3日目_1

 目を覚ますと、夕はまたベットの上にいた。

上体を起こすも頭の曇りがとれないようで、ぼやけたままの眼で虚空の一点を見つめている。

 風にゆられ、カーテンが音をたてた。カーテンでこされた風が、夕の髪を撫でた。

 ふと、人の存在に気が付いた。テーブルに上体を突っ伏した、翔一が目に止まる。

 夕は、全てを思い出した。

 跳ね起きると、腹を、手を見るが、煤で汚れているだけで異変はない。

「お、起きたか」

顔を妙な手つきでまさぐると、翔一など意にも介さずに夕は部屋を飛び出した。

 全力で走っていくつもの部屋を訪れるとようやく目当ての鏡を見つけると乱れた息もそのままに、それに食いつくように見入った。そこには、なんら変わりない自分の顔が映っている。

(俺は昨日、焼かれたはずじゃあ……)

 鏡の自分を呆然と見ていると、翔一が部屋に入ってきた。彼の顔を見ると夕は得心し、胸をなでおろした。

「また、お前が治してくれたんだな!」

 謙一の手を掴むと、夕は何度も感謝の言葉を口にしながら目を細くした。目頭からは、塩辛い物が浮かんでいる。それに対して翔一は、狼狽の色を隠せなかった。

 その態度を不審に思って目を見ると、翔一は気まずそうに目線をそらした。

「俺が、治したんじゃねえよ」

「え?」

 翔一は頭をかくと、鼻の穴をふくらませて夕を見た。

「お前、死んじまったんだよ」

 言葉の意味が、昨日の映像と共になめらかに夕の頭に入り込んできた。自分の顔が燃えている様を、彼は鮮明にイメージできていた。

 けれども、彼は理解できても認めたくはなかった。それもそうだろう。彼は普通の人間ならば味わうことのない、一度死んでから生き返ったというのだから。

 説明は受けていたものの、いざその事象が起こったと言われても容易に受け止められるものではない。現に夕は、なんともいえない苦悶の表情を浮かべている。

 魂の抜けた男を翔一は部屋から、仲間の待つ部屋へと向かった。とはいえ、そこには麻里はいないのだが。

 部屋につくと、結と虚ろな目をした謙次がいた。翔一は謙次を睨みつけるが、謙次はというと軽口も嫌味も言わず、ただ窓の外を眺めている。

四人はベッドと椅子に腰をかけ、昨日の話をした。


 単刀直入に物を言うと、昨日は夕と謙次が死んだ。二人とも、殺されたのだ。夕は女の鬼に、謙次は男の鬼に。

 そう、鬼は一人ではなかったのだ。

 夕と謙次は傷がないにも関わらず、血にまみれた状態で発見された。夕は麻里に、謙次は結と翔一に。

 麻里は夕を背負って翔一をさがして洋館を飛び出したところ、夕たちの洋館へと向かう結と会い、謙次の治療をする翔一のもとへと駆けた。

 夕の治療を頼むものの、翔一は謙次へのそれも夕へのそれも断念した。意味がないからだ。

 二人に傷はなく、息もしている。ただ、目を覚まさないだけなのだ。

 仕方なく二人をベッドに安置することとなったが、ここで争いが起きた。火種となったのは、翔一の一言だった。

「瀬川。お前が、新田を殺したんだろ!」

 売り言葉に買い言葉で、いつにもなく麻里は声をあらげて反論した。自分は裏切り者ではない。二回も死人の第一発見者となった、お前の方が怪しいと。

 二人を止めようとする結にも、疑惑は向けられた。彼女だけ一度もトラブルに巻き込まれていないのが、怪しいという理由でだ。

 ここにきて、結も取り乱した。三人は協調することなく、思いのたけのまま、疑惑を投げつけあった。彼らの混乱も無理ないだろう。一日のうちに、見知らぬ人が一人、仲間が二人も死んだのだから。

 結局、二日夕と同じ洋館にいたにも関わらず、一日目は無傷、二日目は軽傷でいる麻里が一番怪しいという理由から、翔一と結は洋館から麻里を追い出した。

 さらに、二人とも裏切り者がいるかもしれないというのに同じ部屋にはいたくなく、夕と謙次を別々の部屋に移し、それぞれ看病することにした。翔一が謙次と同じ部屋にいることを拒んだため、翔一は夕を、結は謙次を看病することとなった。もっとも、看病と言っても異変がないか見守るだけなのだが。

 こうして二人は、疑心暗鬼に満ちたまま朝を迎え、今に至る。

 夕が思い切りテーブルに拳を叩きつけると、いきり立った目を翔一と結に向けた。

「瀬川は裏切り者じゃねえ!」

 小さく悲鳴をあげ、結はあきらかにおびえた様子をみせた。翔一は、鬱陶しそうに頭をかいた。

「またそれかよ。お前、一回死んでまであいつのこと信じんのかよ」

「当たり前だ! あいつは裏切ってなんかねえ! 昨日も一昨日も、あいつは俺を助けてくれたんだ!」

「いつまでお人好し続けんだよ! うぜえんだよてめえ!」

 ベッドからとびあがり、翔一は夕の胸倉を掴んだ。負けじと、夕も翔一の胸倉を掴む。

「聞いたよ。偶然隠し部屋を見つけて、作戦を、たてたんだって?」

 謙次の言葉に、皆耳を傾ける。彼は三人の誰を見るでもなく、口を開いた。

「鬼と接触してから隠し部屋に鬼を閉じ込めようとしたんだけれど、途中で君は殺されて、瀬川麻里だけは助かった。危険な作戦だったから仕方ないかい? ふうん。一日目は、君が死にかけたところで助けに来た。村上が回復能力を持ってなかったら、確実に死んでた傷を負ってから、ね。これも君は、仕方ないと?」

「それは……」

 返す言葉のみつからない夕ではなく、謙次の肩がかすかに震えている。翔一が驚きから、胸倉をつかむ手を離した。促されるように、夕もそれに続いて離す。

 謙次が、傍からもわかるように歯を立てて唇を噛んだ。

「あんなやつ相手に、二回も生き残れるわけがないんだよ……昨日、それを実感したよ。僕は鬼に姿を見つかってから、一分とたたないうちに殺されたんだ……」

「……その鬼は、どんなだった?」

 謙次は、面をあげて夕を見た。謙次の頬を涙がつたっていたが、誰もそれにはふれなかった。

 夕と謙次の話を照合したところ、謙次を襲った鬼は初日に現れた日本刀を持つ男でほぼ間違いがないようだ。

 二人の証言の違う点と言えば、その男の日本刀が血塗られているか、足を引きずっているか。その点だった。

 夕が見た時には日本刀は血で染まっており、足を引きずっていたが、謙次が見た時にはそのようなことはなかったという。

 二人が青ざめながら鬼のことを話す様を見て、翔一と結は息をのんだ。そして、鬼に遭遇することを想像したのか、見る見るうちに顔色を悪くしている。

 ここで、麻里への疑惑から目を背けるためにも、夕はさらに話を切り替えた。隠し部屋で見つけた、焼却炉で遭遇した男の写る写真についてに。

 三人とも、夕の話を聞き終えてさらに顔色を悪くした。不安を煽るのは良いことではないとはわかっていても、今は仲間を疑うことに頭を使うより、別の謎について頭を使う方がいいと夕は考えたため、このタイミングでこのことについて彼は述べて見せた。

 だが、これは逆効果だったようだ。

 謙次は写真にふれるのではなく、別の疑問を夕に投げかけた。

「なあ、君らは、どうやって隠し部屋を見つけたんだ?」

 これには困った。謙次たちはすでに隠し部屋を作戦に使った話を麻里から聞いているようだが、どのように見つけたと語ったかは、夕にはわからないのだ。当然、麻里と夕の供述が異なれば怪しまれるだろう。

夕は脂汗をかきながら、必死に最善の答えを模索した。だが、結局のところ、夕は真実を喋ってしまった。

いくら麻里をかばおうとしても、焦りは結果として自分自身が疑われない言葉を口から出させてしまったのだ。それを、夕は深く悔やんだが、すでに後にはひけない。

麻里が隠し部屋で目覚め、その後とった行動を夕の口から全て聞き取ると、翔一が机を蹴とばした。机が窓に当たり、ひびをつけた。

「なんでもっと早く言わねえんだよ! あいつは嘘ついてやがったんだ! 決まりじゃねえかよ、こんだけ怪しい証拠が出りゃあ。裏切り者は瀬川で決定だ!」

「おい、こんなことで裏切り者だなんて……」

「私も、そう思います」

 夕の言葉をさえぎるように、結は言葉を吐いた。

 繰り返し舌打ちをしつつ、翔一は部屋を後にした。結もそれに続き、部屋を去る。部屋には、夕と謙次だけが残された。

「なあ、夕。信じたい気持ちもわかる。二回も助けられたんだから。でも、もう無理だよ、瀬川麻里をかばうことは。写真の話を持ち出して、瀬川麻里とは違うことを言った君も、すくなからず怪しい立場だ。でも、任せてくれ。君は疑われないように、僕が手をつくすから」

 肩に優しく手を置くと、謙次は部屋を後にした。

 足音が、全て遠ざかって行く。

 麻里をかばうためによかれと思い話題を変えたはずだが、結果としてこのような事態を引き起こしてしまうとは、まったくもって皮肉な話である。

 夕はその場から一歩も動かず、人生の黄昏を迎えるような心を抱いた。

 風が流れ込む。それは、罪悪感を余計にわきたてた。

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