第72話

 ダンジョンの奥に逃げ込んだ私達のあとを追って黒いサーベルタイガーもダンジョンに入ってきた。

 入れないほど狭くないとは思っていたけど私達にとっては幸運なことに想像していたより黒いサーベルタイガーは大きくて少し身を屈めて追ってきていた。

 跳躍と疾走を封じることができたし、この状況なら薙ぎ払うように前脚を振ることもできないだろうから攻撃手段も奪うことができたとほんの少しだけ安堵した。

「まだくる!」

「ミドヴィスついてきて!」

「はいっ」

「衛兵さん! 挟撃お願いしますっ!」

 黒いサーベルタイガーのあとからダンジョンに入ってきたであろう衛兵に向けて声を張り上げて私達はダンジョンの奥に向けて走り出した。


 角を曲がったところで背後からゴゥっという音とギャウッという叫び声が聞こえた。けど、黒いサーベルタイガーはまだこっちを追いかけてきているのは「効いてるぞ! もう一発だ!」という瀬良せら 拓人たくとの大きな声で想像ができた。

 そうでなければ瀬良せら 拓人たくとにあんな余裕があるはずがない。

 でも、これで分かったことがひとつ。気障眼鏡は攻撃魔術が使えるということ。この魔術を使えるだけで稀有な存在といわれるこの世界においては唯奈ゆいなの『勇者』より珍しい存在になるんじゃないだろうか。使える術の種類によっては回復術を使える里依紗りいさよりも重宝されるのかもしれなかった。


「まだ来ています!」

「その先を右に行って。正面の部屋に入って!」

 記憶に間違いがなければその部屋の先は天井がさらに低くなっていたはずだ。

 少しでもこちらに有利な状態で戦いたいという思惑があった。

 曲がり角で黒いサーベルタイガーとの距離が少し開いたのを確認して唯奈ゆいなが槍を投擲した。

「駄目だ。刺さらない」

「こっち! 早くっ!」

 カランと音を立てて槍が落ちたのと間をおかずに黒いサーベルタイガーは壁を蹴った。直後に相手がいなくなり壁で弾ける火球が視界の隅に入ったけど、それどころじゃない!

 跳躍の勢いを水平移動に使った黒いサーベルタイガーは床や壁に身体を擦りながらも肉薄してきた。

 ガンッ! 大きな音に振り返ると走る私達の最後尾にいたミドヴィスがタワーシールドのスパイクを床石に打ち付けていた。

「駄目! ミドヴィス逃げてっ!」

「無茶しないでっ!」

 里依紗にはミドヴィスが突っ込んでくるその勢いを受け止められるとは思えなかった。

 隣を走っていたはずの唯奈ゆいながミドヴィスに向けて弾かれるように駆けた。

 ガーンッ!! 大きな音が通路内に響いた。

「グッ!」

「ガハッ!」

 弾かれた二人が里依紗を追い越して部屋の方へ吹き飛んでいった。それでも黒いサーベルタイガーの勢いは殺されて通路の途中で頭を振っていた。


「大丈夫!?」

「私は大丈夫。ミドヴィスを」

 唯奈ゆいなの言葉にミドヴィスの方を見る。左腕が変な向きで曲がっていて苦悶の表情を浮かべている。

「時間を稼ぐから治癒術をお願い」

「わかった。無理しないでね」

「それはアイツに言って」

「ばか」

「ミドヴィスをお願い」

「うん」


 唯奈は部屋の入り口で黒いサーベルタイガーを待ち受けた。

 いま手元にある武器は愛用の剣だけ。

 黒いサーベルタイガーも後ろから衛兵の攻撃を受けて前だけに集中することができなくなっているみたいだから唯奈に向けて繰り出される前脚もどこか牽制じみた動きになっている。

 繰り出された前脚に剣を突き刺す。無理に深追いはしない。

 あの前脚を封じないと私の間合いは全部相手の間合いの中なんだから。


 唯奈ゆいなが牽制してくれている間に里依紗はミドヴィスを部屋を抜けた奥の通路に運んで治癒を始めた。

「ミドヴィス痛いけど我慢して」

「っ! くっ、ふっ、うっ」

 悔しいけどいまの里依紗の治癒術じゃあ骨折を治すことはできない。だからその辺に落ちている木を添えて古着を巻いて治癒術を詠唱する。

 これだけでもマシになると以前一緒に討伐にあたった衛兵さんが言っていた。

 さっきの一合でミドヴィスのタワーシールドはくの字に曲がっていた。それを思えばこれだけで済んだのは幸いだと言えなくもないと思えた。

 エイシャが治癒術をかけ続けたと言っていたのを思い出して二度三度と治癒術を詠唱する。腫れや鬱血は改善したけど……

「どう、痛む?」

「っ、触れると痛みます」

「このまま添木をしておこう。左腕はなるべく使わないで」

「はい。すみません……」

「ううん。生きていてくれてよかった。でも、もう無茶はしないで」

「はい」

「ゆ、シュリーナ! いまできる治癒は終わった」

「わかった」


 衛兵の攻撃に注意が向いた隙をついて唯奈は二人の元へ駆けた。

 背を向けた唯奈に気がついた黒いサーベルタイガーはグッと身を屈めて私達の方に弾き出されてきた。そう、まさしく撃ち出されたような勢いで自身の身体が擦れるのも厭わずにドガンッと轟音を響かせた。

 私達の望みの綱でもあった入り口の壁がガラガラと音を立てて崩れた。

「来るっ!」

「早く奥へっ! 突き当たりを右!」

「はいっ」

 この奥は突き当たりがT字路になっていて右に行くと部屋があった筈だ。左は崩れた壁で通れなくなっていたと思う。


 広くなった部屋で衛兵達の相手をしてくれれば私達にとっては助かるのだけど。そう上手くはいかなかったようだ。

 黒いサーベルタイガーは我を失ったように私達を追いかけてこっちの壁に体当たりをしてきた。

 轟音が響き瓦礫が私達のところまで飛んできた。

「いい加減にしてほしいわね」

「アンタが目を傷つけたからじゃない?」

「そんなことより急いでください!」

 私達がT字路に差し掛かったところでまた轟音が響き私達は黒いサーベルタイガーと共に壁の裏にあった虚に浮いていた。


 私達はダンジョンの未踏破区画に落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る