27# 黄色い百合

「信じらんない!」


 リルカが、ローファスに詰め寄っていた。


「普通さ! 押し倒されて好きな男はいないのか、なんて言われたらさ! そう言う意味だと思うじゃん!? 口説かれてると思うじゃん!?」


 船中に響く程の声量で捲し立てるリルカ。


 ローファスは目を逸らして無視するが、リルカは構わず続ける。


「しかも私! なんか満更でも無い反応返しちゃったじゃん!? でも仕方ないよね!? だってこっちは命救われてんだよ? 皆の事も助けてくれたんだよ? ローファス君すっごい強いし、顔だって悪く無いし、ちょっと良いかもって思うのは普通じゃない!? ねえ!?」


 ローファスの外套の裾を掴み、文句を言いながらぐいぐいと引っ張るリルカ。


 ローファスは何処か疲れた目で、その全てをスルーしていた。


 そんな光景を離れた所から見ているのは、《緋の風》のメンバー——ケイ、ダン、そしてショートヘアの女構成員、エルマだった。


「…ねえ、あれ。リルカはどうしちゃったの?」


 エルマの疑問に、ダンが答える。


「…二人で甲板から戻ってから、あんな感じだ」


「あのローファスって子、確かあのライトレス家の子なのよね。リルカとそう言う感じなの? なんか押し倒したとか口説いたとか聞こえたけど」


 ケイが鼻で笑う。


「だからさ、俺が思うに、リルカはあのお貴族様のタイプじゃねえんだよ。聞いてた限り、大方口説かれたと勘違いしたリルカが、それと無くOKして話がややこしくなったとかそんな感じだ。実は口説かれてなかったって事実に逆ギレして暴走してんだよあいつは」


「そうなの? あんなに怒ってるリルカは初めて見るけど。それに、貴族相手にあんなに怒鳴って大丈夫なの?」


「そりゃ大丈夫だろ。俺の見立てでは、あのお貴族様は女好きだ。好みじゃ無いとは言え、女を邪険にはしねえよ。てかエルマ、お前アタックしろよ。金持ちと結婚したいって言ってただろ」


 ケイの言葉に、エルマは顔を引き攣らせる。


「いや、確かに言ったけど…あの子リルカと同じくらいよね? 私と歳離れ過ぎてるし、貴族って柵多そうでちょっと…まあ、顔は悪く無いけど」


 ダンが首を傾げる。


「…ケイ。リルカはずっと無視されているが、あれは邪険にされてないのか?」


「されてねえよ。相手はお貴族様だぞ? 無視するだけで許されてるなんて凄ぇ寛容だろ。ならよ、俺がリルカと同じ事をあのお貴族様にしたら、どうなると思う?」


「そりゃ、即処刑ね」


「…首が飛ぶ」


 即答するダンとエルマに、ケイは肩を竦めて見せる。


「な? そう言うこった」


 成る程、とダンとエルマが納得した様に頷いていると、通路の奥からホークが来た。


 ホークは喚くリルカを見て、眉を顰める。


「…ありゃ、何の騒ぎだ」


 ホークの呟きに、ケイはニヤッと笑った。


「お、聞くか? リルカの失恋話」


「そりゃ興味深いが…もう直ぐ着陸だ。お前らも衝撃に備えておけ」


 ホークはそのまま三人を後にし、リルカに詰め寄られているローファスに近付く。


「ローファスさん、間も無くローグベルトに到着します。少し衝撃があるので、手摺にでも掴まっておいて下さい」


「…分かった」


 ホークの言葉に、ローファスはやっと解放されると安堵の息を吐くが、リルカは尚も止まらない。


「ちょっと! まだ話は終わって無いよ? ねえ聞いてる!? ローファス君!」


 間も無く船内は急降下時に生じる揺れに見舞われる。


 その間もずっと、リルカの声は船内に響いていた。


 *


 ローグベルト近くの岩山頂上付近。


 以前、ステリア領から帰還した際に降り立つのに使用した場所。


 飛空挺イフリートは、その上空に停泊していた。


 イフリートは不可視化、魔力遮断が付与された高度な結界が展開されており、地上から飛空挺の姿を視認する事は出来ない。


 完全不可視化による高速飛行。


 これが《緋の風》が今の今まで、王国から逃げ仰せている理由だ。


 岩山の上空で停泊している今も、ローグベルトの住民達にはその存在を感じ取る事は出来ない。


 停泊するイフリートの甲板から、ローファスは岩山頂上を見下ろす。


 頂上には、やはりと言うべきか一頭のワイバーンの姿があった。


 片翼が暗黒で塗り潰された、正しくヴァルムのワイバーンだ。


 ワイバーンは、天を仰ぎ見ながら、繰り返し鳴いている。


 それはまるで、何かに呼び掛ける様に。


「わ! ワイバーンだ!」


「おい危ねぇぞ!」


 リルカが甲板の手摺から身を乗り出して騒ぎ、ホークに首根っこを掴まれている。


「なんだってこんな所に…あれがここに来た理由っすか?」


 シギルが尋ね、ローファスは首肯する。


「ここまでご苦労だったな。俺はここで降りる」


「えっ…じゃあ、俺達は…?」


「何処へなりと消えろ」


 っしゃー! と、ローファスの目も気にせずガッツポーズをするシギル。


 ローファスはそれを半目で睨みつつ、他のメンバーが離れた位置に居るのを確認し、口を開く。


「…忠告してやる」


「うぇ!? な、なんすか…」


「例の高額な特効薬についてだ」


「…!」


 シギルは、その話題が出た事に身構えるが、ローファスは構わず続ける。


「貴様らのサブリーダー、イズの症状は見たが、それに有効な薬は今の所存在しない筈だ」


「…は?」


 ローファスの言葉を聞き、放心する様に首を傾けるシギル。


「い、いやいや、そんな…ローファスさん、あんた医者でもねーのにそんな…」


「ならば、医者は言ったか? この病に特効薬があると」


「…」


 シギルは沈黙する。


 確かにイズを医者に見せた時、医者は手の施しようが無いと言った。


 薬も存在しないと、正にローファスと同じ様な事を。


 それでも諦められる筈も無く、件の風土病に関する情報を死に物狂いで集めた。


 そんな折に、ある大商人から声が掛かった。


 値は張るが、特効薬は存在する、と。


 王国では、確かに薬は開発されていないが、技術の進んだ帝国では、既にその病の特効薬が出来ている、と。


 その商人は帝国と伝手があり、入手は可能だが、それは帝国でもかなりの貴重品であると、エリクサー以上の値段を提示された。


 だが、その特効薬があれば、イズは完治する。


 完治すれば苦痛に苛まれる事なく、以前の様にまた皆で冒険が出来る。


 その未来を掴む為に、シギルや他のメンバー達は命懸けで高難度の遺跡やダンジョンに挑み続けたのだ。


 それを今更…。


 シギルは、乾いた笑みを漏らす。


「…はは。あんま適当な事言わんで下さいよ。特効薬は、確かにあるんすよ、王国には無くとも帝国に…だから——」


「帝国だと? それこそおかしな話だ。例の病は魔素が身体に蓄積されるもの。帝国は確かに進んだ技術を有するが、魔力や魔素に関してはカラキシだ。特効薬など、ある筈がない」


「いい加減にしてくれよ!?」


 耐え切れなくなったシギルが、ローファスの胸倉に掴み掛かった。


 突然の事に、騒然とする周囲。


 ローファスは冷ややかにシギルを睨む。


「離せ」


「さっきから適当な事言いやがって。お前みたいなガキに何が…」


「…その帝国産の特効薬、そのガセ情報を貴様に流したのは誰だ?」


「まだ言うかテメ——」


「うおおおおおおおおおおおおおい!!」


 絶叫しながら全力疾走で走り寄って来たホークが、ローファスに掴み掛かるシギルを羽交締めにする。


 それでもシギルは、ローファスの胸倉から手を離さず、遅れて来たケイとダンが加わり、三人掛かりでシギルを引き剥がした。


「馬鹿野郎シギルテメエ! 誰に何をやったか分かってんのかクソボケゴラァ!!」


 普段冷静なホークが、ブチ切れてシギルに怒鳴り散らし、それを左右のケイとダンは引き気味に見ている。


 リルカはローファスに心配そうに駆け寄る。


「だ、大丈夫ローファス君!? どうしたの、何があったの!?」


 ローファスはリルカを無視し、乱れた装いを正しながら、三人に抑えられるシギルを見据える。


「俺の言葉が嘘だと思うか? まあ、信じるかどうかは貴様次第だ」


 ローファスはそのまま外套を翻し、手摺に手を掛ける。


 リルカはローファスの外套の裾を掴んだ。


「ローファス君、何処行くの…まさか、ここから飛び降りる気? やめなよ、怪我するかも…」


「この程度で怪我等するか。俺はここで降りる。貴様等、二度とライトレス領の敷居を跨ぐな。次は無い」


 ローファスはそのまま行こうとするが、リルカが手を離さない。


 ローファスは苛立った様にリルカを睨む。


「おい、離せ」


「なんで行くの…? シギル兄と喧嘩したから? それなら、シギル兄にはちゃんと言って聞かせるから…」


「関係無い。元々ここで降りるつもりだった」


 リルカは泣きそうな顔で縋り付く。


「ここでお別れなんて嫌だよ…ねえ、もう少し一緒に居ようよ、家にだって送るし、何処へでも連れて行くから…」


「くどい」


 ローファスは魔法障壁を展開し、裾を持っていたリルカの手を弾く。


「ローファス君!」


 ローファスはそのまま手摺を乗り越え、甲板の端に立ち、再びシギルを見、そしてホークを見据える。


「いらぬ節介だったな。掴み掛かった不敬は許してやる」


 ローファスはそのまま、地上へ向けて飛び降りた。


「待って、ローファス君——」


「オイオイオイ!?」


 あろう事か追い掛けようとしたリルカを、ケイがシギルから離れて羽交締めにして止める。


 リルカはケイに止められながらも、甲板端から地上を覗く。


 ローファスは大きな暗黒の手に乗り、ゆっくりと地上に降りて行くのが見えた。


「すっげ、空も飛べんのかよ」


 それを一緒に見たケイが呟く。

 

 リルカは僅かに歯噛みをし、素直に甲板に戻る。


「んだよリルカ、マジであのお貴族様にほの字なのかぁ?」


 からかったように言うケイに、リルカは頬を膨らませて顔を背ける。


「…そんなんじゃないから」


「いやいや、お前のその態度はどう見ても…」


「もう、違うって言ってんじゃん!」


 むくれるリルカをからかうケイ。


 そんな光景を、溜息混じりに見るホークは、漸く落ち着いたシギルを離す。


「落ち着いたか、リーダー? お前の癇癪で再び《緋の風》全滅の危機だったの、分かってるか?」


 シギルは不貞腐れた様にそっぽを向き、逆立つ髪をがしがしと乱雑に掻く。


「悪かったよ」


「何があった」


「…言いたくねえ」


「おい」


 目を細めるホークに、シギルは観念した様に息を吐く。


「…特効薬の件だよ」


「あ? なんでライトレスの嫡男が…」


「さあな、忠告だとよ」


 シギルは船室に向かって歩く。


「…ギランの奴に確かめねぇとな」


 シギルは独り呟き、《緋の風》面々に向き直る。


「お前ら、出発するぞ。行き先は北方——ステリア領だ」


 《緋の風》に高額な特効薬の話を持ち掛けてきた大商人——豪商ギラン。


 シギルは、ローファスの言葉を真に受けた訳では無い。


 ローファスの言葉が仮に事実ならば、特効薬は存在せず、病に侵されたイズは助からないと言う事になる。


 そんなもの、信じる訳にはいかなかった。


 だが、そもそもこの件に関して、ローファスが嘘をつく理由も無い。


 何れにせよ、ギランには一度話を聞く必要があった。


 飛空艇イフリートの魔導エンジンが唸りを上げ、紅蓮の炎を上げる。


 刹那の内に最高速に達したイフリートは、夜空に赤い軌跡を刻みながら北へ向けて飛び去った。


 イフリート船内の窓より、遠く離れていくローグベルトの岩山を、リルカはいつまでも見続けていた。


 リルカは感情の無い目で口を開く。


「ワイバーン…もしかしたら、向こうで会えるかもね——ローファス君」


 その小さな呟きは、エンジン音に溶けて消えた。


 *


 ローグベルト近くの岩山頂上。


 飛空挺から飛び降りたローファスは、暗黒腕ダークハンドを足場に緩やかに降下し、地上まで十数メートルの所で飛び降りた。


 残された暗黒腕ダークハンドは霧散して消え、ローファスは地上に降り立った。


 ローファスの目に写るのは、周辺を見る限りワイバーンのみ。


 夜と言う事もあってか、討伐隊の邪魔をしていたと言うローグベルトの住民数名の姿も無い。


 脳裏に、フォルの顔がチラつきながらも、ローファスは即座に頭を振って思考を散らした。


 不可視の結界が張られた飛空挺より飛び降りたローファスは、周囲から見れば突然現れた様に写ったのだろう。


 ワイバーンは急に空から降り立ったローファスの存在に、驚いた様に目を見開き、短く一鳴きして近寄った。


「…っ」


 突如近寄られ、ローファスは初見時に食い付かれそうになった事を思い起こして警戒するが、ワイバーンに敵意の色は無かった。


 それはかつて、ヴァルムにしていた様に、ワイバーンは頭をローファスの外套に擦り付けてくる。


 それも、弱々しい鳴き声を上げながら。


 それは懐いていると言うよりは、まるで何かを懇願している様な、ともすれば、助けを求めている様にも見えた。


 ローファスは目を細め、ワイバーンを見据える。


「…一体何があった。貴様だけで来るなど、ヴァルムはどうした」


 ローファスの問い掛けに、ワイバーンは当然だが答えられない。


 ただ、まるでローファスの言葉に反応する様に、ワイバーンはローファスの外套の裾を口で咥えて引いた。


 まるで、背中に乗れとでも言っているかの様な仕草。


「…まさか、この俺にステリア領まで来いと?」


 ワイバーンは肯定する様に一鳴きした。


 ローファスは夜空を見上げ、うんざりした様に溜息を吐く。


 このままワイバーンの懇願を突っぱねる事は容易だが、ヴァルムの事が気にならないかと言えば嘘になる。


 思えば、先のガレオン主催のパーティにヴァルムは来なかった。


 来なかったのでは無く、何か問題が起きて来れなかったと言う事も考えられる。


「ああ、そう言えば…」


 ローファスはふと思い出す。


 今の今まで忘れていたが、三ヶ月前、ステリア領での別れ際に言われたヴァルムの言葉。


 あの時ヴァルムは、豪商ギランを奴隷売買の件で摘発すると言っていた。


 豪商ギラン…かつて奴隷として囲っていたノルンを、ローファスの手により力付くで解放された小太りの男だ。


 そして後日、ライトレス家に豪商ギランからの苦情が届けられた。


 内容は、ライトレス家嫡男のローファスに、屋敷を襲撃されたと言うもの。


 奴隷を奪われた事を根に持ったのか、ローファスを意味も無く屋敷を襲った襲撃犯だと豪商ギランは言い張っていた。


 ローファスは、ギランの屋敷に身元が分かるような証拠を残していなかった。


 しかし、素性が割れていると言う事は、ヴァルムに渡したライトレスの紋章が仇となったと言う事。


「成る程な」


 ローファスの中で、点と点が繋がった。


「ヴァルムの奴め…何が摘発だ。さてはしくじったな…」


 豪商ギランは、貴族では無いにも関わらず、ステリア領で随分と権力を持っている様だった。


 それこそ、多少の悪事を揉み消す程度、造作も無い程の影響力を持っている。


「魔力も持たぬ下民の成り上がり風情が、随分と調子に乗っている様だ。やはり、あの場で殺しておくべきだったか」


 ローファスは一人ごちりながら、ワイバーンに飛び乗る。


「ヴァルムもヴァルムだ。奴程の腕があればどうとでもなるだろうに」


 ワイバーンが単体で助けを求めに来ていると言う事は、ヴァルムが動けない状態にあると言う事。


「よもや敗北などしていないだろうな…」


 ローファスの呟きは、ワイバーンの嘶きにより掻き消された。


 ワイバーンは岩山を飛び上がり、両翼をはためかせながら北へ飛ぶ。


 ワイバーンはローファスに魔力を過剰に注ぎ込まれ、夜空を凄まじい速度で飛翔する。


 夜空に掛かった二本の軌跡は、誰の目にも止まらぬ間に静かに消えた。


 *


 ステリア領、極寒の地下牢獄。


 鎖で厳重に拘束され、身動き一つ取れないヴァルムの前に、一人の男が立っていた。


 真紅の長髪に、赤いコートを纏った男。


 首には白イタチの毛皮をマフラーの様に巻き、その腰には王家の紋章が刻まれた上質な剣を携えている。


 王国で毎年開かれる剣術大会——剣聖祭の今年度優勝者であり、現剣聖。


 ステリア領主の次男——エリック・イデア・ステリア。


 髪色に因んで《紅蓮の剣聖》と渾名される傑物だ。


 剣聖エリックは、ヴァルムに親し気に話し掛ける。


「頭は冷えたかい、ヴァルム。いつまでも意地を張るものではないよ。ほら、君にプレゼントだ。道中、花摘みの少女から買ったものだ。雪解けはまだだと言うのに、もう咲いているらしい。花は健気で、精強だな。まるで我が領の兵士の様では無いか」


「……」


 エリックは懐から黄色い百合の花を取り出し、ヴァルムに見せる。


 が、ヴァルムはそれに無言で返した。


 いつまでも続く沈黙に、エリックは肩を落とす。


「私としても、君程の武人をこんな所で腐らせるのは忍びないのだ。君には良い加減、私の下に戻って来てもらいたいのだがね」


 エリックは、ステリア領の騎士団の長を務める身である。


 ヴァルムは弱冠12歳ながらに、エリックの元で下働きとして働いている。


 ヴァルムに戦い方の指導をしたのも、他の誰でも無いエリックだ。


 エリックはヴァルムの上司であり、戦闘技術の師でもある。


 そんなエリックを、ヴァルムは睨みつける。


「父を、解放して頂きたい。貴方も分かっている筈だ、ギランの悪事を。何故、奴の様な男を野放しに…」


「12歳の子供には分からないか。ステリア領は広大で兵も精強だが、決して豊かな土地では無い。ギランは確かに悪質な男だが、商人としての腕は一流。ステリア領の経済を回しているのは、間違い無く奴だ。それを追い落とせば、ステリア領はどうなると思う?」


 諭す様に言うエリックに、ヴァルムは歯噛みする。


「何故、経済そのものを握られるまで奴を野放しにしたのですか…! 先代様ならばこんな事は許さなかった筈!」


「…それは、お父様の前では口が裂けても口にするなよ。処刑されたく無ければな。幾ら私でも、怒り狂うお父様は止められん」


 やれやれと肩を竦めるエリック。


「君の父親は、残念だが諦めた方が良い。ステリア領でギランに噛み付いたのだ。もし解放しても、この地では長生き出来んさ」


 ヴァルムはエリックを睨む。


「そんな事は許されない! ギランはステリア領の毒だ! 父はそれを何とかしようと、他でも無いステリア領の為に…!」


 激昂するヴァルムに、エリックは目を伏せ首を横に振る。


「君の父親が、先代——お祖父様の代より忠義を尽くしてくれていたのは知っている。だが、毒もまた、用途次第では薬となるのだヴァルムよ。今のステリア領には、その薬が必要なのだ」


「ふざけるな!」


 鎖を引き千切る勢いで暴れるヴァルム。


 だが、その鎖は魔力持ち特有の底上げされた膂力すら抑え込む特別製。


 魔力を宿すその鎖は、竜種すらも千切れぬ硬度を誇る。


 ヴァルムがどれだけ暴れようと、その鎖は罅すら入らない。


 そんなヴァルムを見るエリックは、静かに溜息を吐いた。


「…どうやら、冷静な話は無理らしい。もう暫しここで、頭を冷やす事だな」


 エリックが立ち去った後も、牢獄には暫くヴァルムの怒りの声が響いていた。


 去り際にエリックの手から離れた黄色い百合の花は、地に落ちる。


 その黄色い花弁は、白く凍てついた。

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