第3話 バルコニーで出会った男

「そこに……誰か、いるのか?」


 バルコニーに突然降ってきた第三者の声に、ヒストリカは反射的に振り向いた。


「……っ」


 視線の先に映った男の風貌に、ヒストリカは思わず息を呑む。


 まずはその異様な存在感。

 背中が曲がっているため正確にはわからないが、女性の平均より高めのヒストリカよりも、頭ひとつ分は背が高く見える。


 体格は細い。

 鍛えて引き締まっていると言うよりもげっそりしており病的で、白や金で彩られた豪華な衣装を着ているが妙に不恰好な印象。

 せめてメリハリをつけようという意図か、腰に回した装飾だらけのベルトはキツく締められていた。


 しかしその素顔は、目深に覆われたフードと真っ白で無機質な仮面に隠されて見る事ができない。


 服装から察するにかなり位が高そうなのに、なぜ仮面とフードをつけているのだろう。

 という疑問を抱く前に、男の様子がおかしい事にヒストリカは気づく。


「あの、大丈夫ですか? あまり調子が良くないように見受けられますが」


 尋ねるも、男からの返答はない。


 仮面で見えないため顔色は伺えないが、胸を押さえ、息は絶え絶え。

 人差し指でついただけで倒れてしまいそうな……。


「えっ、ちょ、ちょっと……」


 男が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 膝をつき、なんとか倒れまいと踏ん張っているようだが、見るからに辛そうだ。

 

 慌ててヒストリカは駆け寄る。


「大丈夫じゃ……無いですよね?」


 その問いかけに、男はヒストリカに掌を向けた。

 『放っておいてくれ』と言わんばかりの拒絶のジェスチャー。


(こんな状態で放置は……出来ませんね)


 不敬にあたる可能性もあるが、そんな悠長な事は言ってられない。


 まずヒストリカは、自分のドレスの一部をビリビリと破いて床に敷いた。

 

(パーティ用の、大きめのドレスで良かったわ……)


 そんな事を思いつつ、男の肩に手をかける。


「すみません、失礼致します」


 謝罪と共に、ヒストリカは先ほど敷いたドレス(の一部)の上に男を仰向けに寝かせた。


(これで、体勢は楽になったはず……)

「な……な……!?」


 おおよそ淑女とは思えない行動に驚愕の声を漏らす男に構わず、ヒストリカは次の行動に移る。


「仮面とフードをお取りしてよろしいでしょうか?」


 びくりと、男の肩が震える。

 それから守るように仮面に手をかけ言った。


「見る、な……」

「申し訳ございませんが、今の貴方は急を要する病の症状が出ている可能性もございます。その場合、迅速に処置を行わないと手遅れになるかもしれません。その確認をさせていただきたいのです」

「君は……医者か、何かかい?」

「医者ではありませんが。少しばかり、医学の心得はあります」


 言葉の通り、ヒストリカには多少の医学知識があった。


 実家の書庫の書物の中には隣国から運び込まれた医学書もかなりの点数収められており、ヒストリカの頭の中にはその知識が叩き込まれている。


 もちろん、本格的な治療や手術などは出来ないが、対処療法くらいは……という自信がヒストリカにはあった。


 そんなヒストリカの自信が伝わったのか、もしくは言っても聞き入れられないと諦めたのか、男が仮面から手を離す。


「ご無理を聞いていただきありがとうございます。それでは、失礼いたします」


 最低限の前置きをした後、ヒストリカは男の仮面とフードを取り除く。


「……っ」


 反射的に男は顔を背けた。

 フードの中から現れた男の素顔は、お世辞にも綺麗とは言い難い容貌だった。


 長めの黒髪は艶もハリもなくぼさぼさで、肌は病的なまでに青白い。

 目の周りは落ち窪んでいて、頬はわかりやすく痩けていた。


(これは、根本的な何かを患っていそうね……)


「……君も、僕を不気味がるのかい?」


 押し黙るヒストリカに、男は失望したように尋ねる。


「……不気味がる? 何故ですか?」

「何故って……」


 今まで会ってきた令嬢は、そうだったから。

 と、どこか寂しそうに呟く男に、ヒストリカは「ああ」と納得のいったように頷く。


 言い方は悪いが、この亡霊か死霊のような容貌は確かに並の令嬢は悲鳴をあげて不気味がるかもしれない。


 しかし、ヒストリカの場合は違った。


「お気になさらず、不気味だなんて、ひとつも思いませんので」


 ヒストリカの言葉に、男の弱々しい目が大きく見開かれた。


 幸か不幸か、ヒストリカは実家の医学書で、人体の解剖図やら悲惨な病気にかかった患者の絵やら、数多くのえげつない絵を目にしてきた。


 それこそ、並の令嬢だと悲鳴もあげる間もなく卒倒してしまいそうなほどのだ。


 加えてヒストリカは、人を判断する際には外見ではなく内面を見る事を信条としている。

 外見は良くても中身が終わってるパターンを嫌と言うほど見てきたためだ、例えば某クソ婚約者とか。


 それらの経験と信条もおかげでもあって、男の素顔を見てもヒストリカは一切動じなかった。


 それどころか……。


(ちゃんと栄養をとって肉付き良くなったら、なかなかになりそうね……)


 顔立ちに傷のようなものも見当たらないし、鼻梁はスッと通っているし。

 よく見ると歯並びも良く、目元も整っているため、これは磨けば光る原石というやつでは……。


(……って、病人を前にして何を考えているの)


 頭を振って、ヒストリカは未だに呆然としたままの男に向き直る。


 現状の症例から頭の中に浮かんだ病名。

 その病気を判断する方法を記憶の底から引き出した後、男に尋ねる。


「今、喋れますか?」

「喋れは、する……」

「ありがとうございます。頭痛やめまいなどはありますか?」

「ガンガンするような感じだ……めまいは……ある」

「なるほど。だるさや吐き気は?」

「全体的に……だるくて立っていられなかった。吐き気は……無い」

「ありがとうございます。ちょっと、口を開けていただけますか?」

「んあっ……」


 男が口を開ける。

 しかし、月明かりだけではよく中が見えない。


「すみません、少し向きを動かしますね」

「んがっ……!?」


 男の頭に手をかけて、月明かりの方にゆっくりと向かせる。


「な、何を……」

「口の中の赤みが少なく、白っぽい……」


 男の口の中をまじまじと見つめつつ真面目な表情で呟くヒストリカ。

それ以上抗議する事なく男は沈黙した。


「ありがとうございます。もう閉じて大丈夫です。では次に、下の瞼の裏を見せてもらっていいですか? 片方で大丈夫ですので」

「……わかった」


 言われた通り、男は両瞼の下を指で捲るように引っ張った。


「ふむふむ……なるほど、わかりました。おそらく貧血ですね」

「貧血……」

「専門的な用語を抜きで言うと……血の中にある、とある成分が不足していたり、全身への回りがよくなかったりすると起こる症状ですね。なので……」


 おもむろにヒストリカは、男の腰に回されたベルトに手をかけた。


「お、おいっ……何を……」

「たぶんこれの原因のひとつなので、外せば多少楽に……やっぱり、相当きつく締めてますね」


 困惑する男に構わず腕に力を込めて、ヒストリカは男のベルトを外す。


 瞬間、男が大きく息を吸いこんだ。

 萎んでいた胸部、腹部に膨らみが戻る。


 今頃、ベルトの締め上げで詰まっていた血液が全身に行き渡っている事だろう。


 水中から地上に戻ってきたかのように、男は何度も深呼吸をした。。


「よいしょ……」


 それからヒストリカは、男の両足を持ち上げ地面から二十センチほどの位置で止めた。


「それは……何をしているんだ?」

「頭に血を送っているのです。めまいや頭痛は頭に血が充分に行き渡らない事で起こっているので」

「なるほど……足を上げる事で、血が上半身に巡るようにしているんだね」

「ご明察の通りです」


 しばらくして、ヒストリカは尋ねた。


「気分はどうですか?」

「……少し、楽になったよ」


 言葉の通り、浅かった呼吸は平穏を取り戻している。

 心なしか、青白かった顔色に赤みが差しているように見えた。


「良かったです。とはいえ、行ったのは応急処置なので、根本的な治療とは言えませんが……」

「いや……それでも、助かった」


 男がヒストリカの方を見て、言う。


「ありがとう」


 その言葉に、ヒストリカは微かに目を見開いた。


「……いえ、どういたしまして」


 きゅ……と唇を結ぶ。


 いつぶりだろうか。

 人に、ありがとうと感謝されたのは。


「もう、大丈夫。起き上がれそうだ」


 そう言って上半身を起こそうとする男の胸に、ヒストリカが手を当てる。


「ダメです。もうしばらく安静にしてください。立っていられなくなるほど、身体に負担がかかっていたのですから」

「立てなくなるのはいつもの事だ。だから、問題ないよ」


 ”いつもの事”?


 聞き返したい言葉ではあったが、強い意志の籠った声にそれ以上何も言えなくなる。


 というか、これ以上はこちらが何かしらの要求をするべきでは無いとヒストリカは思い至った。


 冷静に考えて、今のこの状態は色々とまずい。

 主に、不敬的な意味で。


 先程までは急を要していたため、男の容態を改善することだけに頭がいってしまっていた。


 しかし冷めた頭でよくよく考えてみると、男が自分よりもずっと身分の高い位の者だった場合……お世辞にも、下の身分の者として正しい振る舞いをしていたかと聞かれると、自信を持って頭を縦は触れない。


 医療行為とは言え、自分は医者でもなんでもない。

 付け焼き刃の知識で質問攻めにし、隠していた(であろう)素顔を見せてもらい、ベルトに手をかけ、両足を持ち上げエトセトラエトセトラ。


 背筋にサーッと、冷たいものが走った。


「そ、そうですか……では、人を呼んできますので、せめてしばらくじっとしていてください。ついでに、お水も貰ってきますので」

「ああ……わかった。重ねてすまない」


 男の状態的にもう、一時的に離れても大丈夫だろうという判断もあるが、一旦人を呼んで、自分の手から事態を手放したいという思いがあった。


 色々と事情聴取されるだろうが、それは致し方がない。


 立ち上がるヒストリカに、男が尋ねる。

 

「君、名前は?」

「ヒストリカ・エルランドです」

「ヒストリカ……」


 男がその名を反芻している間に、ヒストリカは「では……」と頭を下げて足速に屋敷に戻った。


「あ、いけない……」


 屋敷の廊下をそそくさと歩いてる途中、お相手の名前を聞くのを忘れていた事に気づいた。


 立ち止まるも、すぐに歩みを再開する。

 今更戻るのも変だし、人を連れてきた後で伺おう。


 そう、ヒストリカは決めるのであった。



 ……しかしこの日、ヒストリカは男の名を聞く事ができなかった。


 ホール近くの廊下を歩いていた使用人に声をかけ事情を説明し、夜会を主催したローレライ侯爵お抱えの医者と共にバルコニーに戻るとそこに男の姿は無く、ビリビリに破いたヒストリカのドレスの切れ端だけが残されていたから。

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