第45話 巨人の一撃

「だいぶ健康そうな顔色になったな。少し身体も大きくなったように思う」


 父親との久しぶりの対面。

 公的な服に装いを改めて上品に微笑む姿は、パリッとした貴公子に見える。


「父上も御壮健そうでなによりです」


 礼儀作法で習った通りの、型通りの挨拶をする。


 種馬云々の会話を聞いちゃったので、元々遠かった父親との心の距離が、ますます開いてしまった。他人行儀な返答になっても、いいかなって思うくらいに。

 愛想笑いも出やしない。だから、可愛げなんて皆無だろう。でも、そういう努力をする気が、ちっとも湧かなかった。


 身の安全という観点からすると、キリアム一族は味方。でも、この人は、いつでも敵になりうる。それが分かってしまったから。


「なかなか会いには来れないが、不自由をさせるつもりはない。欲しいものがあったら何でも言いなさい」


「ありがとうございます。王都から画材を沢山送って頂いたので、今は特にありません」


「そうか。絵を嗜むと聞いているが、どんな絵を好んで描くのだ?」


「どんな? ……遠くから見た……風景です」


 上空からの俯瞰。それも真っ赤っかのね。俺的には、ハートフルで素敵な風景画だ。


「お時間です。お名残り惜しいとは思いますが、正面玄関まで移動をお願い致します」


 短い対面の後、父親は領内の視察へと旅立った。


 モリス家により予め企画されていたもので、日程がきっちり組まれていると聞いている。拒否権はなく、放り出して王都に戻ることはできない。


 どうもね。視察期間を利用して、お口にチャック教育を徹底して行うつもりらしい。主に母親や関係各所へのリーク対策だ。


 日頃の信用がないから、口外禁止だけでは危いと思われたのだろう。万が一にも口を滑らせないように、何重にもしっかり脅し……いや、状況の深刻さをしてもらうと、モリス家当主のネイサンが言っていた。


 それに今回、公爵家当主として、当然知っているべき情報に穴が開いているのも分かった。故意に穿たれただろう穴が。


 従って、分家当主たちの警戒心は、否応なく高まっている。父親には、あまりにも危機感が足りなさ過ぎるのだ。

 一旦投げた匙も、無害であれば放っておかれたのに、無自覚に害を撒き散らすなら、話は変わる。


 よって、その方面での認識の擦り合わせも、今回は時間をかけて行うらしい。



 *


 さて。難しいことは大人に任せて、子供は子供らしく、お絵描きならぬ、写し絵タイムといこう。


 ルシオラとの【感覚同期】は、便利だけど同期を保てる距離に制限がある。

 しかし、グラスブリッジに転居したことで、対象となるエリアが変わり、これまで見ることができなかった場所に行けるようになった。


 グラス地方中央東。


 城郭都市グラスブリッジ全域と周辺地域。その中には、歴史で学んだ「ジェミニ大橋要塞」や、大渓谷「巨人の一撃」なども含まれている。


 第三の理蟲の孵化が目前となり、もうあまり時間がないので、ちゃっちゃと始めたい。


 というわけで、ルシオラ出動です!


 真っ先に見たいと思ったのは「巨人の一撃」だ。

 リーズ大陸を南北に割る大渓谷で、一見すると川のように見える流れは、実は海水である。大昔の名残りで、いまだ大渓谷と呼ばれているが、現状を地理学的に表現すれば、海峡あるいは水道というのが正しい。


 おそらく昔は川だった。それが海面の上昇か何かで、海水が流入したのだと思う。前世でいう、イスタンブールのボスポラス海峡。あれに少し似ているかもしれない。


 切り立った岩壁は垂直に近く、積み重なる地層が剥き出しで見えている。


 遥か下を流れる激流。海に近づくに連れて、南北共に、対岸との距離は遠くなり、陸地の標高は低くなっていく。


 大渓谷にかかるジェミニ大橋は、往路と復路が分かれている双子橋だ。

 全長は、目測で200メートルはありそう。よくこんな橋をかけたよね。


 ここは渓谷の中でも対岸との距離が比較的近い。


 元々は天然の巨大な砂岩アーチがあり、それが侵食により崩落する前に吊り橋が架けられ、五代目ヒューゴ卿が石橋に作り替えた。


 橋の両端は、堅固な城壁と門塔を持つ砦になっていって、その二つの砦と橋全体を合わせて「ジェミニ大橋要塞」と呼ばれている。


 「巨人の一撃」沿いには幾つもの滝があり、日々、大量の水が落下している。


 南の方に行くと、有名な大瀑布「女神の織衣」があるらしいけど、さすがに遠くて、見ることは叶わなかった。


 駆け足で回ったので、今日の地図は粗いものになってしまった。時間が限られているから、眺めるのを優先したからね。またその内、見に行こう。


 作業を止め、絵が乾くのを待つ間に、観光気分で城下町の散策をしてみる。観光名所的なところは予め聞いてある。上手く見つかるかな?


 グラスブリッジを囲む三重の城壁。城壁の間にある市街地は、外側から外街・中街・内街と呼ばれている。


 最も活気があるのは、商取引が盛んな中街だ。そこにある噴水広場にやってきた。


 広場の中心に、見応えのある大きな噴水がある。「精霊の橋」という名称で、その中央部には、アーチー状の橋を支える美しい女性たちの彫像が据えられていた。


 グラスブリッジの名前の由来は、実はよく分かっていない。


 かつてはイーストブリッジと呼ばれた小さな交易都市。それが、ここまで発展を遂げたのは、外部とグラス地方を繋ぐ橋があったからだ。


 5代目ヒューゴ卿は、精霊の力を借りて一夜にして透き通るような美しい橋を作り、それを足がかりにして石の橋を完成させ、都市の名前を改めた。そんな伝説が残っている。


 ただこの街では、伝説主のヒューゴ卿よりも、「産めよ増えよ」を座右の銘とした6代目メイソン王の方が人気があるらしい。

 グラスブリッジを城郭都市として完成させた人物で、【精霊の恵み】を持つ三人の子供の父親でもあり、強さや豊かさの象徴的な存在なのだとか。


「メイソン王御用達。メメント・モリモリのクレムを使った贅沢ユタージュ」


 水色と白の縞々オーニングの下に、そう書かれた看板が見えた。


 菓子店かな? ズーム、そこをズームで。


 パリパリッとした茶色い生地。生地の間には、橙色っぽいクリームが層状に詰まっているのが見える。その上に、赤くてプチッとした丸い果実が、蜜と共に溢れるほど盛られ、黄緑色のスライスした木の実っぽい飾りが、彩りよくまぶしてある。


 これ、多分パイだ。いわゆるナポレオンパイ的なやつ。メメント・モリモリのクレムが何かは分からないけど、クリームがぽてっと重そうに垂れていて、とても美味しそう。


 メイソン王御用達とあるし、後でそれとなく聞いてみようかな。


「リオン様。またしばらくの間、こちらの作品をお借りしてもよろしいでしょうか?」


 先程からクッションにゴロンとしている俺に、モリ爺が声をかけてきた。


「いいけど、借りていってどうするの?」


 以前もこういうことがあった。蓼食う虫も好き好きと言うけれど、こんな地獄絵図が気にいるなんて、爺の趣味は変わっていると思う。


「どれも素晴らしい作品ですので、複製を作って分家の皆様と共に鑑賞会を開こうかと思いまして」


 複製! そして鑑賞会! まさかの同好の士を増やす計画?


「自分でいうのもなんだけど、そこまでするようなものじゃないと思うよ」


 地図職人の職業をもらえていれば、もっと凄いのを描けたかも。でも今のこれは、残念ながら子供の落書きにしか見えないはずだ。


 使い途と言えば……もしかして、これが地図だって気づいた?

 うーん。どうかな? それだとちょっと……いや、仮にそうだとしても、爺なら今更だし、悪いようにはしないと思う。


「いえいえ。これだけ大きな絵画はそうありません。皆様、きっと楽しまれて、リオン様の素晴らしい才能に感嘆されるに違いありません」

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