第42話 花冠

 ドロドロした歴史を見聞きしたせいか、気分転換がしたくなった。


 窓の外に広がる青空。お散歩日和なのを幸いに、空気を吸いに外に出ることにした。


 やってきたのは、先日行った中郭だ。


 今日は旧本邸ではなく、その周囲を取り巻く空堀や、長閑のどかに広がる原っぱで遊ぼうと思っている。


 すり鉢状の空堀には、丈の低い草が芝生状に広がっている。

 一方の原っぱは、もし転んでも、柔らかい緑の絨毯が受け止めてくれる。

 おまけに、所々に生えている木は、手が届く高さに太い枝があった。


 うん。子供の遊び場にはぴったりだよね。


「木陰にお席をご用意しました」


「ああ、いい感じだね。じゃあ、あそこで休んでいるから、みんなは気にせず遊んで来てよ」


「では、我々が安全性を確認して参ります」


「怪我をしないように気をつけてね」


 一緒に遊ぶ子供の中で、最年長者はキャスパー家の長男、アーチーだ。


 彼が抱えているのは、反らせた木の板に、持ち手になる紐を付けたもので、雪板、あるいは草板と呼ばれている。


 いわゆる芝そりだね。

 前世の子供時代に、近くの自然公園でよく遊んだ。

 草原や丘陵地が広がるグラス地方北部では、草板はメジャーな遊具なのだとか。


 だから、女の子の中では、エルシーだけがズボンを履いている。滑る気満々ってわけだ。

 他の女の子——ロイド家の三姉妹は、お淑やかに花を摘んで遊ぶらしい。


 足元には、既視感がありそうで、よく見ればちょっと違う植物たちが生えている。シロツメクサやオオバコ、ナズナやタンポポなんかに似ているかな。


 人の手がある程度入っているから、見通しは良いし、吹き抜ける風が気持ちいい。でも、日差しは若干強めかも。


 従者に促されるまま、木陰に敷かれた厚手の敷物の上で、大きなクッションを背にして座った。


 野原を元気に駆け回る子供たち。世界は変わっても、平和を象徴する光景だ。


 ……おっと、いけない。まだ歴史に引きずられている気がする。


 気分転換以外にも、目的があるんだ。

 このところ、放ったらかしだった魔術の訓練。それを少しばかりやろうと思っている。


 もちろん、人前で魔術を放つわけにはいかないので、本日試みるのは転化チャージだ。


 転化、即ち属性転化エレメント・チャージは、この世界を覆う極質層ラミナ・マテリア・プリマに接続し、極質マテリア・プリマを引き出して、魔素に変換する作業を指す。


 変換の仕方は、ざっくり言えば構造変換。イメージ的には、分子の立体モデルを組み替えるのに近い。

 構造変換をしないと、上手く「理」に嵌らない。鍵と鍵穴、あるいは知育玩具の型はめパズルみたいな感じかな。


 実際に構造変換には、印紋フラクタルを用いる。


 印紋は、三次元に展開する幾何学模様だ。

 各属性ごとに基本図形があり、それに回転や拡大・縮小、分割などの操作を加えて配列していき、連続した模様を構築モデリングする。


 組み上がった印紋に極質を通せば、属性転化が生じて魔素に変わる。その際の変換効率は、図形の歪みが少ないほど良い。


 この転化能力は、【理皇】の職業特性のひとつだ。

 本来であれば、極質層への接続は、複雑な手順を踏んでようやく届くもので、印紋の構築には正確さが問われる。それを、息を吐くように容易に行える。


 すぐそこにあるかのように極質層に触れて、水道の蛇口を捻るように極質を取り出せる。身体に刻んだ印紋を通すだけで、瞬時に属性魔素に変換できてしまう。


 これって、かなり凄いことだ。

 魔術を繰り出すスピードは、おそらく誰も俺に敵わない。魔術師の力量を左右する要因は他にもある。だけど、今の段階で転化能力が他者の追随を許さないのは、相当なアドバンテージだと思う。


 疾風の魔術師リオン。将来の二つ名はこんなのだったりして。


 さて。じゃあ、実践だ。


 まずは、属性転化の内で、最も簡単とされる「光」から。

「光」は三転化を必要とし、その基本図形は三角形で、印紋は頂印と呼ばれる。


 頂印を通して生み出された「光」の魔素が、いとも簡単に、次々と空中に放出されていく。


 ——イッパイ デテル

 ——アソブ?

 ——アソボウヨ!


 魔素を感知したのか、早くも光の小精霊が寄ってきた。


 ちょっとちょっと。君たち、何するつもり? 魔素は、オモチャじゃない……いや、待てよ。小精霊たちにとって、魔素は泥団子を作るための泥みたいなもので。それが自ら掘らずに湧いて出たら。


 ——キレイ

 ——ピカピカ

 ——タノシイネ


 うん、そうだね。綺麗なのは認めるよ。ピカピカも凄いね。分光して七色になってるじゃん。でもダメだ。だって、大人たちがガン見してる。


 木陰でぼんやりしていた子供の周りが、突然キラッキラに光ったら、そりゃあ見るよね。一瞬(だと思いたい)だったけど、ちょっと目立ち過ぎた。


「光」の転化は、これ以上は無理そう。


 次に易しい属性転化は四転化の「火」で、印紋は方印。でも、今回はパスだ。これをやったら、気のせいでは済まない大惨事になりそう。


 じゃあ次。


「気」は目に見えないから、大丈夫な気がする。元より風もそこそこ吹いているし、少しずつ転化すれば、紛れてくれるのではないか。


「気」は五転化。印紋は星印。基本図形は、いわゆる五芒星の形をしていて、ひとつの五角形と五つの三角形から成っている。


 身体を通り抜けて生み出される「気」の魔素。周囲の魔素濃度が上がってくると、今度は風の小精霊が寄ってきた。


 草地を滑るように風が吹き抜け、渦を巻いて草を散らし、逆スライダーのように空高く駆け上がる。小さくても、さすが精霊。魔素を苦もなく現象に変え、自由自在に操っている。


 感心して見ていると、風の小精霊たちが一箇所に集まり始めた。

 その数はどんどん増えていって、数多の風の小精霊が、まるで一体の大きな生き物のように動き出す。


 薄水色の空を泰然と泳ぐ、若草色の魚群。


 パステル調の精霊眼だと、そんな感じに見えた。

 小精霊の群体行動は、精霊湖でも見たことがあったが、こんな大規模なのは初めてだ。


 ——リオン ミンナ ヨンデル


 フェーン? どこにいるの?


 ——ミンナ ト イッショ


 よく見れば、魚群の中に、他より大きな精霊がいる。


 バレンフィールドから付いてきたフェーンは、グラスブリッジに来て目覚ましい成長を遂げた。存在感がひと回り以上大きくなり、風の小精霊の中では、リーダー的な存在になりつつある。


 精霊湖周辺は、割合として「光」や「水」の小精霊が多かった。

 それに比べて、本邸周辺は「風」の小精霊が明らかに多い。そんな環境が影響したのかも。


 フェーン、君を見つけたよ。そこで遊んでいるの?


 ——チガウ ミンナ マッテタ


 待ってたって何を? あるいは誰を?


 ——ワカラナイ ミンナ ムリ


 んん? 分からないのはこっちだ。彼らは、何を伝えようとしている?


 ——ミテタ……ズット

 ——……カラ…ヨ……イル

 ——ジャマ……ル……キレ……イ…

 ——…… ケテ………ソウ


 またこれか。一斉に喋られると全然分からない。フェーン、彼らは何を言って……あっ! フェーン? ……返事がない。行っちゃったか。


 群体が霧散する様に一気に崩れて、小精霊たちが散り散りになった。その瞬間、強い風が吹いて、髪や服がなぶられる。


 風の小精霊との意志の疎通は、いつもこんな感じだ。彼らは基本、気まぐれで、言うだけ言って、どこかに消えてしまう。


 風がすっかり凪ぐと、元の穏やかな原っぱの風景に戻った。 


「リオン様。そろそろ、ご一緒にいかがですか? 落ちていた石や木片などは、撤去致しました」


「あっちの緩いところなら、多分、大丈夫」


「多分は余計。ちゃんと安全確認したから」


「それなら、やってみようかな」


 キャスパー兄弟妹が誘いに来てくれたので、芝そりに参加することにした。


「この辺りに座って下さい。はい、そんな感じで。紐をしっかり持って。じゃあ、手を離しますよ」


 木製の板は曲がるのが難しい。だから、身を乗り出してスタートしたら、あとは直滑降で進むしかない。


 空堀の傾斜がそこそこあるから、案外スピードが出るぞ、これ。


「リオン様は、思い切りがいいですね。とても初心者とは思えないです」


「そう? でも、みんなほど速さが出てないよ」


「それは、体重と慣れだと思います」


 こんな風に遊ぶのなんて、この世界じゃ初めてだ。滑走するのが楽しい。童心に帰るって悪くない。っていうか、思っていた以上にワクワクだし、爽快な気分だ。


 青々とした草の匂い。少し湿った土の香り。日頃運動不足だから、直ぐに頬が上気して、息が上がる。ここらで、ちょっと休憩かな。


 草むらに座り込んでいると、ロイド家の三姉妹がやってきた。


「滑るの楽しそう。着替えてこようかな?」


「ズボンなんて持ってきてないでしょ?」


「エルシーが服を貸してくれるって」


「そういうことね。じゃあ、一旦部屋に戻る?」


 どうやら、クレアが芝そりに参加するようだ。見た目はツンとしたお澄まし系なのに、意外に活発なのかもしれない。


「ほっぺあかい。だいしょうぶ?」


「えっ?」


 いつの間にか、シンシアが直ぐ側にいて、俺の顔を覗き込んでいた。

 ち、近い。俺がしゃがんで、シンシアが立っているから、幼児に見下ろされる形になっている。


「おねつ、ないないね」


「えっと。これは、熱があるわけじゃなくて……いや、うん、ありがとう」


 シンシアの小さな手が、俺の額にそっと当てられた。

 二歳児に労わられる七歳児。勘違いだけど、ここは素直に、その気持ちを受け取ろうと思った。


「ないないのおはな、あげるね」


 シンシアはそう言うと、自分の頭の上にある花冠を外して、なぜか俺の頭に載せ替えた。


「もらっていいの?」


「うん」


「あっ、シンシア! 何してるの?」


 クレアと話していたミラが、こちらの様子に気づいて声を上げた。


「おねつ、ないないなの」


「まあ大変! リオン様、お加減が優れないのですか?」


 おっと。ここはちゃんと否定しておかないと、せっかくの外出が台無しになる。


「少し疲れただけだから、ちょっと休めば平気」


「それなら良いのですが。ご休憩をお邪魔したようで、申し訳ありません」


「構わない。シンシアが、ないないのお花だといって、この花冠をくれたけど、どういう意味か分かる?」


「はい。その花冠の花は、星花ステラという名前で、水辺でよく見かけます。お呪い的なものですが、身近に置いておくと、熱冷ましになると言われています」


「花を置いておくだけで、そんな効果があるの?」


「星花は特別です。水の精霊に好かれるので、寄ってきた精霊が、身体の熱を逃してくれるそうです」


 へぇ。こんなところにも精霊の御利益があるのか。精霊が好む花だって。いかにも野草らしい、白くて小さな……これはもう一度、あそこに行く必要がありそうだ。


 空堀の中央に立つ旧本邸を見上げて、俺はそう思った。

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