第5話
最終日、ブロッコリーさんは僕のいたレジを選んだ。まあそれは別に僕がよかったからではなく、ただ単に僕のいたレジに誰も並んでいなかったからというだけだろうけど。
あの日を境に、僕がブロッコリーさんを見かけることはなくなってしまった。僕が先輩とシフトを代わっていた五日間、欠かさずスーパーを訪れていたブロッコリーさん。十一時三十分に、必ず現れる彼女。緑色のTシャツ、緑色のジャージのズボン、緑色のスニーカー。ブロッコリーさんのファッションにはいつも何かしらの緑色の要素が含まれていた。彼女がどうして毎日ブロッコリーを買っていくのか。それは今になってもわからないままだ。
「―那須木、那須木?ねえねえ、牛タン間違って十六皿頼んじゃったんだけど大丈夫かな?」
先輩の衝撃的な一言で一気に現実に引き戻される。先輩の指先がさすタブレットの画面には、「牛タン 十六皿 注文完了」の文字が。
「はぁ?なんでそんなにたくさん…」
「だって那須木、さっきから話しかけてるのに全然聞いてくれないから。俺こういうタブレット系の操作一人でできないんだよ」
そういう佐久間先輩は、すでに違うメニューを追加で頼もうとしていた。慌てて僕はそれを阻止する。
「先輩が食べられないなら僕が全部引き受けますから、とりあえずもうそれ以上頼まないでおいてもらえますか?今の先輩の致命的ミスで、僕は今日、牛タンしか食べられない運命が決まってしまったので。なんなら先輩もですよ。食べ物は粗末にしちゃだめです、なんとかして二人で食べきらないと」
少しばつが悪そうな顔をした先輩は、ちょっとトイレと言って席を外してしまった。先輩が怒っているわけではないことくらい、さすがの僕もわかっている。
今日は佐久間先輩が約束通り焼肉に連れてきてくれていた。牛タン十六皿も、先輩のおごりだ。
佐久間先輩は、よく僕に借りをつくる。ラーメンをおごるから、スニーカーあげるから、かわいいこ紹介するから。誤解してほしくないが、これらは決して僕が自分から佐久間先輩にせがんでいるわけではない。佐久間先輩はいつもこう言って、どんどん自分の首を絞めていく。
「たっだいまー。那須木、食べてる?」
トイレから戻ってきた先輩が、僕の向かいに腰を下ろした。先ほどの牛タン事件のことなんて、もう佐久間先輩の頭にはないんだろう。この人はそういう人だ。
「はい、今取ったばっかりです。あっ、そんなに…」
佐久間先輩は僕の様子にかまうことなく僕の皿の上に牛タンを載せていく。
「いっぱい食えよ。今日は俺のおごりなんだから。遠慮なく、遠慮なく」
先輩がトイレに行っている間に、僕たちのテーブルは二人の店員たちによって牛タン十六皿で埋め尽くされた。ほんとにこんなに食べられるの?と、僕と同い年くらいのバイトの女の子が僕を見てくる視線が痛かった。
ただでさえ小食の僕の胃はもう容量がそれほど残っていない。食べ物から気をそらそうと、先輩に話を振る。
「そういえば、あの人ってまだ来てますか?」
「あの人って?あぁ、ブロッコリーさん?」
「そうです。なんか気になっちゃって。あれから一回も見てないんですけど」
「来てるよ。お前とは時間が合わないのかもしれないけど、毎日欠かさず。なんのために来てんだろーね」
先輩が網の上に載せた牛タンが、ジュウッと音を立てる。
「あの人、その…ブロッコリーさんはいつごろから来られてるんですか?」
「割と最近だよ、半年前くらいからかな。ほら、八百屋八兵衛がつぶれたじゃん?あのときからずっと来てる。たぶんそれまでは八兵衛に行ってたんじゃない?わかんないけど」
いい感じに焦げ目のついた牛タンを、先輩が自分のご飯の上に載せた。
「その…ブロッコリーさんが毎日ブロッコリーを買いに来る理由はなんなんですかね?」
網の上に残った最後の牛タンに、二人同時に手を伸ばす。気まずい空気が一瞬流れたものの、先輩は笑顔で僕のご飯の上に牛タンを載せてくれた。僕は先輩のお皿に載せようと思ったのに。
「知らないよぉ、そんなこと。自分で訊いてみれば?『なんでブロッコリー毎日買いに来てるんですか?』って。なんてね、訊けるわけないか」
先輩が譲ってくれた牛タンを口に運ぶ。知り尽くしたうまみが口の中いっぱいに広がった。
「あでも、これ、ブロッコリーヒントなんだけど、今月になってからブロッコリーさんの来る時間が変わったよ。前は十一時半くらいに来てたと思うんだけど、それが四時半になった。もしかしたらブロッコリーさん、いつもは普通の生活送ってるんじゃないかな。おまえが会った時期ってお盆休みだったもんね。ブロッコリーさんにも、意外と普通に夏休みがあったりして」
「…ブロッコリーヒントって。でも確かに、ブロッコリーさんも毎日ブロッコリーを変えるだけのお金はあるってことですもんね。ブロッコリーさん、働いてるのかな…」
ブロッコリーさんの夏休み、か。ブロッコリーさんがどんな人で、いつもはなにをしているのか。
ブロッコリーさんのことをますます知りたくなった僕だった。
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