第26話 写し絵


「ふん♪ ふん♪ ふん♪」


 トレース・トレース・トレーシング。

 鼻歌を歌いながら、現在楽しく作業中。


 甘露水の件以降、過保護さにブーストがかかった。あれは今更ながら、やっちまったと思ってる。


 依然、屋敷から出る目処は立っていない。強制引きこもり環境下で、さすがに散歩だけじゃ憂鬱を払いきれない。

 それなら、インドアでやれることを楽しもう。


 ——そんな割り切りから始めたのが、写し絵だ。


 絵を描くには当然画材がいる。

 既に紙やインク、細長く切った黒鉛に紐を巻いた鉛筆擬きは手にしている。

 絵画は屋敷内に数点見かけるので、言えば何かは出てくるだろうと、絵を描きたいと訴えた。


 そしたら、わざわざ王都からお取り寄せだ。煌びやかな装飾があしらわれた、木製の箱が差し出された。

 特に目を引いたのが、金地の背景に浮かぶ美しい花々。これって金箔の上に絵を描いてる? とても道具入れには見えない。さすが貴族というべきか。


 木箱には蝶番が付いていて、留め金を外せば簡単に蓋が開いた。

 瓶入りの岩絵具と、接着用の膠液、筆洗い、様々な種類の画筆、絵具を溶く豆皿、絵具を掬うための小匙。そういったものが整然と並べられていた。


「紙以外の画材が一通り揃っている。こんな箱があるのか」

「コーリン絵具箱と呼ばれるものです。画材には幾つか種類がございますが、これが最も扱い易いと言われています」


 貴族の子女が教養の一環として絵画を嗜むことがあり、こういった豪華画材セットが売られているのだとか。


 さすがにスケッチブックは出てこなかったが、いわゆる白い画用紙的な紙は存在していた。この世界の製紙技術は、思っていたよりも高そうだ。


 俺が描いているのは、模写ではなく写し絵。


 ルシオラが飛行しながら俯瞰で捉えた映像。それが【感覚同期】により脳内の仮想スクリーンに投影される。


 最初は気分転換に眺めているだけだった。世界が広がるのが楽しくて、【感覚同期】が可能な範囲内で、あちこち飛んでもらった。


 この二年間で、実はいろいろあった。

 積極的に勉強に励んだし、礼儀作法も身についてきて、優雅な所作を自然体でできるようになった。

 体力もつき、見え方も視力という意味では、かなり改善している。というか、分体眼が便利過ぎた。


 髪のひと房だったルシオラは、飛躍的に進化した。

 眼としての機能が向上したのはもちろん、他の感覚にも優れている。成長して、俺から分離できるようになり、状況に合わせて姿形を変えられる。


 更に凄いのは、飛行能力、光学迷彩、測量機能などを搭載。索敵的な方面でハイスペックな子になった。


 ここ数年で、さすがに魔眼の見え方にも慣れ、日常生活には困っていない。だから、ルシオラには、軟禁ストレスの解消と情報収集のために、積極的に外に出てもらっている。


 ルシオラの目で上空から領地を見て回るのは、航空写真みたいで面白い。ルシオラアース。まさにそんな感じ。目の覚めるような自然豊かな景色を見ると、憂鬱になりがちな気分が晴れた。


 実は、こっそり地図を作っている。


 ルシオラが見ている映像を【感覚同期】で捉え、アラネオラを経由して記憶野に保存。アイの監修下で、保存した画像の歪みを補正して付帯情報を付けて整理してもらっている。


 高い位置から見下ろし、広い視野で捉えた地形。測量機能が優秀で、俯瞰だけでなく立体的に分析できた。


 魔眼の並列起動を利用すれば、脳内の仮想スクリーンに映る地形像を、魔眼で見ている紙の上に投影したように見える。


 縮小して投影された映像を、忠実にトレース、なぞり描きをする。感覚的には、プロジェクタートレースと似た感じかな?


 画用紙の一枚一枚は、そこそこ大きい。八つ切くらいのサイズだ。一枚描けたら、座標をずらして同じ縮尺で隣接するエリアを描く。スライスは甘いけど等高線も入れて、色も塗り分けた。


 描き上がった画用紙を連結して並べたら、ジオラマ感覚の大きなマップの完成だ。


 ——なんだけどね。


 天然色担当のルシオラが出張中のため、地図は魔眼で見て描いていた。だから、肝心の色がおかしなことに。


 岩絵具は含有される魔素により違う色に見えた。だから、その色を見て適当に絵具を選んでいた。ルシオラが帰還して、改めて天然色で見た絵は——地獄のようだった。


 極彩色な年輪渦巻くサイケデリックな抽象画。それも併せて六畳くらいのサイズの。


 これが緑や茶色なら、地図だと気づく人がいたかもしれない。


 でも実際には、主な構成色は標高が高い順に黄、青、黒、赤だった。平野や森は血の海で、小高い丘が多色なダーツの的のよう。頂上が見事にブルズアイです。はい。


 残念な子を労わるような視線に、若干居た堪れない。

 モリ爺だけは、前衛絵画に理解があるのか、あるいは俺の心理状態のチェックでもしているのか、熱心に絵を眺めていた。


「リオン様、これは何をテーマに描かれたのですか?」

「えっとね、心象風景?」


 微妙に嘘ではない。それに、空から見た景色なんて言えやしない。

 

 ——気を取り直して。さて、次は新しいエリアだ。


 屋敷の周辺地理の把握から始まり、精霊の森を散策したり、小さな村や街の生活を眺めたりした。それに飽きると、今度は東に飛んでもらって、主都グラスブリッジの手前まで調査の手を広げた。


 青々と広がる丘陵や森林、切り拓かれた広大な畑や果樹園を見て、本当に豊かな土地なんだと、実感することができた。やっぱり、自分の目で見るのって大事だよね。


 地図の完成に伴い、東方面は一旦終了。次は南へ向かうことにした。どうしても見たいものがあったからだ。


 あれじゃないか? 凄い。ここまで本格的とは思わなかった。


 格子状に走る用排水路や畔道。大区画化され整然と並ぶ、数え切れないほどある耕作地。青々と繁る作物には、まだ背筋をピンと伸ばした細長い穂が出ていて。


「水田だぁぁぁぁ!」


 思わず叫んでしまったのは言うまでもない。

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