22,悪夢のはじまり

 始まりは水槽すいそうの中だった。水槽の中の、培養液ばいようえきに浮かぶ。それが、私にとって世界のすべてだった。

 私にゆるされた世界。その全てが、その小さな水槽の中にあった。

 小さな世界。まだ小さかった私。そんな私に、あたえられた大きな力。だが、今思えばきっとかれにとってそんな私ですら価値かちは無かったのだろう。彼からすれば、この世の全てに等しく価値は無い。

 だからこそ生み出された私。価値の無い世界で生まれた、ゆえに価値の無い私。この世界に価値が無いなら、ほろぼす私にだって価値は無い。

 ……では、私の生まれた意味いみは何ですか?

 私の始まり。原初げんしょの記憶。全ての始まりの、その泡沫うたかたの夢。

 全ては、此処ここから始まった……


 ・・・ ・・・ ・・・


「…………っ⁉」

 目をます。其処は、女性用宿舎の中にある私の部屋だ。いつもの光景、何も変わらない。静かに安堵あんどの息を吐きながら、ベッドから起き上がる。どうやら夢見が悪かったらしい。服も寝汗のせいでれており、肌に張り付いて気持ち悪い。

 どうやら、かなりうなされていたらしい。息もあらい。呼吸を整え、汗にまみれた服を着替えるべく服をぎ、タンスから新しい服とタオルを出した。綺麗なタオルで身体を拭いた後、新しい衣服に着替える。

 ……少しだけすっきりした。と、その時窓の外に一人の人影ひとかげが歩いているのを見かけた。その人影は、私の見知った人だった。まあ、この近辺で私の知らない人は居ないけど。

 それはまあい。

「…………?あれは、クロノ君?」

 そう、それはクロノ君だった。遠藤えんどうクロノ。永い時をコールドスリープしていた、眠り続けていた過去の文明ぶんめいの生き残り。過去の文明の生き証人。

 滅びた文明から一人だけ未来みらいに飛ばされた。そんな境遇きょうぐうを持ちながら、彼は今まで暗いかげなど一切見せずに私達と過ごしている。それは、きっと彼の強さ故だろう。

 彼は、きっと自分で思っているよりかなりつよい。普通の人なら、きっと心が折れる筈だ。にも関わらず、それでも折れずに比較的明るく過ごせるのはその心根の強さ故だろう。

 彼は、一体何を思って生きているのだろうか?以前、英雄えいゆうになりたいと彼は私に告げた。だからこそ、この世界をすくうと言っていた。私達を救うと言っていた。そう言ってくれた。

 それは、きっと彼なりの覚悟かくごの現れなのだろう。彼が見せた、覚悟の強さだ。

 そんな彼の強さとやさしさが、私は嬉しかった。思わずなみだが出る程に。嬉しくて、そして悲しかった。

「……………………」

 少しだけ、彼と話したいと思った。軽く身だしなみをととのえ、部屋を出た。


 ・・・ ・・・ ・・・


 外に出て夜風よかぜに当たっていた。外はまだ薄暗うすぐらい。大体、夜の6時前くらいか。ともかく早朝の空気は少しだけ気持ちが良かった。なので、少しだけ気が緩んでいたのだろうと思う。背後から近付いてくる気配を、俺は見逃みのがしていた。

「クロノ君?」

「うおっ⁉」

 唐突に、背後から掛けられた声に思わずびくっと身をふるわせる。本気で驚いた。

 背後にはユキが居た。どうやら、彼女も起きたばかりのようだ。着替えたばかりなのだろう薄着に、ほんの僅か俺の心臓がねる。思わず、視線が彼女の胸元に……

 その視線に気付いたのか、ユキは軽く笑いながら胸元をかくす。

「あはは!やっぱりクロノ君も男の子だね」

「ご、ごめん……気にさわったなら謝る」

 そっと視線をはずす。けど、ユキはほがらかに笑いながら許してくれた。

「いや、クロノ君なら不快ふかいじゃないよ?信じてるからね」

 むう、それはどういう意味だろうか?俺も一応男なんだけど。まあ、でも信じてくれているだけありがたいのだろうけど。俺も、僅かに笑みを浮かべた。

 そんな俺に、ユキも笑みを浮かべたまま静かにとなりに立つ。そっと、肩が触れるか触れないかの微妙な距離感。それが、今の俺達の距離きょりなのだろう。

 しかし、それが今の俺にとって心地よかった。心底安心出来る。それはきっと、俺が心の何処かでユキの事を信頼しんらいしているからなのだろう。俺が、彼女を信頼している何よりの証。

 そう、俺はユキの事を心底しんそこから信頼している。彼女の事を心底から信じているんだと思うから。

 きっと、それはユキもそうなのだろう。だからこそ、この距離感なのだと思う。

 そう、俺は思っている。

「で、どうしてこんな時間に?」

 そう、ユキは俺に問い掛けてきた。何ともない、無防備むぼうびな笑顔。その笑顔が、とてもまぶしい。

 思わず視線をらしながら返答する。質問に質問で返すのもどうかとは思うけど。

「そういうユキこそ、こんな時間に起きているじゃないか」

「あははっ、夢見ゆめみが悪くてね。こんな時間に起きちゃった」

「……そうか」

 俺は、納得したように頷いた。どうやら、彼女も夢見が悪くて半端はんぱな時間に目覚めたらしい。

 そう俺が一人納得していると、ユキが俺をじっと見詰めてきた。

「で、クロノ君はどうしてこんな時間に?」

「……俺もそうだよ。夢見がわるくて、こんな半端な時間に目がめた」

「へえ?それはとんだ偶然ぐうぜんだね」

 俺は黙って頷いた。そう、これはあくまで偶然。そんな事もきっとあるだろう程度の、些細な偶然の話でしかないのだろう。小さな小さな偶然の話だ。

 しかし、その偶然がきっと幸運こううんだったのだろう。だからこそ、俺はそれに気付く事が出来たのだから。

 そう、それはほんの些細ささいな偶然の結果の幸運だった。結果、俺は些細な違和感に気付いた。或いは、それは不幸ふこうなのかもしれないけれど。或いは、知らない方が……

 それは、遠くから近付く何かの群れ。土埃つちぼこりを上げながら、こちらへやってくる。

「…………?あれは、何だ?」

「あれ?」

 俺とユキはそちらを凝視ぎょうしした。果たして、其処には……

 巨大蛇の怪物、甲殻バジリスクの群れ、怪物猿の軍団、その大群たいぐんがこちらへと押し寄せてくるのが見えた。

「「っ⁉」」

 俺とユキは同時に息をむ。それは、まさしく悪夢あくむのような光景だったのだろう。

 そう、それはまさしく悪夢だ。悪夢というに相応しいだろう光景。或いはこの世の地獄だ。それはまさしくこの世の地獄であり、悪夢と呼ぶに相応しい。

 そして、その怪物達の混成軍団の前を行くのはとりわけ巨大な白蛇はくじゃの怪物。後頭部に黒い双角そうかくを生やし、緑色のこけを身体の至る所に生やした純白の怪蛇。王の威容を纏った巨大白蛇だった。

「っ、オロチ⁉怪物の王、オロチがついにその腰をげたというの‼」

「オロチだって?」

「い、急いで避難命令をっ‼戦える者を早急に招集しょうしゅうしないと‼」

 慌ててけていくユキ。しかし、皆が目覚めざめる頃には奴等はこの集落に到達している筈だ。

 なら!

 俺は、一人敵の進軍しんぐんを食い止める為に怪物の群れへと突貫とっかんしていった。

 直後、集落全土に警鐘けいしょうの音がけたたましく鳴り響いた。それは、敵の襲撃を報せる為の合図だ。

 そう、悪夢あくむの始まりだった。


 ・・・ ・・・ ・・・


 巨大な怪蛇のおう、オロチの前へ俺は立ち塞がる。刀をかまえ、真っ直ぐ睨み付ける。

「む、貴様は何者なにものだ?」

 怪蛇王、オロチが声を上げる。どうやら人語をかいするらしい。知能はそれなりに高いようだ。俺は怪物の軍団をながめながら切っ先をオロチ達へと向ける。刀身に灼熱の炎を纏わせながら、名乗なのりを上げた。

「俺の名はクロノ。遠藤クロノだ‼」

「そうか、では死ぬがよい‼」

 巨大な怪物達が俺へと殺到さっとうする。その数、いったいどれ程か?おぞましいまでに巨大で多い。まるで、怪物の大津波おおつなみだ。

 ともかく、数えきれない程の大規模な大群たいぐんだろう。しかし、俺は一切臆さない。そのまま怪物種の混成軍団へと突貫し突っ込んでゆく。灼熱の炎が、燃え盛る。過去最高を振り絞る為に、命を燃やし尽くす覚悟で。意思いしを練り上げる。

 そして、俺と怪物種の群れが。その牙と灼熱の刃が激突げきとつした。

 その時、吹き上がった火柱はかつてない程に天高てんたかく。まるで神話に語られるような天と地を繋ぐはしらのようだったという。

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