第27話 大魔術師ノアの子孫

 港町ザクレフの酒場で、一人の青年が酒をんでいた。少し神経質そうな顔立ちの男である。その表情は暗く、眉間にはしわが寄っていて、賑やかな周りの人々とは明らかに浮いていた。

 彼の名はノヴァリス・アダムス。アダムス伯爵家の末息子だ。

 ノヴァリスは衣服に興味がないし、どちらかというと地味な恰好かっこうを好むため、一見したところただの平民にしか見えない――彼自身も、そのようにふるまっている――が、れっきとした貴族である。

 アダムス家は聖王国でも由緒ある魔術師の家系で、勇者ルキアの一番弟子だった大魔術師ノアが起こした家門だ。ちなみに、ノヴァリスの姉は国王の側室で、ジェラルドとユリウスの母でもあった。

 アダムス家の人間の多くは魔術にたずさわる職業をしているが、かくいうノヴァリスも魔術局の研究部門に務めていた。

 この日、ノヴァリスはザクレフの魔術学校の講演に演者として招待された。彼の研究発表――魔術と薬草学の融合ゆうごう――は中々盛況せいきょうで、気持ちよく一日を終わるかと思った……が、その気分は学生からの質問で台無しになった。


「その魔術研究も、ベースはやはり勇者ルキアが考えたんですか?」

 

 ルキア、ルキア、ルキア、ルキア。

 どこへ行ってもルキア!

 魔術師としてやっていく上で、その名から逃げることはできない。

 ノヴァリスはルキア・クレスメントが嫌いだった。



 ルキア・クレスメントは勇者であると共に、魔術の祖と言われている。

 魔術史教科書には『魔術の創造と発展は偉大なるルキア・クレスメントによるものである』とまで書かれ、魔力ルーン文字の発見から、呪文の発案、簡略化、消費魔力のコストカット等々に至るまで全て彼女が成し遂げたことになっていた。


 ふざけるなっ!


 そう、ノヴァリスは叫びたい。

 こんなのは嘘だと、全世界に向けて訴えたかった。

 少なくとも、呪文の簡略化と消費魔力のコストカットを実現したのは、ノヴァリスが尊敬する曽祖父ノア・アダムスだ。それはアダムス家に残された資料からはっきりしている。

 ルキアは今の魔術の原型を作ったが、彼女の呪文は難解で消費魔力も大きく、扱える者がごく一部に限られていた。それを誰でも使えるように改良したのがノアだ。

 それなのに、そのむねは教科書に一切記載されていない。おまけのように、ノアはルキアの弟子で、彼女の死後魔術の発展に貢献したと書かれているだけだ。

 どうしてノアの功績はルキアに取られてしまったのだろうか。当のノアはそのことをどう思っていたのか。

 どうにかして、ノアの偉大さを世間で知らしめることができないだろうか。

 そんなことを悶々もんもんと考えていたノヴァリスは、ふとあることを思い出した。

「そう言えば……あの秘密の研究所はザクレフの近くだったか」

 尊敬する曽祖父のことが知りたいと、ノヴァリスは昔からノアの残した書物を読みあさっていた。そしてその中に、彼の手記を発見する。

 ノアは晩年、森の中の誰も近づかないような遺跡にプライベートの研究室を作り、そこにこもって一人研究をしていたらしい。その遺跡が確か、ザクレフからそう遠くない場所にあるのだ。

 一度、調べてみたいと思っていたところだ。もしかしたら、ノアの未発表のすごい研究があるかもしれない。それを今、世間に公表すれば彼の評価も変わるのではないだろうか――。

 ノヴァリスがそんなことを考えていると、突然怒声が聞こえてきた。



 いつの間にか、店内が緊張に包まれていた。あれだけ騒がしかった酔客が消え、客がまばらになっている。

 そして、残った客たちの視線はある一点に集まっていた。

「どう落とし前つけてくれるんだ!あぁ!?」

 筋骨隆々の大男が怒声を上げる。彼の周りには、同じように屈強な男たちがずらりと並んでいた。

 対して怒鳴られた方――こちらはローブをつけた魔術師風の中年男である。ひょろりとした体格で、元から白い顔をさらに青白くしていた。

「ひぃっ」

 短く悲鳴を上げて逃げようとした。だが、それを取り巻きの男たちが許さない。あえなく魔術師は捕まってしまった。

「逃げられると思うなよ!この詐欺野郎がっ!」

 瞬間、魔術師の体が飛び、壁にぶち当たった。かなりの力で殴られたようだ。

 倒れこんだ魔術師の体に今度は蹴りが入れられた。ギャッ、と魔術師が声を上げる。

「やめてください、やめてください」

 魔術師は涙を流しながら、懇願した。

「うるさいっ!お前のせいで、うちの女房が苦しんでるんだっ!!」

 大男のかたわらには一人の女性がいた。その腕には包帯が巻かれている。

 大男はおもむろに女性の包帯を解いた。すると、その下があらわになる。女性の腕は普通の肌色をしていなかった。そこは石のような見た目に変わっていた。

「てめぇ、こいつを治せるって言ったよな?てめぇの魔術で治せるって!それで俺らから大金をせしめやがった!けれど、どうだ!?全然治らねぇじゃなねぇか!」

 大男が激高して叫ぶ。

「も、もう少し時間が経てば……こ、効果が出て……」

「この大嘘つき野郎っ!こっちはもう知ってるんだ!」

 ダンッ!大男が机を叩いた。

「これは単なる痛み止めの魔術で、石になった腕を戻すもんじゃねぇんだろっ!!」

「ち、ちが……」

 否定しようとする魔術師の男を、さらに大男が殴りつける。ぎゃぅ、とまた悲鳴が聞こえた。

 やがて魔術師の男は床に這いつくばりながら謝罪した。

「許してください、許してください!お金は返しますからぁ」


 目の前で始まった、一方的な暴力リンチをノヴァリスは眺めていた。

 はじめは、衛兵に知らせた方がいいかと思ったが、漏れ聞こえてくる話の内容からこう思う。

 自業自得だな、と。

 彼らの話から察するに、大男の妻が何らかの理由で怪我をした。それを魔術師の男が治療できるとうそぶいて、大金をせしめたのだ。しかし、女性の怪我は一向に良くならず、今に至る。

 これは完ぺきな詐欺だとノヴァリスには分かった。

 大男の妻の腕の症状は『石化』というものだ。身体が石のように固くなり、放っておけばそれが全身にまで及んで命が危うくなる。

 石化は怪我というよりも、一種の呪いのようなものだから、魔術師の治療術なんて効かない。そういったことを専売特許のようにしている女神教の神官でも、石化を治せるのは余程優れた『法力』を持つ者だけだ。

 きっと、この街にはそんな高位の神官がいなかたのだろう。それで大男とその妻は、わらにもすがる思いで魔術師の言葉を信じてしまったのだ。

 人の弱みにつけこんだ悪質な詐欺である。たとえ、魔術師が報復を受けたとしても憐れむ気にはならない。

ノヴァリスは無視を決め込むことにした――と、

「あの……」

 大男たちに話しかけたのは、フードを目深にかぶった人物だった。声音から若い女性だということが分かる。その後ろには彼女の連れだろうか、やけに姿勢の良い老人が立っていた。

「なんだ!?こちとら取り込み中だっ!」

「そうだ!関係ねぇヤツは引っ込んでろ!」

 男たちが罵声を浴びせるにも構わず、女性は彼らに近づいて行った。そして、かぶっていたフードをとる。その瞬間、辺りが静まり返った。

 女性はとても美しい容姿をしていた。

 透けるような白い肌に、きらきらと輝くプラチナブロンド。眼は美しいアメジスト色。

 道ですれ違えば思わず振り向いてしまうような美貌だった。頭に血が上っていた大男とその取り巻きも、思わず言葉を失ってしまう。

 こんな美女、王都でもそう見ないぞ――とノヴァリスは思った。

「お取込みのところ失礼します。ですが、わたくしの話を少し聞いていただけないでしょうか?」

「なっ…なんだよ……?」

 すると、その若い女性は淡く微笑んだ。それだけでその場に花が咲いたようになった。

「もし、わたくしがあなたの奥様を治すことができましたら、彼を許していただけませんか?」

 思いもよらない申し出に、大男はあんぐりと口を開けた。

「…そ、そんなことできるわけ――って、おい!」

 女性は大男の返事も聞かず、彼の妻に歩み寄った。

「失礼します」

 大男の妻はとまどっているようだったが、女性はその腕を優しくとる。そして――。

「祈りを――」

 女性がそう呟いた途端、辺りが淡い光に包まれた。

 ほどなくして、光が収まると大男の妻が驚きの声を上げる。

「手!手がっ……私の腕がもとにっ――!!」

 言いながら高く掲げられた腕を見て、ノヴァリスも息を呑んだ。

 石化の呪いが解けている。

「治ってる!!」

 大男は目を潤ませながら、妻を抱きしめた。周りからどっと拍手が起こる。

 皆、奇跡だ、女神だと女性を褒めたたえた。

 そんなお祝いムードの中で凛とした老人の声が響いた。

「どこへ行くおつもりですか?」

 その声に皆が注目すれば、今まさにこの場から逃げようとする魔術師の肩を老人が抑えていた。

「てめっ!どさくさに紛れて逃げる気か!?」

「ひぃ!だ、だって――もう腕は彼女が治したんだからいいじゃないですか!」

「よくねぇよっ!」

 めでたい雰囲気が一転、大男の取り巻きたちが逃がすまいと魔術師を囲む。

「ゆ、許してくれるって、約束でしたよね?」

 びくびくと魔術師が大男を見上げる。

「……そうだな。恩人に免じて報復リンチは見逃してやる……だが」

 大男はおもむろに魔術師に近づいたかと思うと、その腕をひねり上げた。痛い、痛いと魔術師が泣く。

「てめぇは詐欺で衛兵に突き出す!」

「そんなぁっ!」

「うるせぇっ!どうせ俺らの他にもだましてきたんだろうっ!覚悟しろよっ!!」

 そんな大男と魔術師のやり取りを横目に、ノヴァリスは別のことを考えていた。

 石化の呪いをいとも簡単に解いてしまうなんて、あの美女は何者なのだろう?もし、女神教の神官ならかなり高位のはずだ。

 ノヴァリスが魔術以外で人に興味を持つのは珍しい。しかし、その興味も徐々に薄れ……

「ノアの秘密の研究室……」

 意識は彼が最も尊敬する人物へ戻っていく。

 そして、ノヴァリスはある決心をしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る