第65話 どうして

 みなとさんの部屋の中。私の沈みきった心とは裏腹に、天気は快晴。鬱陶しいくらいの太陽光が、カーテンを貫通して部屋を照らしていた。


「どうぞ」みなとさんがココアを準備してくれて、私の前に置く。「睡眠薬は入ってませんよ」

「……ありがとうございます……」


 お言葉に甘えて、ココアをいただく。弱った心に染み渡る、優しい味だった。暖かくて、体全体に染み渡るようだった。


 ココアをゆっくりと味わってから、私は言う。


さくらさんは……私の会社の後輩です。はじめてできた後輩で……ちょっとしたことで、仲良くなったんです」


 仕事のやり方がわからなくて右往左往しているさくらさんに、ちょっとアドバイスをしただけ。今にして思えば、正しいアドバイスだったとも思えない。


 そんなアドバイスを、彼女はしっかりと実践してくれた。私の言葉を忠実に守って仕事をしてくれた。だから私も嬉しくて、いろいろなアドバイスをした。


「かわいい後輩でした……優しいし、私なんかの言うことも聞いてくれて……私はさくらさんに、なにか特別なことをしてあげられなかったんですけど、それでも、私のことを慕ってくれてたんです」


 みなとさんの相槌を受けて、私は続ける。


「それで……そのさくらさんが……」一度ツバを飲み込んでから、「自殺したって……今日……いや、昨日……ですね。そんな連絡があって……」


 自殺、という言葉にはさすがのみなとさんも驚いたようだった。しかしそれでも、黙って私の言葉を聞いてくれていた。


「それでさくらさんが運ばれたっていう病院に行って……そこで、彼女を見ました。もう動かなくて冷たくて……ロープの跡が首にあって……もう、生きてなくて……」途中から声が震えてきたけれど、言葉は止まらない。「……ちょっと前から、さくらさんの体調が悪そうなのは気づいてたんです……」


 少し、痩せているように見えた。本人はダイエットだと言っていたけれど、今にして思えばなにか悩みがあって、食事が喉を通らなかったのだろう。あんなに食べることが好きなさくらさんが……


「私は……さくらさんを救えたはずなんです……私がさくらさんの異変に気がついていれば……彼女を救えたはずなのに……なのに、なのに私は……!」唇を噛んでしまって、血が流れてきた。でも、気にする余裕はない。「なんにもできなかった……彼女が苦しんでいたのに……私は見て見ぬふりをした……! 彼女なら大丈夫って……根拠もなく思い込んで……それで……だから……」


 また感情が高ぶってきて、言葉が紡げなくなる。だけどみなとさんがしっかりと待ってくれるから、私はなんとか落ち着いて続きを話す。


「それで……その……自暴自棄になって……もう、私にはみなとさんしかいないって思ってしまって……その……」

「……それで、僕に睡眠薬を?」

「……はい……」どんな手段を使ってでも、みなとさんを手に入れようとした。唯一私に残されたものを、手に入れようとした。「……すいません……謝って許されることじゃないのはわかっているけれど……ごめんなさい……」

「……」みなとさんは自分用のココアを一口飲んで、「……少し前に言っていた、冤罪というのは?」

「ああ……その、私が社長のお金を盗んだって容疑をかけられて……」そういえば、私の容疑はどうなったんだろう。「その途中でさくらさんが……っていうことを聞いて……多分私が犯人ってことになってますね」


 警察からすれば、私が逃げたというように見えるだろう。窃盗の容疑で捕まりたくないから逃走している、と見えるだろう。社長も、きっとそう言っているはずだ。青鬼あおきは捕まりたくないから逃げたと思われているだろう。


 ……これからどうしよう。仕事も、さくらさんも……みなとさんだって失ってしまった。こんなことをした私を、みなとさんが受け入れてくれるはずがない。私は、すべてを失った。唯一残っていたみなとさんも、私の愚行のせいで……


「……大変でしたね……」みなとさんは優しく微笑んで、「一日のうちにそんなこと……冤罪をかけられて、さらに大切な後輩を亡くして……あなたがあんなに追い詰められていた理由がわかりました」

「……やっぱりみなとさん、優しいですね」こんな私にも、しっかりと共感してくれる。「でも……私がやったことは犯罪行為です。睡眠薬なんて……しかも、勝手なことをしてみなとさんに迷惑をかけました……すいません」

「迷惑だったのはたしかですが……まぁ不問にしましょう。事態が事態ですからね」

「不問なんてそんな……警察に突き出してください。当然それを、受け入れます」


 悪いのは、私だ。まだ私はさくらさんに会いに行けない。この罪を償わなければ。


 みなとさんは私を見て、なにやら考え込む。それから、


「……前に言いましたよね。僕にはヒーロー願望がある。誰かにとって特別な存在とか……特殊な状況下に置かれることに対して、多少の憧れがある」


 ……聞いたような気もする。まだ私がお客様としてみなとさんと会っていたときだ。どうやらみなとさん、仕事中でも適当なことばっかり言ってるわけじゃないらしい。本心だったらしい。


「2つ言うことがあります」みなとさんは2本の指を立てて、「まず……冤罪という言葉を聞いてしまった以上、無視するわけにはいきません。あなたの冤罪は、晴らさないといけない」

「……私だってそうしたいですけど……相手は社長ですよ? なにがなんでも私に罪を着せようと……」

「相手が誰であろうが、関係ないですね」見かけによらず、熱血漢な人物らしい。「なにが言いたいのかというと……むぎさんの冤罪を晴らすために、協力しましょう」

「え……?」


 なかなか意外な申し出だった。自分のストーカーの冤罪を晴らすために協力? なんでそんなこと……


「それから……もう1つ気になることがあります。むぎさんににとっては残酷なことかもしれませんが……」

「大丈夫ですよ」これ以上落ちることはない。「なんですか?」

「どうしてさくらさんが……自らの命を断ってしまったのか……その理由が気になります」

「それは……」私が無能だったから……いや、もう自分の弱さに逃げるのはやめよう。「私も……気になります」


 真実を、明らかにするんだ。どうしてさくらさんが自殺してしまったのか……私の冤罪は別にどうでもいいのだけれど、さくらさんの真相だけは暴かないといけない。どうしてさくらさんがこの世からいなくなってしまったのか……それを調べるまで、私は死ねない。


「よし」みなとさんは頷く。その引き締まった表情は……なんだか物語の主人公みたいだった。「では当面の目標は……むぎさんの冤罪を晴らすこと。それとさくらさんの死の理由を突き止めること。その2つです。いいですね」

「……はい……」


 そうだ。死んでる場合じゃない。最低限、その2つだけはなんとかしないと。それができないと、私は幽霊になってしまう。化けて出てきてしまう。


「……ちなみになんですけど……協力してくれそうな人はいますか? さっき言ってたエマさんとか……」

「エマさんは……」私を冤罪の罠にはめようとしていた張本人である。「……たぶん……完全な味方ではないかと……半分敵みたいな人で……」


 エマさんの動機はお金だ。お金さえあればエマさんを味方にすることもできるだろうけど……私にそんな財力はない。


 となると……まぁ、1人しかいないよな。


 こんなときに頼りになって、荒っぽいことに強そうな人。私が知ってる人間の中じゃ、1人しかいない。


 風音かざねゆき

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る