第89話 執着

 カリストがビビのことを気に入っているのは、見ていてわかる。それを指摘したところで認めるとは思えないけど。

 ビビがヴァルカン山岳兵団から戻って、間をあけずに魔具の制作と称して魔術師会館と山岳兵団の砦間を行き来していて、ハーキュレーズ王宮騎士団管轄のダンジョン探索、および転移ゲート設置作業はストップ状態・・・と思いきや。どうやら山岳兵団の管轄のダンジョンにはフィオン・ミラーを伴って潜って調査をしているらしい。

 

 ハーキュレーズ王宮騎士団やカイザルック魔術師団では、ビビがフィオン・ミラーに乗り換えただの、いや逆でビビがカリストに捨てられただの、ゴシップのいいネタにされていた。それをカリストが知らないわけはないのに。


 「・・・私、あんたのそういう表面上で我関せずってとこ、本当に嫌いだわ」

 

 ジェマの吐き捨てるような口調に、カリストは無表情の冷たい視線を向ける。

 「俺に、なんて言ってほしいわけ?」

 「別に。私はビビにヴァルカン山岳兵団には関わってほしくないの。あんたが繋ぎ止めてくれたほうがマシだって思っているだけ」

 「・・・」

 「ヴァルカン山岳兵団は、ガドル王家と巨神ミッドガル族との《不可侵誓約》により、一度関わったら抜けられない。たとえガドル王国へ帰化したとしても、兵団では一般国民はよそ者として扱われる。ましてや、フィオン・ミラーは長子じゃない。万が一嫁に入ったら、あの子の価値は子供を産むことしかなくなるのよ。そんなの、許せない」

 グラスを握りしめる手に力がこもる。

 

 「ビビの価値はそうじゃないでしょう?あんな狭い世界に閉じ込めていいものじゃないわ!」

 

 「・・・それを、本人が望んでいるとしたら?」

 カリストはジェマを見る。

 デリックは驚いた。カリストがまともにジェマと会話するのを聞くのは、はじめてかもしれない。

 

 「へぇ・・・あんたが、それを言うんだ?」

 憤るジェマの声は震えていた。

 

 「望まない。ビビは・・・気づいていない、いや気づかないふりしているだけ。だから・・・」

 

 "ジェマ、おかえり!"

 

 過酷な討伐から戻ると、いつも笑顔で抱きしめてくれる、大事な大事な親友。

 あの笑顔と優しい手にどれだけ癒され、救われただろう。

 自己評価が低く控えめで。何度帰化を促しても困ったように笑って首を振って。わかっている。彼女が来年この国を出ていくことは、止めることができないんだって。だからビビがこの国にいるうちは、その笑顔を護りたいって、護るんだってそう誓っていたのに。


 なのに、どうしてよりによって・・・


 フィオンと対面した時、ビビは涙を流したという。

 ただ、知っている人に似ていただけだ、とそれ以上は語ることはなかったと聞いている。

 泣くほど大切に思っている男の存在。

 それに酷似しているという山岳兵団の長子、フィオン・ミラー。


 グラスを握る指先に力をこめ、ジェマはふいに泣きそうな顔になった。ビビの生き方を決めるのはビビだ。外野がとやかく言う筋合いがないのは、ジェマが一番わかっているのだろう。だからカリストもあえて反論せずに、無言でワインを口に運ぶ。

 

 「あの子が・・・ビビが傷つくのは、嫌なんだ。あんたは・・・違うの?」

 「ジェマ・・・」

 アドリアーナがそっと震える肩を抱きしめた。ジェマはうつむき、小さい声でごめん、忘れてと謝罪する。

 

 コトリ、とグラスをテーブルに置き、カリストは前髪を軽くかき上げると、ふ、と息を吐く。

 「まったく、どいつもこいつも・・・俺にどうしろと、」


 同じようなことを、イヴァーノにも言われたばかりだった。


 *


 本気で人を好きになったことはなかった。

 だから、ビビに対しての気持ちが、世間のいうところの"好意"であるのか、正直わからず持て余していた。

 どちらかというと、ビビを見ていると・・・自分の中の今まで感じたことのない、知らなかった部分に触れ、不愉快というか、イライラしてしまう。冷静に構えていられなくなる。こんなことは今までなかった。

 

 余裕のなくなる自分が嫌で、認めたくなくて。距離を置こうと思うのに、知らず目で探してしまう。

 姿を見るとほっとする。声を聴きたくなる。笑った顔が見たくなる。


 ・・・手を伸ばして、触れたくなる。


 あの時・・・

 廃墟の森で、ビビに剣を錬成してもらった時。

 魔力が枯渇して眠るように意識を手放したビビを抱きかかえ、降りしきる雨の中、巨木の根元で雨宿りをした。

 すっぽりと腕に収まる身体は小さくて温かく。頬をくすぐる髪から香る、甘やかな花の香り。

 無意識に触れた赤い唇は柔らかくて・・・あのままビビが目を覚まさなかったら?耐えた自分の理性に、あの時ほど感謝したことはない。


 *


 「お前、本気で執着したことがないんだなぁ」

 

 イヴァーノはからかいを含めた目を、カリストに向け笑った。

 「・・・執着、ですか」

 「誰にも渡したくない、触れさせたくない、見せたくない。手放すくらいなら、この手で壊してしまおうとまで考える、狂気にも似たやっかいな感情だ。コントロールなんてできるもんじゃない」

 イヴァーノは剣を振り、切り捨てた魔獣の露を払うと、何事もなかったように腰の鞘に納める。

 

 「だが、俺は・・・この先、お前が高みを望むために必要なものだ、と思う」

 「・・・」


 「ビビ、あいつな」

 ビビの名前が出てカリストは顔をあげる。


 「ここんところ、ヴァルカン山岳兵団の男と懇ろにしているようだが・・・お前が思っている以上に、厄介な女だ。そんじょそこらのガキの言う、惚れたはれた、と口説き思いをぶつけるくらいじゃまず落とせん。なんといっても・・・相手に求めることも、求められることも拒絶している。力も、金も、愛も役にはたたないだろうよ。ミラーんトコの長子がそれを理解できているなら話は別だが」

 イヴァーノはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

 

 「愛だけじゃ落とせない。名誉や金をいくら与えても動じない。そういう女をモノにするには、なにが必要だと思う?」

 「・・・執着だと?」

 「正解」

 イヴァーノは楽しそうだ。

 フィオン・ミラーは執着を持つことを許されない。一族のために、ヴァルカン山岳兵団のために命を捧げなくてはならないからだ。

 そう、子供の頃から教育され、洗脳されてきた集団なのだ。巨神ミッドガルの末裔として。


 「俺は楽しみなんだよ。お前の執着と拒絶するビビ、どっちの思いが勝り打ち砕くのか」

 「・・・?」

 「俺はお前にかけているからな。ま、せいぜい逃げられないよう精進しろ」

 クツクツ笑いながら、イヴァーノは転移ゲートへと向かう。カリストも慌ててその後を追った。

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