120# 誤
アマネの過去を聞いたレイモンドは、何の言葉も出て来なかった。
しかし余程酷い顔をしていたのか、アマネは苦笑する。
「…だから言ったでしょ? 面白くも無い話だって」
アマネはレイモンドの顔をほぐすように、その頬をふにふにと摘む。
しかし、尚もレイモンドの顔は冴えない。
「…すまない。辛い過去を話させてしまった」
「こら、暗い顔禁止。それに、今思えば別にそこまで辛くなかったし」
「家族を失い、その身に何らかの実験を受けたのだろう…幼子が受けて良い仕打ちではない」
「私は当時12とかだったし、幼子って歳でも無かったんだけど…」
「それでもだ」
レイモンドは己の頰に触れるアマネの手を取り、硬く握る。
アマネは気恥ずかしそうに目を逸らした。
「もう…なんて顔してんのよ。私は本当に大丈夫だから」
だってさ、とアマネは続ける。
「よく考えれば、私は本当なら死んでた所を助けられた訳だし。実験中の事も記憶は無いからそこまでストレスは無かったし…まあ多少不快ではあったけど、それだけ」
なんだかんだで最後には逃がしてくれたしね、とアマネは締め括る。
レイモンドはアマネの手を握り締めたまま、何かに耐える様に口を開く。
「…帝国では、そういった人間に対する実験はよくあるのかい」
「んー…まあ、普通にあるかな? 役所が人を買ってるのって
「人間を何だと…」
言い掛けたレイモンドの言葉は、それ以上続かなかった。
思えば、手段こそ違えど王国でも似た様な事は横行している。
強者による、弱者からの搾取。
帝国も王国も、本質的には何ら変わらない——それは、分かっていた事の筈なのに。
「次、レイの番だよ」
ふとアマネは、そんな事を口にする。
レイモンドは固まり、首を傾げる。
「…ん?」
「いや。ん、じゃくて。私ばっかり話すのは不公平じゃない?」
「あー…」
レイモンドは言い難そうに目を逸らす。
「…私の過去など、大した話ではないよ。君と比べればぬるま湯も良い所だ」
「私は別に不幸自慢大会をしたい訳じゃないんだけど。まあレイがそう言うなら、楽しい話を聞かせてよ。昔帝国に居たんでしょ? 失恋話が嫌なら、そっちの話でも良いよ」
「そう楽しい話でもないが…」
アマネに促される形で、レイモンドは口を開く。
「五年ほど、スラムで過ごしたんだ。スラムといっても、ここよりは幾分も治安も環境も良かったが。廃墟なんて無かったしね。そこでは私は、引き篭りがちであまり外に出る方では無かったのだが——」
レイモンドが帝国の辺境に移り住んだのは、外交官であった父の意向であり、その当初は環境の変化に耐えられず、あまり外には出たがらなかった。
そんなある日、父の友人という男が客人として住居に訪れた。
一緒に連れて来ていた子供が、レイモンドと歳が近いという事で引き合わされた。
レイモンドは当初こそ拒絶した。
しかし、その子はそんな事気にも止めず、レイモンドを無理矢理に近い形で外の世界に連れ出した。
それが、レイモンドとその友人との出会い。
そこからレイモンドは、その友人に巻き込まれる形で外で遊ぶ様になり、帝国の住民達とも交流をする様になる。
儚くも遠い、幸せな記憶。
レイモンドは、その思い出の結末——友人の死までは語らなかった。
友人と遊んだ、楽しい思い出。
孤独を埋めてくれた友人への賞賛を思うままに語った。
そんなレイモンドの話を聞き入る様に、アマネは静かに耳を傾けていた。
「…良い友達、だったんだね」
「ああ、今でも彼の事は親友だと思っているよ」
懐かしそうに目を細めるレイモンドの手を、アマネは優しく握る。
「…“リョウ”もあんたの事、親友だと思ってたよ」
“リョウ”——それは他でも無い、レイモンドのかつての友人の名前。
しかし、レイモンドはその名を口に出してはいなかった。
故に、アマネがその名を口にした事に、レイモンドは驚きを隠せない。
「何故…どこでその名を…?」
理解が追いつかない様子のレイモンドに、アマネは微笑む。
「あ、やっぱり
一人納得する様に頷くアマネ。
まさか、とレイモンドは目を見開く。
「アマネ…君は——」
「“リョウ”は、私の弟」
レイモンドの疑問に、アマネは何でも無いかの様に答える。
「前からまさかとは思ってたんだよ。昔帝国で暮らしてたって言ってたし。でも、名前が違ったから…」
アマネがかつての親友の姉だった、その事実が受け止めきれていないのか、レイモンドは唖然として口を開かない。
アマネは苦笑しつつ、言葉を紡ぐ。
「“リョウ”はさ…まあ私も含めてだけど、街であまり馴染めてなかったんだよ。ほら、この白髪って帝国じゃ珍しいでしょ? 街の人達も私達家族の事を敬遠している様だった。あんたはさ、そんな中で“リョウ”に出来たたった一人の友達だったんだ」
止まっていた時が動き出す様に、レイモンドの脳裏に当時の記憶が思い起こされる。
思えば、“リョウ”はレイモンドに構っている様だった。
街に連れ出されて子供二人で遊ぶ内に、その光景はいつしか街の当たり前となり、徐々に関わる隣人は増えていった。
自分にとって“リョウ”は特別な友人だった——或いはそれは、“リョウ”にとってもそうだったのだろうか。
ふとそんな事を考え、レイモンドの瞳に涙が浮かぶ。
アマネは色白の指でそっとレイモンドの涙を拭った。
「…ごめん。泣かせる気はなかったんだ」
「いや……すまない」
レイモンドはアマネの手を取り、頭を下げて謝罪した。
アマネは驚いた様に目を見開く。
「いやいや、そんな謝られる様な事じゃ…」
「違う」
レイモンドは、頭を下げたまま否定する。
「…アマネが“リョウ”の姉なら、私は君に謝らなければならない」
「なに…どういう事」
意味が分からず眉を顰めるアマネに、レイモンドは構わず続ける。
「“リョウ”が——君の家族が死んだのは、私の所為なんだ」
「違うでしょ」
「いや違わない。私だ…原因は、私なんだ」
顔も上げず、目も合わさず、頑なな様子でレイモンドは続ける。
「…“リョウ”の魔力が発現したのは、私を守ろうとしての事だったんだ」
当時のレイモンドは、幼いながらもそれなりに良い身なりの服装をしていた。
それ故に、人攫いに狙われた事があった。
その場に居合わせた“リョウ”は、友達のレイモンドを守ろうとし、その折に魔力が発現した。
魔力の発現は、《身体強化》ではなく属性——炎として現れた。
“リョウ”にとっての不運は、属性との親和性が非常に高かった事と、その炎の属性の発現を近隣の住民に見られた事——そして何より、その街には先の王国との戦争の恨みを色濃く残す者が多く居た事。
悲劇が起きたのはその翌日の朝。
レイモンドは父の計らいで、直ぐに帝国を離れて王国に帰国する事となった。
「…あの時、私は何も出来なかった。“リョウ”の魔力が発現した時点で、君達家族を王国に連れ帰るべきだった。そうしていれば、こんな悲劇は起きなかった。君だって酷い目には遭わなかった。全て私が——」
それまで黙って話を聞いていたアマネは、その言葉を遮る様にレイモンドの頰を優しく両手で包み込む様に触れた。
そこでレイモンドは、アマネと見つめ合う形となる。
月明かりに照らされるアマネの瞳は、赤く透き通っていてまるでルビーの様。
アマネの赤く美しい瞳の中には、怒りも悲しみも無い——そこにあったのは、瞳に写るレイモンドに対する慈しみ。
暫し見つめ合い、アマネは口を開く。
「
レイモンドの瞳より、止めどなく涙が溢れる。
理不尽の無い世界——その理想を誓ったきっかけ。
そうだった、とレイモンドは思い出す。
自分を——友を救おうとして、それがきっかけで死ぬ事となった“リョウ”。
彼の様な悲劇を二度と起こさない為に、この世の理不尽を打ち払う——必要であれば、世界の王となってでも。
《闇の神》を打ち倒した後に自害する——それは己が立てた理想に背を向ける行為。
こんな事では、今は亡き“リョウ”に顔向け出来ない。
以前光神は言っていた——死に逃げるな、と。
本当にその通り、後ろを向いている場合ではない。
或いは、光の蝶がアマネの元へ導いたのは、自分と彼女を引き合わせる為だったのかと、レイモンドは思い至る。
それが光の蝶——光の
「…ありがとう」
強張りが解け、憑き物が落ちた面持ちでレイモンドは感謝の言葉を口にする。
それは他でも無いアマネに向けて。
「レイ…本当の名前は何ていうの」
顔を寄せ、アマネは本名を尋ねる。
レイモンドは素性を明かす事に一瞬迷いを見せるが、ここで名乗らないという選択肢は無い。
アマネには、本来の自分を知って欲しいと思い始めていた。
故に、名乗る気のなかった本名を口にする。
「…レイモンド」
「レイモンド——“レイ”は、レイモンドの“レイ”だったんだね」
「安直だろう。あの時は咄嗟だったから…」
「ううん。寧ろ良かった。今更“レイ”じゃないって言われても、違和感あったと思うし」
何処か愛おしそうに、少しだけ気恥ずかしそうにアマネは顔を近付ける。
「でも、慣れないとね…レイモンド」
アマネがぎこちなく名前を呼び、同時に両者の唇が僅かに触れる。
レイモンドもそれを受け入れ、二つの影が重なり合おうとした。
瞬間——窓の外より轟音が鳴り響いた。
その衝撃を受け、廃墟がギシギシと軋む。
天窓より降り注いでいた月光が、黒く巨大な影により遮られた。
レイモンドは急ぎ跳び起き、窓を開けて外を確認する。
夜空には、轟音を響かせながら飛行する巨大な船と、千にも及ぶ空飛ぶ円盤。
「なんだ、あれは…!」
驚くレイモンドの横に並び、空の艦隊を見たアマネは怪訝そうに眉を顰める。
「帝国軍の航空隊…? 凄い数…何でこんな時間に…」
「よくあるのかい?」
「いや、そんなには…年に数回演習するのを見る位かな。たまに撃墜された円盤の破片とか落ちてくるから迷惑しててね。住宅地に被害は出さない様にしてるって軍は言ってるけど、あいつらスラム街の事まで考えないから」
でも、とアマネは首を捻る。
「演習にしては数が多過ぎるし、今までは日中にしかなかった。それに、こんな時間は初めて…」
航空艦隊は止まる気配も無く、その全てが南の方角へ向けて飛行している。
その先には国境の山脈——そしてその更に先は王国に続いている。
嫌でも脳裏をよぎる最悪の可能性。
あり得ない、思い過ごしだと言い切れる程、王国と帝国の関係は決して良好ではない。
レイモンドは居ても立っても居られず、窓に手を掛ける。
「すまない。少し出て来る」
そう言って窓から跳び出そうとするレイモンドを、アマネは縋りついて止める。
「待って! レイが何を考えてるか分かるよ? でも、あり得ない。五十年も経ってるのに、今更…」
「分かっている。しかし裏を返せば、五十年もの月日が流れた今でも国同士の関係修復が出来ていないのも事実だ」
「万が一そうだったとして、行ってどうする気なの? まさか、一人であの艦隊に突っ込んで止める気…?」
「…必要であれば」
「ダメだよレイ!」
レイモンドの無謀を止めようと、アマネは必死に声を張り上げる。
そんなアマネを安心させる様に、レイモンドは優しく手を握り、微笑み掛ける。
「…私が強いのは知っているだろう」
「いくら強くても、相手は軍隊なんだよ? 昔大暴れしたっていう《暗き死神》でもあるまいし…」
「心配要らない。朝には戻るよ、絶対にね。私は王国で、
そう言って力強く笑ったレイモンドの身体が、淡い光に包まれる。
《
レイモンドは光の粒子と化し、アマネの手から擦り抜けるようにその姿を消した。
一人残されたアマネは切なげに虚空を掴み、国境に向けて飛行する艦隊を見つめる。
「二番目って、そこは一番って言いなよ…」
強がりつつも、アマネの不安は拭えない。
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