第7話 少年は画期的な薬を発明した

 小さな薬師のノイル・クラインは悩んでいる。


 魔力回復薬の改良に行き詰っていたのだ。それだけでなく、もしも味が改善されている物が既に存在しているとすれば、都で売るための商品を追加で考える必要があった。

 何日も朝から晩まで作業に没頭していた。


「ふぅ」


 ようやく出来た試作品を目の前に僕は深呼吸をして大きく体を伸ばす。テーブルの上にはラベルの張られた薬瓶が三本置かれている。


 まずは、向かって右に置かれている透明な瓶の中身には魔力回復の効果はない。


 そして、真ん中に置かれている瓶の中身は以前まで作っていたものとほとんど変わりはしない。


 最後に左に置かれている瓶の中身は泥のような粘性を持っていて飲み物には見えなかった。


 ひとまずの目標を達成して緊張が切れたのか、お腹が鳴る。籠の中に転がっているりんごをおもむろに取り出すと軽く手で拭いてからかじった。甘さよりも酸っぱさが勝っていて眉をひそめる。


 丸々一つ食べきるとそれなりに腹も膨れた。

 芯だけになったりんごを放り投げる。ゴンと音を立ててごみ入れに転がった。ノイルは薬が出来たことを報告しようとアルテ婆ちゃんのところに向かった。



 いつから建っているのか分からないほど朽ちかけたボロ家がアルテの家だった。僕が知る限りでは彼女は独り身で何かあるたびに僕の面倒を見てくれていた。

 今にも外れそうな扉を開けて中に入る。


「アルテ婆ちゃんいる~?」


「なんだい。ノイルがこっちに来るとは珍しいね」


 灯りがついていない部屋の奥からヌッと出てくる。彼女は身長が僕よりもかなり高いために威圧感を覚える。きっと喧嘩したらボコボコにやられそうだ。


「へっへー、とりあえず完成したから婆ちゃんには早く見て欲しくてさ」


 意気揚々と僕は手の中の薬瓶を広げる。


「ほう。見せてもらおうか」


 アルテはドサッと椅子に腰かける。まるで王様に貢物をするみたいだ。僕は妙な緊張感を抱えながら薬の説明をする。


「これがまず飲むタイプの魔力回復薬で、これがそれと一緒に飲む薬。最後にこれが塗るタイプの魔力回復薬」


 ラベルを見ながら説明するとアルテの頭に疑問が浮かぶ。


「一緒に飲む? なんだいそりゃ。効果でも高めてくれるのかい?」


「甘いなぁ婆ちゃん」


 やれやれと意地悪に首を振って僕は自慢げに話す。


「これを先に飲んでからこっちを飲むと甘く感じるんだよ!」


 僕が力強く薬瓶を見せつけるとアルテ婆ちゃんは頭を抱える。


「わたしらなら二本飲んでもいいかもしれないけどね。お前さんが商売したいのは都だろ?冒険者たちがわざわざ荷物増やすかね?」


「でも、甘い方がよくない?」


 きょとんとした顔で返すノイルはまさしく十三歳の少年だった。


 だが、二人は知らない。


 都ではとうの昔に味など改善されていることを


 __


 小さな薬師のノイル・クラインは楽観視している。

 彼が新しく作った回復薬が都で売れると考えている。

 もちろん、そんなことはない。

 少なくとも、彼が今話している老婦人、アルテ・フラウはそう思っている。


「とにかく物は試しだ。そいつをいただくよ」


 アルテはため息まじりに薬を受け取る。殴り書きされているラベルを見比べて片方を口に含んだ。無味無臭の何で出来ているか分からないサラサラした液体だ。飲み込もうとする前にノイルからちょっと待ってと声がかかる。


「全体に生き渡らせるようにして」


 アルテは面倒くさい薬だなと思いながらノイルの言うとおりにする。そして、既存の緑色の液体を口に含む。口の中に恐ろしいほどの甘い味が広がる。砂糖を水に大量に溶かしたような、頭が痛くなりそうな味だ。


 彼女は吐き出しそうになりながらもなんとか飲み込む。


「ノイル。お前さん、味見というものは知っているかい?」


 アルテの額にぴきぴきとしわが走る。しかし、ノイルは楽し気に答える。


「甘くていいでしょ。なんで甘くなるのかは分かってないんだけど。混ぜたら苦いままなんだよ。すごくない?」


 呆気に取られるアルテを置いてノイルは喋り続ける。


「これならきっと都でも売れるだろうなぁ。絶対甘い方がいいもん」


 薬が売れたら何を買おうかなんて目を輝かせながら妄想しているノイルにアルテは怒る気を失う。

 そして、彼女はノイルの物を作る才能のわずかでも物を売る才能に分け与えられなかったのか不思議に思う。


 ノイルの甘すぎる机上の空論に頭を抱えた。


「それで? もう一つの薬は塗り薬だったかい?それはどうするのさ?」


 少年の手に残る薬瓶を指さして問いかける。彼はまたしても自慢げに答える。


「これはもっとすごいよ! ほんとに中身を塗るだけ! どこでもいいよ!」


 ノイルが瓶の中身を指につけて取り出して見せる。泥のようなとても粘性の高い緑色の液体、いや物体が現れる。ノイルはそれを差し出してきた。恐る恐るアルテは指先でその物体を触る。ぬめりとした温い感触に思わずぞっとする。


「どうどう!?」


 ノイルがはしゃぎながら問いかける。アルテは指先が熱くなりだすのを感じる。薬を塗ったところから血が逆流するような感覚に襲われる。彼女は驚いて腕を振るう。指先から薬が離れて床にベチャっとへばりつく。


 ノイルは勿体ないと呟きながらそれを拾って自分の手の甲に塗る。


「どうだった?婆ちゃん?」


 こちらを見上げているノイルの表情は輝いている。アルテは冷静に魔力を観察した。

 いまだに熱くなり続ける自分の体に目を閉じて集中すると確かに魔力の増大を感じる。


「ノイル、どうやってこれを?」


 アルテの知らない新薬に率直に聞き返す。しかし、ノイルの答えは彼女の予想していないものだった。


「居眠りしてて、こぼしたらなんか出来た」


 唖然とするアルテにノイルは続ける。


「飲む方作ってるときに効果を落とさないように濃くしてたのがよかったと思うんだよね。最初手についたときは本当に焦ったよ。熱くて火傷するかと思ったもん」


 アルテは薬がついていた自分の指先を見る。そこはまだじんじんと熱く、空気がトゲのようにちくちくと差してきているような感覚だった。


 そして彼女は思った。

 これはもしかしたら本当にすごい発明ではないかと。傷口を塞ぐようなものは聞いたことはあったが魔力回復薬となると聞いたことがない。ただ彼女も村に長くいて、都のことは深く知ってはいないので断言はできなかった。


「これは売れるかもしれないねぇ」


 アルテは素直に言った。


「でしょ? さっきのも自信作だけど、こっちはもっと自信あるからね!」


 さきほどの二本セットの物は売れないとは言えなかった。


「ただ塗ったところが熱いし、違和感があるのがちょっとねぇ」


「そう? 慣れたら平気だよ。僕はもう全然感じなくなっちゃった」


「そんなもんかねぇ」


 アルテは首を傾げながら答える。すると、ノイルが思い出したように声を上げる。


「そういえば婆ちゃん。指輪とか腕輪とかみたいなきらきらした奴の作り方とか知ってる?」


「なんだい藪から棒に」


「都の露店でそういうのがすっごい売れててさ。僕も作れたらいいなと思ったんだよね」


「簡単なものでよければ、毛糸編むだけだから教えてやれるけど。きらきらした物だろう?私にはちょっと難しいねぇ」


 アルテは頭をひねって考える。しばらくして村の端に住む旧友を思い出した。


「ああそうだ。向こうに住んでいるファブロって阿呆がいるだろ?」


 方角を指さすとノイルがすぐさま答える。


「ああ、ファブロ爺ちゃんね。爺ちゃん指輪とか作れるの?」


「指輪はどうか知らんが、村で使う包丁や鍬を作ってくれてるからね。もしかしたらなにか力になってくれるかも知れないよ」


「そっか! ありがとう婆ちゃん。じゃあ早速行ってくる。それとこれ置いていくから!他の人にも試してあげてね!」


 ノイルは塗り薬をテーブルの上に置いて勢いよく駆けだした。忙しない子だと思いながらアルテは少年を見送る。


 彼女は椅子に深く腰掛けたまま、まだ熱い指先をしばらく眺めていた。



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