118# 報酬

 へたり込むアマネに、レイモンドが手を差し出す。


「災難だったね。立てるかい」


 それを見たアマネは、一月前、レイモンドに暴漢から助けられ、座り込む自分に手を差し伸ばしてくれた事を思い出す。


「…はは。初めて会った時も、こんな感じで手を伸ばしてくれたっけ。もうずっと昔の事みたいだよ」


 アマネはレイモンドの手を取る。


 しかしアマネは、腰が抜けたのか中々立てない。


 見かねたレイモンドは、アマネを引き寄せると軽々と抱きかかえた。


「ちょ、レイ——いいよ、私重いでしょ…」


「重い訳が無いだろう。熊の一撃に比べれば、鳥の羽根よりも軽く感じるさ」


「比べる対象がそれじゃ、全然フォローになってないんだけど?」


 地面を割る一撃と比べられても…と、アマネは苦笑する。


 アマネは暫しレイモンドを見つめ、口を開く。


「あんた、こんなに強かったんだね…知らなかったよ」


「…まあね」


「今の…魔法、だよね」


「…通報するかい?」


 少しだけ、緊張した様子で問うレイモンドの頰を、アマネはふにふにと摘む。


「通報、すると思う?」


 意地悪っぽく笑うアマネに、レイモンドは苦笑する。


「いや…すまない。愚問だった」


「本当だよ。まあ魔法が使えても不思議じゃないよね。王国人なんだし」


「…そうかもね」


 最早否定するのも面倒になり、レイモンドは曖昧に微笑む。


「初めて見たけど、やっぱ魔法って凄いんだね。練習すれば私でも使える様になるの?」


「魔力と知識、技術さえあれば誰でも扱える。先ずは魔力属性を確認する所からだが…」


 ともあれ、とレイモンドは後ろで機能停止している“スカーフェイス”に目を向ける。


 無数の風穴が開いた大型の《熊の機獣》——より正確には、その残骸。


 そして、戦闘の余波で荒れた畑や、半壊した物置小屋。


 これだけの騒ぎとなれば、直に誰かがやってくるだろう。


「農場主になんと説明したものかな…」


 悩まし気に唸るレイモンドに、アマネが肩を竦める。


「農場主もだけど、説明なら闇市場ブラックマーケットにする方が面倒かも。《熊の機獣》を魔法で倒したなんて言える訳無いし…」


 ふとアマネの視界の端に、半壊した小屋——その地面に“マーダーホーン”の頭が転がっているのが見て取れた。


 残骸と化した“マーダーホーン”と、同じく残骸と化した《熊の機獣》を見比べ、アマネはにっと口角を上げる。


「レイ。上手くすれば、臨時ボーナスが貰えるかも」


「…?」


 意味深に笑うアマネに、レイモンドは首を傾げた。



 畑に突如現れた巨大な《熊の機獣》——“スカーフェイス”は、同時に現れた《大鹿の機獣》——“マーダーホーン”と戦闘になり、潰し合った。


 その戦闘は激しさを極め、畑は大いに荒れた。


 一進一退の激戦の末、勝利を収めたのは体格に優れた“スカーフェイス”だった。


 しかし“スカーフェイス”もただでは済まず、“マーダーホーン”を相手に無傷とはいかなかった。


 戦闘が終結し、満身創痍の“スカーフェイス”にレイモンドとアマネが二人掛かりで襲い掛かり、どうにか追い払う事に成功した。


 “スカーフェイス”は森林に消え、行方知れず。


 こうして残されたのは荒れた畑と、“マーダーホーン”の残骸、そして“スカーフェイス”の右腕のみ。


 これが、闇市場ブラックマーケットの受付にアマネが説明した内容。


 それをレイモンドは、関心する様に隣で聞いていた。


 因みに、“スカーフェイス”の残骸は右腕部分を残してレイモンドの高出力の魔法で灰にした為、アマネの説明に矛盾を生じさせる決定的な証拠が出て来る事も無い。


「——って事で、今朝新しく貼り出されていた“《機獣》の調査依頼”、達成条件は十二分に満たしてる。当然、報酬は出してくれるんだよね?」


 カウンター越しに、アマネは受付の男に詰め寄る。


 受付の男は顔を渋くする。


「話は分かりました。畑の駐在依頼中の不測の事態への対応、見事なものです。情報提供も感謝致します——しかしながら、報酬のお支払いは出来かねます」


「はあ!?」


 意味が分からないと声を上げるアマネに、受付は毅然として答える。


「畑の駐在依頼の報酬はお支払い致します。しかし、調査依頼に関しては受注手続きをされておりませんので、処理が出来ないのです」


「…それって、そっちの都合よね」


「当闇市場ブラックマーケットは、利用者との厳正な契約の上で成り立っております。特例はありません。あまりご無理を言われますと、警備を呼ぶ他ありませんが」


 受付の言葉に、アマネは歯噛みする。


 要約すると、情報提供はありがたく頂くが事前に仕事の受注をしていない以上報酬は支払わない、端金を持ってさっさと帰れ——といった所か。


 アマネは悔し気に、カウンターに置かれた数枚の紙幣——畑の駐在依頼の報酬を握り締め、踵を返す。


 スラムで生活する上で、闇市場ブラックマーケットと揉めるのは決して得策ではない。


「チッ、足元見やがって」


 アマネに出来るのは、そう悪態をつく程度。


 レイモンドは、そんなアマネの肩に手を添え、その青い瞳を受付に向ける。


「…まだ何か」


 いつまでも帰らない二人組に、受付は鬱陶しそうに目を細める。


 レイモンドは不敵に笑い、口を開く。


「先程証拠品として提出した《機獣》の残骸——“鹿の頭”と“熊の腕”、返してもらえるかな?」


「…は?」


 何を馬鹿なと、受付は眉を顰める。


「それは出来かねます。既に証拠品として押収されておりますので」


「出来ないのかい? では少し確認なのだが、あれら《機獣》の残骸は、厳密には誰の所有物になるのかな?」


「それは…」


 レイモンドの問いに、受付はやや言葉を詰まらせるが、直ぐに回答を述べる。


「…基本的に破壊された《機獣》の残骸は、破壊した者ではなく、仕事の依頼者に所有権があります。今回の場合ですと、依頼者である農場主様に——」


 受付の説明を尻目に、レイモンドは可笑しなものでも見たかの様にくつくつと喉を鳴らして笑う。


 対する受付は、苛立った様子で眉間に皺が寄る。


「何か、説明に不備でも?」


「ああ、失礼。ただそうだね。正に君の説明には不備があった」


「…具体的に、どの部分でしょうか」


 睨む受付に、不敵な笑みを浮かべるレイモンド。


 アマネはハラハラした様子でレイモンドの裾を引く。


「れ、レイ。もう良いよ…逆らっても良い事無いから、早く行こ」


 不安げなアマネに、レイモンドは大丈夫だと目配せをする。


「…畑の駐在依頼。現れた《機獣》に対応した分の追加報酬が含まれていなかったのだが、確認したかい?」


「…それは——」


「いや、みなまで言う必要は無い。農場主は、肉食獣や“マーダーホーン”の様な《機獣》は、大物過ぎて追加報酬が払えないと言っていた。その辺は既に、話が付いている」


 レイモンドは続ける。


「先程提出した報告書と領収書、ちゃんと確認したかい? していないなら今一度読み込むと良い。農場主が直筆で書いている筈だ。追加報酬を支払わない代わりに《機獣》の残骸の所有権を放棄する——とね」


「——!?」


 ここで受付は、目を見開いて狼狽える。


「そ…いや、しかしその場合…」


「そう、問題になってくるのは《機獣》の残骸の所有権だ。当然だが、闇市場君達には無い。普通に考えれば、《機獣》の対応をした我々にある」


「き、詭弁を…それを言うなら、所有権を貴方達に譲渡するという記載も無い」


「それこそ詭弁だろう。文面を見れば、我々に譲渡する意向があるのは明白だ。何なら、今からでも農場主に確認に行くかい?」


 受付とレイモンド、どちらも引かずに睨み合う。


 アマネがレイモンドの裾を掴む力が強まった頃、カウンター前に新たに闖入者が現れた。


「おい、いつまでやってんだ。他のお客様のご迷惑だろうが。後ろに行列出来てんの、見て分わかんねーかなぁ?」


 それはスキンヘッドの強面の男——ビル入り口の見張りをしていたシセンだった。


 受付は安堵した様に顔を綻ばせ、続いて勝ち誇った様にレイモンドを見る。


「そう言う事です。皆様にご迷惑ですので、早々にお引き取——ぷべっ!?」


 言い終わる前に、受付はシセンの平手で顔面を引っ叩かれた。


 受付はカウンター後ろの椅子を巻き込み、盛大に横転する。


 受付は真っ赤に腫れ上がった頰を抑えながら、涙目でシセンを見る。


「し、シセン主任!? な、なんで——」


「なんでじゃねーよ。何を勝手やってんだボケ」


 シセンはカウンター内にズカズカと入ると、奥へと消える。


 そして間も無く、札束を片手に現れた。


 シセンはカウンター、レイモンドの眼前に札束を勢い良く置く。


 呆気に取られた様子のレイモンドに、シセンは気怠げに葉巻に火を点ける。


「話はまあ、大体聞いてた。悪かったな、アマネに新顔の優男ロメオ。調査依頼の報酬に、今回の迷惑料含めて色付けてある」


「そうか…随分と物分かりが良いね」


 レイモンドは札束を取り、アマネに渡す。


 アマネはおずおずと受け取り、その重みに顔を引くつかせる。


 シセンは煙を吹かしながら、視線も合わせずに答える。


「…その代わりと言っちゃなんだが、例の《機獣》の残骸は闇市場うちに提供って形にしてくれ。それで手打ちだ」


「成る程…」


 レイモンドは何かを察した様に肩を竦める。


 シセンのこの態度、恐らく闇市場ブラックマーケットは《機獣》の残骸にそれなりの価値を見出しているのだろう。


 特に今回提出さた残骸は、“熊型”と“大鹿型”という、普段現れない強力な《機獣》のもの。


 王国でも強力な魔物の死骸は、武器や防具、魔法具に加工する事もある。


 この帝国、それもスラムの闇市場ブラックマーケットでどう扱っているのかは見当も付かないが、少なくともある程度の額を出して穏便に納めようとするだけの価値があるという事だろう。


「《機獣》の残骸…随分と高価なのかな?」


 レイモンドの問いに、シセンは心底面倒そうに顔を顰める。


「一丁前に探り入れてんじゃねーよ。大体お前らにどうこう出来るもんでもねぇだろ」


 仮に《機獣》の残骸に価値があったとしても、レイモンドやアマネにそれを売り捌くだけの伝手は無く、加工技術も無い。


「その通りだね。話が分かる人が居てくれて良かったよ」


 にこやかな笑みを浮かべるレイモンドに、シセンは鼻を鳴らす。


「…そういう事で良いかな、アマネ。勝手に進めてしまって申し訳ないが」


「い、良いかなって何…? ダメな訳ないでしょ、こんな大金…寧ろ良かったの、シセン?」


 手の中の札束の重みを感じながら、アマネは心配そうに尋ねる。


 シセンは早く帰れとばかりに手で払った。


「迷惑料っつったろ。もしちっとでも引け目を感じるなら、その金は闇市場うちで使ってくれや」


「ん、そうする。折角まとまったお金も入ったし、今日は缶詰を買い溜めさせてもらうよ」


「買い溜めだあ? たまには贅沢しろよ貧乏人」


「うっさいなー」


 そんな軽口の叩き合いの後、別れの言葉も無くアマネはカウンターを後にする。


 それにレイモンドが続こうとした所で、シセンが声を掛けた。


「おい優男ロミオ


「何か?」


「毎度こんな手・・・・が通じると思うなよ。今回は偶々俺が居たが、次どう転ぶかは分からねぇ。テメェがやってたのはアマネを巻き込んだ綱渡りだって事を覚えとけ」


 睨みながらそう口にするシセンに、レイモンドは少し意外そうに目を丸くし、微笑みを浮かべる。


「そうか…そうだね。忠告痛みいるよ、シセン」


「敬称を付けろ青二歳。俺の名を呼び捨てにして良いのは、若くて可愛い女だけだ」


「…気に留めておくよ、シセンさん・・


レイモンドはそう口にして不敵に微笑むと、アマネの後を追った。


「ケッ、生意気なガキだ。アマネの奴、あんなの何処で拾ってきやがったんだか…」


 二人が立ち去ったのを見送り、一人悪態を吐くシセンの後ろに、頰を晴らした受付が近寄る。


「その…シセン主任、この度は申し訳——あべまっ!?」


 頭を下げる受付の赤く腫れたのとは反対の頬を、シセンの握り締められた拳がめり込んだ。


 先程の平手打ちも中々の威力であったが、それが児戯に見える程の本気の暴力。


 受付は派手に吹き飛び、コンクリートの壁に叩き付けられた。


 白目を剥き、泡を吹いて崩れ落ちる受付を尻目に、シセンは鼻を鳴らす。


「馬鹿が。天引きに中抜き、結構な事だがバレたら終いだ。やるならもっと上手くやれ。大体相手は魔力持ち二人だぞ。やるにしても客は選べやボケ」


 既に意識が無い受付の腹に、シセンは容赦無く蹴りを入れる。


 カウンターに並んでいた仕事の受注者達は騒然とする。


 と、ここで漸くカウンターの奥から数人の従業員が現れ、苛立ちを隠しもしないシセンを宥め、気絶した受付を奥に運び入れた。


 ビルの外では、妙に二階が騒がしいなとアマネが首を傾げ、レイモンドは苦笑しつつ肩を竦めていた。

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