第88話 噂

 「聞いてないわよ、それ」


 開口一番、ジェマは言った。

 不機嫌オーラ全開のジェマを前に、同じテーブルについてワインを飲んでいる同僚の、アドリアーナとオーガスト、そしてデリックはどうフォローしていいのか悩む。下手に刺激して、こちらにまで巻き添えになるのは避けたい。

 カリストがこの場にいなくて、本当によかったとデリックは本心から思った。


 「フィオン・ミラー・・・か」

 オーガストが首を傾ける。

 「軍人貴族ミラー家の今の兵団長は、母親のドミニク・ミラー。父親のアナクレト・ミラーは魔具専門の、結構名の知れた鍛冶職人だよ?」

 「長子ってことは、後々は兵団長になるんだよね?ミッドガル族は世襲制だから」

 デリックの言葉に、オーガストがパチンと指を鳴らし、少し身を前に乗り出した。

 「ああ、思い出した!フィオン・ミラーって、収穫祭の丸太切り落とし大会の連続優勝記録保持者じゃなかった?」

 「あ、そーいえば・・・」

 

 「そんなの問題じゃないわよ!」

 

 バン、とグラスをテーブルに乱暴に置くジェマ。

 「ヴァルカン山岳兵団なんかにお嫁に行ったら!滅多に会えなくなるじゃない!」

 「・・・また、いきなり飛躍するね、ジェマ。ビビはまだ帰化もしていないんだよ?」

 「甘いわ!カリストは何やっているのよ!あのヘタレ男!!」

 「ジェマ、落ち着いて」

 「カリストならイヴァーノ総長とダンジョンじゃねえの?最近調子あがって、"死者の樹海"まで行っているらしいし」

 どうどう、と鼻息の荒いジェマを、デリックがなだめる。

 

 「大体、ジェマはカリスト嫌っているじゃない」

 呆れたように言うアドリアーナに、ジェマはムッとしたように身を乗り出した。

 「気に食わないけど、これとそれは話が別よ。ビビに会えなくなったら、どーするのよ!」


 *


 少し前、ヴァルカン山岳兵団の砦に行くことは、ビビから聞いていた。

 なんでも、エセルの高炉で焼き上げた、あちらで常食であるピザやラザニアなどの料理を、こちらでも食せるよう長期保存を目的とした魔具を開発するらしく。それを考案したのがビビなのだという。

 めずらしく武術組織の技術の合作となり、メインとなる魔具の制作をするのが、ヴァルカン山岳兵団の五大軍人貴族のひとつである"ミラー家"に決定したのだという。

 それだけなら、普通に出来上がりを楽しみに待つだけなのだが。


 「よりによって、なんでミラー家の長子とビビが懇ろになるわけ?独身とはいえ相手は30歳のオッサンじゃない!」


 ちなみに、武術組織では熟年といわれる60歳過ぎでも、現役で戦っている武人は数多くいる。30歳は充分若い部類に入る。ガドル王国の30歳独身男性に喧嘩うっているような暴言でも。相手がジェマだから怖くて文句が言えない。

 

 「いや、フィオンは評判いいんだよ?責任感強くて、腕もたつ。ただ家長のドミニクが強すぎてなかなか引退しなかったから、今まで家督を継ぐまでには至らなかったみたいだけど」

 「ビビちゃんって・・・マッチョ好みだったのか」

 デリックは腕を組み、椅子の背に寄りかかる。


 フィオン・ミラーは毎年の収穫祭で見ている。

 がっしりとした体躯の、短髪で爽やかな雰囲気の男だった。初夏の収穫祭のイベントのひとつである、丸太切り落とし競争でダントツ優勝しているのだ。ヴァルカン山岳兵団では人気も高いと聞いているが・・・細身で色白の、貴公子なイメージの強いカリストとは真逆な、野性的なタイプである。


 そのカリストは・・・ビビに剣を錬成してもらい、戦い方が一変した。

 珍しい"火"と"水"の相対した属性持ち、と判明したカリストは、それまで"火"の属性を生かしたスキルを伸ばしていたが、それに"水"のスキルも加わりメキメキと腕をあげている。今ではイヴァーノ総長がカリストご指名で、ダンジョンへ同行させているくらいだ。

 近衛騎士団トーナメントをこのまま勝ち進めば、来年は第三騎士団の隊長になるのではないか、とまで言われている。


 一方笑顔を絶やさず、皆から好かれて可愛がられているビビだが、相変わらず誰にでも一線を引いていて、立ち入らせようとしない頑なさを纏っていた。それは、この国に帰化するつもりはなく・・・人との深入りを避けているためだ、と聞いてはいたが。

 そのビビがもし、フィオン・ミラーに一目ぼれした、ともなれば話は変わってくる。

 「このままじゃ・・・カリスト、勝ち目ないんじゃね?」


 *


 「・・・俺が、なに?」


 声がかかって、デリックは飛び上がる。

 振り返り、テーブルの前に立って、相変わらず不機嫌そうな顔のカリストを見て、一瞬取り巻く空気が固まった。


 「あ、カリスト?」

 「戻ったんだ?お疲れ・・・」


 ひきつり笑いのオーガストと苦笑するアドリアーナ。ジェマはカリスト以上に不機嫌な表情をしていたが、ふい、と目線をそらしワインを飲む。いつもならカリストの姿を見るや大抵その場で席を立つのに、珍しいなとデリックは思った。

 椅子を引いてやると、無言のまま着席をするカリスト。

 給仕にワイングラスを追加してもらい、ワインを注ぐ。


 「イヴァーノ総長は?」

 「・・・カイザルック魔術師会館に行った」

 ああ・・・と皆の視線が交わる。

 「カリストは聞いた?・・・その、ビビのこと」

 とりあえず、差しさわりのない質問を投げかけるオーガスト。

 

 「・・・なんかの魔具の開発に関わっているんだろ?その材料の素材が"廃墟の森"に育成している植物で対応できそうだからって、イヴァーノ総長が言っていた」

 「?魔具の制作に、なんで植物が必要になるんだ?」

 皆が思い浮かんだ問いをオーガストが聞くが、カリストはさあ?と首を傾げる。


 「ビビがその魔具を制作する山岳兵団の軍人貴族の長子と、ただならぬ仲だって噂なんだけど?」

 ジェマが口を開く。ピクッとカリストの手が止まる。

 

 「・・・それが?」

 カリストはワインを飲む。

 「俺は・・・しばらく会っていないから、何も聞いていないし知らない」

 だろうな、とその平静を装う横顔をながめ、デリックはため息をついた。

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