第42話 良かったです


 部長開催の新人歓迎飲み会。その飲み会を、私が破壊してしまった。さくらさんが一気飲みさせられそうになっていたビールジョッキを奪い取って私が飲んでしまった。


 みなとさん探しを中断させられた怒りが、思ったより大きかった。しかし……それは私の個人的な事情というもの。どうしてもみなとさんを探しに行きたいなら、飲み会に参加しなければよかったのだ。半ば強制参加の飲み会とは言え……


 部長がいなくなって、正気に戻る。そして自分がしでかした事の大きさを認識する。

 飲み会を楽しみにしていた社員だっているだろう。部長だって楽しみにしていた。その楽しみを奪ったのは誰だ? みなとさんを探しに行きたいという身勝手な想いで中断したのは誰だ? 私以外にない。


 本当に会場は静まり返っていた。呆然と立ち尽くす私にすべての視線が送られていた。


青鬼あおき……」先輩社員が頭をかいて、「お前……どうしてくれんだよ。部長……飲み会邪魔されると、とうぶん機嫌悪いんだよ……社員への当たりも強くなるし……」

「……すいません……」


 反省はしている。この感じだと、これから残業が増えそうだな。みなとさんを探しに行きたいのに……私の軽率な行動のせいで自分の行動範囲を狭めてしまった。アホとしか言いようがない。


 謝罪のしようもない。だけど謝罪しないといけない。まったく……本当に軽率な行動をしてしまった。


「でも……」そんな中、一人の女性社員が、「ちょっと……スッキリしました」

「え……?」

「ほら……私もお酒が苦手なんですけど……部長に飲まされたことがあって。それでしばらく体調崩したりして、この伝統が嫌だなって思ってたんで……青鬼あおきさんがキッパリ言ってくれて、良かったです」


 そうやってフォローしてくれるとありがたい。ありがたいけれど……私の心は沈んだままだ。


 そして、さらに他の社員の人がスマホに耳を当てながら、


「部長、戻ってくるってさ」どうやら部長サイドの人と連絡をしているらしい。「どうする?」

「……どうするって……」そんなことを聞かれても……「とりあえず……私はもう帰ります。ご迷惑おかけしました」

「いや、いいよ。青鬼あおきさんが正しい。こんな伝統は、とっくの昔になくなってるべきだ。部長にも良い薬になっただろうよ。それより……ケガは大丈夫? フラフラするようなら、病院に行ったほうがいいよ」

「は、はい……」

 

 そういえば私は部長に殴られたのだった。道理で右の頬がズキズキと痛むはずだ。口の中も血の味が充満してるし、頭もフラフラする。殴られたせいなのか、それともビールを一気飲みしたからか。


「……失礼しました……」私は会社の人達に頭を下げて、店の出口までヨロヨロと歩いて行く。そしてお店の出口で、「……お騒がせして申し訳ありませんでした……」


 お店全体に向かって謝罪をしておいた。こんなに静まり返らせてしまって申し訳ない。本当に情けない。私が我慢すれば丸く収まった話なのに。


 お店を出て、夜風に当たる。心地よい風のはずだが、心が沈んでいる今、鬱陶しいものにしか感じない。


 すでにあたりは暗くなっていた。通りの居酒屋とか……いろんなお店の照明が私を照らす。時折笑い声や怒鳴り声……いろんな声が聞こえてくる。そんな声のすべてが私を責めているようで……


 さっさとみなとさんを探しに行きたい。しかしもう時間も遅い。こんな気分だし今日は帰ろうか……いや、だからこそみなとさんを探しに行こうか。


 なんにせよ急ぎたいが、足元が定まらない。まっすぐ歩いているつもりがフラフラする。あの部長がグーで殴るからだ。せめて平手にしてくれ。

 ……ビールのせいなのか殴られたせいなのか……どっちでもいいけれど、悪いのは部長だ。いや、私だ。甘んじて受け入れるしかない。


 とりあえず駅……みなとさんのところに行くにも、家に帰るにも駅にいかなければ。そう思って重い体を引きずっていると、


青鬼あおき先輩……!」


 後ろから足音ともに声が聞こえた。振り返ると、


「……さくらさん……」さくらさんが泣きそうな顔でこちらに走ってきていた。「……どうしたの?」

「ど、どうしたの、じゃなくて……」それからさくらさんは勢いよく頭を下げて、「その……ごめんなさい! それから……ありがとうございます……!」

「……お礼言われるようなことは……」していない、と言いかけて、「あれ……?」


 急に平衡感覚がおかしくなった。いや、すでにおかしくなっていたのだろう。足元が定まらずにフラフラと道をさまよってしまう。


「あ……せ、先輩……」さくらさんに抱きかかえられて、ようやく私の足が止まる。「だだだ……だ、大丈夫、ですか? きゅう、救急車……」

「大丈夫……」おそらく大丈夫。大丈夫じゃなくても、救急車は嫌だ。「ちょっと休めば良くなるよ……」

「で、でも……」

「……」


 たしかに大丈夫じゃないかもしれない。救急車は大げさだけど、このままみなとさん探しに行くのは無理がありそうだ。途中で倒れてしまう。


 そもそも家に帰りつけるかどうかが怪しい。本当に救急車を読んだほうがいいのではないかというくらい体調が悪い。そりゃそうだろう。苦手なお酒をビールジョッキ一杯飲み干して、さらに殴られたんだから。


「家まで……家までお送りします」

「え……いや、だから大丈夫……」

「送ります……!」ずいっと、さくらさんの顔が近づいてくる。近くで見るとよりかわいい。「私のせいなんですから……」

「……さくらさんのせいじゃないけど……」


 部長が悪い。古き悪しき風習が悪い。私が悪い。さくらさんは悪くない。


「と、とにかく……絶対に家までお送りします。そうじゃないと……私……」

「……わかったよ……だからそんな泣かないで……」


 目の前で女の子に泣かれると寝覚めが悪い。事あるごとにその涙が脳裏に蘇って申し訳なくなってしまう。


 そんなこんなで、今日はさくらさんに家まで送ってもらうことになった。

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