【創作百合】短編集

小坂あと

姉に片思いする姉妹百合

ガムを噛む













 ガムを噛む。


 姉は出かける前にたまに、グレープフレイバーの甘い匂いをその口元に纏わせる。


 そのガムを噛む時は…絶対に、恋人と会うときと決まっている。


 エチケットなのか、それとも噛みたい気分になるだけなのか。分からないけど、デートの日には紫色のひと粒をかわいい口の中へと放り込む。


「いってきまーす」


 そして甘ったるいようなフルーツの香りを残して、家を出る。

 

 2つ年の差のある姉は、かわいい。


 オシャレにも気を使って小奇麗にしてるからまあまあモテる。だから当たり前のように恋人もできる。


 家族にも他人にも優しくて、だけど私の前だけではわがままで意地悪で。それがたまらなくかわいくて、胸が痛くて、さびしくて。


 恋人が、羨ましい。


 かわいい姉を独り占めできて、ずるい。


 いつからか、私は同性であり家族である相手に対して気持ちの悪い感情を抱くようになっていた。


 正直に言うと、性的な目で見てる。実の姉を。


 私と違って色素の薄い髪の毛や瞳、袖から伸びる細くて白い腕や二の腕、柔らかそうな胸の膨らみ。


 腰のくびれを、なぞるように見てしまう。


 できることなら、その肌に触れたい。


 ガムを噛む。


 カリ、と固い表面を奥歯で噛めば、すぐにふんわりとグレープ風味の甘い香りが鼻の奥から抜けていく。


 姉の部屋で、姉の使うベッドの上で、姉の香りを纏いながら、ただひたすらに口を動かして天井を見つめる。


 甘いのはあんまり、好きじゃない。


 モヤモヤするから、苦手だ。


 でも、このガムは好き。


 これを噛んでる時はなんだか、姉とキスしてるみたいな気分になれる。


 目を閉じて、キスするほどの近さに姉の顔があったらどんなだろうと考える。


 閉じたまつ毛が目の前にあって、まぶたが下がってても綺麗な二重線はそのままで、色素の薄い前髪はさらりと揺れる。


 そしてきっと、今噛んでるこのガムの香りが鼻孔いっぱいに広がるんだろう。


 唇はどのくらいの温度で、どのくらいの柔らかさなのかな。


 自分の唇を指の腹で撫でる。ほんの少し、乾いて皮膚が浮いていた。


 姉の唇はこんなんじゃなくて、もっとぷるんとしていて、リップ独特の湿り気も纏っている。


 キスしたい。


 ガムを噛む。


 味は少し、薄くなってた。


 だけど匂いは強く残ったまま。鼻の奥にこびりつく。


 恋人になれたら。


 そんな叶いもしないことを、もう何年も願ってる。ひたすらに、想い続けてる。


「ただいまー…って、あれ。なにしてんの」


 扉の開く音と聞き慣れたかわいい声がして、まぶたをうっすらと持ち上げた。


「ガム噛みながら寝たら、危ないよ?」


 さっきまで何もなかった天井に、ぱっちりとした瞳をきょとんとさせた顔が映る。


 色素の薄い髪が私の顔に垂れてきて、ふんわりとグレープの匂いを含んだ姉の甘い香りがした。


「……寝てない」

「てか、わたしのガム食べた?めっちゃ匂いする」


 無防備に顔を近づけてすんすんと鼻を動かす姿を脳に焼き付けて、今なら頭の後ろを掴んで寄せればすぐにキスできちゃいそうだ、なんてことを企んだ。


「そのガム好きなの?今度から買ってきてあげよっか」


 でもそんなこと、しない。できない。


 姉の顔はすぐに離れて、私の脇に腰を降ろす。


 後ろ髪の隙間から覗くうなじや、背筋のラインを気付かれない程度に熱い視線でなぞっていく。


「……てかさ、今日」


 姉が、ぽつりと口を開いた。


「別れたんだよね、彼氏と」


 嬉しさと衝撃が半分ずつ。


 次第に嬉しさだけが心臓を覆っていく。


「どんまい」

「冷たくない?失恋したお姉ちゃんに対して」

「だって平気そうじゃん」

「まぁ…そんなに好きでもなかったからね」


 それでもガムは噛んでいくんだ。相手の男のために。


 なんで噛むんだろ…?


「お姉ちゃんさ」

「うん」

「ガム好きなの?」

「いや別に」

「そっか」

「なんで?」

「……いつも噛んでるから」


 変なことを言ったつもりはないのに、私の言葉の何かが引っかかったのか、姉の顔がこちらに向いた。


 想いの欠片もバレないように発言には気を付けてるけど、なんかおかしかったかな。


 どうしてか、姉は僅かに嬉しそうで、どこか悪戯な笑みを浮かべていた。


 その表情の理由が分からなくて、だけどそれもまたかわいく思えて心臓が辛くて、すぐに視線を天井へと戻す。


「いつも噛んでるの、気付いてたんだ」


 茶化すような口調だった。


「そりゃ…匂いするから」

「気になる?なんで噛むか」

「……理由あるの?」

「うん」


 なんだろ。


 それはすごい気になる。


 けど食いつきすぎたらおかしい気がして、あくまでも平常心を保って姉を見た。


 姉は、目を細めてにんまりと笑う。


「あんたが、嫌な顔するから」

「は?」


 思ってもない言葉だった。


 なんで、そんなことで?と疑問に思う。


 そんなに…嫌いなのかな。わざわざ嫌がることするなんて。


 いや、いつもの意地悪か。他の人にはしないくせに、私が嫌がる事は積極的にしたがるから。

 

「そのガム、おいしいよね」


 ギシ、とベッドが軋む音を鳴らして、姉の手が私の体を跨ぐようにして置かれた。


 覗き込むように目の前にきた顔が、なんでもないような仕草で近づいてくる。


 やけに赤い耳に、色素の薄い髪がかけられた。


「ちょっと、貰うね」


 ぱっちり二重の瞳は閉じて、小首を傾げるように首が動く。


 少しかさついた私の唇に、なまめかしいほど潤んだ唇が吸いついた。


 突然のことに呼吸が止まる。


 呆気にとられて口を開けたら、あっさりと口内に残っていたガムを、熱を帯びた舌先によって掬い取られた。


 ガムを噛む。


 今さっきまで私の中にあったそれを、今度は姉がそのかわいい口の中で転がすようにして噛んだ。


「ん…味、しないや」


 眉を下げて、かわいい顔で微笑んだ。


「新しいの、一緒に食べよ」


 そう言ってひと粒、紫色のそれを取り出した。


 固まったまま停止した私の薄く開いた唇の間に、それを半分ほど沈ませて、また顔を落とす。


 柔らかな感触がむように口元を覆い尽くして、


「ん…」


 カリ、と。小気味良い音が鼓膜を撫でた。


「半分こね」


 ずっと、姉が何をしてるのか理解できない。


 感情も思考も追いつかなくて、ただただ僅かばかり顔の赤い姉を見つめた。


 欠けたガムが、舌の上にポトリと落ちる。


 それをクセのように奥歯で噛み砕いたら、甘い姉の香りが内側から鼻孔をくすぐった。


「気付いてたよ、ずっと」


 ガムを噛みながら、姉は微笑む。


「やらしい目で、見てたでしょ」


 悪戯に、目が細まる。


「…嫉妬してるのも、バレバレだったよ?」


 夢なのか、現実なのか。


 上機嫌な声が続く。


「かわいいね、ほんと」


 ガムを、噛む。


 小悪魔みたいに目を細めて笑みを深めた姉が、甘い香りを纏わせながらまた顔を近づけてきた。


 唇が触れて、姉の歯が下唇を甘く噛む。


「お姉ちゃ…」


 真っ白な頭のまま、どうにか口を開いたら、そのタイミングで姉のスマホが音を鳴らした。


 姉は体を離して、なんでもない顔をして手に取ったスマホを耳に当てる。


 私はずっと、口内に残るガムを噛むことも忘れて、ただただ誰かと話す姉の姿を見つめていた。


「……仲直りしてくる」


 電話が終わって、どこか楽しそうに姉が喉を鳴らした。


 きっと、電話の相手は別れたばかりの恋人だったんだろう。


 いやだ。


 反射的に、腕を掴んで体を起こす。


 行かせたくない。


 その思いとは反して、掴まれた腕を気にした様子もなく姉は振り向いて、軽く唇を奪ってきた。


 甘い、香りがする。


「…一生、そうやって嫉妬してて」


 残酷な言葉とは裏腹に、どこまでも優しい仕草で髪を撫でられた。


「行ってくるね」


 掴んでいた腕が、あっさりと離れる。


 白くなって働かない頭では追うこともできないまま、無情にも部屋を出ていく姉の背中を見送った。


 扉が閉まって、急に体の力が抜けて、ベッドシーツに深く背中を沈める。


 ガムを噛む。


 甘すぎるほどのその香りが、今はどうしようもなく心をズタズタに傷付けてきた。


 それが嫌で、痛くなる気持ちごと、無理やりにガムを飲み込んだ。


 喉を通って、胃の中へ落ちてなお、匂いは消えない。


 私はこれからもずっと、こんな気持ちを抱えて生きていく。


 手に入らないと分かってしまった姉を、分かってて意地悪をやめてくれない姉を、それでも諦めきれないまま。


 もうガムなんて無いのに、奥歯をぎゅっと、噛み締めた。

 

 


 

 




 








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