第12話 鮮やかに燻る

 ——結局、明依の班員は、伊予秋斗いよのあきとと、男気じゃんけんの勝者である土方良平ひじかたりょうへい。残りの女子一名は、クラス内では少々浮き気味だった大崎おおさき 舞雪まいに決定した。

 自宅で修学旅行のしおりを広げ話し合う三人。

 その名前の並びに、晴葵の眉がせばまる。

「………………。なんか戦国武将みたいな名前が揃ったな……お前の班。土方は言わずもがな歳三としぞうだろ? んで、伊予は愛媛えひめの古名だし、大崎なんて足利一門あしかがいちもんだろ。お前、いくら歴史が好きだからって、露骨なメンバー選びすぎだろ」

「ち、違うわよっ‼︎ 晴葵だって観てたでしょ⁈ たまたまよ! たまたま!」

「明依ちゃん、旅行先で暴走しないといいね。『これが源氏の立てた幕府の跡地‼︎』って、興奮しそう……」

「そ、そんな……大袈裟よ。確かに、多少感情が昂ってしまう事はあると思うけど……」

 日音による明依の物真似が、有り得ない話でないからこそ、明依は自信なく苦笑した。

 基本的に修学旅行は、歴史的文化遺産の巡礼なので、中学、高校と、今後も明依を刺激する事は明白である。

 此処で耐性をつけて置くのが得策。

 何より——。

「明依に友達が少ない理由絶対ソレだろ……」

 晴葵が小馬鹿にするように失笑した。

 確かに、と不覚にも納得してしまう明依であった。

 しかし、ここで認めてしまっては、これから先も友達作りが絶望的であるという事実をいさぎよしとする他なくなる。

 歴史の内包が趣味の彼女にとって、それは避けられぬ運命。

 だからこそ——。

「……ち、違うわよ」

 視線を逸らしてこれを否定した。

 きっと違うと——信じたかった。——言い聞かせた。

「まぁとにかく、とっとと旅行の準備を始めないとな! 支度はもちろん、巡礼の計画も立てないとだし。しばらくは、オレらもあまり一緒には居られなくなるかもな! まぁ、それはそれでちょっと新鮮だけど!」

 新たな日常に、晴葵は胸を躍らせる。

 対して、明依と日音の中には不安だけが募っていた。

 友達の居ない明依に関しては言うまでもないが、日音もその内向的な性格から他人との会話や協調と言った事は、あまり得意ではない。

 晴葵と違って、二人は今までの日常に依存していたのだ。

「……私は…少し寂しいわ。三人で居られなくなるのは……」

「日音も…みんなと上手くやれるか不安……」

「なんだよ釈然としないなぁ〜。これもまた一つの勉強だと思って挑もうぜ! オレらは神子なんだから、成せばきっと何とかなるっ‼︎」

「そんな、楽観的すぎるわ……」

「明依が悲観的過ぎるんだよ」

「むっ………」

 どうだろうか——。

 人の視野の在り方などそれぞれだ。

 他人の目線を指摘する事も出来なければ、指摘されて否定する事も出来ない。

 すると突然、まるで何かを閃いたかのように、晴葵が人差し指を立てた。

 いいこと思いついた! とでも言いたげな目をしてこちらを見据える。

「よし、なら明依と日音にはある試練を与えよう! クリア出来なかったら罰ゲームな?」

「な、何よ罰ゲームって……」

「それはその時になってからのお楽しみ!」

「………………」

 人の気をもてあそぶかのような言動に、ムスッと眉根を寄せる明依。

 それでも、試練とやらが気になるので話を聞くことにした。

「それで? その試練て何? くだらない事だったら制裁を加えるわよ」

「安心しろって、これからの明依達の為にも必要な事だ」

「…………?」

 首を傾げる明依。

 日音と視線を合わせた。

 そんな二人に、晴葵が出した試練とは——。

「二人とも、班の人達との絡み合いを、二十枚以上の写真に納めること‼︎ とびっきりに可愛くて微笑ましい——それでいて、どこか恥ずかしくなるようなイチャイチャな写真を撮ってもらうゾ‼︎」

「やっぱりしょうもないじゃない‼︎」

 どこか鐘貞のような振る舞いと、その軽率な発言に癇癪かんしゃくを起こす明依。

 立ち上がって晴葵の頬をつねろうとするも、その腕を捕まれ静止させられる。

「待てって! これは本当に大事なことだ! ほら、卒業アルバムの制作が図工の授業であるだろ? 卒業式に貰うやつとは違う、俺たちが個人のアルバムを造るって企画!」

「……それが何よ」

「あれ、自前の写真が必要なんだよ! お前、このままだと、図工で制作するアルバムが、幼い頃の写真ばかりの成長記録になっちまうぞ! 小学生の思い出が皆無になるんだぞ⁈ それは……悲しいよな?」

「なッ——‼︎ た、確かに——ッ‼︎」

 晴葵の言葉に、明依は振り上げた腕を下ろして、顎に親指を立てた。

 悲惨な結果を想像する彼女に、晴葵は更なる追い討ちを重ねる。

「大人になった時、そのアルバムを自分が、あるいはその時の友達、または同僚、はたまた彼氏が見た時、幻滅、失望、そしてそれらのもった同情が向けられようモンなら……かなりキツイぞ?」

「ぐ——ッ‼︎」

「それになにより、これなら人と上手く関わる力が身につくだろ? 修学旅行は修学だ。学びを修める。なら、ここでいっちょかまさない手はないだろ?」

「……珍しくまともなこと言うわね……晴葵」

 まったくだ。

 脳天気でお気楽ガールな彼女が正論を吐いてきたのは初めてではないだろうか。

「まぁ友達の——いや、家族の為だからな。オレだって、明依達の為なら、この空っぽの頭をフル稼働させるさ」

「………………」

 有り難いような、余計なお世話なような——。

 いや、余計なお世話は、神子ヒーロー醍醐味だいごみだった。それが家族の為なら尚更か——。

「……分かったわ。その試練、受けて立とうじゃない」

「決まりだな!」

 挑戦的な笑みを浮かべて、晴葵と明依は拳を合わせる

 振り返り、もう一方の少女にも参加の有無を尋ねる。

「日音はどうする?」

 選択を委ねる言葉とは裏腹に、その相貌は賛同を予兆していた。

 晴葵の力強い煽動に、日音も「むんッ!」と気を張る。

「よし、じゃあそれぞれ最終日に写真の見せ合いっこだな」

「もちろん、晴葵もやるのよね?」

「まぁそうだな。軽く五十枚は撮っちまいそうだけど、勝負ってわけじゃないしいいか」

 そうだった。

 晴葵と、その他御一行のあの空気では、本当にそれほどの数の写真を撮りかねない。

 何せ彼らは、俗に言う『パリピ』と呼ばれる人達なのだから。

 それにしても、最終日に写真のお披露目とは、とんだ羞恥大会だ。

 けれどやるしかない。やらねば、今後の明依の沽券に関わる。


                 ※


「それでは、まずは班の係決めを行います!」

 両腰に手を当てて、高く胸を張る明依。

 時は放課後——。

 修学旅行に向けて、班での打ち合わせである。

「班長は遠星さんでいいんじゃないかな……しっかりしてるし」

「意義な〜し」

「そ、そう? みんなが言うなら、責任を持って務めさせていただきます!」

 伊予におだてられ、少々図に乗る明依。だが彼女は知らない。行動班の班長が、就寝前の自由時間に班長会議なるものに参加しなければならない事を——。

「じゃあ次は、記録係ね! その日の健康チェックや巡回した場所と時間の記録、あとはそうね、写真を撮ったりするのもこの係りになるかしら」

 明依の説明に、一人の女生徒が手を挙げた。

 無論、この班において明依以外の女子は一人である。

「じゃあ、記録係は大崎さんでいいわね?」

「「意義なーし」」

「残りは……」

 しおりに目を向けたが、主な係はこれだけである。

 見事、男二人が何の役割もなく終わった。

 班長は明依を煽てて一任し、記録にも特に反論をしなかった。

 この二人、確実に面倒事から逃げている——と、明依の心に疑念が走った。

「……………」

 そもそも、班員の内、係を任せられるのが二人だけで、残り二人が暇を持て余すと言うのは不公平ではないだろうか。

 明依は、眉根を寄せたあと、思い切った事を言い出す。

「しおりには書かれていませんが、特例で二人にも係を任せます」

「はぁ⁈」

 土方の口から頓狂な声が飛び出た。

 無理もない。

 何一つ仕事をしなくていいと高をくくっていたらこのざまだ。

 少し考えた末に、明依は人差し指を立てる。

「そうね〜、二人には、食事係を任せようかしら」

「「しょ、しょくじ?」」

「ええ。その日に回る範囲の中で、美味しそうな食事処を探すこと。そして、食前食後の合掌にて音頭をとっていただきます!」

「それって、俺らが食いたい物を勝手に決めていいって事か?」

「そうよ。けど、まずは私に報告よ? そのあと、大崎さんの承諾を得て承認と致します。大崎さん、何かアレルギーとかはある?」

 明依の質問に対し、大崎は首を横に振った。

 言葉のない、無愛想な対応だ。

「なら、気にせず決めてくれていいわ」

「まぁ、それなら……」

「うん」

 目を合わせて共に頷く土方と伊予。

「では! いよいよ巡回の計画を立てます!」

 こうして、明依の班やその他の班も、旅行に向けての準備を始めた。

 効率よく回る為にはどうすればいいのか、初めて自分達で立てる計画に苦戦しながらも、卒業生の記録なども参考にしながら着々と準備は進んだ。


 そしていよいよ、旅行当日——。


「はぁ〜い! それじゃあ班順に整列っ‼︎ 高速バスには班別で並んでもらうわ! 班の中でなら席は自由よ〜‼︎」

 先生のテンションがやけに高い。

 まぁ、旅行一ヶ月前であの有り様だったしな。予想はしていたが、やはり凄い高揚だ。

「整列っ! いいか! 私語は慎め! 列は見乱すな!」

 班員に向けて、勇ましい声をあげているのは明依だ。

 彼女の班員は、下手に逆らうまいと静かだが、他の班はそうでもなかった。

「わたし〜四国から出るの初めて〜」

「うちもうちも〜‼︎ なんか冒険に行くみたいでいいよね〜‼︎」

「ガキの俺らにとって、四国が全ての世界だったからな〜。そりゃあテンション上がるわ」

 言いつつ、その男子生徒は担任の小鳥遊を見やった。

「へいへ〜い‼︎ 早く並ばないと、時間通りに行けなくなっちゃうぞ〜?」

「…………。あれは上がりすぎ」

 笛を吹きながら四方八方に飛び回っている姿は、とても大人とは思えない。

 見ていて恥ずかしい。

 すると——。

「静粛に——ッ‼︎」

 一際大きな声が、果断にも喧騒の中を射抜いた。

 まるで青天の霹靂。

 場は、瞬く間に静まり返る。

 静寂の中から凜然と前に躍り出たのは誰であろう、——明依である。

「お前たちっ‼︎ みっともない真似はやめたまえっ‼︎ 現地に到着してから、思い思いにはしゃぐならまだしも、出発の時点でこの有り様ではいつまで経っても前に進まないっ‼︎ 整列ぐらい一分以内にしてみせろっ‼︎」

 両手を腰の後ろで組み、胸を高く張って、腹の底から声を絞り出す。

「そ、そうそう! ちょっと時間かかりすぎだぞキミ達〜」

 面白おかしく明依の言葉に賛同する小鳥遊だったが——。

「何より先生がそんなザマでは、子供達に示しがつかんっ‼︎ 本州に四国の恥を晒すつもりかあァッ‼︎」

「ずびばせんッ——‼︎」

 圧倒的威圧に、先生はもはや一人の女性として慄いた。

 まるで鬼の教導官だ。

 今の明依は、この場にいるどの教師よりも、教官染みていた。

「分かったらとっとと整列しろっ‼︎ 私語は慎め! バスが発進すれば、いくらでも騒ぐ時間はあるだろッ‼︎」

 鬼の恐喝に、乱れていた列がようやく整い始める。

 その渦中、晴葵の班員が何処か不満げに呟いた。

「……あんな大きな声出してたら、いずれにせよ近所迷惑でしょ。いま朝の六時よ?」

「いや、明依もきっと感情が昂ってんだよ。けど、御三家の神子としてみっともない真似は出来ないから、あ〜やって自己暗示掛けてんの」

「そうなの?」

「あぁ、明依はそう言うやつだ」

「そこ‼︎ 私語は慎めと言っただろ‼︎」

「教導官殿ぉ〜、ちょっとキツく当たり過ぎですよ〜。もう少し穏やかに——」

「口答えするなぁっ‼︎」

 反論する晴葵に、丸めたしおりを振りかぶる明依。

 刹那、晴葵のしおりが唸る。

「あまい——っ‼︎」


『 日向暁天 旭日天照‼︎ 』


 左脇から牙を剥いた晴葵の虎巻は、振り下ろされた明依のしおりを真下から受けた。

 居合による加速。

 彼方あちらのしおりが抵抗の余地なく弾き返される。

 ほのかに散る火の粉。

 紙片は天高く舞い、明依は反動で尻をついた。

 見事なまでの対応に、思わず感嘆の声が上がる。

『おぉ〜‼︎』

「へっ、剣術でオレをシバこうなんざ十年早いぞ? 明依」

 そして、トドメに明依の頭をベシッと、軽く叩いた。

「少しは落ち着けバカやろう。そんなんじゃ、余計友達出来ないぞ?」

「…………。ごめんなさい、少し動転してたわ……」

「ったく……。とりあえず、無事に整列出来たし、結果オーライだけどよ……お前の悪いクセだぞ? それ」

「ええ、気をつけるわ。ありがとう晴葵」

 悔い改める様子で、晴葵の手を借りて立ち上がる明依。

 「お騒がせしました」と皆へ一礼して、バスへと乗車した。

 車内は至って単純だ。

 左右にそれぞれ二列ずつ席が並んでいる。

 前後の四席で一つの班となる。

 明依達は真ん中辺りの席だった。

「男女で前後に分かれようか?」

「え………」

 土方の提案に空虚な声をこぼしたのは伊予だった。

「不満かい?」

「いや……別に……」

 何処か腑に落ちない様子を匂わせつつも、内向的な性格が災いしたのか、結局、伊予が反論する事はなかった。

 こうして、前列に伊予と土方。後列に明依と大崎が位置する事となった。

 大崎は無口で無愛想と言うこともあり、これといった会話はない。

 ソーシャルゲームへと打ち込む彼女を横に、明依は漠然と窓の外を眺望した。

 バスの走行音に合わせて、後ろへと走っていく景色。

 地方から地方への移動なので、そこにはただ大自然が広がっているだけ。

 変わり映えしない景色にやがて明依は無聊ぶりょうを示した。

 眠たげにあくびを掻き、車内を見渡す。

 晴葵は同じ列の席か——。向かい側にそれらしき姿はない。

 彼女の声も、密かな騒めきの中では聴き取ることが出来ない。

 日音は——、向かいの後方。

 手にしている小説の各部を班員に見せながら、何かを語っている。

 布教でもしているのだろうか。

 それを観て、ふと隣にいる少女の携帯端末に目がいった。

 横向きに倒された端末を、何やら真剣な眼差しで操作している。

 心なしか、彼女の体が揺れているようにも感じた。まるでリズムを取るように——。

 つい気になって、画面を盗み見ると——。

 上部から絶え間なく流れてくるアイコンを、タップしたりフリップしたりと、忙しなく——しかし見事な手捌きでいなしていた。

 さながら、風に揺れる柳の如し——。

「——凄いわね」

 おもむろに呟いたつもりだったが、既にかなりの距離を接近していたようで——。

「ひゃっ——⁈」

 甘美な囁きが、少女のイヤホンを貫いた。

 そのわずか瞬き一度の間に、画面内を通過するいくつものアイコンは止まり、ゲームオーバーの文字が浮かび上がってしまう。

「ありゃ……なんかごめん」

「……い、いえ……。……でも急に何?」

 こうして直に彼女の声を聴くのは、初めてではないだろうか。

「いや、見事な手捌きだったなぁって、感心してたらつい……ね」

「……そ、そう」

 再び端末へと向き直る大崎 舞雪。

 そんな彼女の横顔に寄り添い、明依も再び同じ画面を覗き込んだ。

「ねぇ! これ何ていうゲームなの⁈」

「ちょっ——⁈」

 接近した明依に驚いたのか、慌てて顔を退く大崎。

 しかし、この狭い車内の中で身を倒すと——。

「危ないっ!」

 廊下側に倒れかけた大崎だったが、間一髪で明依が支える。

 彼女の小さな手を優しく引っ張り、胸の内へと抱き寄せた。

「危なかったぁ〜。大崎さん、ちょっと落ち着きがなさすぎるんじゃない?」

 最中、早鐘する鼓動に首を傾げる。

 自分の物とは思えないほどの脈拍。

 ——否、自分の物ではない。

 慌てて明依の胸から顔を出し、狩りてきた猫のように元の姿勢に戻る大崎。そのわずかに赤くなった耳は、——発熱だろうか。

「あなた……どうしてそう人との距離が近いの?」

 どこか照れ臭げに視線を泳がせる大崎。

 恥ずかしがる要素など無いと思うが——。

「え、そう? あまり自覚ないかも。ごめんね、嫌だった?」

「……いえ、別に……嫌ってわけじゃ……ないけど……」

 彼女の言動は、人とあまり関わり慣れていない様子が、手に取るように分かる。

 言葉の端々が辿々しいと言うか、つたないと言うか——。

 彼女は明依と目を合わせる事なく、端末の捜査を行いながら答えた。

「……………」

 いや、やはり嫌われているからなのだろうか。

 もはや大崎の素っ気なさから、そのような懸念を抱き始めた時、彼女はやや上目遣いで、こちらを向いた。

「…………観る?」

 ようやく目があった。

 嫌悪感は感じられない。

 ほっと胸を撫で下ろし、問いかけを再認識する。

 観るとは、彼女が持っている携帯端末の事だろうか。即ちそれは、彼女のゲーム?

「うん! じゃあ、見せて貰おうかしら!」

 改めて、大崎さんに寄り添う。

 先程距離が近いと指摘されたので、今度はあまり近づき過ぎないように——。

 しかし、そんな最中、彼女はイヤホンの片方をこちらへ差し出して来た。

「………………え?」

 混乱。

 音など聴かなくてもゲームは出来ると思うが。むしろ音を聴くべきなのは実際にプレイする大崎の方であって、ただ傍観する明依には尚更必要のない無用の長物——。

「これ、リズムゲームだから……その、音が無いと、ただ観ているだけでも退屈でしょ?」

「………………」

 ごめん……………………………ちょっと待って——ッ‼︎ リズムゲームって何——ッ⁈

 あらゆる娯楽文化が発展したこの時代において、どんなゲームがあったとしても不思議ではない。何なら仮想世界に直接ダイブする事さえこの時代では現実化している。しかし先程の大崎舞雪の様子を窺うからに、仮想空間に意識を飛ばしている様子はなかった。目も開いていたし何よりイヤホンだけではダイブ出来ない。皆も良くご存知の、漆黒の二刀流剣士が英雄と謳われる作品に於いても頭に装着する専用機器があった。——同じように、この時代でも脳に直接的な信号を送るための機械が必要なのだ。ゆえに彼女がプレイしていた作品は単純な社会的配信遊戯。絶え間なく、水流の如く流れてくるアイコンの数々。てっきりあれは、敵キャラクターへダメージを与えるための工程材料なのかと思っていた。パズルを組み立ててコンボを繋げ、敵の怪物にダメージを与えるゲームにも、似たような丸いアイコンがあった。同じような設定のゲームではないの——⁈

 もはや錯乱する明依。

 一分弱になるだろうか。空白の瞳での沈黙が続いた。

 すると、大崎は差し出したイヤホンを自身の耳に付け直し——。

「……そう、よね。……こんな薄汚い私のイヤホンなんて、差し出されても困るわよね……」

 そんな悲しい事を口にした。

 確かに衛生面的な意味でそういう事を気にする人は居るだろうが、明依はそれほど潔癖けっぺきでもない。

「あ、いやごめん違うの‼︎ リズムゲームって単語の意味がよくわからなくて、大崎さんが嫌なわけじゃないわっ! うん! むしろ大歓迎よっ! 大崎さんのイヤホンっ!」

「ちょっ! それどう言う意味よっ!」

 間髪を入れずだった。

 顔を真っ赤にした大崎の詰問が反射板のように炸裂する。

 明依の倒置法が逆に意味深な言葉を生んでしまったようだ。

 お怒りのお姫様をこれ以上刺激しまいと、明依は何も言わず、大崎の右耳にはめられたイヤホンの片側を、自身の左耳へと装着した。

 そこから、陽気な音楽が響く。

 ゲームのテーマ曲のようだ。

「…………変わってるわ、あなた」

「へ?」

「いえ、何でもない」

 片耳が既に現実をさえぎってしまった事で、小さな声を聴き取ることは出来なかった。

 何かを伝えようとしている様子でもなかったので、特に気にしないでおこう。

 大崎は、端末をこちら側に寄せて、ゲームの説明を始めてくれた。

 しかし、ただでさえ小さな声の彼女。片耳が塞がった状態で、その言葉を聴き取るのは容易ではない。

 無意識のうちに、明依の左肩が大崎の右肩と密着する。

 説明の途中で、何故かぎこちなく言葉を誤り始めた大崎。

 最中、実際のプレイを見せてくれたが、先程のような繊細さは見られなかった。

 やはり、音が半分では集中出来なかったのだろう。

 やがて、画面にはゲームオーバーの文字が写し出された。

「あら………」

 どれだけ長い時間熱中していただろうか。気が付けば、もう到着時刻に迫っていた。

「やっぱり音が半分だとやりづらいわよね。ごめんなさい、邪魔しちゃって」

 イヤホンを外して苦笑する明依。

 黒髪の少女を横から見下ろすと、耳の端が赤い。

 相当悔しかったのだろう。

 あまり刺激しないよう、明依はそっとイヤホンを返して姿勢を戻した。

 再び、窓の外を眺める。

 真っ青な相模湾が、視界いっぱいに広がっているが、徳島県出身の彼女達にとっては、海などそう珍しい物でもなかった。

 何なら、瀬戸内海の紺碧は此処よりもずっと綺麗だ。

 慣れた様子で、大海を眺望していると、ふと大崎が口を開く。

「——ねぇ、あなた……神子なのよね? 御三家の……」

「え? うん……そうだけど……それがどうかしたの?」

 突拍子もなく今更な質問を投げ掛けてきた大崎に、少々困惑した。

 訝しげな表情で尋ねる明依に、彼女はそのまま言葉を重ねる。

「その……怖くないの? 正体不明の怪物と戦うこと……それで傷を負うこと……」

 当然の疑問。

 しかし、今まで気にも留めなかった空白の覚悟。なぜならそんなモノは、戦うべき大義名分の上では、どうしようもなく矮小わいしょうで、心にとめるまでに満たないからだ。

「……うん、まったく。そんな事よりも、やっぱり私は、傷つく人を見たくない——増やしたくないから。ただそれだけに必死で、自分が傷つくなんてこと、考えもしなかったわ」

「…………。……そう。強いのね、あなた」

 密かに微笑む大崎。

 その微笑は、どこか安心したような面持ちだった。

 意図の読めない不思議な様子を、少々怪訝に思った頃、車内前方から陽気な声が響いた。

「はぁ〜い! それでは皆さ〜ん! そろそろ鎌倉に到着致しま〜す! このあとの予定だけど〜、宿舎で荷物をまとめたら、すぐにフロントに集合ね〜! 江ノ島水族館は学年単位の団体行動になるから、一般来訪者の方々に迷惑の掛からないよう心掛けるのよ〜‼︎」

 到着したのはちょうど昼時だった。

 宿舎に入り、荷物をまとめる。

 部屋割りは、一クラス男女別に大部屋が設けられた単純なものだ。

 昼食は宿舎の食堂で持参した弁当を食べた。

 旅行という事もあり、弁当箱は使い捨ての物を指定されている。

 そして、ついにその時が来た。

 新江ノ島水族館と命名されているが、所在地は江ノ島ではなく藤沢市。

 海沿いに建てられ、建造物は海岸と横真っ直ぐに平行に延びている。

 かなり大きい。

 小学生の目には到底収まる事のない大きさ。

 向かいの信号から見ても、建物の最端が見えない。

 中を回るのに、一体どれだけの時間を弄するのかと些細な不安もあったが、最後に観たイルカショーでの盛大な歓迎もあり、事後は享楽きょうらくの余韻に満たされた。

 お陰で疲労を感じる事はほとんどなく、皆、晴れ晴れとした気分で宿舎へと戻った。

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