第22話 ☆ third visitor 姉妹
トカレが妹のシフレと共に、風変りな魔王の下僕となってから、七日が経った。
どこかの富裕な商人かと思っていたら、まさかの魔王だった時は、今後どうなることかと思ったトカレだったが、思ったよりも待遇はずっと良かった。
トカレと妹が寝返りをうてるくらいの広さがある個室を与えられ、食事は何と、一日、三食も出てくる。
最初は、その料理の濃すぎる味付けにちょっと慣れなかったが、素材自体は村にいた時も滅多に食べられない肉も頻繁に出て来るから、慣れればごちそうだった。
前は一日、一食、それも、マダムタッソーの嫌がらせで死にたくなるほどまずい食事しか与えられてなかったから、それに比べれば天国のようだ。
太陽が見えない迷宮の中というのは残念だったが、光の差し込まなさでは前の牢獄も同じようなものだったから、不満はない。
「お姉ちゃん……交代――だよ」
「わかったわ。何か、情報はあった?」
労働は、一日の半分――魔王ジューゴの言うところの、十二時間がその単位で、シフレとの交代制だった。楽ではないが、来客の頻度には波があるので、ちょこちょこ小休止はとれる。
「ごめんなさい……。まだ、お仕事を覚えるので精いっぱい、だから」
シフレが申し訳なさそうにもじもじ指を擦り合わせて言った。
「いいのよ。急かすつもりはなかったの。情報収集は私に任せておいて」
仕方ない。
人見知りの妹にしては、ちゃんと接客ができているだけでも十分に頑張っているということは、トカレには分かっていた。
ただの村娘であった自分に、商売などが務まるか不安だったが、やってみれば案外、大したことはなかった。
商品の勘定は、ジューゴから与えられた魔法の道具の使い方を覚えるだけでよかったし、しばらくすれば、そんなものに頼らなくても簡単な計算なら、暗算でできるようになった。
トカレは、元々、物怖じしない性格を自負しているだけに、気の荒い冒険者の相手も苦にはならなかったし、時に、暴力に訴えようとする者がいても、ジューゴの仲間らしい女の子の魔物が一睨みするだけで退散してしまう。
万が一の時には、お父さんとお母さんが残してくれた守護の祝福が、トカレと妹を助けてくれるだろう。
「ううん。私も、頑張る。お姉ちゃんほどには、上手くできないかもしれないけど」
「そう? 無理はしないでね。――全く、あいつも、シフレを不特定多数の客に接客させるなんて何考えているのかしら。少しは適材適所ってものを考えればいいのに」
奴隷に三食食事を与えられるほどの金持ちなら、もっと人材を派遣する余裕くらいはあるはずだ。
接客は自分のような社交的な性格の者に任せて、シフレには、料理とか掃除とか、奥向きの仕事をさせた方がいいに決まってる。
「でも、ご主人様は、いい人、だよ?」
シフレが遠慮がちに反論してきた。
「あんな奴のこと、ご主人様なんて呼ばなくていいのよ。立場がどうであれ、心まで奴隷になる必要はないんだから。大体、あんな奴のどこがいいのよ」
「だって、ご主人――、ジューゴさんは、……おいしいご飯も食べさせてくれるし、お風呂も入らせてくれるし、私たちのことを、悪く言わない、から」
シフレはそう言って、口元をほころばせる。
妹があの魔王を好意的に思っているらしいことが、トカレには気に食わなかった。
しかし、確かに、シフレの言うことも一理ある。
彼自身が魔王なのだから当然なのかもしれないが、ジューゴには、ラスガルドの多くの人間たちがトカレたちに抱くような偏見は感じられなかった。
誰に対しても平等に不遜なだけである。
「まあ、それはそうかもしれないけど……。人買いで、しかも、魔王よ? いい人な訳がないでしょう」
シフレは顔をしかめる。
「貴族の人は、みんな、奴隷を持っているよ。ジューゴさんが、魔王なのは、怖いけれど、少なくとも、勝手に、私たちが、魔王の仲間だと決めつけて、お父さんとお母さんを殺した、奴らよりはマシ、じゃない?」
「それは……そうね。確かにクズだとしても、あいつは自分の行動を誰かのせいにはしてないものね。神様のせいにして、私たちを殺しまわった聖光教徒よりは、マシだわ」
トカレは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「じゃあ、お姉ちゃんも。ジューゴさんのこと、好き?」
「好きじゃないわよ。あいつは私たちのことを卑猥な目で見てくるじゃない。この前だって、私たちの身体や胸の大きさを執拗に聞いてきたでしょ」
「それも、別にジューゴさんだけの、ことじゃ、ないよ。男の人は、みんな、そう。隠しているか、隠していないかの、違いしか、ないよ。それに、今のところ、私たちが、子孫を残せる相手は、ジューゴさんしか、いないんだよ」
「なにを言ってるのよ。シフレは、村のみんなを探すんでしょ。村の男を探して、結婚すればいいじゃない!」
トカレは励ますように大きな声を出す。
「大きい男の人は、ほとんど、殺されたよ。小さい男の子は、奴隷にされたけど、みんな、別々の所に連れていかれたから、全員、見つけるのは、無理だよ」
シフレは静かに首を振った。
「それでも、何人かには会えるかもしれないじゃない!」
「一人か、二人は、会えるかも、しれないね。でも、その会えた子と結婚するのは、魔王様の情婦になるのと、何が違うの? 恋をして、結婚するんじゃないことは、同じだよ。事情に迫られて、仕方なく、結婚するんでしょ。他に村の人はもういないから。私たちと結婚してくれるのは、魔の血が入った人だけだから」
シフレが悟ったような顔で言う。
「ち、違うでしょ! 魔王と結婚しても、私たちはこのダンジョンに縛り付けられるだけだけれど、村の男の子と結婚すれば、村を再興できるかもしれないじゃない!」
トカレは希望にすがるように叫ぶ。
「お姉ちゃんも、本当は、分かってるんでしょ。もし、村の男の子が見つかって、しかも、万が一、ジューゴさんが私たちを解放してくれたとしても、村はもう、立ち直れないよ。敵に、占領されているから」
「それは、私たちの国が、再び力を盛り返して、村を奪還してくれれば――」
「それでも、村は、戻ってこないよ。私たちの国の人は、私たちが襲われても、助けの兵士はよこしてくれなかったよ。それどころか、近くの村の人は、私たちのせいで戦争が起こったって、罵ってきた。きっと、私たちの国の人も、みんなそう思ってる。だから、土地は返してくれないと思う」
シフレが悲しげに目を伏せる。
妹の言うことを、トカレは身をもって知っていた。
憎しみには、理性は通用しないのだという悲しい事実を。
「……そうだけど、どこかの新天地で、根を張ればいいじゃない」
「『禍つモノ』の私たちには、どこにいっても、まともな仕事は、ないよ。旦那様にも、子どもたちも、私たちも、辛い暮らしを、することになる、よ」
「だから、あの魔王に身を任せるの?」
シフレの言っていることは正しい。
正しいと頭では分かるのだけれど、それを全面的に認めるのは、何だかトカレは釈然としなかった。
「子孫を、繁栄させるには、それが一番の方法、だよ。大体、私たちには、お父さんとお母さんの、魔法がかかっているから、このままだと子どもが、作れないよ」
両親がトカレたちにかけてくれた呪いは、盾であると同時に棘でもある。
「あの、ノーチェとかいう神官は、入信するなら呪いを解いてやるとか言ってたけどね」
魔王が店をやっているのにも驚いたが、そこに魔族嫌いで有名な聖光教徒の教会があるのにはもっと驚いた。
神の使命だと言って、ノーチェに暇がある度に勧誘されるのには困ったものだが、魔王自身は、聖光教徒を鬱陶しそうな目で見てるので、彼自身が信者ということはなさそうだから、信仰を強制されることはないだろう。
「でも、お姉ちゃん。入信なんて、したくないでしょ」
「絶対に嫌ね。お父さんとお母さんを殺した奴らの仲間になるくらいなら、奴隷の方がマシよ」
ノーチェは、トカレの両親を殺した教徒と、ノーチェたちとは宗派が違うと言い訳していたが、そんな理由で納得できるはずがない。
「なら、結局、子どもを作りたければ、お金を払って、呪い解除してもらうしかないっていうことに、なるよね。でも、それには、すごいお布施をとられるって、マダムタッソーが、言ってたでしょ。今の私たちの周りで、そのお金を払えそうなのは、ジューゴさん、くらいだよ」
どうやら、早くもシフレにはあの魔王のものになる覚悟ができているらしい。
「でも、じゃあ、シフレは、何であの時、ジューゴに村のみんなを探したいなんて言ったのよ」
「将来的に、ジューゴさんに、まとめて私たちの村の人間を引き取ってもらえれば、奴隷としてでも、村の男の子と夫婦になって、子どもをなせるかと思ったの。でも、多分ダメみたい、だね。ジューゴさんは、男の奴隷を欲してないみたいだから」
シフレが残念そうに呟く。
「シフレ。あんた……、そんなことまで考えてたの」
トカレは感心すると同時に、自分の浅慮が恥ずかしくなった。
復讐で頭がいっぱいだった自分と違って、妹はあの少しの時間で、そこまで深いことを考えていたのかと。
人前に立つ機会が多いから、他人にはトカレの方が勝ち気に見られることが多いが、本当に内面的な芯の強さを持っているのは妹の方なのだ。
「うん。考えていたけど、一番は、単純に、どんな形でも、村のみんなにもう一度、会いたい、だけ、だよ」
そう言って目を潤ませるシフレを、トカレはそっと抱き締める。
「わかったわ。まだ、あいつに純潔を捧げるほどの覚悟は、私にはできないけど、何とか仲良くやっていけるよう、私も努力するわ」
好きとは決して言えないが、今の待遇に、心の奥底では感謝している自分がいることに、トカレは気が付いていた。
それでも、反発しがちなのは、今の奴隷という立場に対する不満を、ジューゴに対して転嫁しているだけであって、本人のことを忌み嫌っている訳ではないのだ。
「無理に、好きになろうと、しなくてもいいんだよ。でも、ジューゴさんの悪い所を探すよりは、いい所を探して、なるべく、今を楽しんだ方が、あの世にいるお父さんとお母さんも、喜んでくれると、思う、の」
シフレはそう言って、気丈にも微笑を浮かべる。
「ういーっす。元気か。おっ、二人いるな。ちょうど良かった」
何となく穏やかな雰囲気になった二人の部屋に、噂の魔王が、ノックもなく侵入してくる。
「な、なによ!」
トカレはつい勢いで、ジューゴを睨み付けてしまう。
「なにって。お前らへの配給に決まってるだろ。ほい。まずはこれが今日の飯な」
しかし、ジューゴは大して気分を害した様子もなく、ツルツルした袋を差し出してくる。
その中には同じく、滑らかな袋で梱包された食糧が入っていることを、トカレは知っていた。
よく考えれば、普通、奴隷がこんな態度を取れば、打擲されるのは当たり前である。呪いがあるから体罰は加えられないにしても、罵られるのは当然だ。
しかし、ジューゴは細かいことは気にしない性格なのか、全然怒らない。
シフレの言う通り、ジューゴの良い所を見つけようと努めるならば、器が大きいということになるのだろう。
「ご主人様。ありがとうござい、ます。――ほら、見て、お姉ちゃん。今日は、お姉ちゃんの好きな、お菓子も、入っているよ。豪華、だよ」
シフレがトテトテとジューゴに駆け寄り、袋を受け取ると、嬉しそうにその中身をトカレに見せびらかしてくる。
「それは、シフレも好きなやつでしょ。私はいいから、先に好きなのを選びなさい」
トカレはそう勧め、妹を愛おしげに見つめる。
双子だけあって、トカレと妹の味覚は似通っていた。
そして、きっと他の趣味も――。
「待て待て。まだ、喜ぶのは早い。今日は、さらに良い物を持ってきてやったぞ」
ジューゴはそう言って、背負っていたリュックを逆さにして、中身を床に広げる。
スカート、ブラウス、チェニックにワンピーズ。全部女物の服だ。
どれも、貴族の娘が着るような、フリルやレースなどの凝った意匠がついている。
「わあ。すごいです。これ、私たちにくださるんですか?」
シフレが目を輝かせて、服を手に取り、生地の感触を確かめるように撫でた。
「ああ。そのためにこの前色々身体のサイズを聞いただろ? まあ、全部中古だけどな」
トカレは、すでにジューゴから与えられていた、ぶかぶかで丈の余った自分の服を見る。
村娘のトカレにとっては、服はサイズも年齢も合っていない中古のものを仕立て直して着るのが当たり前だから、気にしてもいなかった。
むしろ、マダムタッソーの服に比べれば、清潔で布面積も広かったから十分満足していたのだが……。
「じゃあ、この前、胸の大きさとかを聞いてきたのは、私たちに合う服を探すためだったの?」
トカレが目を見開く。
「当たり前だろ。女体に興味はあるが、お前らの揉めも吸えもしない身体の、おっぱいの数値だけ聞いて何になるっつうんだよ。お前らにやらせてるのは一応、接客業だからな。いつまでも男物の服を着せておく訳にもいかないんだよ」
魔王はこともなげに答えた。
「……魔王の癖に、どうでもいいことに神経質ね」
言葉とは裏腹に、トカレは微笑む。
シフレの言うように、もしかしたら、本当にいい人なのかもしれない。
「お姉ちゃん。早速着てみようよ」
シフレがトカレの袖を引く。
色々、嫌なことばかり続く人生だけれど、今は奴隷なのに、オシャレを楽しめるこの境遇を喜ぶべきなのだろう。
「そうね。……じゃあ、ジューゴ、出ていってくれる?」
トカレは、出来る限り棘のない柔らかい口調で、ジューゴの退室を促す。
「いや。出て行かないけど?」
ジューゴは即答し、きょとんとした顔で首を傾げた。
「なっ。の、呪うわよ!」
「何でも呪いを出しときゃ俺を思い通りに動かせると思うなよ。マダムタッソーの店でのお前らの服はほぼ下着丸出しだったんだから、この程度で何かなる訳がない」
ジューゴが自身満々な笑い浮かべ、断言する。
「こ、こいつ……」
一瞬でも、この魔王のことを見直してしまった自分が馬鹿だった。
「ご主人様は、どんな格好がお好きですか。私は、ご主人様のお好きな格好をしたいです」
歯噛みするトカレを尻目に、シフレは何着かの服を持って、ジューゴに歩み寄っていく。
「シフレ!? ちょ、ちょっと、あんた、何言ってんの! こいつに、裸見られてもいいの!?」
「恥ずかしいけど、今更、だよ。他のご主人様の前では、普通に着替えていたのに、ジューゴさんの前だけ、気にするなんて、おかしいもん」
トカレに肩を揺されたシフレが、淡々と答える。
「そうだそうだー。差別反対ー、ご主人様は平等に扱えー。さ、シフレは気にせず着替えろ。俺の好みは、そっちのワンピースだ」
ジューゴが軽い調子で、腕を上げる。
「わかりました。ご主人様」
シフレが頷いて、自分の着ている服に手をかけ、上着の裾をたくし上げていく。
いけない。
シフレは納得しているような口ぶりだけど、恥ずかしいことにはかわりがないのだ。
ここは、姉として、ジューゴの視線を自分にひきつけなくては。
その間に、シフレを着替えさせるのだ。
「み、見るなら! シフレじゃなくて、私の着替えを見なさいよ!」
トカレは決死の思いでそう叫び、上着を脱ぎ捨てる。
「ほお、お主も好きよのう。いいと思うぞ。口では、なんだかんだ言っても、生物はみんなエロいんだからな。もっと開放的になっていいんだぞ!」
ジューゴがにやにやした笑みを浮かべて、的外れな言葉を繰る。
「お姉ちゃん……大胆」
シフレまでが口を手で押さえて、頬を染めた。
「そ、そ、そ、そ、そういう意味じゃないからああああああああああああああああ!」
トカレの全力の否定が、木霊となって迷宮の一室に反響した。
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