第六章 新しい職業
第37話 馬車でGO!
親族の子供たちと一緒に、職神の神殿に向かうことになった。大人以外と馬車に同乗するのは、もちろんこれが初めてだ。
「華やかな馬車だね。この間乗ったのと随分違う」
「はい。先日の神殿詣は私的なものであり、お忍びで馬車を仕立てることが可能でした。しかし、今回は公式な行事です。ですから、街路を走る際に序列を示す必要があります」
「序列って?」
「この場合、優先順位とも言い換えられます。互いに不本意となる事故を避けるため、身分を明らかにして道を空けさせる。上に立つ者には、そういった配慮が必要です」
大勢の人や馬車、荷車などが行き交う街路では、不幸にも接触事故や衝突事故が起こることがある。その際に罰せられるのは、きまって、より社会的な立場が弱い方だ。身分制度がある以上、このルールは覆らない。
だからといって、強者が弱者を身勝手に踏み躙っていいわけではない。上の立場の者には、事故を未然に防ぐ配慮が要求される。
だから、進行に支障が出ると困る公式行事では、赤裸々に身分を明らかにする。お偉いさんの団体が通るから避けてねと、周知するために。
それに加えて、貴族としての体面を保ち、どこの貴族家なのか明らかにする意味も持っている。
その目的故に、公式行事用に仕立てられた馬車は、前世で言えばウン千万クラスの高級車みたいなもので、相応にお金と技術が使われている。
馬車の外装は、艶めいた黒い塗装に、青白い光を放つ銀の装飾が惜しみなく施されている。四つの大きな車輪は、放射状に伸びる
扉に輝く大きな紋章は、キリアム公爵家を表す『九首水蛇』。九本の長い首をうねらせる銀の巨蛇が、湖面に映る月を抱いている。その意匠の浮き彫りが、睥睨するような威圧感を放っている。
キャビンの外側、前方の高い位置にある御者席に、二頭の鎧馬を操る御者が一人。後方の
御者と従僕の衣装や、御者席を飾るハンマークロス、鎧馬の装飾も、青・黒・銀で色と意匠が統一され、銀糸の刺繍や布端を飾るフリンジやタッセルが、洗練された美しさに豪奢な印象を加えている。
こういった派手な房飾りは、多ければ多いほど身分の高さを表すらしい。
そして、ここグラスブリッジでは、『九首水蛇』の紋章があれば、最優先で道を譲られる。
品格があって美麗な馬車なんだけど、馬体が大きい鎧馬が引いているせいか、冥府の住人が乗っていそうな雰囲気を伴っていた。近づいたらヤバい。そんな感じだ。
一方の客席部分はというと、大人4人掛けのキャビンはゆったりしていて、子供なら6人が余裕で座れる。座席は向かい合わせのソファタイプで、クッションがきいていて柔らかい。
で、なんでこうなったのかな?
最初に聞いていた同乗者は、モリス家のジャスパーとジェイクだった。側近候補のジャスパーはともかく、なぜジェイクが? と疑問に思い、理由を尋ねた。
そうしたら、意外にも防犯のためだという答えが返ってきた。
ジェイクはまだ4歳だけど、発育がいい。そして髪色は濃紺色だ。照明が暗ければ黒に見間違えるような濃さの。
つまり、親戚の子供たちの中で、最も俺に体格や髪色が似ている。もちろん、現状ではと但し書き付きで。
誘拐対策なんだって。影武者とまではいかない。でも、いざとなれば身代わりになる。そんな、状況によっては危険を伴う役目が、ジェイクに期待されている。
ただ、ジェイクはまだ幼いし、人見知りな性格でもある。今から俺と一緒に行動することで、徐々に慣らしていく方がいいと判断され、お目付役として兄のジャスパーが付いてきた。
よく聞けば、そんな話だった。
「攫われる危険があるの?」
「そうならぬよう、我々がお守り致しますが、用心に越したことはございません。『顕盤の儀』が済めば、リオン様がキリアム公爵家の後継者であることを、正式に王家に通達致します。それは、リオン様が当主に相応しい盟約を所有していることを、公表されるのと同義なのです」
精霊の恵みは大地を潤し、豊穣を約束する。
そんな特殊能力を持つ相手が、もし非力な子供なら。奪ってしまえばいい。といった不埒な考えを持つ者が、時に湧いて出てくるのだとか。
もし領外に連れ去られたら、通信手段に乏しいこの世界では、誰も行方を追うことができない。まず間違いなく、どこかに軟禁されて一生を終えることになる。
そっか。身体が丈夫になっても、のほほんと城下町の散策なんて、できないんだ。魔術を使えば逃げられるかもしれない。だけどそれも、どこまで通じるかは、実際にやってみないと分からない。
というわけで、モリス家の兄弟の同乗は決定。せっかくなら仲良くなりたいと前向きに考えていたら、別の方面から待ったを掛けられた。
「まだ席に余裕があるのだから、他の子供も乗せたらどうだ?」
「座席に限りがございます。従って、御両家のお子様全員は無理です。乗れても数人が限度かと」
「では、キャスパー家からは、年が近いアーロとエルシーを出そう。貴様の家はどうする?」
「もちろんロイド家からは、ミラとクレアを出します」
「少し人数が多いのですが」
「仲良く二人ずつだ。これ以上、譲歩はできない」
物申してきたのは、御三家の内の残る二家だった。親族間のバランスがどうのと言ってきたので、断るのが難しかったらしい。
ここで波風立てるのも良くない。また、キリアム一門は、横の繋がりを重視していているので、同じ世代の子供たちが交流を深めること自体は悪くない。そう判断がなされた。
下は4歳から上は12歳まで。スペース的にはなんとかなるけど、問題は配置だった。
俺が最優先なのは確定なので、進行方向に顔が向く側の中央に座らされた。あとは、俺の両隣に一人ずつ。向かい側に四人詰め込む形だ。
もうね。最初から揉めた。誰がどこに座るかが決まらない。
「ジェイク。リオン様のお隣に座って」
「兄様は?」
「僕はジェイクの前に座るよ」
「兄様の隣がいい」
モリス家はこんな感じで。
「もうひとつ、リオン様のお隣の席が空いているわ。私が座ってもいい?」
「ダ、ダメ。クレアはダメ! そこに座っちゃダメだから」
「なぜダメなの?」
「だって。だって以前は僕の隣だったじゃないか!」
「そんな昔のこと覚えてないもん!」
「えっ! 昔だなんて酷いよ。でもダメ。絶対にダメだ」
「意地悪を言うアーロなんて嫌い!」
「嫌い?! 意地悪なのはクレアじゃないか」
キャスパー家のアーロとロイド家のクレアが、なんか揉めていて。二人とも7歳児なのに、何この会話。
「三年前は、クレアはアーロと、あんなに仲良しだったじゃない。ここまで言ってくれるのだから、隣に座ってあげたら?」
「じゃあ、誰がリオン様のお隣に座るの?」
「それは……こうなると、年長者の私かしら?」
「ミラ姉様、ズルい!」
クレアの姉のミラが、助言するようでチビっ子たちを抑えきれていない。残る一人のエルシーは、我関せずでぽやっとしてる。
「いい子だ、ジェイク。さあ、そこに座って」
モリス家はどうやら話がついたようで、ジェイクが俺の左隣に、ジャスパーがその正面に座った。扉は進行方向右手にあるので、奥の二席が埋まったことになる。
「ほら、早く席を決めないと叱られちゃうわ。女の子は全員こっち側。リオン様のお隣にはアーロが座る。これで決まり」
最後はミラが仕切って、ようやく席が埋まった。
向かい側は、奥から順にジャスパー、エルシー、クレア、ミラ。こちら側は、ジェイク、俺、アーロの順だ。
不承不承、俺の右側に座ったアーロだったが、扉を閉める時に吹き込んだ風に、ビクッと身をすくめた。
「えっ、なに今の……」
不思議そうな顔でそう言うと、キョロキョロと視線を彷徨わせた。
「アーロどうしたの?」
「なんか変な感じがして、今もする」
「そう? 別に何も感じないけど」
なるほど。アーロは初対面の時も妙な反応をしていたし、今も風の小精霊であるフェーンの存在に感づいた。ジャスパーもたぶん気づいている。女の子たちは反応なしだ。
扉が閉まり、馬車が出発した。
付き添いの大人たちや、他の子供たちも、順次馬車に乗って神殿に向かう。
先ほどの会話からすると、アーロとロイド家の姉妹は、今回が初対面ではなさそう。
三年前といっていたから、アーロもクレアも当時は4歳のはずで。
いわゆる初恋ってやつか? ませてるなぁ。
「せっかく同じ馬車に乗っているわけだし、リオン様に私たちのことをよく知って頂きましょうよ」
「私たちのこと? アーロ兄さまが、クレアを好きとか?」
それが癖なのか、首をコテっと傾げたエルシーが、いきなり爆弾発言をした。アーロのひとつ年下のはずなのに、全く物怖じしていない。
「な、なななななっ、なんで?」
「だって、リオン様のお隣より、クレアの隣がいいって」
「だって……うん」
顔を赤くしながら、小さな声で肯定するアーロ。彼を主人公にした新たなストーリーが始まりそうだ。
「じゃあ、クレアはキャスパーにお嫁にくるの?」
「さあ? 結婚相手としてはどうかなぁ」
「えっ! 嫌なの?」
「そういうわけじゃないわ。でも……リオン様次第?」
俺? いきなり話を振られても困る。大人が何を考えているのか知らないけど、さすがにまだ早いよ。
「リオン様は無口な人? さっきから全然喋らない」
喋らないじゃなくて、口を挟めないだけさ。
「まだ小ちゃいからじゃない?」
おうふっ! いきなり容赦ないクリティカル。エルシー、俺は君より年上だって知ってるよね?
「まだ7歳だから、きっとこれから大きくなるわよ」
そうだそうだ。成長期はこれからなんだ。
「そうかなぁ。南部料理じゃ太れないって、お母様が言ってた。北部の料理も紹介するって」
「北部料理って例えば? ゲゲント・モリモリとか? 名物料理だけど、リオン様に差し上げるには素朴過ぎない?」
「ゲゲントはまったりしていて美味しいよ。でも、『じよう』をつけるなら、ゲス・エグィス・マズィナがいいんじゃないかって」
それって、いったいどんな『じよう』だよ。
「北部料理と言えば、ヤクタ・ターズナ・チュボスの肉球ステーキも美味しいですよね」
まさかのジャスパーまで会話に参加。
君たち。俺にいったい何を食わせようとしているのかな? なんか凄い響きの名称ばかりで、どんな食べ物なのか、あるいは素材なのかすら見当もつかない。
北部料理恐るべし。
まだまだ学習が追いついていない。グラス地方は、南北に広いだけに、気候も違うだろうし、文化面でもバラエティに富んでいそう。
そこを治めることになるんだよね。
いずれは、様々な思惑による結婚も提案されるに違いない。
俺の遺伝子の半分は、グラス地方とは無縁の母親から来ている。本来なら、半端者扱いされてもおかしくなかった。ところが、初代ルーカス卿を始め、力の強い当主が持っていたとされる精霊紋が出てしまい、俺個人の価値が急上昇した。
その一方で、いまだに影が薄い俺の両親。
分家の大人たちは、『授職式』という子供の大事な節目に、当たり前のように家族で参列する。なのに、俺の両親は不参加で、なおかつ、誰もそのことに異論を挟まない。つまり、居なくても構わないと考えられている。
両親の結婚は、望まれたものではなかった。そんな感じがする。
血族結婚が多いというこの地で、遠隔地のスピニング伯爵家から嫁を迎えた父親と、病弱な長男に会いにすら来ない母親。顔も知らない弟妹。なんか複雑過ぎる。
前世は至って平凡な家庭に育った。両親と婆と姉と妹がいて、改めて確認しなくても、愛情に満たされた生活だった。
今にして思えば、凄く恵まれていたのが分かる。無条件で愛された記憶。そのおかげで、今の状況にも冷静でいられる気がする。
愛情どころか、家族との触れ合いにすら縁遠いリオン。
ずっとこのままなのかな?
自分ではどうしようもないことだけど、依然変わらない状況が、とても、もどかしかった。
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