第55話

 とりあえず落ち着こう。まず状況の整理だ。


 今、私は会社にいる。社長に呼び出されて社長室に行ったら『お前が社長室で盗みを働いただろう』ということを言われた。

 もちろんそれは冤罪だ。私は社長室で何も盗んでいない。


 なのに、私のデスクから社長が使っていた茶碗が現れた。その茶碗は、前に私が社長室に呼び出されたときに用いられた茶碗だ。私はその茶碗で、社長のお茶を飲んだ。

 つまり……この茶碗には私の指紋がべったりついている。そしてこんな手の込んだ真似をするくらいだ。どうせ私の指紋だけが残っているのだろう。他の人の指紋は、社長のくらいしか残っていないのだろう。


 そして、これから社長たちが言う言葉は決まっている。


「これがどうしてここに……」社長は茶碗を持って白々しく、「エマの言う通り……これは私が大切にしている茶碗だ。誰にも使わせたことはない……」

「……」思わず、私は社長をにらみつける。「……この間社長に呼び出されたときに……この茶碗を使ってお茶を出してくれたじゃないですか」

「この大切な茶碗を、お前ごときの社員に使うわけがないだろう」なかなかの問題発言だけれど……たしかにそうだ。「金だけに飽きたらず……茶碗まで盗んでいたのか」


 それから社長は警察官に説明を続ける。


「今日の朝に会社に来たところ……金庫の金がなくなっていましてね。そして社員を問い詰めたところ……こうして私の所有する茶碗が出てきた……これは金のついでに茶碗も盗んだ、ということでしょう」

「待ってください」当然反論する。あまりにも雑な冤罪だ。「もしも私がお金を盗んでいたとしたら……どうして茶碗だけが自分のデスクから出てくるんですか?」

「盗み出したが、隠す暇はなかったのだろう」

「じゃあお金は――」


 言った瞬間、後悔した。完全にお手つきをした状態だった。


 ……社長たちは私に冤罪を着せるために、茶碗を私のデスクに入れた。ならば……お金は? 


「ロッカーにでも隠してあるんじゃないか?」社長は勝ち誇ったようにニヤニヤ笑って、「探しに行くか」

「……お金をロッカーに隠したのなら、茶碗もそこに隠せばいいじゃないですか。どうして茶碗だけデスクにあるんですか」

「指紋を拭き取ろうとしていたのだろう。手元において、時間があれば洗って指紋をなくしてしまう。そうすれば、青鬼あおきが盗んだという証拠はなくなるからな」

「だったらお金は……」

「金に指紋がついていたところで、自分の金だと言い張ればいい。証拠として残るのは茶碗だ」


 ……私の家を調べれば、茶碗に興味がないのなんてすぐにわかる。しかしお金はどこの家にもある。だから、仮に私のロッカーにお金があっても社長から盗んだものとは限らない。


 だけれど……疑いの目線を向ける理由としては十分。こうしてデスクから茶碗が出てきて、さらにロッカーからお金が出てくれば……状況証拠としては十分すぎるだろう。

 さらに……社長室の金庫……その中に私の足跡等が残っているかもしれない。わざわざ金庫の中に入れたということは、足跡くらい測定できるようにしているだろう。


 ……これは、逃げられないかもしれない。私はやっていないけれど、疑いを晴らすことが不可能かもしれない。


 ……夜中に私が出歩いていないことを証明する人は……いない。ゆきさんともそんな夜中には会話していない。私のアリバイを証明してくれる人がいない。


 ……捕まる、のかな。いや、でも決定的な証拠はない。あくまで状況証拠だ。だけれど……社長がここまでの行動に出るのなら、他の証拠も用意しているだろう。


 ……やっぱり逃げることは難しいかもしれないな。会社をやめることは確定だろうけど、せめて捕まりたくはないけれど……


 そのままの流れで、私たちは私のロッカーに移動する。鍵を開けて中身を見ると、そこには当然のように……


「……」


 あった。一万円札が数枚、雑にロッカールームから出てきた。側面の穴から放り込んだような……いや、まさに側面の穴から放り込んだのだろう。

 

 そしてあんまり大金が入っていると、私には用意できない。だけど疑いの目は私に向けさせたい。だから……数枚の一万円札でとどめた。偶然財布から出てきました……というには大金だな。


「やっぱり盗んでたのね……」エマさんが肩をすくめて、「しかもこんなちょっとだけ……盗むならもっと盗めばいいのに、気が小さいのね」

「盗んでないので」思わず、私は頭をかく。冤罪なのは冤罪なのだけれど、逃れるすべが思いつかない。「私にアリバイがないのは認めます。ですが……それは社長たちも同じですよね」

「なにが言いたいの?」

「社長たちが私のデスクやロッカーに……茶碗とお金を入れた。そして冤罪を作り出そうとしている……その可能性は否定できませんよね」


 そう。私がやったということを否定できないと同時に、社長たちの犯行も否定出来ないはずだ。

 この際、疑われることはしょうがないと諦めよう。私が回避すべきなのは、逮捕されることだ。疑われても会社を辞めればいいが、逮捕されるとその後の人生に影響が出てしまう。


 というか今更だけど……さくらさんはまだ出社してないんだな。さっきオフィスに行ったときもいなかった。そしてここまで大騒ぎになったら、いても立ってもいられなくなって口を挟むと思う。それがないということは、今日はお休みだろうか?


 ともあれ……私に疑いの目を向けていた警察官も、今はどっちの言い分を信じたら良いものかと目線をさまよわせていた。なんとかある程度五分くらいには持っていけたらしい。

 

 沈黙。私はエマさんとにらみ合う。本当は社長とにらみ合いたかったけど、社長が早々に目をそらしてしまった。私の目線に応えてくれたのはエマさんだけだった。


 さて……このままどっちに転ぶか。逮捕されるくらいなら会社をクビになったほうが圧倒的に楽なのだけれど……


 不意に、着信音がロッカールームに鳴り響いた。私の着信音ではない。反応を見る限り社長のでもエマさんのものでもない。


 じゃあ誰のかと思っていると、


「失礼」警察官の一人がスマートフォンを取り出して、「はい」


 勤務中に電話……いや、上司からの連絡かもしれない。ならば出ないわけにもいかないよな。


 部屋の中に、警察官の声だけが響く。


「はい……はい……え……?」なにか意外なことがあったらしい。「わかりました。すぐに確認します」


 確認……なにを確認するのだろう。社長室の金庫から私の足跡が確認されたか? まぁ一度金庫には足を踏み入れているから当然なのだけれど……


「社長」警察官は言う。「こちらに……さくら牡丹ぼたんという名前の社員がいらっしゃいますか?」


 さくらさん……? なんで警察の人からさくらさんの話題が?


「……さくら牡丹ぼたんはたしかにうちの社員ですが……」

「そうですか。では……」警察官は、そのままあっさりと言った。「今、連絡がありまして……さくら牡丹ぼたんさんが自殺なさったとのことです」


 ……


 ……


 ……


 ……


 ……


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