第3話 アレンの事情
テントを閉めると、アレンは張り詰めていた肩の力を抜いた。
仲間といるのは楽しいけれど、一人になれる時間もやっぱり大切。
厚い防水布越しに、焚き火に揺らめくデリックとセルヴァンの影が映っている。テントの中の方が暗いから、外からはアレンの影は見えない。彼は安心してチュニックの裾から手を入れた。
巻いていたサラシをスルスルと
「ああ、苦しかった」
ほっと息をつくと、アレンは丸くなって寝そべっている大狼の腹にダイブする。ウォルタナはアレンより大きくて一人用テントに一緒に入ると窮屈だが、毛布代わりに抱きつくには丁度いい。
「今日もバレなくて良かったね」
濃い紫の毛皮に頬ずりしながら、アレンはウォルタナだけに聞こえるように呟く。
彼……いや、彼女は女性だ。
本名はアリスレティ。高い女声を声変わり前だと誤魔化すため、仲間には十四歳と伝えているが、実際は十六歳。
――彼女が素性を偽るのには事情がある。
アレン――アリスレティ――は今は亡きキュリア王国の第二王女だ。
善き神を信仰するキュリア王国の王族は神子の才を持つ者が多く、アリスレティもその一人だった。そして、彼女の姉である第一王女であるユーミニーナも神子で、その能力の高さから『今代一の聖女』と謳われていた。
姉のユーミニーナは、いつか現れる勇者と共に旅立ち、大陸を平和に導くことを夢見ていた。
『勇者は魔王を倒し、聖女と結ばれて幸せに暮らす』
それは歴史書でもおとぎ話でもお決まりの結末だ。
言い伝えによると、勇者と聖女は伴侶となる運命なのだという。
しかし、姉の夢は脆くも崩れ去った。
世界が勇者を見つける前に魔王が目覚めてしまい、宿敵の一人である聖女を擁するキュリア王国を急襲したのだ。
瞬く間に国土は火の海と化し、城は陥落した。兵も王侯貴族も差別なく食いちぎられ蹂躙される中、ユーミニーナは妹姫のアリスレティを秘密の抜け穴へと押し込んだ。
「生きて、アリス。あなたはこの世界の希望よ」
泣きじゃくる妹を振り切るように扉を閉め、ユーミニーナは今代一の聖女らしく果敢に魔王軍に立ち向かい、妹の脱出までの時間を稼いだ。
アリスレティは必死で走った。国境を越える山道で傷ついた大狼を保護し、一緒に山を上りきって振り返ると、幾本もの黒い煙を上げる愛しい祖国が見えた。
悲しみに打ちひしがれながらも、彼女は絶望しなかった。それどころか魔王軍と戦う決意を固めたのだ。
故郷も後ろ盾も失ったアリスレティは、大狼のウォルタナを連れて旅に出た。
姉が亡くなった以上、今代の聖女は彼女だ。魔王軍がキュリア王国を攻撃したのも、聖女が勇者と合流するのを防ぐため。
だからアリスレティは敵の目を欺くため、天の川と称された長く美しい銀髪を根本から切り落とし、豪奢なドレスを脱ぎ、それらを売り払って男物の装備を揃えた。そして冒険者として日銭を稼ぎながら目的地へと向かった。
目的地とは……聖鞘帝国だ。
聖鞘帝国には聖剣が保管されていて、聖剣に導かれた勇者がやってくる。
アリスレティには、今代の聖女として勇者を助ける役割がある。
(それに……)
つややかな狼の毛皮を撫でながら、彼女は所在なさげに身体を揺らす。
(聖鞘帝国には……
アリスレティが生まれた時に決まった、顔も知らない許嫁。現皇帝の三番目の皇子。
聖女である姉姫のユーミニーナは勇者と結ばれる運命だから、妹姫が外交の駒になる。王家に生まれたのだから、政略結婚は承知の上だ。
それは全然構わなかったのだけれど……。自国が滅びてしまったせいで、事態はややこしくなってしまった。
(私、勇者と皇子と、どっちと結ばれなきゃいけないの?)
王女として皇子と結婚すれば、悲願であるキュリア王国再興も叶うかもしれない。でも聖女としては、勇者と結ばれる運命らしい。
(魔王を倒した後、私は『聖女』か『女王』かどちらかの立場を選ばなければならない……)
アリスレティはウォルタナの腹にぐりぐりと顔をうずめて「どうしよう」と呟いた。
聖女と王女、どちらの役割を果たすことも
彼女の気を重くさせている理由はもう一つ……いや、二つある。
それは、仲間の存在だ。
弓が得意なセルヴァンと、豪腕の剣士デリック。
酒場で出会った二人の冒険者は、気が合うことと戦闘スタイルの相性が良いこと、そして聖鞘帝国を目指しているということもあって、一緒に旅をすることになった。
アリスレティも含めて三人にはそれぞれに目的があるから、帝国に着いたらパーティーは解散する予定だ。
だけど……。
……実は、彼女は二人の青年に惹かれている。
陽気なお調子者で、でも気配り上手で時折驚くほど紳士的なセルヴァン。
無骨でぶっきらぼうだけど、実は照れ屋で優しいデリック。
もし選べるのなら、見たこともない許嫁や勇者よりセルヴァンかデリックの方がいい。
……どっちも好きすぎて、どちらかになんか決められないけれど。
(ま、二人とも私を男だと思ってるから、悩むだけ無駄よね)
きゅうっと胸が切なくなって、彼女は狼の首にしがみつく。
「ね、ウォルタナ。私はどうしたらいい?」
アリスレティは王女で聖女。
この想いは叶わない。
そして彼女には、自分の感情を捨ててでも姉と祖国と世界のために成し遂げねばならない使命がある。
すべては魔王を倒してから。
今はこんな瑣末事に心を割く余裕なんてない。それは重々承知の上だ。
でも……。
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