第六話『エンジェルオーダーは逆らわない』

 アルゴスの使い魔とやらの返り血を浴びたかと思ったが、トドメを刺したと同時にそれらは全て灰へと化した、どうやら返り血自体は浴びたらしく、服には灰がこびりついていた。俺はそれらを払い除け、振り返らず天使長に問う。

「改めて言いますけど、本当に実際の所、天使と悪魔の戦いの意味が薄いからって、こう簡単に忍び込まれちゃ大問題では? 魔が差すって言葉だってあるでしょうに」

「まぁ、それも此処だけだよ。此処には僕もいるしね、大事な話をしたい悪魔もたまにはいるだろうさ。それにしたって覗き見は趣味は悪いけれど、基本的にこの『残り火』は技術でがんじがらめにされているから、そうそう攻め込める場所でもないよ。この部屋は別、この部屋じゃなかったら登場と同時に血の赤を見る間も無く灰燼と化すよ」

 言っている事は何となく分かる。聞く限りでは人同士の戦いであって、天使と悪魔はどこもかしこもというわけにはいかないのだろう。おそらくは向こうにも潜入が容易なスペースが作られているのだと思った。とはいえこちら側に転送魔法なんて芸当が出来るとは思えないが。

「向こう――悪魔側はね、言わばファンタジー且つアナログなんだよ。逆にこっちはSF且つデジタルって言った所かな。だからこそ僕らには武器があるでしょ? けれど魔法使いにはそれらを量産する程の技術は無い。銃を奪うにしても殺されちゃ全部灰になるしね」

 灰という言葉が気がかりだった。さっきのアルゴスの使い魔とやらもその存在毎灰となってBARの床に大きな盛り塩のように積み上がっている。片付けが大変そうに思えた。まだ拭き掃除のほうが楽かもしれない、吐き気は止まらないだろうが。

「そう、そうだ。灰の話がまだだったね、見てわかる通り、この世界じゃ死んだら灰になるよ」

「火葬の手間が省けていいよねー」

 馬鹿天がもう次のビールを口につけながら笑っていた。だが、俺達はあの灰を、魔法使い達は俺らの灰を踏んで生きていくしかないのだ。

「それに、今回は人じゃないからアレだけれど、君らが魔法使いを殺せばその等級によって時間が増える。逆に魔法使いは君らを経験値にしてる。殺し合うには充分な理由だね……、AO:灰の処理」

 天使長が呪文のような単語を言うと『承認』という機械音声が流れ、同時にBARが少し揺れ、灰塗れだった床がガクンと下がり、その代わりに綺麗な床が顔を見せた。

「こんなわけで、デジタルが振り切ってるわけ。まぁ今日のとこはこんなところかなぁ。ヒビク君、他なんかあったっけなぁ」

「やー、後は実践ですかね……ってすみません、ヤバい死にかけてる。行かないと」

 そう言ってヒビクは焦りながらビールを置いて立ち上がる。

「珍しいね、短期間に刻景持ちが二人か……。

 まぁ部屋だとかはこちらでやっておいてあげるよ、行っといで」

 現実世界で誰かが死にかけているのだろう、俺の時もこのくらい焦っていたのだろうかと考えるが、そんな事も無いのだろうなと天使長の態度で分かった。

「ごめんアクタん! また明日!」

 そう言って彼女はすっ飛んで行くというか、初めて天使だと納得出来る姿になって消えた。

背中に生えた白い羽根が彼女を包むと同時に、初めから彼女なんていなかったかのように、この場所には酒が好きな男二人が残される。

「……ところでボウモア、どうだった?」


 天使長が堪えきれないと言った感じで俺に聞いてくる。最後の一杯に馬鹿天が俺のグラスに注いだウイスキーの事だろう。ボウモア18年、色々あるうちのどれを飲まされたかは分からないが、高くても10万は行かないくらい、安くても2万は切らないくらいの、そこそこのお酒だ。天使長の目が少しいじらしいのが何だか嫌だった。しかしその時の俺は血みどろの目玉に向き合って銃を撃たなきゃいけない所だった事をこの人は忘れてやしないだろうか。

「味わえる余裕が何処にあるってんですか!」

 十人飲んだら殆どが嫌って、好きになった人は大好きになるなんていう類の癖の強いウイスキーは、気付けとしては最高だったが、味なんてのはもう既に灰になる前の僅かな時間で血液とミックスさせてしまった。飲み込んだ時のことなんてもうはっきりと覚えていない。彼を見る限り余程惜しいように見えるが、18年ならそんなに高くも無いだろうに。

「天使長程でも惜しいですか、あの価格帯」

「値段の話じゃなくて、そもそも供給が少ないんだよね。古い時代の特級表示があるウイスキーが現実じゃ物凄い値段で取引されたりだとかするけれどさ。半界ハンカイにはそもそもそんなモノは無くて、ある程度現実に沿ったイミテーションの寄せ集めなんだよ。だからまあ、そこまで多く出回ってないなら作る人もいなけりゃ探すのも面倒ってわけ、その点安酒はそこら中にある。半端な世界って考えても良い。僕らは超常的な技術を手に入れたけれど、そこだけはどうしようもない。現実にある程度即しているけれど、結局は殺し合いしかしない世界だよ、此処は」

 半端な世界という言葉が凄くしっくりと来た。

確かにボウモア18年一つとっても、ネットやらちゃんとした酒屋には置いてあるが、この世界にネットワークがあるかも怪しい。あったとしても天使側の技術だろうし、外に伸ばせば嫌がらせされるのがオチ、そうして酒は向こうの人間も飲むだろうと考えると、希少な食べ飲み物は取り合いになってもおかしくない。

「希少品が正しく希少っていうのはわかりましたけど、餓死っていうのは?」

「あー、それも無いんだよねぇ。現実に即してるって言ったでしょ? それって妙な話で、現実がある限り半端に物が現れるってのがこの世界の歪な所の一つだね。コンビニやスーパーなんてのが分かりやすいね。とは言えまぁ、狩り場なんだけど……」

 要は天使や悪魔がどうだかは知らないが、人は食わなきゃ死ぬようだ。とはいえ眼の前のどうかしている天使は安酒を未だに飲み続けているが。

「ん、今日はそんな所かな。使い魔を殺す踏ん切りといい飲みっぷりといい、僕は君が長生きするのを願っているよ。ヒビク君も行っちゃったしお開きにしよう。AO:此処と空き部屋を繋いで」

 また謎のAOという言葉を耳にする。彼が言うとその後すぐにBARの壁が動きはじめ、奥にエレベーターのような物が現れた。

「今日はゆっくり休むといい。そうだ、最後にAO:彼の衣類をとりあえず二セット、寝巻きも一つ頼むよ」

 三度聞いた『承認』という言葉を後に、俺はBARを後にしようとする。すると俺の後にドローンとも言えないような小型の浮遊物質がついてきていた。おそらくは技術の賜物、デジタルの極みみたいなものなのだろう。

「あぁ、これはAO……エンジェルオーダー。まぁ僕ら専用のお世話係だと思ってくれたらいい。よく見るとそこら中に潜んでいるから驚かないようにね。こちら陣営の自衛の為だから我慢してくれ、とはいえ便利な物なんだけれどね」

 成る程と思いながらエレベーターに乗り込むと、天使長は思い立ったように立ち上がってバーカウンターから駆け寄ってくる。

その手には、今まで飲んでいた酒瓶、三分の一程度の量しか無かったが、一人で飲むにはそこそこの量に見えた。

「眠れなかろうさ、酒に頼りな。AOに頼めば朝まで気絶も出来るけれど、せめて眠りたいだろ? まあどんな世界でアレ潰れるのは気持ち良いもんじゃないだろうけれど」

 その時の天使長のトーンは、今まで聞いたどの言葉よりも重く神妙な声に聞こえた。俺は頭を下げてからその安酒のウイスキーを片手にエレベーターを起動させた。部屋にグラスがあるのかは分からないが、要はボトルごとグイと口をつけろということなのだろう。


 そう考えていると間もなく部屋に付いた。真っすぐ奥が扉になっているのと、見渡す限りじゃホテルの一室の壁にエレベーターがある奇妙な光景としか言い様が無かった。

 

 ベッドが一つに、クローゼットは開かれていてにきっちり私服二着と寝間着一着が見えている。仕事が早いのも技術の賜物か。部屋の出入り口であろうドアは開かないようになっていた。外側から鍵がかかっているというわけでも無さそうで、こちら側に簡易式の鍵があるのだが、しっかりと回せないようになっていた。おそらくはそういう物なのだろうし、そういう事なのだろう。この状況だとこの部屋から出て自由になるためにはもう少しステップを踏む必要があるのだろうと思った。

 

 電気が通っているどころか、シャワー付きの風呂まである。トイレも別だ。テレビといった類は無いが電話はあるようだった。冷蔵庫にはある程度飲み食い出来る程度の物が詰められている。窓からの景色は楽しめそうもないようで、しっかりとスモークガラスになっていた。ホテルといえばと思いベッド横の引き出しを開けると、そこには俺のハンドガンの弾であろう銃弾の箱が幾重にも重なって詰め込まれている。俺は一旦それを見ない事にして、景色も見えないというのに窓の傍にあるテーブルの上に貰いたてのウイスキーを置く。


 今日は本当に色々な事があった。飛んで、殺して、何がなにやらわからない。それでもこの場所が半端な世界で、そこに陥ってしまったというならば、自分なりのやり方で決別くらいはしなきゃいけない。死のうとして希望が見えるなんて皮肉な話だと思った。


 さっき引き金を引いたハンドガンは、未だに使い方すら覚束ない。それでもほんの少し怖がりながらもワクワクし始めている自分がいた。許されてしまう世界に来てしまった。憎しみを憎しみで返し合う事を強いられている世界は、俺にとってもしかすると望むべき世界だったのかもしれない。だからこそ死ぬわけにはいかない。正しいか正しくないかなんて事は、今日見た天使とやらの振る舞いで何となく理解が出来たような気がした。


 ベッドに横たわろうとする前に、律儀に寝巻きへと着替える。その時に服から溢れた灰が、物言わぬ灰がどうしてか不快に感じて、踏みにじる。消えない灰に向けて俺は机の上のウイスキーをほんの少しだけ零した。


 そうして、俺もまた一口だけそのウイスキーを飲んで、初めて死んで、初めて殺した日をゆっくりと考えながら眠りの中へと誘われていった。強いていうならば、最高品質と言って良いくらいのベッドで大助かりだった。

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