第23話 期末試験
静寂の中、薄っぺらい一枚のプリント紙に、黒鉛の音が刻まれる。
長かった期末試験も、この英語の試験をもって最後となる。
残り時間十分を残して、解答用紙の見直しを終えた俺は、小さく息を吐いた。
いつも通りの手応え。
このままいけば、中の上くらいの無難な成績を修めることができるだろう。
一時はダンジョンの方が忙しくて、下手すれば成績が下がることをも覚悟していたが、店の方を双子に任せられるようになって良かった。
おかげで俺の自由になる時間はだいぶ増え、ここしばらくは、商品の供給の他は、しばらくダンジョンに足を踏み入れず、真っ当に期末試験の勉強に集中することができた。
(と、いっても、ここで何もしないんじゃあ、魔王になった意味がないしな。いつも通りにやるか)
俺は軽く肩を鳴らして、クラスメイトたちの背中を横目で見る。
それなりにきちんと勉強してきた奴は、もう解答を終えている時間だ。
俺は、クラスの中でも頭の良さそうな奴を見繕って、『憑依』していく。
前は犬ごときにもはねつけられた俺の能力だったが、今はあれから何段階も強化されているので、すんなりと対象の意識に入り込むことができるようになっていた。
絶対にバレないと分かっているとはいえ、これでも最初はかなりドキドキしたものだ。
しかし、何回繰り返しているうちに、あっという間に感覚が麻痺してしまい、今は答案の見直しと同じ程度の作業感覚になってしまった。
早速、他人様の解答を盗み見て、答案に反映する。
とはいっても、いきなり満点を狙うようなアホな真似はしない。
現状、平均ちょい上の俺の点数が急に上がれば、『憑依』に関係なく、普通にカンニングを疑われてしまうだろう。
なので、俺は、自分では気がつけなかったケアレスミスや、迷った末にミスった選択肢など、『正解していても不自然でない』、箇所を中心に手をつけ、皆が解けないような難問はそのまま放置しておく。
全体平均としては、いつもより+5~10点くらい点数を底上げするイメージだ。
このくらいの上昇幅で徐々にテストの点数を上げていけば、次の学期末のテストでには、『努力した結果、成績上位グループに食い込んだ』ぐらいの成績を取っても不自然じゃない環境を得られるだろう。
最終的には、学年で十番~二十番の間くらいのポジションに落ち着ければ、万々歳だ。
狙おうと思えば、トップ3くらいはいけるだろうが、そこまで目立つのは色々と危険すぎる。
最初はカンニングを疑われてなかったとしても、学年トップなのに授業中に教師に難しい問題を当てられて答えられなかったりする事例が重なれば、怪しく思う人間も出てくるだろうし。
(じゃ、最後は、委員長の答案でも見て、最終チェックをするか)
一通りの答えの拾い上げが終わった俺は、クラスの中で一番成績がいい、『委員長』に憑依して、答案の仕上げにかかる。
見た目通りの、几帳面かつ美しい筆記体で書かれたアルファベットに、ざっと目を通していく。
(うむ。問題ない――って。ん?)
確認を終え、『憑依』を解こうとした俺の視界の端、試験問題の記されたプリントの余白に、違和感のある文字列が存在していた。
『しゃがみ中K→ジャンプ弱Kでめくり→巌落としからの鯉登り 前作よりも鯉登りの対空性能劣化との報告アリ 要チェック 劣化の場合は、コンボをつなげずに五体投地からの大技狙い?』
それは、紛うことなき落書きだった。委員長にとっては、この英語のテストは簡単過ぎて暇だったらしい。
(つーか、委員長、格ゲーマニアかよ)
俺もマニアというほどではないが、格ゲーはたしなむので、委員長の落書きの意味はわかった。
伝統ある格ゲーのシリーズの最新版がつい数日前、アーケードに出たのだ。
委員長はそのコンボを考えていたのだろう。
人は見かけによらないというが、委員長もご多分に漏れず、色々抱えているものがあるらしい。
(ま、魔王なんかやってる俺が言うことじゃないか)
俺はそうセルフツッコミを入れ、『憑依』を解く。
「はい。そこまで!」
試験監督の教師の野太い声が、長きに渡る苦行の終わりを告げ、生徒たちが解放の喜びにざわめき始める。
「ほい。見城」
「おう」
俺は後ろの席の小林から答案を受けとり、自分のそれを重ねて、前の奴に回す。
「いやー、やっと終わったなー」
「そうだなー。小林はこの後、どうする? 久々に遊びに行くか?」
交友関係にあまり積極的でない俺だったが、小林には、日頃、廃棄食品を譲って貰っている関係もあるし、友好を温めておきたかった。
最初は、ゴブリンの餌用に供給して貰っていたコンビニ飯だが、ゴブリンの方はモンスターの肉で十分食わせていけるようになったので、今は奴隷姉妹の重要な食料源になっている。
「もちろんだ! ――と言いたいところだが、今日は親からコンビニの方を手伝えって言われていてな。さぼると小遣い減らされちゃうんだよ。つーことで、悪いがまた今度な」
小林は人好きのする笑みを浮かべて、手を合わせた。
「そうか。じゃあ、また今度な」
俺はあっさり引き下がる。
これで今日の予定は特になくなった。
直接家に帰ってもいいが、試験終わりということもあって、何となくどこかでぶらついていきたい気分ではある。
そんな手持無沙汰な俺の目に、そそくさと筆記用具をしまう委員長の姿が目に入った。
(もしかしたら、この後格ゲーやりに行くのかな)
もしそうだったら、いつもは糞真面目にしか見えない委員長が、どんなキャラを使って、どういう風に戦うのか興味がある。
と言っても、ストレートに『格ゲー好きなの?』とか話しかける訳にもいかない。
(暇つぶしに後をつけてみるか。ついでに『身体能力強化』の実験もしてみよう)
俺はそう思い立つ。
コストが安めだったし、一般人の身体で危険なダンジョンにいるのが、何となく不安だったから取得してみた『身体能力強化』だったが、実際にはほとんど使う機会がなかった。
まあ、使う機会がないような状況を俺自身が作り上げ、安全圏で活動してきたから、当然と言えば当然なのだが、余らせておくのももったいない。
やがて、担任の教師がやってきて、試験が終わったからってハメを外し過ぎないようになどの、テンプレ的なお説教もありつつ、テストは終了。
各自、三々五々、教室から出ていく。
委員長の行動はその中でも特に機敏であり、教師の話が終わるやいなや、誰とも馴れ合うことなく、競歩かと思うほどの早足で教室を後にする。
俺も小林と軽く挨拶を交わしてから、それとなく急いでいる雰囲気を出してその後を追った。
それでも、すぐに委員長には距離を離され、俺が下駄箱で靴を履いた時には、もうすでに彼女は校門のすぐ後ろまで進んでいた。
(じゃ、まずはとりあえず、視力と、聴力と、脚力を強化してみるか)
一瞬、吐き気がした。
校門の先の、一軒家のブロック塀の、そこにへばりついたカタツムリの、触覚の形までが鮮明に見え、さらにそれでも収まらず、顕微鏡のようにその茶色い細胞の一つ一つを明らかにしていった。
生徒の笑い声が、爆弾のような大音声で炸裂し、俺は耳を塞ぐ。
しかし、すぐに調節のこつを掴み、テレビのボリュームを下げるような感覚で、それぞれの身体機能を調整していく。
視力は双眼鏡くらい。
聴力は、普通×1・5倍くらいの性能。
脚力は、まあ、真面目にやってるマラソン選手くらい。
ぼちぼち強化が済んだところで追跡を開始する。
つかず離れずの距離を保ちながら、委員長の黒髪を追った。
街のしょぼいアーケード街にあるゲーセンに入るかと思えば、そこはスルー。
そのまま駅へ向かう。
うーむ、俺の推測が外れたか。
そう思いつつも、追跡はやめない。
委員長が待っているホームに来る電車は、この近くで一番の繁華街の方へと向かう。
あてが外れたら、普通に繁華街で色んな店を冷やかして帰ろう。
そんなことを考えながら、委員長と同じ電車に乗る。
委員長は、三駅くらい先の、何の特徴もない駅で降りた。
慣れた足取りで道を行く。
やっと彼女が立ち止まったのは、小汚いビルの前。
その二階にあるのは、このご時世にもなって外から中が見えないようにブルーガラスが張られた、ゲーセンが『不良の溜まり場』と呼ばれていた時代の遺物だった。
その懐古じみた佇まいは、男の俺でも一瞬入るのに躊躇するような『一見様お断り』臭を醸し出している。
しかし委員長は躊躇することなくそのビルの中に入って行く。
ここまで来て引き返すのも癪だった俺は、しばらく間を置いて、ビルの二階に足を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます