side:主人公(ここがゲームの世界であると知っている転生者たちの話)
……夜の校舎、人気のない廊下。そこを歩く人影が一つ。
静かに、音を立てずに暗闇を進む彼の名前はゼノン・アッシュ……今日、学園一の嫌われ者であるユーゴ・クレイを決闘で打ち負かした青年だ。
アッシュの名の通りの灰色の髪とくすんでいるそれとは真逆の爛々と輝く金色の瞳が特徴的な美青年である彼は、とある教室の前で立ち止まると周囲を確認してからその扉を開ける。
教室内から感じられる人の気配に目を細める彼へと、暗闇の中からその人物たちが声をかけてきた。
「遅かったじゃないか。何をしてたんだい?」
「大方、クソのユーゴを倒したヒーローとして祭り上げられて、ちやほやされてたんだろ? 気分が良くなって、ちょっとくらいなら遅刻してもいいや~、ってなったところだろうさ」
「愛しのクレアちゃんに抱き着かれた気分はどうだったよ、ゼノンくん? いや、
「止めろよ。俺をその名前で呼ぶな。折角、【ルミナス・ヒストリー】の世界に転生して主人公になれたっていうのに、クソダサい昔の名前で呼ぶんじゃねえ」
「はっはっは! ごめんごめん、悪かったよ。ちょっとからかいたくなっただけだって」
「それにしてもゼノン・アッシュって……ククッ! 中二病丸出しな名前じゃない?」
「……お前たちが言えることかよ。お前らだって、俺と同じ立場のくせに……!」
シン……と、ゼノンの言葉を耳にした面々が一様に押し黙る。
触れられたくない部分を触れられた彼らが口を閉ざす中、ゼノン……いや、
「まあ、ここでバチバチしてても仕方ないだろ? 同じ転生者同士、暫くは仲良くしてようぜ」
……ここに集まった面々には、秘密がある。
ゼノンをはじめとしたこの夜の密会の参加者たちは全員、異世界からの転生者だ。
同時に彼らはこの世界が自分たちがプレイしていたゲームである『ルミナス・ヒストリー』の世界であることも知っている。
何を隠そう、彼らはこのゲームをやり込み過ぎるくらいにプレイしていた、相当なマニアなのだ。
これより少し前、それぞれが別の形で命を落とした瀬人たちは、神に導かれてこの世界に転生した。
そして、ゲームでプレイヤーの分身となる主人公としての自分たちをクリエイトし、物語の舞台となるルミナス学園に入学してきた、というわけである。
学園生活の中で己を磨き、学友たちとの絆を深め、パーティを組んで様々な事件と戦いに挑み、成長していくという王道学園ファンタジーゲームの【ルミナス・ヒストリー】は、プレイヤーの判断によって無数のルートへと枝分かれしていく。
総勢数百名にも及ぶキャラクターたちとどう関わるかによって物語は大きく様変わりするため、かなりのマニアでも全ルートのエンディングや分岐条件を把握できていないと言われるほどの超骨太ゲームでもある【ルミナス・ヒストリー】の世界に転生した瀬人たちは、前世での知識を活かしてこの世界で己の願望を果たそうとしているようだ。
「転生ボーナスでステータスを高めにしてもらったし、希望の武器の習熟度もSランクに設定してある。これならまあ、その辺の雑魚には負けないだろ」
「あとは、シナリオに沿ってどれだけ英雄に近付けるか……ゲームの主人公として最高のエンディングを迎えるのは誰か? って話だな」
「ソロプレイも楽しいけど、こうして手柄を奪い合う対戦プレイってのも面白そうだよな! キャラクターも一人しかいないわけだし、強キャラたちも争奪戦になるってわけだ!」
「英雄とかエンディングとかどうでもいいんだよ。俺はただ、クレアたんやかわいい女の子キャラたちとハーレム学園生活を送れたらそれでいいの!」
「うわ~! 瀬人くん、キッモーッ!」
「その名前で呼ぶんじゃねえよ! っていうか、お前らだって似たようなもんだろ! 自分の推しキャラと実際に話したり触れ合えたりするんだ、そういうことを期待してないなんて言わせねえぞ?」
そんなゼノンの言葉は、転生者たちの下品な笑いを誘った。
そう、この【ルミナス・ヒストリー】ではパーティを組めるキャラクターたちと交流していけば、友人を超えた深い仲になることも可能なのである。
実際にゲームでは恋人同士になったキャラと性行為をしたかのような演出がなされることもあり、全年齢版ということで直接的な描写こそないものの、そういった大人な雰囲気を感じられることもまた【ルミナス・ヒストリー】の魅力の一つであると知られていた。
そんなゲームの世界に転生したということは、つまりはそういった行為を実際に体験できるわけで……当然ながら転生者たちはそれに強い期待を抱いている。
特にゼノンはその目的のために行動を開始しており、何を隠そう今日、ユーゴを倒したのも推しキャラを自分のものにするためであった。
「本当だったら入学して一か月くらい経ってからクソユーゴを倒すはずだよね? それを入学直後に前倒しするとか、マジで面白いわ」
「仕方ないだろ!? このままあのクソユーゴを放っておいたらクレアたんのファーストキスがあいつに奪われちまう! そんなの絶対に許せないじゃないか!」
転生者の一人が言ったように、本来のシナリオではこんなに早くユーゴとの決闘に臨んだりはしない。
彼は所謂プロローグのボスというやつであり、プレイヤーが【ルミナス・ヒストリー】のゲームシステムや学園生活に慣れた頃、公衆の面前で婚約者であるクレア・ルージュの唇を奪った上で彼女を泣かせたことを起因として対決イベントが発生するはずだった。
このゲームのメインヒロインとして広く名前を知られ、パッケージを飾るキャラクターでもある、クレア・ルージュ。
金髪巨乳清楚美人という王道のヒロインとしてデザインされている彼女を心の底から愛するゼノンにとって、彼女のファーストキスが最低最悪の男に奪われる展開は絶対に許しがたいものだ。
故に、そうなる前に手を打った。クレアがユーゴにキスされるイベントが発生する前に、彼女を悪逆非道なクズ男の手から奪い取ったのである。
【ルミナス・ヒストリー】をやり込んだマニアであり、転生特典でステータス上昇しているゼノンにとってはユーゴなど問題なく倒せる敵で、一か月後に起きる彼との対決イベントを前倒しでクリアしてしまった彼の行動には、他の転生者たちも若干呆れていた。
「ゲームシナリオを外れたことすんなよな~! クズユーゴと戦う時、強化されてたらどうするつもりだよ?」
「はっ! 別に問題ないだろ? あいつは何度戦っても雑魚だし、ちょっとくらい強くなった方が歯ごたえがあって楽しめるんじゃねえの?」
「あはは! 確かにな! まあ、弟のフィーくんは可哀想だけど、救済は不可能っぽいししょうがねえよ。仕方のない犠牲ってことで、諦めるとするか」
彼らがクズと呼んでいるユーゴがこれから辿る末路は悲惨なものだ。
名門と呼ばれるクレイ家から勘当され、婚約者も奪われ、次期当主の座どころか何もかもを失って……転落人生を送ることになった彼は、主人公たちへの憎しみから悪魔のささやきに乗り、闇落ちしてしまう。
最終的には最後まで自分を慕ってくれた弟のフィーを生贄に捧げて魔剣を召喚するもその力を扱い切れずに主人公たちに敗北し、自らが利用されていたことを知った絶望の中で喚き散らしながら命を落とすという、無様な死を迎えることになる。
誰からも愛されることなく、人を見下し続けてきたクズの末路にぴったりなその死に様は、多くのプレイヤーたちにスカッとした爽快感を味わわせてきた。
今回、自分たちはそのクズユーゴの死を現実のものとして見れるのだと期待する転生者たちは、彼の話題を打ち切ると共に話し合いを終了したようだ。
「さ~て、明日からはクレアたんとのイチャイチャラブラブ学園生活が始まるぞ~! 本来の予定の一か月前にクレアたんと過ごせるだなんて、マジで幸せだわ~!」
「ははっ、瀬人くんってやっぱキモイな! でもまあ、ここから暫くは何のイベントもないチュートリアル期間だし、俺たちもお目当てのキャラと仲を深めつつ、のんびり体勢を整えていくとしますか!」
「だからその名前で呼ぶんじゃ……まあいいか。ゲームよりも早くクレアたんを婚約者にできて上機嫌だし、今日は見逃してやるよ。ぐふっ、ぐふふふふふふ……!」
イケメンな容姿に似つかわしくない、灰野瀬人としての気持ち悪い笑い声を上げながら明日から始まる推しキャラとの学園生活を妄想するゼノンであったが……この時点で彼はとんでもない変化を生み出してしまっていた。
先に述べた通り、本来ならばユーゴは入学してから一か月後に主人公たちに倒されるキャラだ。
初等部中等部での傍若無人な振る舞いによってこの時点でもうユーゴは十分に嫌われていたわけなのだが、そこに追い打ちをかける一か月の出来事がなくなったことで彼が完全に嫌われる前に好感度の低下がストップした。
更に、ルミナス学園は高等部からの途中入学者も多々存在しており、そういった生徒たちはユーゴの悪いうわさを聞いてはいても実際に彼の悪行を目の当たりにしていないため、「なんか嫌なうわさをよく聞く奴」程度の認識で済んでしまったのである。
本来ならばユーゴの好感度はゼロを突破してマイナスまで突入し、二度と回復できない域にまで到達するはずだった。
それが、決闘を一か月前倒ししたことによって、まだ回復できるレベルに留まってしまったのである。
そして、もう一つの変化。ユーゴの中に、お人好しのヒーローオタクが入ってしまったということ。
ここが【ルミナス・ヒストリー】というゲームの世界であることを知らない呉井雄悟という男が新たな転生者としてこの世界にやって来たことで、少しずつゼノンたちの計画は狂っていくわけだが……この時点では誰もそれを知る由もなく、明日から始まるバラ色の学園生活に呑気に思いを馳せていたのであった。
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