隠しエピソード5 波紋
室内にユラユラと立ち昇る紫煙。
豪奢な室内で向かい合い、しどけなく煙管を燻らせる、二人の女性がいた。
一人は、既に老境に入っている。吸口を咥え、口を小さくつぼめて、頬を大きく窪ませた。そして、美味しそうに煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
もう一人は、中年のふくよかな女だ。身にまとう服は決して華美ではないが、その生地や縫製からは、質の良さが伺える。慣れた仕草で、煙草盆に灰を落とし、新たな煙草を詰めて火をつけた。
「シャーロットの産んだ長男が、神殿詣と『授職の儀』を終えたそうだよ」
「あら。まだ死んでいなかったのですか? 存外にしぶとい」
年配の女の言葉に、中年の女は、至って優しげな顔のまま、毒のあるセリフを吐いた。
「キリアムの連中は、『精霊の多大なる恩寵で生かされた』と主張しているらしい。その子供に精霊紋があるとも言っている」
「まあ。それは、確かなのでしょうか?」
「彼ら以外に見えない精霊紋など、確認のしようがないね。例えそれが虚飾であったとしても、外部は異議を差し挟むことすらできやしない」
皮肉げな口調で、年配の女が答えた。
神殿詣の際に手を回していた。しかし、張り切った幽明神殿の神官たちに邪魔され、息のかかった者が、肝心の子供に近づけなかった。
職神の神殿では、子供は大勢の親族に囲まれていた。そして、いざ本邸に入ってしまえば、それこそキリアムの身内だらけで手が出せない。そもそも、キリアムの牙城は、余所者が容易に入り込めるような場所ではないのだ。
「それはまた、なんとも都合の良い。では、偽物だとお考えですか?」
「ところが、全くの偽物とも言い切れない。だからこそ、タチが悪い。あの地方では、近年稀に見る豊作続きだという。精霊紋はともかく、それなりの盟約はあるのだろうな」
「精霊の盟約は、てっきり眉唾物かと思っていました。ですが、キリアムの当主が、王都やサテレス分領に起居するようになってから、王都近郊の土地は目に見えて肥え、収穫が上がっていると聞いています」
「そう。だから、少なくとも農耕に関しては、【精霊の恵み】の存在を認めざるを得ない」
精霊の盟約は、長年、精霊の恩恵に預かってきたグラス地方では、宗教のように信仰されている。
その一方で、大陸のその他の地域では、“視れる者”が少ないこともあり、大抵は迷信のようなものだと考えられている。それが実情であった。
「それなら、盟約を持つ者を王国各地に派遣すれば、国全体を富ませることができるのでは?」
「無理だろうな。連中が協力する理由がない。キリアムに損はあっても得はないのだから。人的損失に加えて、万民に恩恵を配ってしまえば、有り難みも薄れてしまうからね」
「確かに。ありふれた恩寵など、誰も崇めやしません。容易に手に入れば、感謝するどころか、あって当然だと思うようになります。そして、もし失えば、理不尽に奪われたと騒ぎ立てるでしょう」
彼女たち自身も、神の恩寵である加護で身を立てているが故に、恩寵の安売りには反対の立場であった。
「キリアムが、今になって精霊紋という神輿を担ぎ上げたことを、王家は非常に危ぶんでいる。独立の機運を高め、婚姻政策による取り込みに抵抗を示すためではないかとね」
「まさか、現当主のエリオット卿を、切り捨てる可能性があるのですか? あり得ないと言いたいところですが、連中ならやりかねません」
「我々にとって、幾分か都合が悪い状況だね。あの長男は、生まれた時からキリアムの分家に抱え込まれている。そして、連中は王家に反抗的だ。自分たちの考えを、長男にも熱心に吹き込むだろうよ」
領邦国家であるベルファスト王国は、諸侯の自立自治の気風が強いとされている。
中でもグラス地方は、その傾向が突出していた。地理的な要因、王国への参入の経緯を考えれば、いつ離反されてもおかしくない。王家から、そう警戒されていたのである。
「てっきり、次男以降に、当主の座が回って来るかと思っていました。せっかく王都で育てていたのに、無駄になりましたわね」
「それが、世の中上手くいかないのさ。次男も娘も、既に後継者になる見込みは欠片もない。つまり、盟約は持っていないと見做されている」
「それでは、はなから論外だったのですね。候補にすらなれないなんて。キリアムは、盟約持ち以外を、当主として認めないでしょうから」
「こうなった責任はシャーロットにある、実家である我々がなんとかしろと、陛下に暗に仄めかされた。キリアムの内部に入り込んで、舵を取らせろとね」
「責任ですか。否定できないのが困ります。エリオット卿の
「次期当主になる長男とは、対面せざるを得ないだろうよ。病弱だからと放置しているのを、最早見過ごせる状況ではない。男を
「シャーロットに務まるでしょうか? あの子は軽率ですし、子育てにも興味はなく、そもそも子供が嫌いです。なにしろ、自分自身が子供ですから」
「元々、シャーロットには期待していなかった。あの気質では家に残しても役に立たないと考え、王家の駒として外に出したが、こうなると、人選を誤ったかもしれないねぇ」
「昔から、華やかな生活への憧れが強い子でした。母親になれば、少しは落ち着くかと思いましたが、三人産んでも相変わらずです」
「見てくれだけは、いいんだけどね。中身が伴わない。思うようにならないものだ」
「シャーロットは幼稚な性格な上に、あの一際目立つ美貌です。幼い頃から高慢で、姉妹を見下すところがありました。なぜか自分には、加護があると思い込んでいたので、『顕盤の儀』の後、泣き喚くあの娘を宥めるのは、それはそれは大変でした」
「そして、野心は人並み以上に強い」
二人の女の視線が交差する。
外に出した以上、それが例え身内であっても、彼女たちにとっては自家の安寧のために使う駒に過ぎない。しかしその駒が、指し手の意図から離れて、勝手に動き出しているとしたら。
「はい。件の長男にしても、虚弱以前に、男子だというだけで興味を失い、キリアムの分家にみすみす渡してしまいました。手元に置いている次男も、全く顧みていません。ただ一人、末の娘にだけ関心があるようです」
「聞いてるよ。王都の分神殿に日参する勢いだってね。母親のお前は、八人も子供を産んだ。それで、加護持ちはやっと一人だ。なのにシャーロットは、最初の娘で大魚を釣ろうというのかい」
「その上、お恥ずかしいことに、自らは神殿に足を運んでいません。子供の世話役に命じて、娘の神殿詣を繰り返していると聞いています」
「なぜ自分で連れて行かない?」
「恐らく社交に飛び回っているのと、本殿と分神殿を行き来しているアメーリアと、折り合いが悪いせいです」
「姉妹仲が悪い理由は?」
「嫁入り前の話ですが、シャーロットがアメーリアに激しい嫉妬をして、ずっとキツい態度を取っていたのが原因だと思います」
「ああ、だから、王家の要請があった時に、シャーロットを推したんだね」
「はい。あのまま家に置いていたら、アメーリアに良くない影響を及ぼすと考えました」
「既に手遅れだったかもしれないねぇ。アメーリアに『兆候』が現れたから、早くに『顕盤の儀』を受けさせた。ところが、加護があることが明らかになったのに、能力が一向に発露しない。まだ幼いからと様子を見ていたら、『兆候』すら消えてしまった。おかしいと思っていたんだよ」
二人が持つ煙管の、雁首に象嵌された金色の蜂。
それは、彼女たちが最も望み、そして、手に入れるのに難儀しているものを象徴している。
国の命運にすら影響する希少な加護。一族の富と繁栄を保証する切り札は、いまだ世代交代ができていない。
その状況での王家からの圧力を、例え自分たちにとっては関心が薄い事柄でも、無視するわけにはいかなかった。
「申し訳ございません。まさかこんなことになるなんて。アメーリアも、シャーロットに一方的に怯えるだけで、姉妹の間で何があったのか、よく覚えていないようです。だから、手の打ちようがなくて」
「『兆候』があったのだから、アメーリアの加護は決して弱くはないはず。時間が解決するか、あるいは何かきっかけがあれば、いずれは能力を使えるようなると考えている。それよりも、シャーロットだ。あの娘に、長男に必ず会いに行くように命じるとしよう。あれでも一応母親だ。息子を飼い慣らすくらいは、してくれなくてはね」
「自分にしか関心がない娘なので、子供相手に媚びを売れるかどうか。それが今から心配です」
「いつまでも娘気分でいては困る。長男は現状、キリアムの分家の手の内だ。王家から距離を取られ、万一離反でもされたら、我が家にも類が及ぶだろう。シャーロットは己の失点を、自ら取り戻さなければならないよ」
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