122# セカンドプラン

 帝国は、王国を侮らない。


 半世紀前の戦争にて、一人の魔人に戦況を良い様にされたから——というのも当然ある。


 《暗き死神》——魔人化している間は正しく不死身であり、疲労する事も無い。


 魔人化——肉体を魔物へ変容させる《生成なまなり》の長時間の行使は、非常に危険な行為である。


 精神に異常をきたし、人に戻れなくなる場合もある。


 故に、原則として《生成なまなり》の行使は短時間、その上で膨大な魔力を消費する。


 それは人が人を超越した強大なる力を行使する上での、相応の制約。


 ローファスでさえ踏み倒す事の出来ない、避けようの無いリスク。


 しかし、その前提としてある制約とリスクを嘲笑うかの様に踏み倒し、長時間の魔人化——《生成なまなり》を行使する存在がいる。


 《暗き死神》ライナス・レイ・ライトレス。


 ライナスは現存する魔法使いの中で唯一、《生成なまなり》の長時間使用を可能としており、アンデッドの特性を持ち合わせている事で死ぬ事も無く、疲労も無い。


 ライナスが《生成なまなり》の長時間行使を可能としている理由は、大きく分けて二つ。


 一つは生まれながらに天才的な魔力制御能力を持つ為、魔人化した状態でも感覚的に魔力を効率に運用し、自己保管の範疇に収めている事。


 そしてもう一つは、恐らく既に精神に異常を来している事。


 この二つの要因が、《生成なまなり》デメリットを帳消しにしていた。


 殺しても死なない魔人が、疲労も感じる事無く長時間暴れ回る——それは帝国側からすれば正しく、悪夢。


 科学の帝国と魔法の王国の戦争——それは百年という長期に渡るものだった。


 先に仕掛けたのがどちらなのかも曖昧、いずれの国も相手側が攻めて来たと主張していた。


 そんな百年戦争を終わらせたのが、《暗き死神》。


 降って湧いた様に突如として現れた《暗き死神》を前に、優勢だった帝国軍は為す術も無く、王国に停戦を訴え出る事しか出来なかった。


 公的には停戦——しかし、実質的には帝国側の敗戦であったといえる。


 単独で戦況を左右する実力者の存在——戦略兵器にも比肩し得る者の保有。


 そんな将棋盤を引っくり返す様な規格外。


 それに対抗するべく、帝国は準備を積み重ねていた——半世紀もの年月を掛けて。


 実に五十年越しの王国侵略——この画を描いたのは、帝国軍科学部門の最高責任者、《人類最高の頭脳》テセウス。


 テセウスは緻密な計画の元、此度の王国侵略を決行した。


 魔人化ハイエンドに並び得る、人を超える技術——機人化デストラクションの開発と、使用者の量産。


 無人兵器《機獣》の、自動量産工場——“工場プラント”の配備による大量生産の確立。


 これにより、王国を相手取るに充分過ぎる程の準備が整った。


 機人化デストラクションを可能とする者二十名以上と、不死の肉体を有する強化人間サイボーグ千名からなる航空大隊。


 総数五万以上の《機獣》の大群。


 準備されたそれは正しく、過剰な程の戦力。


 しかし、テセウスはそれでも満足しなかった。


 襲撃の準備を終えた後も、只管に機を待った。


 《第二の魔王》による王都襲撃——絶好のタイミングかと思えたが、それでも待った。


 テセウスは知っている——単身で盤面を引っくり返す規格外な人間の存在と、その理不尽さを。


 過去はライトレスの《暗き死神》ライナス。


 そして現在は、レイモンドやローファス、アベルなどの、次代の規格外。


 “特級戦力”——単身で国すら滅ぼし得る力を持つ者達。


 本来の史実とは異なる歴史を歩み始めている現状、テセウスはより慎重に計画を進める。


 そして、王都襲撃の鎮圧に多大なる貢献をした英雄——ローファスが南方への遠征に出た時、テセウスは王国襲撃を決行した。


 目的はステリア領の陥落。


 先ずは長きに渡り国境に居座り続けているステリア領を落とし、拠点とする。


 ステリアが手中に入れば、陸路からの侵略も可能となり戦略の幅が大きく広がる。


 五十年もの歳月を争いの無い平和という名のぬるま湯の中過ごしたステリア程度、用意した戦力ならば落とすのに三時間も掛からない。


 戦時中は脅威とされていた《白き魔神》イヴァンも年老い、現役を退いている。


 唯一の懸念は現役の《剣聖》が常駐している事だが、それも上級兵が複数名で当たれば苦戦無く討ち取れるだろう。


 レイモンドは行方不明、ローファスは南方、アベルはリルカ率いる《緋の風》と共に飛空艇で王国西方にある火山地帯——どうやら加護・・を得る為の試練に挑んでいる様子。


 帝国側は王国中に飛ばしている偵察ドローンを介してこれらの情報を得ていた。


 まるで盤面を見ながら戦略を組み立てる様に、テセウスは緻密な襲撃計画を立てた。


 王国ステリアの襲撃に、規格外の横槍が入る事は無い。


 ステリア占領は投入した戦力的にも確実——しかし《人類最高の頭脳》たるテセウスは、成功が約束されていようと決して余念を許さない。


 不測の事態というものは、予測出来ていないから起きるもの。


 この世の全ての事象を観測出来ていない以上、不測の事態に対する対策は常に用意する必要がある。


 そんなものは不要だ、そう帝国軍の上層部は言った。


 しかしテセウスは意見を曲げなかった。


 神は賽を振らない。


 同様にテセウスも、運任せになどしないし、当然神に祈る事もしない。


 徹底した計画を積み上げ、成功率を少しでも100%に近付ける為、様々な対策を用意する。


 故に当然——王国襲撃が失敗した場合のスペアプランも幾つか用意している。


 その内の一つの発動条件トリガーは——《機獣》の群勢の数が半数以下になった時。


 “それ”は、万が一航空艦隊と《機獣》の群勢が壊滅した場合でも、単体で王国ステリア領を陥落させ、王国に多大なる被害をもたらすだけの力を有する。


 最終決戦兵器——機体名“jab-wock1719”。


 通称——《ジャバウォック》。


 その兵器は、翡翠の魔力を宿していた。



 それは、本能的な感覚だった。


 高速で近づいて来る魔力反応を察知しているにも関わらず、視覚的には何も捉えられない。


 感覚の食い違いによる違和感も当然あるが、それ以上に己の生存本能ともいうべき部分が、大音量で警鐘を鳴らしていた。


 死を肌で感じるかの様な、悪寒、怖気。


 それはかつて《第二の魔王》越しに感じた、魔人化したローファスと対峙した時の感覚に近い。


「——ッ」


 気付けばレイモンドは、無意識の内に魔人化を果たしていた。


 魔人化ハイエンド——《白翼聖天》。


 形状フォルム熾天使セラフィム


 それは、王国史から見ても最高峰のスペックを誇る魔人化ハイエンド


 しかし直後、レイモンドは吹き飛ばされる——より正確には、突っ込んで来た“何か”に押される形で。


 不可視の“何か”——あまりの衝撃と力に受け流せず、地面を引きずられる。


 そうしている今も尚、首元を見えない腕に掴まれている感覚だけがあった。


 不可視、透明化している“何か”。


 視覚的に姿を確認出来ずとも、至近距離から翡翠の魔力の存在感がひしひしと伝わってくる。


 魔力の流れも術式も見えない。


 この不可視化は魔法ではないのか、とレイモンドは目を細めつつ、三対六枚の白翼を羽撃かせた。


 光の魔力が乗った大気の塊を至近距離でぶつけられた不可視の何かは吹き飛び、射線上にあった岩場に叩き付けられる。


 その衝撃で不可視化が解け、透明なカーテンが剥がれる様にその姿を晒す。


 形状は人型、背には一対の金属の翼。


 その双眸をエメラルドの如く翡翠に輝かせながら、無機質にレイモンドを捉えていた。


 人型兵器、ジャバウォックを見たレイモンドは目を細める。


『——人間…?』


 身に纏う装甲も翼も《機獣》と同様に鉛色の金属——超合金。


 しかし装甲の内より覗かせる青白い肌は、レイモンドの見立てでは間違い無く人間のもの。


 ジャバウォックは喋らない。


 ただただ無機質に機械的に、レイモンドという障害を排除する為に行動する。


 ジャバウォックが徐に垂れ下がっていた手を上げ、人差し指をレイモンドに向けた。


 瞬間、ジャバウォックの装甲より無数の光の球が発散されると、翡翠の軌跡を描きながらレイモンドを狙い撃つ。


 数多に飛来する光の球の弾幕を前に、レイモンドはその身を光の粒子へと変えて姿を消した。


 転移魔法《移ろう蛍火ルシオルムーヴ》。


 次の瞬間、ジャバウォックの背後に光と共に姿を現したレイモンドは、光の槍を背中より突き刺す。


 光の槍を伝う様に、血が流れ落ちた。


 それは明確な血液。


 やはり人間なのか? とレイモンドは眉を顰めるが、胸を貫かれたジャバウォックは表情一つ変えず、苦悶の声すら漏らさない。


 ジャバウォックは胸から突き出された光の槍を静かに掴むと、無機質な目をレイモンドに向ける。


『痛みが無いのか…?』


 言い知れぬ不気味さを感じるレイモンド。


 そんな折、先程躱した筈の光の球の弾幕が、方向転換してレイモンドに向けて迫っていた。


 誘導弾かとレイモンドは舌を打ち、その場から離れる為、ジャバウォックより光の槍を抜こうと力を込める。


 しかし光の槍はぴくりとも動かない。


 槍が抜けぬ様、ジャバウォックが握り締めて固定していた。


 迫る光の球の弾幕。


 ジャバウォックは——逃げる素振りを見せない。


『正気か…?』


 レイモンドは槍を手放し、光の粒子と共に姿を消す。


 直後、光の弾幕が残されたジャバウォックを襲った。


 凄まじい光の奔流が吹き荒れる。


 爆発と共に、天を突く程の光の柱が立った。


 ジャバウォックが居た爆心地には、巨大なクレーターが形成されていた。


 地を穿つ、地形を変える程の威力——それは正しく、上級魔法にも比肩し得る。


 ジャバウォックが放った光の球——見た目こそ下級魔法の光球ライトボールに似ているが、内包するエネルギーは比較にならない程に強力。


 光の粒子と共に姿を現したレイモンドは、爆心地となったクレーターを眺める。


『想定以上の威力——しかし自爆とは…』


 先程感じた、魔人化したローファスと対峙した時の様な怖気は一体なんだったのか。


 確かに、魔人化したレイモンドと競り合う程に強力な膂力と、凄まじい威力の光の球は正しく脅威といえるものだった。


 しかし、レイモンドからして戦闘力が高かったかといわれればそうでも無い。


 レイモンドの転移からの奇襲にも対応出来ず、挙げ句の果てには無意味な自爆。


『だが、時間稼ぎとしては一級だったね…』


 レイモンドは苦々しく呟きながら、既に追い付けぬ程に遠く離れた航空艦隊を眺める。


 山脈を抜け、ステリア領に差し掛かる頃だろう。


 《機獣》の群も、随分な数を先に行かせてしまった。


 レイモンドは改めてクレーターを確認する。


 ジャバウォックの姿は無く、どうやら跡形も無く消し飛んだらしい。


 魔力感知も反応しない。


 翡翠の魔力——たった今自爆した人型兵器ジャバウォックが、光の小精霊エレメントが示していた《闇の神》の魔力だったのだろうかと、レイモンドは首を傾げる。


 神格の類であるからには、もっと強力で常識外れな存在を想定していたが、こんなものなのだろうかと。


 魔力がある割に、魔法の類は一切行使しなかった。


 そもそも、見るからに帝国が生み出した兵器であったし、それが魔力を宿しているというのもおかしな話である。


 違和感。


 今直ぐにでも航空艦隊と《機獣》の大群を追わねばならない。


 しかしレイモンドの直感が、何かを見落としていると告げている。


 ふとレイモンドの脳裏に、かつてローファスが口にしていた言葉が反響する。


“過信、驕り、想像力の欠如。それが貴様の敗因だ”


『——想像力…か』


 レイモンドは得心いった様に頷くと、無詠唱にて手の中に神々しい光の槍——《天壌の逆鉾ゴッドレイ》を生み出す。


 そして間髪入れず、背後に向けて全力で振るった。


 その矛先は、超合金の鉤爪により止められる。


 槍の衝撃波により、カーテンが剥がれる様に透明化が解け、ジャバウォックの姿が露わとなった。


『——やはりそこに居たか。背後からの奇襲、私への意趣返しのつもりか』


 その身に少なくない損傷を負いながらも、ジャバウォックは健在だった。


 レイモンドの言葉を理解しているのかしていないのか、ジャバウォックは相変わらず無反応。


『…魔力遮断か。透明化と併用すると洒落にならないな。危うく騙される所だった。魔法は使えなかったのではなく、敢えて使用せず油断を誘っていた訳か』


 ジャバウォックからの返答は、数多の光の球の展開。


 レイモンドもそれに応じる様に、無数の閃光槍シャインランスを展開する。


 これから行われるのは、超至近距離による弾幕の浴びせ合い。


『…それだけの力を持ちながらに知能も回る。君は危険だ。ここで確実に破壊させてもらう』


 これまでの応酬は互いに様子見。


 小手調べは終わり、ここからは全力の潰し合い。


 互いの背後に数多に展開された、光の槍と光の球。


 その一斉発射が、開戦の狼煙となった。



 雲の上——金属の鋭い翼と、光を纏った六枚の白翼が交差する。


 時には光魔法と光学兵器の撃ち合い、時には純粋な肉弾戦。


 ジャバウォックの基本スペックは、王国最高峰の魔人たるレイモンドと一進一退を繰り広げる程に拮抗していた。


 強い——とレイモンドは思う。


 弾幕遠距離武装中距離肉弾戦近距離——全てにおいて隙が無い。


 それどころか、動きや戦術に関しては凄まじい速度で上達しているとさえ感じた。


 それはまるで、レイモンドとの戦闘の中から学び、凄まじい速度で成長しているかの様。


 レイモンドとの戦闘の中で、ジャバウォックの動きは最適化されていく。


 ジャバウォックは初見で受け切れていなかった鉾の突きを、二度目は受け、三度目には完璧に躱した上でカウンターまで返す様になる。


 これ以上戦闘を長引かせるのは危険とレイモンドは判断し、短期決戦に持ち込むべく魔力の出力を上げる。


 魔法は当然の様に躱される。


 ならば近接戦にて、上級魔法たる《天壌の逆鉾ゴッドレイ》を直に叩き込み、一撃で仕留める——近接戦が完全に適応される前に。


 ジャバウォックの武装は両手から伸びる鉤爪と、光を押し固めた様な剣——ビームサーベル、そして全身を纏う装甲から放たれる光線、etc…


 武装は膨大、その上主武装と思われる光刃の武器も、その時々によって形状を変化させている。


 ジャバウォックは、武器を打ち合わせる度に凄まじい速度で戦闘技術が向上しているが、成長し切っていない現段階では勝ち目が無い訳でもない。


 ジャバウォックはレイモンドの槍術に慣れつつあるが、逆を言えば槍以外の武器に対しては初見の段階。


 レイモンドは手にある神々しい鉾——《天壌の逆鉾ゴッドレイ》の形状を、鉾から剣へと変える。


 光の剣を構えたレイモンドに、ジャバウォックは僅かに動きを止める。


 やはり、とレイモンドは口角を上げ、光の剣で斬り掛かる。


 レイモンドは万能の天才であり、当然剣の腕も達人級。


 流石に《剣聖》には及ばないが、その腕は近衛騎士すら相手にならない程。


 レイモンドは凄まじい剣の連撃をジャバウォックに叩き込む。


 その連撃を、ジャバウォックは多少傷を負いながらもどうにか防ぐ。


 レイモンドの剣術への適応はまだであるが、呼吸や筋肉の動き、視線や細かな癖などは現時点である程度学習している。


 ジャバウォックはそれらの情報から連撃に対応し、そしてレイモンドの剣術そのものにも適応していく。


 凄まじい攻防——その最中にレイモンドはふと、剣を持ち替える。


 待ち手を柄から、剣の刃に。


 そして徐に、レイモンドは剣で突きを放った。


 しかしそれが槍ならば兎も角、両者の距離的に剣では剣先の長さが僅かに足りない。


 故に、ジャバウォックも身構えはしたが防がなかった——届かない剣に防ぐ動作をするのは、無駄な行為に他ならないから。


 剣尖の先——ジャバウォックの胸部に、風穴が開いた。


 ジャバウォックの目が、初めて驚いた様に見開かれた。


『ちゃんと、に見えていたかい? 騙した様で悪いが、これはだ——最初から、ずっとね』


 光の剣の形状が歪み、神々しい光の鉾へと変化する。


 それは、光の屈折を用いた幻覚魔法。


 レイモンドは幻覚により、武器を鉾から剣に変えたとジャバウォックに誤認させて戦っていた。


 間合いの違いに気取られぬ様、細心の注意を払いながら。


『幻覚による間合いの誤認——単純な手だが、上手く嵌ってくれたね。君、まだ戦闘経験が浅いのだろう。君が熟練の戦士だったなら、勝敗は分からなかったよ』


 ジャバウォックが何かをする間も無く、《天壌の逆鉾ゴッドレイ》の魔力を解放する。


 山をも消し飛ばす魔力爆発の、ゼロ距離解放。


 雲上の月下にて、巨大な極光の十字架が天地を貫いた。



 吹き荒れる光の魔力の奔流を、青い円環の障壁——《天照す光環オーレオール》で防ぎながら、レイモンドは息を吐く。


『随分と時間が掛かってしまった…』


 航空艦隊も《機獣》の大群も、既に目視出来る範囲には居ない。


 既に国境を超え、ステリア領に侵入している頃かも知れない。


 古くから国境を守るステリア辺境伯は、王国でも武闘派に数えられる貴族。


 そう易々と落とされる事は無いだろうが、相応の被害は出るだろう。


 早く赴いて加勢せねば、とレイモンドは翼を羽ばたかせる。


 その時、レイモンドはぴたりと動きを止める。


 翡翠の魔力反応が——消えていない。


 ジャバウォックは間違い無く、《天壌の逆鉾ゴッドレイ》のゼロ距離魔力解放をその身に受けた。


 胸部に突き立てた上での、体内からの魔力解放——回避など出来る筈もない。


 当然、原型を留めている筈もない。


 レイモンドは翡翠の魔力反応を未だに発している光の奔流の中に目を向ける。


 間も無く光の奔流が晴れ、ジャバウォックが姿を現す。


 ジャバウォックの胸部には大きな風穴が開き、右手足と右翼を失っていた。


 装甲や武装の大半が焼け焦げ、文字通り満身創痍の状態。


 寧ろ胸部——心臓部を完全に失っている為、人間であるなら即死している程の重傷。


 しかしそんな状態でも、ジャバウォックは健在であった。


 相も変わらず、双眸を翡翠に輝かせながら、感情の無い目でレイモンドを見据えていた。


『原型を留めている…一体どれ程の耐久力を——』


 レイモンドは苦々しく呟きながら、手に《天壌の逆鉾ゴッドレイ》を生み出す。


 上級魔法の中でも高い威力を誇る《天壌の逆鉾ゴッドレイ》の直撃を受けながら、原型を留め、未だ機能停止していないのは驚くべき耐久力。


 しかしそれでも、辛うじて活動しているだけの満身創痍な状態に変わりはない。


 次の一撃を受けるだけの力は、ジャバウォックにはない。


 留めとばかりにレイモンドが鉾を投擲せんと振り被る——直後、明後日の方向から光線が飛来した。


『——!』


 その威力は竜種のブレス並、恐らくは《機獣》のもの。


 新手かとレイモンドは眉を顰めつつ、《天照す光環オーレオール》を展開して光線を難無く防ぐ。


 突然の横槍に驚きはしたものの、今更《機獣》の援護があった所で覆る盤面ではない。


 しかし地上より無数に飛来して来たそれらを見たレイモンドは、顔色を変える。


『は…?』


 それらは《機獣》——ではない。


 《機獣》の部品。


 バハムートが破壊したと思われる《機獣》の断片が、高速で飛来し——レイモンドを素通りする。


 そして、ジャバウォックの元に集まる。


『まさか——』


 レイモンドは舌打ち混じりに鉾を構え、急ぎジャバウォックの息の根を止めんと鉾先を振るう。


 鉾は、ジャバウォックに届く前に翡翠の魔力の障壁に止められる。


 《機獣》の部品が、ジャバウォックの損傷した部位を埋めていく。


 それは失われた右の手足であり、根本から千切れた右翼であり、風穴の空いた胸部。


 そして、数多の《機獣》の部品がジャバウォックの周囲に浮遊する。


 あらゆる武装、その全てが照準をレイモンドに向けた。


 ここでレイモンドは、初めて冷や汗を流す。


『…肉体の損傷は、部品で補えるのか。なら幾らダメージを与えても——』


 レイモンドの目に映るのは、こうている今も地上より浮かび上がって来ている夥しい数の《機獣》の部品。


 その数は、積み上げれば小さな丘が出来そうな程に膨大。


 ジャバウォックを倒すには、これら全ての部品を完全に破壊する必要があるという事。


 その上武装の種類も限り無く豊富、恐らくは状況に応じて切り替えが可能。


 あらゆる状況に対応可能、どの様な相手にも即座に順応し適応する学習力、傷を負っても部品の補充で即座に修復——


 レイモンドはふと、南方——王国方面を眺め、息を吐く。


『…救援には、行けそうにないな』


 レイモンドは徐に懐から一枚の紙を取り出す。


 魔力を宿すその紙は、魔法具——《渡鳥の便り》。


 思い浮かべた対象の元へ飛んで行く、希少な魔法具。


 レイモンドは広げたその紙に、手短に内容を書く。


 しかし、それをジャバウォックが待つ筈も無く、数多の光線の弾幕を放つと同時にレイモンドの元に接近し、光刃ビームサーベルを振るう。


 光線の弾幕は《天照す光環オーレオール》が防ぐが、光刃ビームサーベルの一撃には耐え切れず、障壁に罅が入った。


『やれやれ、そう急かさないでくれないか。見れば分かるだろう? 今、大切な友人に手紙を書いているんだ』


 眼前に迫る光刃ビームサーベルを前に、レイモンドは溜息混じりに六枚の白翼を広げ——大気を撃ちつける様に羽ばたかせ、暴風を引き起こす。


 吹き飛ばされるジャバウォック、舞い上がる夥しい数の部品。


 レイモンドはその風に乗せる様に、書き終えた手紙を手放す。


 魔法の手紙は白く輝きながら、一直線に南方に向けて飛んで行った。


 戦闘中に急いで書いた事もあり、その内容は酷くシンプル。


 必要最低限、人によっては情報が足りないと困り果てる様な内容。


 しかし、友人——ローファスならば理解してくれると、レイモンドは確信を持ち、王国の危機を知らせる為に手紙を書いた。


 王国は任せたよ——そう心の中で呟き、レイモンドはジャバウォックに向き直る。


『待たせたね。これでもう、後顧の憂いは無い。君だけに専念できる』


 レイモンドの頭上に輝く光の輪に光が収束していき、万物を滅ぼす破壊の光と化す。


 数多の光の魔法陣が展開され、その全てがジャバウォックに狙いを定めた。


 レイモンドがこれより行うのは、魔力の自制を解いた上での全身全霊を込めた短期決戦。


 元より魔人化ハイエンドしている状態の長期戦は、不利どころか自殺行為。


 対するジャバウォックは、明らかに長期戦を前提に作られている。


 王国はローファスに任せた。


 故にレイモンドは、後の事を考えずに残りの全魔力を賭して目の前の敵——ジャバウォックを滅ぼせば良い。


『第二ラウンドと行こうか——人型兵器』


 極光の魔法の弾幕が、ジャバウォックに向けて放たれた。

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