごいのだろうか。
実はいろんなことが抜け落ちてて後から後から知りたいことが出て来てしまうのだろうか。
なんだろうかと思う。
頭の回転が速いのか遅いのかさっぱりわからない。
僕にやり込められる程度の狡猾さしかないのだからお察しだろう。
バレないようになどとずる賢くもなんともない。
自分の目標が見えた瞬間からその為だけの事を考え他の事は考えられなくなるのだろう。
一心不乱にその快感を得るためにわき目もふらず走り出すのだろう。
無我夢中になるからその時のミスは気が付いていないのだろう。
まあまた繰り返すのだろうなと思う。
そして社長あてに最後のメールが送られた。
またしてもCCに俺が入っている。何故なんだ!
最後の出社日に事務所にあいさつに来た。
その時たまたま杉内の正面に立ってしまった。
杉内の目をじっと見つめた。
杉内は目を思いっきりそらし退職の口上を述べた。
もう目が合うことは無かった。
「いろいろとお世話になりました。ありがとうございました」
事務所から出て行ったあと事務の女の子が
「鴨居さんの目線から思いっきり顔を逸らしましたよね」
「見ていたのか」
「ばっちりと見ました」
「そうか」
「以前の顔つきと全然違いましたよね」
「そうだな」
「ギラギラ感が無くなってただのおっちゃんになってる感じですね」
「そうだな。彼の楽しみを奪ってしまったからな」
「そうなんですか?」
「うん」
「ちなみにどんな楽しみなんですか?」
「人を見下して追いつめる楽しみだな」
「ええっ! そんなのが楽しみなんですか」
「そうだ。いじめっ子みたいなものだ」
「誰がいじめられるんですか?」
「俺だ」
「えっ! 鴨居さんがですか?」
「そうだ。まあそれに気が付いたから阻止したんだけど」笑
「なにか変な人だと思ってましたけど」
「うん。関わるとダメな奴だった」
「そうなんですか」
「うん。女性や自分が最初から対象にしていない人にはごくごく普通に接しているけれど自分よりも偉いとか上だと思った人間、まあ言うことを聞いてくれない人に対しては見下しと攻撃が始まるんだ。きっかけはなんだろうな? わからないけれど」
「なにか訳が分かりませんね」
「そうだ。でもそれがアイツの喜びなんだよ」
「へぇー。気持ち悪いですね」
「そうだな、でもいなくなるからよかった」
「私も今日来客あるんですって言われてたけどどうして私に言うのだろうって思ってたんです」
「事前に準備してくれってことなのだろうね」
「私は会議室の管理者ではないのですけど」
「ほんとそうだね。でも僕も同じこと言うときあるけどその時はわかりましたって聞いてくれてたよね」
「うん。あいつに言われるのが嫌だったんですよ。鴨居さんならいいんですよ」
「そうなんだ。嫌われてたんだね。美人の事務員さんに」
「またまた鴨居さん心にもないこと言って」
「ああ、わかりましたか」笑
「もう鴨居さんひどい!」笑
この事務員さんは自分で三枚目を演じているだけですごく気持ちの優しい素敵な女性なのです。
杉内が去った後本当に嵐が去ったように静かになった。
技術課長と二人になった時「鴨居さんがあんなこと言うとは思っていませんでした」
「どうしてですか?」
「今後気を付けなさいという話かなと思っていたんですよ」
「そうでしたか。技術課長はまだ一緒にやれると思っていたのですか?」
「そう言われれば難しいとは思います」
「そうですよね」
「でも鴨居さんって怖いですよね」
「えっ。何がですか」
「あんな風に追い詰められたら私も辞めるとしか言いようがないと思います」
「技術課長は他人を攻撃しないじゃないですか。でも攻撃しないだけで迷惑はかけているかもしれないな。それと会社に貢献している」
「鴨居さん迷惑ってなんでしょう」
「仕事中に鼾をかきながら居眠りしたり、アイドルのSNSに書き込みをしたり、動画を見たり」
「・・・」
「一度あなたを辞めさせようと思ったことはある。当時の社長に任せたことで失敗しましたけどね」笑
「そんなこと初めて聞きましたけど」
「そりゃそうでしょう。あなたの勤務態度が若い従業員のやる気をなくすんです。それに注意しても聞かないとなればもう誰もいう事を聞かなくなる」
「・・・」
「まあでも、何とか乗り越えてこられたんだからもう私があなたに言うことは何もない。それは社長が判断したことだから。その判断に従っただけの事です」
「そうでしたか。いろいろすみません」
「いえ。でも気を付けてください。不満は日々積み重なります。そしてあなたを雇い続けたことでこの会社がどうなっていくのか、私にはわかりませんが結局は社長がそういう判断をしたという事なのでどのような形でそれが現れるのか楽しみにしています」
「鴨居さんは僕が思ったよりもはるかに怖い人ですね」
「怖くないですよ。やられたらやり返すだけの事です。でも課長自身がサンドバックになっていたのを自覚していなかったのですか?」
「えっ。そうだったんですか?」
「そうですよ。課長はすごく耐えているなと思ってみていましたけど気が付いていなかったんですね。でも同調されていたんでそれは無意識だったのでしょうね」
「まあ言われてみればそうだったのかなと思いましたけど」
「素晴らしい鈍感力ですね」
「それ褒めてますか?」
「褒めていますよ。ちょっとだけいい人だなと思ってます」
「ちょっとだけ・・・。そうですか。ありがとうございます」
技術課長のような人は時折いる。
攻撃してくる人(嫌いな人)を傷つけたくないから自分が我慢してしまうのだ。
そして自分を守るために嫌いな人に同調して他人を攻撃してしまう。
矛盾していると思う。訳が分からない。
これがいじめの構図なのだろうか。
対象が僕になって良かったのかもしれない。
いじめられた経験はないけれど相手のペースにはまらずうまくはねのけられたと思う。
僕自身が思うよりもひどい形での解決だったけれど結果は良かった。
多少僕も似ているところはある。
我慢し続けたことですごく鈍感になっている。
いいのか悪いのかわからない。
独りで生きているのではない。
彼も誰かをフォローし今回は私が課長をフォローしたと思っている。
でも反応しなければ調子に乗るバカもいるのだし反撃することで相手も気付くときがある。
気付かなければまた反撃すればいい。気付いてもらえれば相手も考えるだろう。
それで成長できることもあるのだ。
自分なりに杉内の功罪をまとめてみた。
メールの数が在籍中19か月で累計1427件でGメールの容量が逼迫していますという案内が何度も来た。
迷惑メールよりは少ないが迷惑メールとの違いがほとんどない。
仕入れ先の営業担当者を呼びつけた回数平均年二回。
ちなみに僕が担当の時は一度も呼んだことは無いが来てくれた回数平均年二回。
仕入れ担当者を呼びつけてコストダウンを迫ったものの全く下がらなかった。
杉内が仕入れを始めてから銅の価格が高騰しケーブル価格の値上げを頻繁に言われるようになった。
他の部材も値上げ要請が相次いだ。これは彼のせいではないと思うけれど・・・。
ひんぱんにやり取りをし過ぎて返信のついでに値上げを言ってやれとかそんな感じだろうか。
値上げの時期や金額はある程度担当者で決められるようなので嫌われたからかもしれない。
敵同士にされた組み合わせ 僕と技術部 僕と杉内、営業と技術部 会社とお客さん などなど。
機械の生産が間に合わない時に渋々作ってくれた。計4台。
生産計画が必要と言いながら作らなかった。
根拠があるように見せかけた報告書? 何の参考にもならず杉内自身の評価を下げるものとなった。
他人の生産能力の話や個人的な能力の話になると杉内がどう評価しているのかわかる。
一様に低評価である。
評価基準がよくわからないがやらせたこともないのに出来ないと断じることが多い。
仲良くしゃべっている風に思っていても後からこんなこと言ってましたよとか頭悪いですわというのが常套句だった。
会議では積極的に発言するが結論を言うことはなかった。
誰かに言わせることでそれを批判することが杉内のパターンだった。
だから最初はわからなかった僕が批判の的になっていた。笑
だんだん杉内が調子に乗っていくのがわかる。
会議毎に納期の話が出る。よほど引っかかっているのだろう。
新しい装置も材料さえそろえてやれば製造担当者は残業することもなく組み立てることが出来た。
結局彼の存在は何もなかった。ただ引っ掻き回しただけだった。
ただ一点だけ後からわかったことがある。
僕から言われて機械を組み立てたときに詳細な組み立て指示書とパーツリストを作成していた。
アイツはいらぬことをして自分の良い点をスポイルしてしまっていた。
いらぬことさえしなければ確固たる自分の場所を築けたはずなのに。
もったいない。でもあれは病気だから仕方がないのだろう。
会社には必要だったのかもしれないけれど僕には必要なかった。
一応社長よりも長く勤めている事のおかげなのだろうと思う。
居なくなってしばらくたつがどこからも杉内宛のメールや電話が無い。
僕が仕入れ担当に復帰したのだけれど、注文書の名前が僕に変わっていることに気が付いたところは電話を掛けて来て鴨居さん復帰されたんでしょうかと恐る恐る聞かれた。
ハイと答えると前の担当はどうしたんですかと聞かれる。
辞めましたと答えるとそうですかと弾んだ声で返事がある。
以前アシスタントの女性が嫌がっているという電話を掛けてきた担当の方が訪ねてきた。
「あの人辞めたんですか?」
「そうですね。辞めましたね」
「なんかありましたか?」
「色々ありましたね。後ろを振り向いてマシンガンで撃ち殺しました」笑
「振り向いてですか?」
「アイツは後ろからごちゃごちゃ言うだけの男だったんです。だから振り向いてという表現になりました」
「そうですか。ウチの女の子に早速報告しますよ。安心すると思います」
「色々ごめんなさい」
「いえ。また今後ともよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
杉内が辞めて行った事で何の影響もなかった。
僕の仕事がまた元に戻っただけだった。
技術で入ったものの何一つ改善できず新しいものも作れずだった。
終わってみれば何事もなかったかのように杉内の話が出ることはなかった。
営業の宇田君がなんで辞めたんでしょうねぇとしきりに不思議がっていた。
「俺を見下して仕事の邪魔をしたからだよ」
「そうなんですか。具体的にはどんなことを」
「そうだな。最近宇田君や前藤さんが頑張って機械の受注が増えただろう」
「はい。おかげさまで」
「今まで通り一人で作ると納期がかかるから杉内にも作れと言ったんだ」
「はい。作れるのなら当然ですね」
「なにを言われたと思う? 鴨居さんには作れという資格がないんですよって言われたんだよ」
「それはなんだか驚きますね。鴨居さんが言わなけりゃ誰が言うんだって話ですよね」
「そうだな。それを平然と言った上にかなり作ることを嫌がっていたな。理由はわかっているのだけどね」
「何故だったんですか?」
「見下げている人間に命令されたくなかったんだよ。要は俺は杉内から見れば格下の人間だったわけだ」
「どうしてまたそんな風に思ったんでしょうね」
「性格というか、そういう病気なんだよ。中山と言う技術にいた人覚えているか?」
「もちろんですよ。僕が頼んだ見積もりやってなくて当日になって必死で頼みましたからね」
「そうだ。その話を聞いて君の先輩の前藤さんが警戒していたんだよ」
「そうだったんですか」
「うん。君の場合は下手に出たことによって中山の優越感を満足させることが出来たんだと思うな。だからその後はかなり親し気に話をしたのではないかと思っているけれど。しかも誰かの悪口ばかり」
「鴨居さんその通りなんですよ。その一件以来すごく親し気に話しかけてくるので戸惑いましたね。本当に悪口のオンパレードでしたんで距離を置きましたけど」
「そうだろう。だいたいのパターンはつかめていたんだけどね。彼も杉内と同じタイプだったんだ」
「そうなんですか」
「今回のターゲットはまず技術課長。そのあとで俺だったんだ。おとなしそうで家来に出来るとでも思っていたのだろうか」
「鴨居さんが一番この会社で長いのにね。先代からも現社長からも信頼されているその人に挑んでしまったんですね。バカだったんですね」
「まあ言っちゃ悪いけど君の言う通りバカだったんだと思う」
「そうだったんですね。鴨居さんにバカと思われないように気を付けますよ」笑
「宇田君は大丈夫だよ。頑張っているのを知っているからね」
「ありがとうございます。 そういえば鴨居さん最近社長と話されました? 営業車の更新が近づいているんですよ。何か話題にあがったりしますか?」
「今のところ話題には上がっていないというか二代目になってからそんな相談はないな。乗る本人に話はあると思うけど。そうなんだ。次はミニバンとかにしてもらったら? 長距離の移動が楽になるんじゃないのかな」
「そうなんですけどね。社長は先日カローラのワゴンに代車で乗ったらしいのですけどべた褒めなんですよ。気持ち悪いくらいにべた褒めなんで、そんなに言われるのでしたら社長の次の車をカローラワゴンにしたらどうですかって言ったんです」
「ほう。なかなか言いにくいことを言うんだな君は」笑
「だって本当にべた褒めだったんですから。何故そんなに褒めるんだというくらい褒めていたんでつい口走ってしまったんです」
「そうか。それでなんて言ってたんだい?」
「社長が乗る車ではないとはっきりと言ってましたね」
「そうなんだ。じゃあ創業者であればと言う言い方はおかしいかもしれないけれどそれこそ自分で創業してお金持ちになりたいとかそんな夢があって、たとえ営業車であってもある程度いい車に乗りたいなんてことはあると思う。でも二代目なんてそれこそこれから色んな方針を打ち立ててこれから何かしらの売り上げを上げるとか何らかの実績を上げていかなきゃならない時にカローラワゴンは僕の乗る車ではないなんて言われたら先が思いやられるような気がするなぁ。社長だからと言うのは理由であって理由ではないと思うけどな。私の知り合いでも質素に安い車に乗っておられる方もいるからね。自分が乗る気もない車の事をなんでべた褒めしていたのか理由がよくわからないね」
「そうなんですよ。自分が乗るわけでもない車をべた褒めしてそれを僕に勧めてきたんですよ。どう受け止めていいのかわかりませんでしたけどね。会社の営業で使う車なので別に普通車であれば何でもいいのですがね」
「今のリース料を鑑みて君の頑張りも加味してもう少し上のクラスの車にすることぐらいなんでもないと思うのだけどな」
「そうですよね。でもダメみたいですよ。費用を抑える話ばかりされています」
「そうか。でも正直、会社イコール社長の方針だからね。それに反発するのはあまりよくないと思うけどね」
「はい。気を付けます。でもなんであんなにべた褒めしたんだろうとそれが気になりますね」
「君にカローラワゴンに乗ってもらいたかったんだろうな」
「そういう事なんですかね。あっ。そろそろ出かけないと。鴨居さんお時間取らせてすみません。いろいろ教えていただいてありがとうございました」
「いやいや。 仕事頑張ってね。私は君たちが働きやすく安心して営業できるようにしないとと思っているから。何かあったらすぐに言ってほしい。改善出来るところはすぐにやるからね」
「ありがとうございます。鴨居さん」
「お互いに頑張ろう」
「はい。では営業に出かけます」
「気を付けて。お疲れさん」
「お疲れ様です」
二代目の社長になり少しづつ我が出始めたのだろうか。
そういえば以前沖縄で借りた軽のレンタカーの話もしていたな。
その車の事もべた褒めしていたな。
そんなに褒めるのならば自分が買って乗るのかと思いきや全然そんなことはなかった。
確かその時に俺も「じゃあ買うんですか」って聞いたと思う。
その時の返事は「でも軽はねぇ」と言う言い方だった。
当時会社の業績が悪く皆給料をカットされてボーナスもなかった時だった。
二代目社長が専務の時にいくらもらっていたのかは知らないけれど家族みんなで沖縄旅行できるのだなと思ったのは嘘ではない。
そして役員と従業員との待遇差を度々見せつけられたり、その違和感のある言動の積み重ねによって社員の仕事に対するモチベーションが少しずつ削られて行くことになろうとは誰も想像していなかった。
しかしこの若い営業の宇田君は何か違和感を感じたのだろう。
でなければ俺にそんな話をしないと思う。
これもある意味相手の気持ちを考えない点では杉内の要素がわずかにあるのかなと思ったりもしたがそんなことはないだろう。
杉内は聞いてもいないことをさも権威のように話をした。
宇田君から聞いた社長のカローラワゴンのべた褒めはこれに当たるのだろうか。
でも聞いてみると中身のないスカスカの話でよくそんな程度の話を得意満面に話せるものだと思っていた。
聞かれてもいないのにアドバイスをする。
自分がやる気もないのにだ。生産計画がまさにそうだったし社長宛てのメールに書かれていた会計ソフトの話もしかりだ。
社長は自分が乗る気もないのにべた褒めした。
ある程度の関係性があれば何の問題もないのだが杉内の場合は教えてやったという優越感に浸ることも目的だったのかもしれない。
でもそれもパーソナルの特徴の一つらしい。
あれっ。もしかして社長も当てはまるのか?
社長以上の権限のある人間はいない。皆下っ端だから。
だから見下しの対象ではないと思うのだけれど。
いやいやそんな恐ろしいことがあってたまるか。
でも攻撃性は今のところないしなんだろうな。
いやいや人の事を枠にはめるのは良くない。
やはり思い過ごしだと思うことにする。
ちなみにパーソナルの人は世の中にどれくらいの割合でいるのだろうか。
そういう人だとわかってしまえば付き合い方もわかるけれど普通の人と思って付き合っていると自分が悪いのかと思うようになってくる。
そうなると相手の思うつぼである。
相手に何か言われたことで考えることは大切なことだと思うけれどやはり相談もしていないのにこうしたほうがいいとか、ああしたほうがいいとか上から目線で言い出す奴は警戒しておいた方がいいのかもしれない。
善意なのか悪意なのか。何となくわかるだろう。
約一年半に渡った超くだらない戦いは終わった。
私の中でも他人に対する距離の取り方が少しわかった気がした一件だった。
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