第五話 長い一日②~魔王~

「二人ともコーヒーでいいか?」


 リビングで座るミカエルとアリエスに声をかければ、それぞれの答えが返ってくる。


「こーひー……?」

「あ、僕は砂糖とミルクマシマシでお願いします」


 対照的な台詞を吐く二人に思わず苦笑いをしてしまう。リビングでのくつろぎ具合にも大分開きがあり、ミカエルはソファにふんぞりかえってテレビをつけ、アリエスは緊張した面持ちで正座しながら辺りを見回している。


 こっちに来ての日数は同じはずなのに、ここまで差が出るとはな。


「私も手伝うよ」

「ああ、じゃあ戸棚に買い置きの菓子があるから適当に見繕ってくれ」

「ん、了解」


 そのまま無言で電気ケトルのスイッチを入れ、コーヒーを淹れる準備をする。豆はやはり挽きたて、なんてこだわりもないのでスーパーで買った特売のレギュラーコーヒーを戸棚から取り出してはい四人分。


「ねぇ、結局ユウが異世界の勇者だったの?」


 と、ここで適当な大皿に袋菓子を開けていたヒナがそんな事を尋ねてきた。


「そうだよ、ヒナの予想通り転生って奴」


 だから俺も何の気なしにそう答える。実は俺とか変に構えず、最初っからこんな風に話しておけばよかったなと。


「知ってるのはあの二人だけ?」

「まぁ先輩も気付いてるかもな」

「ふーん、聡志さんとマリカさんにはいつ言うの?」

「二人の仕事が落ち着いたら言おうかなって」

「ちゃんと言わなきゃダメだよ?」


 本当はヒナと同じタイミングが良かったのだが、今しがたその機会を逃してしまったので仕方がない。まぁさっき渡した事典がお詫びの品という事で。


「ところで、さ」


 ヒナは手を止めてから、俺の顔をじっと見る。


「ユウはいつから『ユウ』なの? アニメだと転生って幾つがパターンあるじゃん。前の人格とかがさ……無くなっちゃうような奴とか」


 ああ、そういうのもあるよな。


「今のユウは……私の幼馴染の『ユウ』なのかなって」


 不安そうに俺の顔を覗き込むヒナの頭に、ポンと右手を置いてみせる。


「最初からだよ、産まれたときからずっと」

「本当?」

「本当本当、俺だって最初はあの二人みたいに驚いてばっかりだったんだぞ?」


 リビングに目をやれば、テレビの映像に一々驚くアリエスの姿があった。ミカエルは……うん、人の家でカノジョと遊んでるなこいつは参考にならないな。


「ふーん、そう言えばガン●ムは実在するって思ってたもんね。なんか納得」

「あれは誤解させるように仕向けた両親が悪い」


 と俺は今でも本気で思っている。まさか転生した先でここまで偏った教育がされているなんて夢にも思わなかったのだから。


「良かった。中身が別人になってたらどうしようって、結構不安だったんだからね?」

「悪い、ちゃんと言うべきだったよな」


 素直な気持ちで頭を下げれば、電気ケトルのカチッという合図が聞こえてきた。そのままドリッパーに注ぎ蒸らせば、落ち着く香りが部屋中に広がった。注いだお湯が豆に馴染むまで時間を置いてから、少しずつ中心に注いでいく。


「いいよ別に。困ったら三億円になってもらうから」

「それは困るな」

「ふふっ、冗談」


 それは助かるが、当のアリエスに懸賞金解いてもらうのも頼まないとな。今日は……まぁ土日ぐらいは許してやるか。


「いつか聞かせてね、異世界でユウがどんな冒険してきたのかって」

「……普通に異世界モノ見た方が面白いぞ?」


 思い返しても俺の旅はそんなに素晴らしい物ではなかった。旅の仲間はガイアスとエステルの二人だけだったし、基本的には新しい場所に行って魔物を倒してお礼を貰ってまた次の場所への繰り返しだ。お約束である美女との出会いや胸がすくような展開も無い。


「それでも、気になるじゃん」

「ま、そのうちな」


 なんて話をしているうちに、四杯分のコーヒーが淹れ終わる。来客用のカップ二つと、俺とヒナのマグカップに注いでいく。それから砂糖と冷蔵庫の牛乳を出して、ヒナのカップに少しのミルクとスプーン二杯の砂糖を入れてっと。


「はい、お待たせしましたよっと」


 ヒナが用意してくれたトレイと一緒にリビングのテーブルの上へと置く。


「あ、姉さんは砂糖もミルクも入れない方がいいよ」


 ミカエルはどこかで飲んだのか、多めのミルクと四杯の砂糖を入れた。


「まずは素材の味を楽しまなきゃね」


 笑顔のミカエルに従い、アリエスが真っ黒い液体を怪訝な目で見つめる。しかし異世界人にコーヒーか……嫌な予感しかしないな。

 

「部屋汚すなよ」

「の、飲み物ぐらい普通に飲める!」


 なんて自分でフラグを建てるアリエス選手、かくしてお味の感想は。


 ……まぁ吹き出すよなこいつなら。


「ほらぁ」


 さっき出て行ったばかりのキッチンに戻り、ミカエルに向かって濡れた布巾を下手投げで放り投げる。


「ミカエル、お前が拭けよな」

「はーい」


 嬉しそうなミカエルを尻目に、砂糖もミルクも入れないブラックのコーヒーをゆっくりと啜った。


「気にしないでアリエスさん、私たちの年齢ならそのまま飲めないのが普通だから」


 ヒナはアリエスの背中をさすってから、コーヒーに砂糖二杯と多めのミルクを注ぎ足す。


「あ、その、す、すまないアヤサキ殿……」

「もう、ヒナでいいよアリエスさん」


 昨日の事が尾を引いているのか、ヒナに対するアリエスの態度は少しぎこちなない物だった……そういえば何でこの二人はヒナと一緒に来たんだろう。


「実は僕達、ヒナさんのお宅に謝罪に来たんですよ。僕がいない間に怪我をさせてしまったみたいだったので」


 俺の疑問を察してくれたのか、小声でミカエルが説明してくれた。


「なるほどね」


 まぁ何かやらかしたら出向いて謝罪するのはどこの世界でも変わらないだろうな。


「だけどよく住所わかったな」

「前園先生に昨日の夜伺ったんです……まぁあの時間に学校に残っているとは思っていませんでしたが」


 コーヒーよりブラックなのかなうちの学校、というか個人情報ペラペラ喋るなよ……という言葉はこの苦いお茶と一緒に飲み込む。


「ふむ、悪くないな……」

「ね、姉さん。ミルクと砂糖入れたら美味しいでしょ?」


 コーヒーの味に慣れたのか、満足そうにアリエスが口に含む。そんな様子に満足したのか、ヒナもミカエルも自然と笑顔を溢した。


 やっぱりコーヒー一杯飲んでる間に大概の問題は解決するものだな……机まだ汚れてるけど。


「で、父さんはいないけど二人共これからどうするんだ?」

「それは姉さんの口から」


 机の上を拭きながら、ミカエルが姉に視線を向ける。


「勇者殿……まずは貴殿に心からの謝罪を」

「こっちも悪かったからお互い様だよ……それより本題は?」


 深々と頭を下げるアリエスに手をひらひらさせて答える。


「父から手紙を預かっている。私の任務は誰よりも早く勇者に接触し……これを秘密裏に手渡す事なのだから」


 三億円騒動もおそらくその任務のためだったのだろう。まずアリエスが面通しすれば手紙を渡せるのだから。そのための手段と確認方法は、まぁアレだったとしか言えないが。


「秘密裏、ね。内容は?」


 アリエスから封蝋のされた手紙を受け取り尋ねるが、彼女は首を横に降った。


「私も知らない……教えてはもらえなかった。信用されてないんだろうな」

「そうでもないと思うけどな」


 秘密裏に手紙を渡す役なんて信用されている人間にしかいないだろう、という当然の感想を抱きながら手紙の端を破り中を開ける。


 内容によってはアリエスは――。


「……良かったなアリエス、お前は誰よりもガイアスに信頼されてるぞ」


 軽く目を通すだけで、これを託された意味を理解する。ガイアスは娘を信頼していないんじゃない、娘しか信頼出来なかったと。


 そのまま机の上に手紙を置く。この双子も無関係ではなかったからだ。


「いいんですか? 僕達が読んでも」


 手紙を読んだ二人の顔がみるみるうちに険しくなる。そうさせるだけの内容がここにはあったのだから。


「ねぇユウ、私ついていけないんだけど」


 と、文字を読めない者が一人。ヒナに言うべきか一瞬迷ったが、それでも彼女には説明するべきだと思った。ここで家に帰れというのはあまりのも薄情すぎるからな。


「まぁ端的に言うとだな」


 手紙に綴られていたのは、まさしく俺の知りたかった事だった。


「勇者だけじゃない」


 決戦後の魔王城に、魔王の死体なんて。


「『魔王』もこの世界にいるんだ」


 見つからなかったんだ、どこにも。

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