116# 闇市場

 夢を見た。


 昔の記憶。


 廃墟の多い街並みと、何処からか拾ってきた鉄パイプを片手に遊ぶ少年。


 王国から身分を隠して引っ越してきて、帝国で出来た最初で最後の友達。


 そうだった、その友達の髪の色は、帝国では珍しい、色素が抜け切った様な白色だった。


 どうして今まで忘れていたのか。


 その少年を見た最後の記憶は——隣人達による暴行の末の変わり果てた姿だった。



 廃墟に差し込む朝日、それに照らされる栗色の髪。


 朝だよー、そんな声を耳にし、レイモンドは古びたソファより起き上がる。


 ふと、立て付けの悪い戸が開かれ、アマネが顔を覗かせた。


「朝だよ、レイ。今日は随分とお寝坊さんだね」


 優し気に微笑むアマネの、薄く透き通る様な白髪を、レイモンドは少しだけ切なげに見る。


 そんなレイモンドに、アマネは目を丸くする。


「なんで泣いてるの…怖い夢でも見た?」


「泣いてる…?」


 アマネに言われ、レイモンドは自身が涙を流している事に気付く。


 レイモンドは苦笑しつつ、涙を拭った。


「——ああ、本当だ。いや、少し昔の事を思い出してね。それと、怖い夢で泣いたりはしない。子供ではないんだ」


「自分は子供じゃないって意地を張るの、充分子供っぽいよ。ほら、降りてきて。朝ごはんの準備出来てるから——みんな待ってる」


 アマネの呼び掛けに、レイモンドはソファから立ち上がる。


「分かった、直ぐに行こう…紅茶はあるかい?」


「そんな高級品ある訳ないでしょ。あるのは麦茶だよ、麦茶」


「麦茶か…あれは苦手なんだ。香りがどうも…」


「我儘言ってないで行くよ」


 軽口を叩き合いながら、二人は廃墟の広間へと向かった。



 レイモンドが帝国に来て、約一か月が経過していた。


 この一か月、レイモンドはこの廃墟にて、アマネや子供達と生活を共にしている。


 《闇の神》の打倒——その目的を忘れた訳では無いが、これまで先導してくれていた光の蝶は、依然としてアマネの近くを離れようとしない。


 光の蝶の先導が無いままに、広大な帝国を進むのは得策では無い。


 レイモンドはそう判断し、この場に留まっていた。


 いや、それは言い訳かとレイモンドは自嘲する。


 一か月もの間ここに滞在したのは、ここの居心地が思いの外良かったからに他ならない。


 自らが求めた理想、魔力の有無に関わらず、手を取り協力して生きる素晴らしさ。


 そのぬるま湯に、浸されているという自覚はあった。


 いつまでもここにいる訳にはいかない、そう思いつつも、出発を先延ばしにして早くも一月過ぎた。


 ローファスはどうしているだろうか、アンネゲルトは、ヴァルムは、オーガスは。


 急に姿を消した自分を心配してくれているだろうか。


 或いは、怒っているだろうか。


 アステリアは——


 そこまで思考し、レイモンドはそれを散らす様に頭を振るう。


 彼女との婚約は解消された。


 彼女より想い人が居ると話され、泣きながらに謝罪され、婚約破棄を申し出たのは他でも無い自分自身。


 その上で今も尚、彼女への気持ちの折り合いがつかない等、未練がましいにも程がある。


 ふと、そんな上の空のレイモンドの頬に付いたトマトソースを、アマネがそっと指で触れて拭う。


「ソース、付いてたよ。あと、早く食べなよ。みんな食べ終わってる」


 見れば、子供達は食卓に並んだ皿や空の缶詰を片付けている所だった。


「今日のレイ変だよ。本当に大丈夫?」


 指先のトマトソースを舐めながら、アマネは心配そうにレイモンドの顔を覗き込む。


 レイモンドは肩を竦めて見せた。


「少し寝惚けていただけだ。問題無い」


「本当? 悩みがあるなら聞くけど。聞くだけならタダだからね」


「ありがとう。本当に大丈夫だ。悩みは無い」


「嘘。悩みが無い人間なんていないよ。話してみなよ、楽になるから」


「アマネ…だから私は——」


 二人が話している間に入る様に、ショウがレイモンドの皿にある黒パンを掠め取る。


 そしてショウは驚いた様に目を丸くする二人を尻目に、硬い黒パンを無理矢理に食い千切って見せた。


「ケッ…イチャついてんじゃねーよ」


 ショウはそう吐き捨てると、黒パンを頬張りながら廃墟の外へ出て行った。


「な…イチャついてないし! て言うかショウ! それレイのパンだよ!?」


 顔を真っ赤にして追い掛けようと立ち上がるアマネを、レイモンドは制止する。


「良いよ。今日は元々、夢見が悪くて食欲が無かったんだ。それに、彼はうちの稼ぎ頭だからね。パンの一つくらい構わないよ」


 ショウに続いて、子供達が廃墟の外へ出て行く。


 彼らが向かう先は廃棄場。


 中央都市で出た廃棄品が山の様に捨てられた、所謂ゴミ捨て場。


 廃棄された物の中から、稀に貴重品が出てくる事もある。


 それに、廃棄品から取れる鉄やレアメタルは、ある程度集めれば質屋で売れる。


 日々の生活に困窮するスラム民からすれば、廃棄場は正しく宝の山である。


「さて、我々も出よう。依頼書が更新されているかも知れない」


「もう、レイはショウを甘やかし過ぎよ…」


 レイモンドはアマネを連れ、廃墟を後にする。


 レイモンド達二人が向かうのは、子供らが向かった廃棄場とは別の場所。


 決して公的とはいえない——それは所謂、違法に当たる仕事を斡旋するディーラーの元へ。



 帝国の《中央都市》より離れた辺境に無数に存在するスラム街。


 それらのスラム街には、規模の大小はあれど、必ずといって良い程に闇市場ブラックマーケットが存在する。


 闇市場ブラックマーケットでは、基本的に金銭さえ積めば大概の物が手に入る。


 取り扱われている商品は、違法薬物、銃火器、臓器、《中央都市》への移住権、果ては王国の魔法薬まで正しく多種多様。


 闇市場ブラックマーケットは表面上は、盗品の疑いのあるグレーな商品が並べられた市場である。


 レイモンドとアマネはそれらの怪しい市場を抜けて奥へと進み、一棟の古びた廃ビルへと足を進める。


 入り口にある目隠しのされたカウンターより、スキンヘッドの強面の男がじろりと鋭い視線を覗かせる。


「…アマネに、新顔の優男ロメオか。朝っぱらから精が出るじゃねぇの」


「お疲れ、シセン。新しい依頼来てる?」


 スキンヘッドの男——シセンに、アマネは慣れた調子で話し掛ける。


 シセンは顔を顰めた。


「毎度同じ事ばっか聞くんじゃねぇよ。依頼探しなら上でしな。まあ新しい依頼は来てたな…お勧め出来たもんじゃねぇけどな」


「…?」


 首を傾げるアマネに、シセンは早く行けと手で払う。


 レイモンドとアマネは、促されるままに階段を昇り、上の階へ向かった。



 この廃ビルで行われているのは、商品の注文と仕事の斡旋。


 注文する場合は地下、仕事の斡旋を受けたい場合は二階へ。


 地下では表の市場で並べられない商品が置かれていたり、欲しい商品を注文する事が出来る。


 対する二階は非合法な仕事を斡旋する場であり、ビルのフロア一つがぶち抜かれた広間に改装されている。


 壁一面の掲示ボードに無数に、無作為に貼り出された依頼書——仕事を受けたい者は、この中から選んで受付のディーラーに持って行く。


 貼り出されている依頼の内容は様々であり、ゴミ集めや庭の草むしりの様な些細なものもあれば、中身不明の荷物の運搬や殺人依頼の様に、明らかに非合法なものまである。


 その分報酬の幅も広く、小銭稼ぎレベルのものから、一攫千金レベルまである。


 当然、報酬が高いものは相応に危険であり、難易度が高いものが多い。


 しかし、中には依頼内容の難度と報酬が釣り合っていないものもあり、例えば隣町に手紙を届けるだけで丸一年は食いっぱぐれない程の報酬が設定されている破格の依頼も存在する。


 当然そういった依頼には何かしらの裏がある訳だが。


 報酬の額に釣られて仕事を受け、攫われて人身売買されたという事も過去にあったのだとか。


 その様な騙し討ちの様な依頼も中にはある為、仕事を選ぶ場合は慎重に見極める必要がある。


 騙し討ちに引っかかったとして、どの様な形であれ、そのツケを払うのは依頼を受けた本人。


 騙された方が悪い、それがスラムでの共通認識である。


 アマネが食い扶持を稼ぐ為に普段請け負っている仕事は、数ある依頼書の中でも比較的危険な部類に入る《はぐれ機獣》関連の依頼。


 《はぐれ機獣》とは、帝国軍が国境に無数に放っている《機獣》の中から稀に現れる異常行動を取る個体である。


 《機獣》は基本的に国境付近の山脈から離れる事はない。


 しかし時折、システムに異常をきたしたのか、将又バグか、帝国軍の指揮下から離れて人里に降りてくる個体がいる——それが俗に《はぐれ機獣》と呼ばれる存在。


 《はぐれ機獣》の駆除は、例え小動物型のものであっても危険度、難度が非常に高く、その分報酬も割高なものが多い。


 こういった《はぐれ機獣》関連の依頼は、危険度の高さから請け負う者の数が少なく、基本的には戦闘技術に秀でた元軍人や、身体能力に優れた魔力持ちが行なっている。


 《はぐれ機獣》に対応出来る者はスラムでも貴重な為、アマネが魔力持ちと知られながらに“利”として見逃されている一因となっている。


 アマネは、掲示ボードに貼られた新しい依頼書を眺めながら、苦々しく目を細めた。


「“お勧め出来たもんじゃねぇ”、ね。成る程…」


 アマネ達が見ているのは、掲示ボードの中でも《はぐれ機獣》に関する依頼が貼り出されたスペース。


 今朝方貼り出されたであろう真新しい依頼書を前に、アマネは溜息を吐く。


「これは流石に手に余るね…」


「報酬はかなり高い様だが、何か問題が?」


 一緒に覗き込むレイモンドが、不思議そうに首を傾げた。


 依頼内容は、特定の《はぐれ機獣》の調査——討伐ではなく、調査。


 それだけで、他の討伐依頼の倍近い額の報酬が提示されている。


 それもその筈、対象の《はぐれ機獣》は、既に人的被害を出している。


 草食獣型が農作物を荒らしているのとは訳が違う。


 アマネは首を横に振った。


「レイ、駄目だよこれは。私達二人でも、これ・・は無理。こんなの、役所に訴えて軍を派遣するレベルだよ。まあ役所は、何人か犠牲者が出ないと動かないだろうけど…」


 恐らく既に役所には伝えていて、それでも動かないから闇市場ここに依頼として出したのだろうとアマネは当たりを付ける。


「犠牲者が出ないと対応しないのか…? 国の公的機関だろう」


 眉を顰めるレイモンドに、アマネは肩を竦める。


「毎晩ふかふかのベッドで寝て、汗を掻かなくてもお腹一杯食べられる——役所の人は、そういうのばかりだから。私達みたいな貧困層がどうなろうと、別に痛くも痒くもないだろうし、そりゃ対応も遅れるよ」


「…そうか。そういうものか」


 レイモンドは目を伏せる。


 実際王国でも、場所によっては似た様な事があると聞く。


 かのライトレス領でも、地方の役人が好き勝手に税を増やし、あまつさえ人身売買に手を染めていた者がいたという。


 ローファスが処断したとの事だが、発覚した時には、その地域は随分と貧困化していたらしい。


 千年もの歴史を持つ大貴族ライトレス家ですらその様な事例があるのだから、他の貴族ともなれば尚更あるだろう。


「…調査対象の《機獣》、形状は——?」


 依頼書に記載された目撃情報には“熊の様なフォルムだった”とある。


 《熊型の機獣》——肉食獣、それも大型。


 これは確かに、農作物を荒らす草食獣型とは一線を画する危険度といえる。


 とはいえ、レイモンドであれば如何に強力な《機獣》であろうと、問題無く討伐する事が出来るだろう。


 しかしながら、レイモンドはアマネに、魔法が扱える事を黙っていた。


 帝国の魔力持ちに、魔法を扱える者は存在しない。


 アマネには既に王国人であると勘付かれているものの、レイモンド自身はそれを明確に認めた訳ではない。


 帝国で魔法を行使すれば否が応でも目立つ上、魔力持ちどころか不法入国している王国人であると宣言する様なもの。


 人前で使うのはリスクが大き過ぎる上、今となっては生活を共にしているアマネや子供達すらも危険に晒す事になりかねない。


 レイモンドはアマネが請け負う《はぐれ機獣》関連の仕事に付き添い、協力はするものの、持ち前の高い実力は隠していた。


 故に稼ぎが良いからといって、レイモンドはアマネに危険な仕事を勧める訳にはいかない——仮にレイモンド一人でも容易く達成出来る仕事であったとしても。


「…一年位前、《豹型の機獣》が現れた事があったんだけど。その時は沢山の犠牲者が出て、スラム街の実力者達が総出で討伐に乗り出したけど、被害が増えるばかりで倒せなかったんだよ。最終的には帝国軍が派遣されて事無きを得たけど」


 アマネは悪夢でも思い出す様に苦々しく呟く。


「…だから肉食獣、それも大型の《機獣》は危険なんだ。調査も駄目だからね——分かった、レイ?」


「了解したよ。ボスに従おう」


「何それ」


 素直に頷き、ついでに軽口を叩いて見せるレイモンドに、アマネは笑う。


「じゃ、新しい依頼は見送りって事で。残念だけど、今日は農場の常駐依頼かな」


 農場は、農作物を荒らす草食獣型の《はぐれ機獣》に悩まされている為、畑に常駐する依頼は常に出されている。


 要するに畑が《はぐれ機獣》に荒らされない為の見張りの仕事である。


 《はぐれ機獣》が現れれば当然対処するが、基本的には現れずに一日を過ごす場合が多い。


 常駐依頼はその性質上報酬も少額であるが、《はぐれ機獣》が現れて駆除した場合は追加で報酬が支払われる。


 《はぐれ機獣》が現れない限りは良い稼ぎになるとはいえないが、その場にいるだけで報酬が出るというのは魅力的である。


 報酬が少額とはいっても、危険度の高い《はぐれ機獣》関連の依頼に分類される為、他の雑用系の依頼よりは割高な部類。


 最低でも一日分の食費にはなる。


 良い依頼が無ければ、アマネは基本的にこの常駐依頼を受けている。


 場所はスラム外にある近場の農場。


 よく依頼を受ける事もあり、依頼主の農場経営者とは顔馴染みである。


 アマネは毎日変わらず貼り出される農場常駐の依頼書を剥がし、手続きをするべく受付に向かった。


 レイモンドもその後に続く。



 これが帝国での、レイモンドの一日の始まり。


 《闇の神》の打倒という目的も停滞したままに、何かに縋る様に続けて早一ヶ月。


 決して裕福とはいえない環境ながらに、レイモンドにとってアマネや子供達との生活は、思いの外居心地の良いものだった。


 平穏、平和、癒し、安らぎ——それらにレイモンドは満たされていた。


 しかしこの生活が、長く続く事はない。


 束の間の平和——ひび割れ行く音が、すぐ近くにまで迫っている事に、レイモンドは気付いていなかった。

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