119# 過去

 思わぬ臨時収入が入ったアマネ達は、大量の缶詰と、保存の効く食料を買い込んだ。


 廃墟に最低限の改装を施して自宅として利用している関係上、電気や水道などのインフラは通っていない。


 料理に関しても、出来る事は精々が焼くか煮るかの最低限なもの。


 アマネ達の食事は、主に保存用のパンと缶詰であるが、たまに干し肉やベーコンなどの贅沢品を買う事もある。


 シセンに贅沢しろと言われたからというのもあるが、保存食の買い溜めに加え、今日の夕食は少しだけ贅沢なものを買った。


 安売りをしていたベーコンブロックと、柔らかい白パン、そして缶詰のビーフシチュー。


 それはアマネ達にとって、年に一度も無い程の贅沢。


 これには子供達は大いに喜び、普段素直になれないショウも顔を綻ばせていた。


 安売りしていたとはいえベーコンブロックはかなり高価なもので、アマネは今回臨時で入った金銭の殆どを消費していた。


 貯金はしないのか、とレイモンドは心配になり問うたが、そもそもスラム街に住む者には馴染みの無い文化であった。


「貯める意味ある? 明日死ぬかも知れないのに」


 一切の悲哀無く、アマネは笑ってそう返した。


 その日その日を食い繋ぐのが日常のスラム民にとって、貯金は大して意味の無い行為。


 元よりその余裕も無く、他者に奪われる可能性もある。


 アマネは食料の備蓄を常にしているが、それもスラムでは珍しい部類。


 レイモンドはそれに、何も返せなかった。


 これは国を隔てたカルチャーショック——ではない。


 貧富の差なら王国にもあった。


 王国の貧困層の生活を、レイモンドは知識的に知ってはいた。


 しかしここに来て、現実を目の当たりにして、本当の意味で理解してはいなかったと肩を落とす。


 寧ろ、帝国ほどの保存食品の技術が無い王国の貧困層は、このスラムよりも酷い生活をしている事だろう。


 夕食を終え、皆が寝床に就いた夜、小部屋の古びたソファに横になりながら、レイモンドはそんな事を一人想う。


 幼少期、帝国のスラム街で暮らしていながら、自分は何も分かっていなかった。


 分かった様な気になっていただけ。


 この世の理不尽を無くしたい、人が殺し合う世界が許せない。


 そんな理想を持ちながらに、自分は何一つとして理解していなかった。


 ひと月もの間生活を共にしたアマネの事すら、未だ理解出来ているとはいえない。


 ひび割れた天窓から見える、夜空に浮かぶ月を眺め、レイモンドは息を吐く。


「…君は、貧困層がどんなものかを知ったのかい? だから、あんなにも経済発展に尽力していたのかな」


 成人にも満たぬ内から領地経営に積極的に携わり、特定の地域の貧困化の改善に力を尽くしていた友人の顔を思い浮かべる。


 彼は、一見すると酷く傲岸不遜に写るが、それに伴うだけの行動と結果を残していた。


 それに引き換え、自分は——


「口を開けば中身の伴わぬ理想ばかり…アステリアに選ばれない訳だ」


 レイモンドは一人、自嘲気味に笑う。


 ふとそんな時、ノックも無しに部屋の戸が開けられた。


 入って来たのはアマネだった。


「レイ、起きてる?」


 レイモンドはアマネの不意の訪問に驚きつつ、身体を起こす。


「アマネ…? 起きてはいるが、こんな時間にどうし——」


 言い終わる暇もなく、アマネはつかつかと部屋の中に入ると、レイモンドの隣にどさりと腰掛けた。


 目を丸くするレイモンドを尻目に、アマネは天窓を見上げる。


「ここから見える月、綺麗でしょ。この部屋をレイに譲ったの、実は少し後悔してるんだよね」


 この廃墟はそれなりに大きく、幾つもの部屋があるが、寝床として使えそうな程に綺麗な所は限られている。


 多くの部屋は、壁や屋根に風穴が空いていたり、瓦礫や壊れた家具が散乱していて使い物にならない。


 比較的損壊が軽微で、寝室に使えそうな部屋は二部屋。


 ついひと月前まで、この小部屋はアマネが寝室として利用していたのだが、レイモンドが来た事で譲り渡していた。


 今はアマネは、もう一つの大きめの部屋を子供達と共に使用している。


「…君さえ良ければ、今夜はここを使うと良い。私は外で寝るよ。元よりここを一人で使うのは申し訳無く思っていたしね」


 立ち上がろうとしたレイモンドを、アマネは裾を引っ張って止める。


「こら。別に追い出したくて来たんじゃないから。ていうか、分かるでしょそれ位」


 ムスッとむくれるアマネに、レイモンドは素直に座る。


「…申し訳無いと思っているのは本当だよ。私がいる事で一人分多く、余分に食料もいるしね」


「余分じゃない。必要でしょ。確かにショウは当たりがきついかも知れないけど、あの子も何だかんだであんたの事認めてるよ」


「それは…まあ、分かっている。当初は君と二人で仕事に行くのにも反対していたからね。いや、彼は正しい。いきなり現れた素性も知れぬ男を信用しろという方が無理な話だ」


「用心深いけど、あれで案外可愛い所あるんだよ? 面倒見も良いから他の子達からも慕われてるし」


 ここでふと話が途切れ、沈黙が流れる。


 互いにそれなりに気心が知れている事もあり、沈黙に気不味さを感じる事は無い。


 その沈黙を破る形で、アマネは何の気無しに尋ねる。


「アステリアって、レイの好きな人?」


 レイモンドは一瞬固まり、顔を手で覆って深い溜息を吐く。


 その名は先程、レイモンドの独り言から出たもの。


「…聞いていたのか」


「言っとくけど、盗み聞きじゃないよ? ここ壁薄いし、戸に隙間だってあるから、ちょっと喋っただけでも廊下に丸聞こえなんだよ」


 レイモンドは再び溜息を吐く。


「不用意だったな…」


「で、どうなの? 好きな子なの? お姉さんに話してみ?」


 興味津々といった調子のアマネに、レイモンドは顔を顰める。


「随分と楽しそうだね…ただ想い人に振られただけだ。大して面白くも無い話さ」


「へぇ、そう。で、具体的にどんな風に振られたの?」


「君…」


 なんて下世話な話を、とレイモンドは呆れ気味に肩を竦める。


「そういう君はどうなんだい?」


 話題を変えねばと、レイモンドはアマネに話を振る。


 これまでは詮索するのも野暮だろうと避けていた話題だが、触れられたく無い過去を聞き出そうとして来たのはアマネの方である。


 アマネは意外そうに目を丸くする。


「え、私?」


「ああアマネ、君だ。思えば、君の過去を聞いた事が無いからね」


「私の事なんて、別に詰まらないと思うよ?」


「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうよ」


 言外に失恋の話題には触れてくれるなと牽制するレイモンドだが、アマネはぼんやりと天窓を眺め、口を開く。


「…んーと、私の過去はね——」


「は?」


 この流れで話すのか、と驚きに目を見開くレイモンド。


 アマネは「え?」と首を傾げる。


「何で驚くの? レイが聞いて来たんじゃない」


「いや、話したくないのだろうと思っていたから」


「別に隠してた訳じゃないよ。聞かれなかったから言わなかっただけで。その代わり、私が話したらレイも話しなよ?」


 悪戯っぽく笑うアマネに、レイモンドは目を逸らす。


「…さてね」


「あ、はぐらかす気でしょ」


「どうかな」


「ほら。なんか曖昧な感じ」


 言いながらも、アマネは何処か楽しげに笑う。


「まあ勿体ぶっといて何だけど、私の話なんて大して面白い話でもないんだよね」


 アマネはそう前置きし、言葉を続ける。


「私、ずっとこのスラムに居た訳じゃなくてさ。それこそ、スラム暮らしはここ二、三年の話だし」


「そうだったのか。意外だ。てっきりずっとスラム育ちかと」


「ずっとじゃないかな? 昔はもう少し裕福な所で住んでたし——家族が死んで、実験施設に入る前まではね」


「……は?」


 何でもないかの様に語るアマネ。


 レイモンドは理解が追い付かず、呆然とアマネを見るしか出来なかった。



 アマネの家族は、弟一人に両親の四人で暮らしていた。


 ある日、家族の一人が魔力持ちである事が隣人に知られる事があった。


 発覚は、突然の魔力の発露——アマネの弟だった。


 魔力の有無は、血縁に由来する。


 一人が魔力持ちであれば、その家族も同じく魔力持ちである可能性が高い。


 父か母、どちらか、或いはどちらもが魔力持ちの家系だったのだろうが、当人達にその自覚は無かった。


 無自覚である以上、魔力探知の様な手段でも無い限りは、魔力持ちか否かの判別は付かない。


 魔力持ちの疑いがある——それは、隣人達が父と母を嬲り殺すのには充分過ぎる理由だった。


 アマネは、最後に殺された——殺された、筈だった。


 気付いた時には、アマネは真っ白な部屋で無骨なベッドに寝かされていた。


 防護マスクで顔を覆った研究者らしき白衣の男が現れ、こう言った。


「おめでとう。手術は成功だ」


 研究者の話では、アマネ達は隣人達に嬲り殺された後、遺体は役所に回収された。


 確認された魔力持ちは三名、父と弟、そしてアマネ。


 この三名全員に蘇生処置が施されたが、成功したのはアマネだけだった。


 アマネ以外の家族は肉体の損傷が激しく、蘇生出来なかったそう。


 母の遺体は比較的損傷が少なかったそうだが、魔力持ちではなかった為、そもそも蘇生処置自体が行われなかった。


 役所が運営する実験施設は、魔力持ちの検体を欲していた。


 一度死亡し、戸籍を失ったアマネは、人体実験に最適な人材であった。


 帝国において、こうした事は別段珍しい事でも無い。


 そもそも帝国は、役所で人間の買取を行なっている。


 若く栄養状態が良い程高値で、魔力持ちであれば報奨金の桁が一つ増える程に高額となる。


 ただし魔力持ちは危険である為、通報するだけでも良い。


 その場合金額は落ちるものの、情報提供として報酬が出る。


 公的には科学、国家への有志による貢献——それに対する報奨金とされているが、実質的には明らかな人身売買。


 そうした人間の買取は以前より行われているが、魔力持ちが検体として価値を見出されたのはここ数年での事。


 魔力持ちは絶対数が少なく希少であり、それは帝国科学文明の最たる技術——死者蘇生をしてでも確保したい程に重要な検体であった。


 アマネはその身に多くの実験を受ける事となったが、不幸中の幸いか、その時の記憶がアマネには無い。


 実験時は全身麻酔の上、薬物投与により意識が混濁している状態であった。


 それがアマネに対する配慮なのか、それとも実験内容の機密保持の為なのかは定かではない。


 アマネに残されていたのは、死後に蘇生処置により生かされ、その身に度重なる実験をされたという認識のみ。


 アマネが実験と称した監禁を受けたのは約二年。


 ある時、いつも顔を見せていた科学者がマスクを外し、その狂気に満ちた目を細めながら言う。


「君に選択肢があった訳でも無いだろうが、これまでの実験への協力感謝するよ。残念ながらこの実験における計画は頓挫——というより、スペアプランになった…しかも、かなり優先順位が低い。まあ良いデータも取れたし、無駄では無かったけれどね」


 そんな事を淡々と口にしながら、科学者はアマネの拘束具を解いた。


 同時にこれまで決して開かれる事の無かった部屋の扉が、開かれる。


「一先ず、君の役目は終わりだ。お疲れ様。私は実験動物一匹一匹に愛着が湧くタイプでね。尤も情が深いのは研究者としては褒められた事ではないが…ああ、話が逸れたね。要するに、逃げて構わないという事さ」


 出口を手で指し示し、にこやかに笑う科学者。


 そんな都合の良い話ある訳が無い、絶対に罠だ、アマネはそう思った。


 アマネは自由になった拳を振り上げ、全身全霊の力を込めて科学者の顔面を殴り付けた。


 赤黒い血が飛び散り、科学者の首はあらぬ方向にへし折れた。


 それはアマネにとっての初めての魔力の行使であり、初めて殺人。


 ぐちゃりと潰れる感覚が手に残り、アマネは顔を青くして後退る。


 ずっと一発ぶん殴ってやりたいとは思っていたが、断じて殺す気は無かった。


 やってしまったとわなわなと震えていると、死んだ筈の科学者は何事も無かったかの様にむくりと起き上がった。


 そしてへし折れて後ろに垂れ下がった頭に手を伸ばして元の位置に戻し、その陥没する程に損傷した顔面の傷はみるみるうちに修復していく。


 間も無く、顔は殴る前の元の状態に戻り、科学者は頰に僅かに残る赤黒い血をハンカチで拭き取った。


「ふむ…確かに、報復これは君の正当な権利だ。酷いじゃないか、何て事をするんだ、などと被害者面する気は毛頭無い。暴力こんな事で君の溜飲が下がるなら幾らでも協力しよう——しかし、我ながら実に勝手な話だとは思うが、今は逃げる事を勧めさせてもらうよ。早くしないと警備が来てしまう。君を逃すのは、私のただ気紛れであり、独断なのだからね」


 科学者がそう口にするや否や、警鐘が鳴り響く。


「さあ、来なさい。出口までの道案内をしよう」


 絶え間無く鳴り響く警鐘の中、科学者は脱出経路の案内を始めた。


 絶対に罠だとアマネは疑ったが、どうせ他に選択肢は無いと大人しく科学者の後を追った。


 そして意外な事に、驚く程あっさり出口に案内された。


 科学者の計らいなのか警備による追手も無く、アマネはそのまま研究施設を脱出した。


 そしてスラム街を渡り歩きながら流れ流れてこのスラムに辿り着き、拠点としてから約三年。


 スラムの孤児を拾っていくうちに、いつの間にか大所帯となっていた。


 そしてアマネは、レイモンド——レイと出会った。

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