第28話 主都へ
7歳の誕生日を迎えた。
屋敷から出られる。ようやくだよ。やっとこの日が来た。長い軟禁状態から解放される日が。
この世界では、7歳の節目は大きな意味を持つ。
行き先は主都グラスブリッジ。目的は、職神の神殿で『授職式』を受けること。行動の自由は……どうだろう? 初めての場所なので、行ってみないと分からない。
「揺れますので足元にお気をつけ下さい」
「少し風が出てる。波も立ってるね」
外に出たら、小精霊が大勢寄ってきた。いつもより少し騒がしい。お願いだから、悪戯はしないでね。湖に落ちたら大変じゃ済まない。
俺のお願いを聞いてくれたのか、風と波が目に見えて収まってきた。
屋敷の船着き場から小舟に乗り、ずっと眺めるだけだった対岸に渡った。湖岸に建つ兵舎に入ると、大きな厩舎が目に入った。
馬は既に引き出され、箱馬車や荷馬車が整然と列をなしている。
こんな風に連なっていると、なんか列車みたいだ。うん。旅行気分が盛り上がってきた。中学の修学旅行で、初めて新幹線に乗ったときを思い出す。
乗車用ステップを踏み、大きな車輪が付いた四頭立ての大型の箱馬車に乗り込む。背が伸びて体幹がしっかりしてきたから、足取りは軽やか。
「リオン様のお席はこちらです」
「思ってたよりずっと広い。馬車の中とは思えないな」
箱馬車の中は快適そうに見えた。高級ホテルのラウンジの縮小版。そんな感じだ。
内装はドアの内側や壁、ラグジュアリーなソファも全てキルティング加工されていて、白い天井には装飾絵画が描かれ、照明まで付いている。
これは、いい意味で予想が外れたな。
緩く傾斜した背もたれ付きのソファ。そこが俺の座席だ。背面も座面も程よい弾力があり、柔らかいクッションがふんだんに置かれている。これなら部屋にあるものと遜色がない。楽に寄りかかれそう。
「外が見たい」
「はい。カーテンをお開けします」
箱馬車の窓は大きくて、常より高い視線で見る景色にワクワクが止まらない。ほんと、遠足に行く子供みたいだよね、と小さく笑った。
「では、出発致します。次第に速度を上げて参ります。ご気分が悪くなられたり、お身体に痛みが生じたりするようであれば、すぐにお知らせ下さい」
「分かった。馬車は初めてだから、変調を感じたら我慢しないで言うようにする」
先程は小船で今は馬車。今世では何もかも初めてだ。
小船は乗り込む時の足元のおぼつかなさに、少なからず緊張した。一方の馬車は、車輪が大きいせいか安定感がある。
馬車は前世今世を通して未経験だ。異世界ものの小説では、酷く揺れて尻が痛くなるのが定番だったけど、全然そんなことはない。
「あまり揺れないね」
「グラスブリッジへの街道は整備が済んでおります。また、馬車にも振動を吸収するための仕掛けがございますので、ある程度は揺れが緩和されます」
もの珍しいこともあり、幾つか質問している内に、この馬車は公爵家の通常仕様ではないことが分かった。最新式でリオン専用の特注品。寝台も付いているし、医療用具も搭載済みらしい。
同乗者は、モリ爺、乳母二人・医師の合わせて四人。筆頭乳母のエヴァンス夫人は、受け入れ準備のために、先発隊として既に本邸に入っている。
今回の移動には、湖上屋敷から大勢の人を伴っていく。主に身の回りの世話をする者や警備担当の武官たちだ。生まれた時から一緒にいる人たちだから、顔も気心もよく知れていて、とても心強い。
なにしろ向かう先は、俺にとってはアウェイだからね。
たまに顔を合わせる父親ですら、会えば結構緊張する。なのに、本邸には大勢の知らない使用人たちがいる。
ちなみに、父親は授職式に合わせて本邸に来る予定だ。でも、母親と弟妹にはまだ会えない。
母親には、生まれてこの方、一度も会った記憶がない。
理由は分からない。俺が知る限り、ずっと王都在住だ。母親と同居している弟は五歳、妹は三歳になるはず。家族には会ってみたいけど、正直言って、上手く馴染める自信はない。
今世では家族との縁は諦めた方がいいのかな。前世では恵まれていたのに。
今世は公爵家で広大な領地を治める大貴族。前世は庶民で一般家庭。その違いが大きいのかも。
そう。キリアム公爵家が治めるグラス地方は、実はもの凄く広い。
自作した地図によれば、屋敷がある弦月湖は、周囲をぐるりと「精霊の森」に囲まれている。
西側に進めば万年雪を被る険しい山岳地帯、臥龍山脈が聳えている。
残る三方向には、森と丘陵地や平野が混在していて、南にある広い平野から東南方向に進むと、主都が見えてくる。
また、平野からさらに南には、三日月湖群と肥沃な湿原が広がっている。
指を咥えて眺めるだけだった主都に、やっと行ける。遠くから見ただけでも、大きな都市だと分かった。内側に入ったら、どんなに賑やかなことだろう。
上から俯瞰して見る景色と、馬車から眺める景色は、同じ場所でも印象が異なる。スピード感があるから余計に。今も窓の外で、景色がどんどん後ろに流れていっている。
これ、時速20キロ以上あるんじゃないかな?
そう思ったのは、前世で愛用していたクロスバイクが、加速すると時速20キロくらい出ていたからだ。おそらくそれより早い。
馬車ってこんなに早いもの? それとも異世界の馬が凄いのか。
やけにクリアな視界。馬車の窓には透明な板が
「これは硝子?」
「いえ、迷宮水晶を加工したものです」
「迷宮産の素材だったのか。その迷宮はグラス地方にあるの?」
「左様でございます。当領地で産出される迷宮水晶は、水晶板だけでなく様々な製品に加工されていて、グラス地方の特産品として有名です」
そう。この世界には迷宮があった。それも幾つも。うちの領地にもあると聞いてはいたけど、産業になっているのは知らなかった。
この特殊加工の水晶板は、透明度が高く気泡が入っていない。物理的、化学的、魔術的な攻撃に対する防御力も高い(割れない、溶けない、跳ね返す)らしい。
さらに、内側からの視認性に優れている一方で、外側からは覗けないというマジックミラー機能を搭載。
身分が高い人用の特殊な(お高い)素材らしいです。はい。特産品といっても汎用品ではなさそう。
リオンへの守りが半端ない。馬車の周りも、騎乗した騎士たちが並走して警備してくれている。
つい見ちゃう。鎧を着て騎乗している姿なんて、いかにも異世界風でカッコいいよね。
「鎧馬に乗るのは難しい?」
「はい。簡単ではありません。鎧馬は身体が大きく力も強いです。気性もいささか荒いので、時間をかけて調教する必要があります」
難しいのか。
騎士が騎乗している馬は鎧馬と呼ばれている。いわゆる軍馬で、形こそ前世と似ているが、もっと
馬体が普通の馬よりひと回り以上大きくて、首の辺りや背中が鱗状に変化している。つまり、哺乳類か爬虫類かいまいちよく分からない生き物だ。
鎧馬は戦場に連れて行くにはぴったりで、持久力が高く頑健で寿命も長いから、騎士の財産として扱われている。
ところが、キリアム公爵家では、その鎧馬に馬車も牽引させている。こんな贅沢ができるのは、領内に名産地があるから。グラス地方北部で繁殖・調教を手がけているそうだ。
鎧馬なんて、いかにもファンタジーな生物を、近くで見てみたかった。でも、危ないからダメだって。
子供の騎乗訓練には、もっと小型で気性の穏やかな、馬に似た生き物を使うらしい。もうちょっと身体が大きく育ったら、始まるそうです。
前世では、係の人に手綱を引いてもらって、ポクポク歩くだけの乗馬体験しかしたことがない。だから、実はかなり楽しみにしている。
森の中の私道を馬車は快調に進む。少し無理を言って、空気入れ替え用の窓を開けてもらったら、小旋風のような風が飛び込んできた。
気になってたんだよね。バレンフィールドからずっとついて来ている、やんちゃな小精霊がいるなって。小旋風はすぐに柔らかい風となり、俺の髪を揺らしたかと思うと、左頬を撫でるように纏わりついてくる。
――ドコ イクノ?
ちょっとお出かけ。
――ズット イナイ?
ううん。戻ってくるよ。
――イッショ イイ?
一緒に来てくれるの? 君がついて来たいなら歓迎するよ。
どうやら好奇心の強い子が、一緒に行ってくれるみたいだ。小精霊は気まぐれだけど、こんな風に人懐こくて可愛い子もいる。
意志の疎通ができるっていいよね。
体質的に精霊に好かれることもあり、初めて小精霊の声を聞いたあの日から、彼らと交流を重ねて、大の仲良しになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます