121# 竜王

 帝国艦隊の飛行速度は凄まじく、レイモンドでも転移を繰り返しながら追い縋るのがやっとであった。


 艦隊が止まる気配は無く、国境の山脈に差し掛かる。


 目的は不明だが、帝国軍が王国に侵入しようとしているのは明らか。


 まさか国際法たる停戦協定を破るとは考え難いが、希望的観測が悲劇を生む場合もある。


 多少強引でも戦艦に直接乗り込んで目的を聞き出す他無い——そうレイモンドは結論付ける。


 とはいえ、戦艦の所在は遥か空の彼方——国境に聳える標高八千mを超える氷雪山脈よりも、更に上空。


 幾ら魔法技術に優れたレイモンドでも、短距離転移である《移ろう蛍火ルシオルムーヴ》では、一度の転移で届く距離では無い。


 長距離転移の術式は王国の機密中の機密であり、王族か上級貴族の当主しか知らされていない。


 それはレイモンドも例に漏れず、長距離転移の術式を知らない。


 長距離転移を行使出来た時空の上位精霊マニフィスも居ない。


 極寒の山中を、転移を複数回繰り返して登って行く必要がある。


 多少骨は折れるが、目的も聞かず魔法で撃ち落とす訳にもいかない。


 そんな事をすれば間違いなく国際問題に発展するだろう。


「まあ、国境付近に軍を動かすのも充分に問題だが…侵略行為と受け取られても言い訳出来ない。一体何を考えている——帝国」


 ぼやきつつも、レイモンドは転移を繰り返しながら山脈を登って行く——が、中腹付近まで来た所で異様な光景を目にする事となる。


 それは、夥しい数の《機獣》の行軍。


 夜の暗闇、それも山脈の天候も悪かった事で遠目からは確認出来なかったが、そこは降り積もった雪を覆い尽くす程の《機獣》で溢れていた。


 《機獣》の群勢が向かう先は、航空艦隊と同じく南——明らかに王国方面。


 疑惑が、確信に変わる。


 これから行われるのは、王国に対する明確な侵略行為。


「血迷ったか、帝国…!」


 空の航空艦隊も脅威だが、それ以上にこの《機獣》の大群の方が看過できない。


 その数、目測だけでも軽く五万はいる。


 この数が王国側に雪崩れ込めば取り返しがつかない被害が出るのは自明の理。


 国境のステリア辺境伯の兵士の練度は、王国でも随一といえる程に高いが、それでもこの数を抑えるのは不可能——交戦する間も無く物量で押し潰されるだろう。


 この期に及んでは、最早話し合いの余地も無い。


 レイモンドは魔力を高め、大魔法の発動準備に入る。


 規模は山脈全域——航空艦隊、《機獣》の大群を一撃で滅ぼし尽くす程の莫大な火力。


 同時に、余波は最低限に。


 帝国側の山脈沿いには、数多のスラム街が並び、その中にはアマネ達が拠点とする場所も含まれる。


 難易度はかなり高いが、王国でも最高峰といえる魔力と魔法技術を持つレイモンドならば、決して不可能ではない。


 上級魔法では些か火力不足——古代魔法の《陽墜しの明星》を行使し、その上で火力を調整する。


 しかし呪文詠唱をしようとした所で、光の蝶がレイモンドの周囲を飛び回った。


 ここ一か月、片時もアマネから離れようとしなかった光の蝶——光の小精霊エレメントの、ここに来ての行動の変化。


 その上、これまで沈黙を貫いていたというのに、今は煩い程に精霊語を発している。


“戻って”

“帰って”

“今直ぐに引き返して”


 それはまるで、アマネの言葉を代弁しているかの様にレイモンドは感じた。


 ずっとアマネに寄り添っていた事で、彼女の精神の影響でも受けたのだろうかとレイモンドは眉を顰める。


 しかし、今は王国の危機。


 この状況で何もせずに引き返す訳にはいかない。


「すまない。出来るだけ早く戻るか——」


 気を取られた刹那、レイモンドの死角より眩い光線が放たれた。


 竜種のブレスを彷彿とさせるそれは、凄まじい貫通力でもってレイモンドの魔法障壁を容易く貫く。


 《機獣》には魔力が無く、魔力探知にも反応しない。


 それ故に意表を突かれた形となったが、しかしレイモンドは寸前の所で光線を躱す。


 光線を放ったのは、まるで竜種を思わせる形状の《機獣》。


 翼は無いが、その分胴体が大柄で強靭——それは人類誕生以前に存在したとされる古代の爬虫類、恐竜の姿。


 恐竜の《機獣》——タイプは“T-レックス”。


 レイモンドの見立てから、その強さは先日遭遇した《熊型の機獣》——“スカーフェイス”と同等かそれ以上。


 《T-レックス型》の背部に取り付けられたアンテナの様な部分が点滅しながら、赤いレーザーポイントがレイモンドに照準を向けていた。


 レイモンドは即座に《移ろう蛍火ルシオルムーヴ》を用いて光と共に姿を消し、《T-レックス型》の死角の岩陰に転移する。


 しかしその直後、《T-レックス型》のアンテナが反応し、レイモンドが隠れる岩場に赤いレーザーポイントの照準を向けた。


 それに反応する様に《T-レックス型》が岩陰に向けて大口を開き、ノータイムで光線を放つ。


 レイモンドは舌打ち混じりに岩陰から飛び出し、光線を躱す。


 アンテナから発せられるレーザーポイントは、その間も常にレイモンドに向けられていた。


 レイモンド——より正確には、その身より漏れ出す魔力に。


「まさか、魔力に反応しているのか…?」


 帝国は優れた技術を持つが、魔法や魔力に関してはからきし——それが王国での認識。


 その認識は間違ってはいない——つい、ほんの数年前までは。


 帝国の技術は、常に進歩している。


 特に魔力に関する技術に関しては、無限の魔力を生み出す翡翠の魔石が発掘されて以降、飛躍的に向上していた。


 そして、レイモンドの身に無数の赤い点——魔力探知レーダーの照準が向けられた。


 あらゆる方向より、レイモンドの魔力に反応した大型の《機獣》が光線を放たんと口を開いていた。


「《機獣》——まさか、ここまでの性能を…」


 歯噛みしつつ、レイモンドは数多のブレスを防ぐべく青白い光の障壁——《天照す光環オーレオール》を展開する。


 その瞬間、足元の魔法障壁に小型の《機獣》が喰らい付いた。


 見れば、今の今までレイモンドを無視して南に行軍していた無数の《機獣》らが足を止め、その無機質な目を赤く輝かせていた。


 それは所謂、システム上の優先順位の変動。


 規定外の魔力反応を感知した事で、周辺の《機獣》らの行動が、王国への侵攻から敵性生物の排除へと変化した。


 レイモンドは《機獣》に組み込まれたシステムを理解していないが、少なくとも目に映る《機獣》の全てが自身を敵として認識したのだと理解する。


 間も無く放たれた数多の光線に、レイモンドは飲み込まれた。


 数多の光線は、周囲の他の《機獣》ごと巻き込む。


 加減が無いのは当然として、付近の仲間を気遣う気配すら欠片も無し——否、そもそも《機獣》は生物ではなく兵器。


 同じ《機獣》に対して仲間という認識は持っておらず、無機質に機械的に、敵を排除するのに最も効率的な選択をする。


 白一色に視界が染まる中、レイモンドは数多の光線を《天照す光環オーレオール》で防ぎながら、高速で思考を回転させる。


 この光線、威力は低く見積もっても一発一発がドラゴンブレスに相当する程に高い火力を誇る。


 その上、溜め無しノータイムで放っている。


 空へ逃げれば間違い無く撃ち落とされる。


 地下に穴を掘って逃げる事は出来るが、そんな事をしていては航空艦隊を取り逃す。


 では転移で所在を撹乱するのはどうか——これは恐らく有効ではあろうが、転移魔法の連続使用は魔力消費が激し過ぎる。


 有り余る程に膨大な魔力を持つローファスでも無ければ、そんな戦法は成り立たない。


「召喚魔法…」


 ぼやいても仕方の無い話であるが、召喚魔法により数多の召喚獣をこの場に呼び出す事が出来れば、あらゆる問題は解決する。


 とはいえ、レイモンドの血に伝わる召喚魔法は《闇の神》に連なる力であり、今となっては光神により封じられ行使できない。


  レイモンド自身の魔法でもこの場の《機獣》の群勢を殲滅する事は充分可能であるが、召喚獣という手数が無い以上効率は格段に落ちる。


 古代魔法で一掃しようにも、横槍が入り詠唱もままならない。


 魔人化すれば古代魔法の詠唱破棄、無詠唱による行使が可能だが、あれは魔力消費が看過出来ない程に膨大。


 魔人化はレイモンドにとって、出来れば使いたく無い最終手段の一つ。


 そうこうしている今も航空艦隊は高速で飛行し、遠ざかっている。


 こんな所で時間は掛けられない、しかし今後の戦闘の事も考えれば魔力の温存もしたい。


 そんな都合の良い方法——それが、レイモンドにはある。


「——召喚・・


 レイモンドが手を掲げると同時、天上に魔法陣が展開される。


 レイモンドは召喚魔法を封印されている——しかしそれは《闇の神》に連なる部分のみである。


 レイモンド——“ノーデンス”の血筋に受け継がれている召喚魔法は、幾つかの特性が合わさったもの。


 魔物と意思疎通——会話を可能とする特性。


 魔物と協力関係——契約・・を交わす事で召喚獣とする特性。


 そして召喚獣となった魔物はレイモンドの呼び掛けに応じる事で、魔物自身の魔力・・・・・・・で召喚者の元へ転移する事が出来る特性。


 それは実質的な長距離転移であるが、“時間経過による帰還”という制限を課す事で、魔物側の魔力消費も格段に抑えられている。


 つまりレイモンドの召喚魔法は、一切の魔力消費無しに数多の召喚獣を呼び出して戦力とする事が出来る、非常に効率に優れた力であったといえる。


 この召喚魔法の主軸たる三つの特性は封じられているが、万能の天才たるレイモンドは、独自の方法で擬似的な召喚を行う事が出来る。


 それは魔物を友とし、その特性を深く理解した上で、魔法や術式に関して高い技術と深い見識のあるレイモンドだからこそ出来た魔法。


 それはレイモンドの魔力による、召喚獣の肉体の構築。


 原理自体はローファスの《影喰らい》に近しいが、レイモンドのそれは、本来であれば魔物の意識を魔力体に乗り移らせて運用する。


 しかし今、レイモンドに魔物と意思疎通する力は無く、契約している魔物に対する呼び掛けにも当然返答は無い。


 それ故にレイモンドの魔力で構成された召喚獣は、レイモンド自身が操る必要がある。


 複数の召喚獣に意識を割けるだけの余裕は無く、しかし《機獣》の数は膨大。


 つまり、生み出す・・・・召喚獣は単体——より強力なものを。


神竜ヴリドラは…駄目だな」


 神獣の肉体の構成は、通常の魔物とは比較にならない程の魔力を消費する。


 故に、生み出すのは——


「——来てくれ…バハムート」


 それは前人未到の秘境に住まうとされる、最高位の竜王ドラゴンロード


 魔法陣より、蒼炎の翼を持つ光の巨竜が現れる。


 バハムートの本来の属性は火。


 しかしその身体を構成しているのはレイモンドの光属性の魔力である為、魔力体として顕現したバハムートは光と火、二種の属性を合わせ持つ。


 新たに現れた高密度の魔力反応に、《機獣》らの魔力感知レーザーが反応を示し、一斉に向けられる。


 そしてバハムートに対し、数多の光線が同時に放たれた。


 それは数多のドラゴンブレスをその身に受けると同義であるが、バハムートは微動だにせず、変わらずそこに君臨していた。


 無数の光線はバハムートに届く事無く、全てがその軌道を捻じ曲げられていた。


 バハムートの周囲を覆うのは、揺らめく大気——それは超高温による、光の歪み。


 天に座するかの様に君臨するバハムートは、蒼炎の両翼を一度羽ばたかせた。


 直後、広範囲に超高温の熱気が吹き荒れた。


 降り積もった雪は瞬時に溶け、液化する間も無く昇華した。


 雪が無くなり剥き出しとなった黒い岩場が、火の海と化して更に焼け焦げる。


 極寒の地が、一瞬で灼熱の大地へと変化した。


 翼の一振りで環境すら書き換える——それが最高位の竜王ドラゴンロード


 バハムートの熱波を受けた《機獣》は、その多くが機能を停止していた。


 それは小型のものほど顕著に見られ、高熱に耐えられず部品の一部が融解し、身動きが取れなくなっているものもいる。


 熱風を至近距離で受けた《機獣》は、大きさ関わらず跡形も無く蒸発し、岩場に黒い焦げのみを残していた。


 極寒の地で生み出されていた《機獣》の多くは、その性質上高い耐寒性を持つが、過度な高温に対する耐性は持ち合わせていない。


 それでも灼熱の世界で残っているのは、《T-レックス型》を始めとする大型の《機獣》。


 残された強力な《機獣》らは、バハムートをレイモンド以上の脅威と定め、一斉攻撃を仕掛ける。


 《翼竜型》や《飛竜型》が上空より飛来し、《首長竜型》が長い尾で鞭の如く打ち払い、《T-レックス型》はその強靭な顎でもって直に噛み砕かんと飛び掛かる。


 しかし、その全てがバハムートの二度目の羽撃きによる熱波を至近距離で受け、黒炭と化して消し飛んだ。


 バハムートは火の海と化した山脈を見渡し、敵対者が消失した事を確認すると翼をはためかせて天に舞う。


 “熱”の射程外にいる、数多の《機獣》を殲滅する為に。



「おお…凄いなバハムート…」


 レイモンドは魔力を抑えつつ、山脈の頂上を目指して高速で走り抜けていた。


 かなり距離を取ったにも関わらず、背中に感じるバハムートの熱気と、《機獣》に対する一方的な戦い振りに驚きを隠せない。


 《機獣》との相性が良かったというのもあるが、それを抜きにしても“王”の名に恥ぬ恐るべき力である。


 《機獣》の大群の行進の全てを止めた訳では無いが、バハムートが熱波を放ったのは山脈の中腹付近。


 この熱波により、かなりの数の《機獣》が機能を停止した。


 これはレイモンドの大凡な推測であるが、《機獣》の大群の八割近くはバハムートが暴れる事で抑えられるだろう。


 ただし、今も尚先駆けて行軍を続ける群勢の大凡二割——約一万の《機獣》は撃ち漏らす事となる。


 故にレイモンドは、この一万の《機獣》と航空艦隊を相手取る必要がある。


 必ずしも全滅させる必要は無いが、最低でも撤退させなければならない。


 一撃で全てを打ち滅ぼす大魔法は、手っ取り早いが発動するまでに詠唱や時間を要する。


 そうなれば、先程と同様に魔力を探知した《機獣》の群の横槍が入るだろう。


 いっその事魔人化してしまおうか、とレイモンドは考える。


 魔力的な余裕が無くなる為、レイモンドとしても魔人化はあまり使いたくない手段——特に多勢に無勢な現状では、一歩間違えば窮地に立たされる事になる。


 しかし魔人化する事で大魔法の無詠唱行使も可能となり、魔法出力も大幅に向上する。


 魔人化する事が、最もスムーズに帝国軍を殲滅出来る手段なのは事実。


 問題なのは艦隊の帝国兵の戦力だが、魔人化した自分以上の強者がいるとは考え難い。


 レイモンドのそれはある種油断ともいえるが、事実としてレイモンドの魔人化は王国でも随一といえる程に強力。


 ローファスという存在が異常なだけであり、魔人化したレイモンドは間違い無く最強格といえる。


 ともあれ、こと戦闘においては“強さ”にも様々な種類がある。


 事実としてレイモンドは、物語において魔人化していたにも関わらず、アベル達の連携の前に敗北している。


 魔法戦ではローファスに、肉弾戦ではオーガスに、白兵戦ではヴァルムに遅れを取るだろう。


 こと魔法の技術においては、アンネゲルトの足元にも及ばない。


 アベル達はさて置き、四天王と呼ばれた彼らとの力量差は、魔人化した程度で埋まる程浅くは無い。


 しかし帝国は、魔法文化に乏しい。


 友人達の様な、レイモンド自身に並び得る魔力持ちが帝国に居るとは考え難い。


 錬金術や科学を用いた兵器も強力である事は理解しているが、それを真っ向から叩き潰すだけの力を持つという自負と確信がレイモンドにはあった。


「一度の魔人化ハイエンドで戦闘を終わらせれば良い——簡単な話だ」


 言い聞かせる様にして己を奮い立たせ、僅かばかりの不安を散らす。


 決心を胸に、いざ肉体を魔人化させようとした瞬間——



 バハムートの反応が、消失した。


「——は?」


 気の所為、何かの間違いかと疑いたくなるが、バハムートの肉体を魔力で造り出していたのは他でも無いレイモンド自身。


 バハムートの魔力の消失は、紛う事無き事実。


 《機獣》相手にあれ程一方的な戦いを見せていたバハムートが、こうもあっさりと消失するのは信じ難い事。


 熱に耐性を持つ強力な《機獣》が現れたとしても、戦闘になればその情報はリアルタイムでレイモンドに伝わる。


 つまりバハムートは、戦闘する間も無く一瞬で打ち滅ぼされた事になる。


 そんな常識外れな芸当が出来るのはローファスくらいのもの——そうレイモンドは思っていた。


 同時にレイモンドの魔力探知・・・・が、高密度の魔力反応を察知する。


 それは、レイモンドとしても覚えのある——翡翠の魔力。


 突如現れた翡翠の魔力は、レイモンドに向けて猛スピードで近付いて来ていた。

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