第70話 裏切ったみたいにね

 さくらさんの名前を出した瞬間、社長はビクッと体を震わせた。


「な、なんの話だ。さくらは自殺したんだろう? 私に関係は……」

「社長……言ってましたよね」私は社長の言葉を無視して、「社長室で私に金庫を見せたとき……社長はこう言った。『私の女にならないか? もしも断れば……なにかキミにとって不利益なことが起こるかもしれないぞ?』」


 その言葉が、すべての答えだった。


 私はしっかりと社長を見つめて、


「あのとき……私はこう思っていました。私の身に不利益が起きても、どんな嫌がらせをされても、耐えようと思っていた。最悪の場合、私が会社を辞めればいいと思っていた。だけど……だけど……」


――その考えが甘かった――


 そうだ……甘かったのだ。私は……私のことしか考えられなかった。


「社長の言う不利益は……だったんですね」

「な……に……」もう社長に余裕はない。警察という後ろ盾も壊されて、ただの1人の人間になっている。「なにを根拠に……そんな……」

「根拠は今はありませんけど……聞けばすぐにわかると思いますよ。社長が直接さくらさんに嫌がらせをするわけじゃないんだから、実行犯がいるはず。今となっては、社長をかばう必要はないので」


 逃げた人間をかばっていても仕方がない。自分が嫌がらせの犯人だと思われるくらいなら、社長に指示されたと言えばいい。そうすれば、少しは罪が軽くなる。


「社長は……私がさくらさんと仲良くしていたことを知っていた。だから……さくらさんが傷つけば、私に影響が出ると思った。新人でまだ経験の浅いさくらさんに嫌がらせをしたほうが、私に直接手を下すより効率的だと思った」


 私は、嫌がらせに対して耐性ができていた。私に直接嫌がらせをしても、私はあまり苦痛を感じなかった。だから……だから社長は標的を変えた。傷つきやすいさくらさんを標的にした。


 さくらさんが落ち込めば、私もそれを気にしてしまう。そしてさくらさんがさらに傷ついて、その行為に出た場合……私の心は壊れてしまうだろう。


 ……社長の策の効果は、絶大だった。みなとさんがいなければ、私は自らの命を諦めていただろう。


「私に嫌な思いをさせるために。私に不快な思いをさせるために」それだけの理由で。「たったそれだけ……それだけのために、さくらさんに嫌がらせをするよう、実行犯の人に指示を出した」


 違いますか?と私は社長を問い詰める。自分でも驚くくらい冷静で、低い声だった。


「ち、違う……!」社長は明らかに取り乱して、「そんなことは……」

「……わかりました」最初から、社長が簡単に認めるなんて思ってない。「……その反応が、なによりの答えです」


 私の推測は、正しかった。

 さくらさんが自殺した理由は……先輩たちから嫌がらせを受けていたからだ。それを苦にして、自らの命を……


 ……途中から、私への直接的な嫌がらせはなくなった。それは……私に嫌がらせをしていた人たちが、さくらさんを標的にするようになったから。


 どうしてさくらさんを狙ったのか……それは、社長の指示だったから。社長が社員たちに『さくら牡丹ぼたんに嫌がらせをしろ』と命令したのだ。おそらく金で買ったのだろう。


 社長の動機は、ただ一つ。私に対する……復讐なのかもしれない。愛人になることを断った私に、自分の力を思い知らせたかったのかもしれない。


「私は……私1人が耐えればいいと思っていました。だけど……その考えが、こんな結果を生んでしまった」


 私は1人じゃなかった。さくらさんという後輩と深く関わりすぎてしまった。だから、さくらさんは社長に狙われてしまった。


 私がもっと、考えていれば……


「ち、違うんだ……! 私は……」社長は私の両肩をつかんで、必死の形相で、「違う……私が指示したのは、ちょっとした指導だけだ。まさか……まさか死んでしまうまで追い詰めるなんて……」


 そのまま、社長は続ける。


「そうだ……悪いのは実行犯の奴らだ。私は嫌がらせをしろなんて一言も言っていない。ただ……ただあいつらが――」

「勝手に社長の意図を汲んだ、ですか?」冷たく言い放つのは、後部座席のゆきさん。「見苦しいですね。なんにせよ……社長の言葉でさくらさんへの嫌がらせが始まったことは確実でしょう。会社を調べれば、そんなことはすぐに出てくる」

「……バカな……あいつらは……」

「裏切りますよ。社長が今、裏切ったみたいにね」


 社長は……自分だけが助かろうとした。実行犯にすべてをなすりつけて、自分だけが助かろうとした。自分はあくまでさくら牡丹ぼたんへの指導を頼んだだけだと、そう言い逃れしようとした。


 ……なにが指導だ。どんな言葉を使ったのかはわからないが、社長が嫌がらせを誘導したのは確定だ。そうじゃなかったら、ここまで慌てる理由がない。

 

 私が知りたかったことは、それだけ。さくらさんへの嫌がらせが始まったのは、社長が指示したから。そして社長がさくらさんへの嫌がらせを指示したのは……青鬼あおき笑美えみという人間を苦しめるためだった。


 私1人が耐えれば解決なんて……そんな、甘い話ではなかったのだ。

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